哲学・宗教・難しい話

2018/06/09

【小さなボランティアのススメ】

秋葉原の無差別殺傷事件が起きてから、10年も経つのですね。昨日、その事件の献花台に多くの花束が手向けられたそうでございます。そんなニュースを見たのもつかの間、今日、新幹線の車内で似たような事件が発生いたしました。男性が1人、被害に遭われて亡くなられたとのこと。やるせないのでございます。

自分は孤独だ、自分は愛されてない、自分は嫌われている、自分は差別されている...そんな気持ちが鬱積(うっせき)していったのでしょうか。そして、家族が悪い、会社が悪い、社会が悪い、世の中が悪いと恨み辛みをつのらせ、「腹いせ」をしたくなる。まったく、どうしようもない生き方でございます。

人はみな、「○○のせいで俺の人生はこうなった」と自分の不遇を他人のせいにしたがるものでございます。しかしね、条件の善し悪しはあれども、それまでの人生の中で無数の「岐路」で様々な選択をして来た結果が、今の自分の人生なのでございます。そう、自分の人生は、すべて自分の責任。他人のせいにするのはお門違い。無関係の人に怒りをぶつけるなんて、もってのほかでございます。

先日、人が愛を獲得(学習)する4つの過程のお話をいたしました。この犯人の心の中に、せめて「無償の愛」のかけらでも有れば、こんな事件は起こらなかった。無償の愛とは、自分から世の中に接点を求める行為。ところが、この犯人のような人は、愛されること、接してくれること、そんな「貰うこと」ばかりを求め、自分から与えようとはしない。そして、世の中との接点を失い、疎外感を蓄積していく。

この犯人がどんな人生を送ったかは知りませんよ。ただ、どこかで無償の愛のたたき台を学び損なったか失ったか。そして、心の歯車がひとつ欠けたまま修復できずに成長してしまったのでしょう。ある意味、「心の障害者」でございます。見た目で分からない、本人も気がつかない、そんな潜伏した障害だからこそ、なおさらタチが悪いのでございます。

無償の愛のたたき台を学び損なった人、あるいは失ってしまった人が、後から学習する方法がございます。それは「ボランティア」。ボランティアと言っても、東北へ行ってこいと言うわけではございます。小さなボランティアは、日常生活に溢れかえっております。

買い物をして、レジで「ありがとう」と言う。自分より急いでいる人がいたら、順番をゆずる。傘がなくて困っている人がいたら、傘を貸す、あるいはあげてしまう。ぶつかりそうになったら、自分から道を譲る。もうね、無数にございます。つまり、「やったところで何ひとつ自分が得をするわけでも無い」といった行為は、全部、ボランティアであり無償の愛なのでございます。

学び損なった無償の愛を、理性の力で強制的に体感させるのでございます。心が荒んでいる人には、若干、難しいでしょうねぇ。でも、難しいことだからこそ、小さな、小さなボランティアから始めて行くのでございます。いつもニコニコしている、ただそれだけでも、小さなボランティアなのですよ。

秋葉原や新幹線の事件を見て、「私もあんな事件を起こすかもしれない」と少しでも思った方、どうか、小さなボランティア練習法を実践していただきたいと思います。与えることの快感が芽生えたら、もう「自分は孤独」だとかは思えなくなる。自分や他人の人生を悲惨なものにさせないためにも、どうか、試しにやってみて下さいませ。

子供の時はさ、道徳の教科書に書いてあるような「親切に」「人に優しく」「人の嫌がることを進んでやれ」なんてのを小馬鹿にしておりました。思春期以降も、「マジメかよ! そんなバカ正直、かっこ悪い」と気取っておりました。

でもね、年を取って、人の心の理(ことわり)が分かってきますとね、そんな教科書的な文言が、実に理(り)にかなっているというのが分かってくるのでございます。年を取らないと分からないというのも悔しいですが、まぁ逆に、悟りきった若者というのも、あまり魅力がないかも。人生というもの、うまい具合に、「順番」というものが決まっている様でございますね。では、では。

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2018/06/06

【愛は、自分で獲得するものなのです】

「おねがい ゆるして」という少女の手記が紹介される度、私は目から涙が溢れ出るのを抑えることが出来ません。そんな悲しい事件がございました。

つらくて、つらくて、寂しくて、寂しくて、それでも、お父さんとお母さんのことが大好きで、そんな想いのまま、お腹をすかせて死んでいったのでしょうね。良い子にするからと綴った彼女の文字からは、虐待されながらも、なお、両親を愛し信じている幼い心が読み取れるのでございます。

両親は、「まさか死ぬとは思わなかった」と思っていたのでしょう。子供への親の愛は、無償の愛。見返りを求めない愛でございます。この両親は、そんな親の愛を、どこか学び損なったまま成人してしまったのでしょうか? 逮捕され、今、留置場で何を思っているのでしょうか?

人が「愛」を学習する過程には、4段階ございます。最初は、赤ん坊から幼児期にかけて。この時期の子供は無力。食事・着替え・お風呂、全て親が面倒を見ることになるのでございます。言葉は分からずとも、その親の懇切な世話を子供は「無償の愛」として学習し、心に刻み込むのでございます。

次は幼少期。言葉を覚えますと、同時に「ウソをつく知恵」も身につけるようになる。この時期に獲得するのが「打算の愛」でございます。「よい子にしていればお菓子を貰える」的な愛情表現でございますね。愛の本質を分かっているわけではなく、「好き」とか「嫌い」といった感覚で愛を考える時期でございます。

思春期に獲得するのが、「利己的愛」。続に言う「恋」といういうものでございます。恋は盲目なんて言いますように、この利己的愛というのは、ただひたすら、自分の心の隙間を埋めたいと思うのでございます。この利己愛を真の愛と勘違いすると、ストーカー行為の様なことになってしまうのでございます。

そして、最終段階、結婚・出産を経て家族・子供を持ちますと、自分の子供に対して芽生えるのが「利他的愛」。つまり、無償の愛と呼ばれるものでございます。「子供のためなら自分の命を捧げてもいい」と親は思うもの。この無償の愛を赤ん坊に与えることで、この愛の学習は永久ループとなり、後世に伝えられるのでございます。

ここでね、ある重要な因果がございます。赤ん坊・幼児期に親から受けた「無償の愛」、これが、その人の、その後の愛の獲得における、「たたき台」になるのでございます。親から受けた無償の愛を「お手本」にし、打算の愛、利己的愛と学習して、最後に利他的愛まで辿り着くのでございます。

打算の愛、利己的愛というのは、人間の本能に起因する感情でございまして、仮にお手本が無かったとしても、自然に獲得できちゃう愛でございます。打算の愛は、食欲・物欲に起因する。利己的愛は、性慾・生殖本能に起因する。一方、利他的愛・無償の愛というのは、「理性の愛」。人は、生殖本能を超えた普遍的なものへと、この無償の愛を与えることが出来る生物。人智が生み出した愛の形でございます。

そしてね、もし、この理性の愛を獲得できないと、その人は本能のみで生きる人間になってしまうのでございます。冒頭でお話した事件の親たちは、この理性の愛を学び損なったまま、本能のおもむくままに生きてきたのかも知れません。そして、不幸な事件に...原因は、この両親のさらに親に有るのでしょうか? 児童虐待やネグレクト(育児放棄)は、代々まで連鎖するのでございます。

小さな子供を持っていらっしゃる親御さん、育児、大変でしょう。特に赤ちゃんの世話、重労働だと思います。でもね、その赤ちゃんや幼児に捧げた無償の愛は、脳裏に確実に刻まれ、将来の真の愛獲得へのたたき台となり、一生の宝となるのでございます。どうか、子供に宝物を抱かせるつもりで、無償の愛を惜しみなく注いであげて下さいませ。

こんな悲しい5才の子供を作り出さないために。そして、こんな重荷を背負うことになった男と女を作り出さないために...

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2017/07/29

【想像力こそが、心を豊かにする、のかも】

先週のお話でございます。お店のバスルームのシャワーホースに、亀裂発見! 外側の皮膜が破れているだけで、すぐに破断の危険はございませんが、まぁ早めに交換しておこうと思い、倉庫から予備のホースを取り出し、さぁ交換。

と、思いきや、ネジが合わない。ここで、嫌な予感が...水回りのネジの種類の多さったらハンパない。こういうものは、実物を売り場に持っていって直接合わせるのがベスト。ただ、ここでその「ひと手間」を手抜きしちゃいました。これが運の尽き。

混合水栓のメーカーを調べ、これで間違いないとアダプターをネット注文。いやぁ、ネットは便利。居ながらにして、数日でアダプター到着ですよ。意気揚々とホースの交換へ...合わない。シャワーホース側はピッタリ。混合水栓側が、全然違う大きさ。そこで、またネット発注でございます。

よく調べると、「TOTO製は3種類あるので、実測してご発注下さい」とのこと。早速、実測! どこを測ればいいんだ?! 何となく22mmくらいに”見える”。ネット通販にあるものは、19mmと24mmのもの。間違って発注したのが19mmなので、24mmに決定! 再発注でございます。実測という「ひと手間」を抜いたために、本当の「二度手間」になったのでございます。

自分は失敗しているのに、他人へのアドバイスではドヤ顔で自慢げに言うのがワタクシ。つい、数日前、コンパニオンのひとりが「自宅のトイレで水漏れがあるので、部品を買いに行く」とのこと。ここでワタクシ、「実物を持っていくか、写真を撮っていくといいよ」とドヤ顔の自慢げにアドバイス。

そのコンパニオン、東急ハンズにその部品を探しに行ったそうでございます。すると、「そんな部品は扱ってない」と、けんもほろろ。そのコンパニオンから水漏れの事情を聞くと、どうやらワタクシの見立てでは、「パッキング」さえ交換すれば済む問題のように思えたのでございます。

これってさ、ワタクシでも分かるのですから、東急ハンズの店員さん、気づいてあげなよ。まぁ、パッキングの大きさが不明なら、めぼしいものを数種類買っていっても、大した金額じゃございません。こんな話をしていて、ワタクシも似たような経験を思い出したのでございます。

アルミのフレキシブルホースを買いに行ったときのことでございます。売り場には1mの「切り売り」のものと「端材」が置いてございました。1mもいらないし、この端材でいいやと思いましたが、金額が貼ってないのでございます。

そこで、レジに持ち寄り、店員に金額を聞いてみた。どう見ても端材なのに、店員は1mの金額しか言わない。「いや、これ、どう見ても1mないでしょ?」と店員に言うと、その店員、畳まれているフレキシブルホースを延ばそうとする。延ばして、実測しようとしたのでしょうね。

「いや、それ、延ばしちゃうと大変だから」と、ワタクシ慌てて制止。「端材」と何度も言いますが、その「端材」の意味が伝わらない様子。そのやり取りをしているうちに、レジには3人ほどの店員が集まっちゃいました。で、その全員とも、ワタクシの言っている意図が理解出来ず、傍観するのみでございます。

面倒くさいので、切り売りの1mのものを購入してまいりました。通常、店頭の端材には相応の値段が付けられて置いてあるものなのですが、それが無かったのが、まずひとつ目の要因。そして、店員が誰も「端材」の意味やそれを売っていることを知らなかったのが、ふたつ目の要因。あと、驚いたのは、ホースを延ばそうとした店員。商品知識、なさ過ぎでしょ(笑)。

たまたまベテランの人が近くにいなかったのでしょうが、ワタクシとしては「東急ハンズとあろうものが!」という感覚。スタッフの獲得・育成が大変なのでしょうか、名札に「研修中」「アルバイト」の文字をよく見るようになりました。

まぁ、こういうのは、人を恨んでもしょうがない。「たまたま、巡り合わせが悪かった」と、受け流すのが得策。そして次からは、「ひょっとすると、あまり詳しくない不慣れな店員かも知れない」という「心構え」も出来る。世の中、心構えさえあればこちらも余裕を持って対応出来る。喜怒哀楽が激しく起きるというのは、大抵、心構えが無いときなのでございます。

「腹が据(す)わる」とか「腰を据える」というのは、心構えが出来ることなのかも知れませんね。心構えというのは、これから起こることへの「想像力」でございます。すると、論理的には、「腹が据わる=想像力」という結果が導き出される。そうか、腹を据えるためには想像すれば良いのか。結果が出たところで、失礼いたしましょうか。では、では。

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2017/06/29

【「こだわり」を捨てると、全体像が見えてくる】

今日はね、「顔」のお話。実はですねぇ、この業界、「自分の顔が嫌い」と言う人が時々いらっしゃる。でも、人気商売で自分の顔が好きになれない人ってのは、いろいろと苦労するのでございます。で、今回は、そんな自分の顔が好きになれない人向けの、自分の顔とつき合う方法のお話なのでございます。

まずですね、自分の顔が嫌いな人というのは、鏡が嫌いなのでございます。あまり鏡を見ようとしない。ですから、どうしても自分の顔に無頓着になる。そして、化粧が崩れた顔でも気づかずに接客に入ったりして、お仕事的にドンドン損をする。その路線にはまってしまうのでございます。

さらに、自分の顔を見るのが嫌いな人は、他人の顔の直視も少ない。自分の顔を見られたくないからでございます。これもまた、損をする。「♪目、と、目、で、通じ合う~、そぉゆう仲になりたいの~」なんて歌詞も有るように、接客業では目は口ほどにものを言う強い武器なのでございます。

さて、一口に「自分の顔が嫌い」と言うのは、あまりにも大ざっぱ過ぎるのでございます。顔の中には、目や口や眉毛、さまざまなパーツがございます。自分の顔が嫌いという人は、そのパーツの中の”何が嫌い”なのかを、細かく自己分析する必要があるのでございます。

すると、必ず、自分の顔の「何が」嫌いなのかが見えてくる。でも、その嫌いな部分”以外”は、特に嫌っているわけではないのですよね。これが見えてきたら、もう道のりは半分進んだようなもの。ここから後の対処法は、ふた通り。それぞれを、ひとつずつご説明いたしましょう。

まず、ひとつの対処法として、嫌いな部分をカモフラージュしてしまう方法。嫌いなのが「目」だったりすると、これは実に有効。目なんて、メイク次第でどうにでも変えられるからでございます。顔の輪郭だったりした場合は、ヘアスタイルでカモフラージュしたりとか。とにかく、その嫌いな部分が見えなくなればいいのでございます。

もうひとつの方法は、これの逆。その嫌いな部分とは別なパーツを、出来るだけ飾り立てて目立たせるという方法でございます。他の部分に注目させることで、自分の嫌いな部分を目立たなくさせるのでございます。

この「注目させる別なパーツ」とは、顔の中のパーツとは限りませんよ。衣装やアクセサリーかもしれません。とにかく、他の部分を豪華にしてそちらに注意を引けばいいのでございます。ワンポイントで身につけるブランド品も、有効な道具。他の部分の豪華さに引っ張られ、顔もよく見えるのでございます。

どうですか? 考え方は「トータル」つまり全体像で考えるということ。自分の顔の「何が」嫌いなのかをハッキリ分析し、そして、足したり引いたりしながら、全体像として綺麗にまとめていけばいいのでございます。細部で気になる部分が有ったとしても、全体像として綺麗ならば、そんな細部なんて誰も気にしないのでございます。

さ~てと、この「顔」のお話、実は、人づきあいでも同じ事が言えるのでございます。世の中に完璧な人なんて、おりません。みんな、好きな部分、嫌いな部分を合わせ持っているのでございます。あるいは、他人を見て、その人の好きな部分と嫌いな部分が見えてくる場合もございます。

この好きな部分・嫌いな部分にも、先ほどの対処方、使えるのでございますよ。自分の嫌いな部分を封印するか、好きな部分を磨き上げるか。でも、これをやるには、十分な自己分析が出来てないと無理ですよね。最初の方でお話したように、大ざっぱに「自分が嫌い」と思っていては、この対処方は使えないのでございます。

他人への人づきあいにも、同様に使えるのでございます。やはり、他人を十分に分析し、自分なりにその人の好きな部分と嫌いな部分を分析する。そして、あとは、全体像としてその人を見る(これ、重要)。きちんと分析さえ出来ていれば、自分とその人との相性の悪い部分は明白でございます。それを踏まえた上で、好きな部分で接点を持てばいいのでございます。

以上のお話、何度も出てきたのは「分析」という言葉。そう、自分を分析する、他人を分析する、まずはここから始まるのでございます。闇雲に「自分が嫌い」「あの人が嫌い」という大ざっぱな考え方に未来はございません。自分を見つめる、他人を観察する、ここから未来は始まるのでございます。

口の卑しい薫さん、このお話を食べ物にも応用出来ないかなぁと考えたのでございますが、どうも、嫌いな食べ物の中に好きな部分というのが見つけられない。まだまだ、ワタクシは修行が足りないようでございますね。みなさま方、精進してくださいませ。では、では。

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2017/06/25

【人工知能が”思い込み”を持ち始めたらどうなるの?】

人工知能に関したお話をいくつかしておりますが、本日見たテレビ番組『NHKスペシャル』が人工知能を題材にした内容でございました。将棋の対戦の他、株式のトレード、流しのタクシーの集客ポイントへの誘導、退職者の多い職種でのヘルスケアなどを紹介しておりました。

それらの人工知能の利用で共通するのが、「教師データ」というものの存在。今の人工知能は、膨大な過去のデータを入力し、そこから何かしらの因果関係や傾向を見いだし、それを新しく入力されたデータに当てはめるという手法を取っております。

ただ、面白かったのは、人工知能をプログラミンしたプログラマー自身が「人工知能の中で何が起きているのか分からない」と答えていること。コンピュータが膨大なデータから導き出した因果関係や傾向は、人間の先入観や常識では気づけなかった思いがけない結果を出力してくるからでございます。

ここでね、ちょっと心配になったのは、人間がその人工知能の結果に振り回されてしまうのではないかということ。番組では、退職率の非常に高い医療事務という職業で、その従事者へのカウンセリングに人工知能を利用する例を紹介しておりました。カウンセリングでの受け答えの内容で、その人の退職願望を人工知能で推測するというものでございます。

ここでね、人工知能が「この人は大丈夫!」とか「この人は、なんか退職したがっている」なんて結果を出すわけでございます。それを見て、カウンセラーがケアを厚くしたりするわけでございます。心配なのは、心理学における「認知バイアス」とか「ピグマリオン効果」なんてのがカウンセラー側に発生しそうなことでございます。

認知バイアスというのは、まぁ「先入観」と同じと思っていただければよろしいかと。特にピグマリオン効果というのは、教師が生徒に期待を持つとその生徒の成績が上がりやすいという効果。逆に、「この子はダメだ」と教師が思ってしまうと、その子の成長を阻害してしまうことがあるということも。

ピグマリオン効果に関しては賛否両論あるのですが、認知バイアスというのは広く心理学や行動経済学で知られていること。人間というのはですねぇ、先入観を持ってしまうと、ついつい、自分に都合のいいように考え、自分に都合のいいように行動してしまうのでございます。

人工知能がボードゲームで対戦しているくらいならいいのですが、こと人間の管理に使われると、これは恐いですよ。管理ということは、「管理者」がいるということ。管理者は人間ですから、当然、認知バイアスが働いてしまう。人工知能の出す結果を見て、管理される人への対応が変わってしまうことも。

人工知能に「この人は出世の可能性ゼロ」と判断され、訳も分からず冷遇される社員が出てくる可能性もあるのでございます。じゃぁ「認知バイアスの働かないコンピュータに管理まで任せてしまえばいい」なんてぇ考えに至りますと、管理職は社長も含めて全てコンピュータ、人間は現場で働き蟻のように動き続けるだけなんてSFのような世界にもなりかねません。

これがまんざらではないのが、お隣韓国でのお話。汚職・癒着の絶えない韓国では、国会議員も人工知能にやらせようという考えがあるそうでございます。いやぁ、怖ろしや。そういえば、アメリカの新しい大統領も、アメリカファーストでズケズケとした物言い。あの人はすでに人工知能の入ったロボットだったりして...

SFのようなコンピュータに管理される未来社会というのは勘弁願いたいと思うのですが、すでに人工知能は生活の多くの部分に取り込まれて埋没し始めております。「気がついたら、いつの間にかコンピュータに振り回されていた」なんて世の中になってしまうのでしょうか?

そしてさらに、人間の営みを「教師データ」として入力している人工知能は、その内、人間しか持たない「思い込み」「先入観」なんてものまで持ち始めるのでは? あるいは「気まぐれ」なんていう実に人間らしい行動まで模倣し始めると、これは手に負えない。人間よりもタチが悪い(笑)。

まぁ、そんな人間っぽい人工知能も見てみたい気がしますけどね。では、では。

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2017/06/21

【千数百億個の壁】

何でも、中学三年生の棋士が28連勝したとかで、大騒ぎでございます。この28連勝がどんなすごい記録なのかは、とんと想像がつきません。ワタクシの中学3年と言えば、教室の中でエロい話をする同級生の話に、聞いてない振りをして耳をダンボにしていたのが微笑ましい思い出。ますます、想像がつかないのでございます。

この28連勝は人間vs人間の勝負でございますが、人間vsコンピュータの勝負なんてのもございます。人工知能との戦いでございますね。この戦いで、ここのところ人間は負け続きでございます。将棋、囲碁、チェスといった勝負で、完敗なのでございます。

チェスは、終盤になるにつれて盤上の駒の数が減っていきますので、人工知能にとっては計算は軽くなっていくのでございます。それに比べ、将棋は取った駒を再利用出来るので、チェスよりも計算が複雑になると言われております。

さらに囲碁は、盤面が広い・手の多さなどで、人工知能にとっては難攻不落だと長い間言われておりました。にも関わらず、現状では、将棋・チェス・囲碁において、もはや人間が人工知能に勝つのはかなり難しくなっております。

実は、ボードゲームでの人工知能は、ある時期から急に強くなっております。昔の人工知能は、単純に次の手の全ての可能性を羅列し、それらをある数式(評価関数)で評価し、一番評価の高い手を選ぶというだけのもの。

このやり方、コンピュータの性能が高くなるにつれ、3手先とか数十手、数百手先まで深読みすることで強くなるのですが、深読みすればするほど計算量は膨大になってまいります。いくらコンピュータが高速になっても、どこかで頭打ちになるのでございます。

そこで、人工知能の新しい時代がまいります。人間の打った手を片っ端から入力していき、その多くの手から”傾向”を導き出すという方式を取り入れたのでございます。「こういった状況では、人間はこういう手を打ちやすい」という傾向を、無限に蓄積していくわけでございますね。

そして、その無限の”傾向”の中から、結果的にその後の展開が有利になった手と不利になった手を分けていくと、「良い手」「悪い手」のデータベースが出来上がる。次の手を数学的に求めるのではなく、膨大な人間の経験から得た”傾向”をもとに、次の手を決めているのでございます。

これは、恐いですよ。人工知能が「直感」を持ったということでございますから。計算し、確信を持って手を打つのではなく、「なんか、こうすればいいはず」という閃(ひらめ)きのようなもので行動するわけですから。

この「直感」だけは人間様の特権、最後の砦だと思っておりました。人間がする多くの経験や失敗の蓄積からのみ得られる感覚だと思っておりました。しかし、その人間の経験や失敗を膨大に収拾し、高速に分析することで、人間と同じような直感的行動が出来る様になったのは、コンピュータの勝利でしょうねぇ。

さて、ここで、ワタクシはこのお話を逆に人間に当てはめてみたのでございます。人がオギャーと生まれて、さまざまな経験をし、知性や感情を高めていく過程は、実はこの人工知能が”傾向”を蓄積する過程と同じなのではないか、そう考えるのでございます。

「みんなが悲しそうにしている、これは悲しい出来事なんだ、じゃぁ悲しもう」「みんな笑っている、これは楽しいことなんだ、笑おう」といった幼少期からの小さな経験を膨大に蓄積することで、人の感情も形成されていくのではないか? そんな思いに行き当たるのでございます。

以前、コンピュータがネットで繋がることによって、そのネット全体が有機的な反応をすると書きました。ここにきて、多くの人間の”傾向”を蓄積したコンピュータが、より人間的な「直感」で行動する時代に入っております。

人間の脳細胞の数は、千数百億個とも言われております。その膨大な数ゆえに、脳細胞をコンピュータの電子回路で模倣するのは不可能だと思われておりました。しかし、コンピュータがネットで繋がったり、膨大なデータを蓄積したりしてその「千数百億個」に近づいているのは間違いなさそうでございます。鉄腕アトムも、夢じゃないのかな?

さて、最期に、ちょっと恐い余談を。以前、Google が自社の人工知能を開放し、一般人に自由に言葉を入力させていた時期がございました。人工知能に、人間の言葉の”傾向”を蓄積させたかったのでしょう。

すると、数日も経たぬうちに、その人工知能はナチスを礼賛する言葉を連呼し始めたのでございます。Google は慌ててその人工知能をシャットアウト。多分、意図的にそういう思想の言葉が数多く入力されたのでしょう。人工知能も人”間”知能も、幼少期に出会う人や言葉が重要だということでしょうね。ちょっと恐い余談でした。では、では。

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2017/06/16

【金曜日の夜からは、休日モード】

昨日の、食券のお話の続きなのでございます。今回は、ちょっと難しい内容もございますが、分かりや~すくお話しいたしますので、どうぞおつき合いのほどを。

今日は、「モード(mode)」というのがキーワード。ナントカモードとか、日常でもよく使いますよね。直訳すると「状態」という意味。様々な状態があることを「モーダル」、逆に状態が変わらないことを「モードレス」と言います。みんな、モードの派生語でございます。う~ん、この辺で拒絶反応が起きている方、この後はグッと優しくなりますから安心してね。

分かりやすいのは、パソコンのキーボードの「シフトキー」。通常の状態では「小文字」が入力されますが、シフトキーを押すと”大文字モード”になりますよね。シフトキーがキーボードのモードを変えているのでございます。コントロールキーやALT(オプション)キーなんてのも、同様。

で、食券の話に戻しますよ。昨日のお話では、「朝定」の食券と「ライスをおろし豆腐へチェンジ」の2枚でワンセットになっております。この「チェンジ」の食券が「朝定のモード」を変える働きをしているのでございます。

ここで、松屋の食券システムの変遷も語らなければなりませんね。定食のライスに関して「大盛り」「特盛り」というオプションがございます。これも、以前はチェンジ食券と同様に、定食の食券とは別に出ておりました。2枚でワンセットということですよね。

しかし、タッチパネル式の食券機が登場すると、画面操作の段階でライスの盛りを選択させ、大盛り・特盛りの場合は定食の食券そのものに記載する仕様に変わっております。大盛り・特盛りを選んでも、食券は1枚しか出てこないわけでございます。

この食券1枚で完結しているという仕様、これが「モードレス」でございます。実は、モードが有る作業というのは、人間のミスを引き起こしやすいのでございます。従業員の負担を軽くするため、大盛り・特盛りに関しては、この様な仕様になったのでございましょう。

食券機にも、モーダルな食券機とモードレスのものが有るのでございます。旧式のボタンがいっぱい並んでいるような食券機は、モードレス。ボタンと食品が一対一対応でございます。これだと、大盛り・特盛りは別の食券として出すか、「○○定食大盛り」「○○定食特盛り」と全て個別のボタンを用意するしかないのでございます。

食券機の進化とともに食券のモードレス化を進めておきながら、「チェンジ」のメニューに関してはモーダルな食券の仕様を残している。ここに問題がありそうでございますよね。

じゃぁ、「チェンジ」をもモードレスな食券にしようとすると、食券機は定食が選ばれる度に「ライスにしますかおろし豆腐にしますか?」と、お客に問いかけることになる。「おろし豆腐へチェンジ」を選ぶ人は少ないでしょうから、これもまた煩わしい。それで、モーダルな仕様のままに残さざるを得なかったのでしょう。

これを完全にモードレスにするには、食券機が一度全ての注文を溜め込み、「おつり」ボタンが押されたときに初めて食券をまとめて吐き出す、という仕様に変えなければいけないのでございます。まぁ、この仕様のレジスターは多いのですが、食券機となると大変でしょう。あまりコロコロ仕様が変わるのは、従業員のストレスにもなるでしょうし。

さて、ちょいと余談を。このモードという概念は、家電製品の使い勝手を大きく変えてきたのでございます。昔の家電は、ほぼモードレス。機械スイッチが多いので、ひとつのスイッチにいくつもの機能を持たせるのが難しかったからでございます。その結果、機能の数だけボタンが並ぶ。どのボタンを押すとどうなるかは一目瞭然。昔の電話機、洗濯機、ラジカセ、テレビ等等等、思い出してみて下さいませ。

しかし、家電の中にマイクロコンピュータが内蔵される時代に入りますと、どんどん機能が増えていく。しかし、ボタンを増やしたくはない。そこで、ボタンが「モーダル」になってしまうのでございます。ひとつのボタンが、状況(モード)によって違う動作をしてしまう。これに付いてこれないと、「最近の家電は使い方が...」と悩む結果になるのでございます。

さらに余談を。Windows パソコンのマウスは、当初から2ボタンでございます。Windows よりもちょっと早く生まれた Macintosh パソコンのマウスは、Windows 登場後もかなり長い間、頑なに1ボタンのマウスに固執しておりました。これも、Macintosh の思想がモードを嫌っていたからでございます。「ひとつの動作に2つの意味があってはならない」という考え方でございます。

いやぁ、また長くなっちゃいました。お付き合いありがとうございます。接客業は、お客さまに合わせて臨機応変、モード切替の連続でございます。ここに接客業の特殊な難しさが有るのかもしれませんね。では、では。

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2017/06/02

【日本の家庭内ルール、特殊過ぎ!】

南スーダンに派遣されていた自衛隊の方々が、戻っていらっしゃいましたね。もうね、本当に頭が下がります。ご苦労さまでした。これも町内会のお付き合いみたいなもの。「自衛隊」と名が付く組織が、他の国の平和のために駆り出されるというのも、皮肉なものでございます。

「パリ協定を脱退する」って言えちゃうトランプさんが、ほんと羨ましい。ワタクシ、本音を言うと、南スーダンなんて放っておけばいいと思うのでございます。すぐ隣で毎週のようにミサイルが打ち上がり、中国の潜水艦や戦闘機がわがもの顔で近づいてくる。南スーダンの人々には申し訳ないと思いますが、そんなところの治安に関わっている場合ではないのでございます。

思い起こせば、湾岸戦争。あれが、ターニングポイントでございました。町内会長が「アンタも、ドブ掃除、参加しなくちゃダメよ!」と日本に言ってくる。でも、日本の憲法では、自宅のドブ掃除しか許されてない。で、「家庭内のルールで、参加できないの、お金出すから、許して」ってやったら、もうね、町内会中からバッシングの嵐。

次のターニングポイントが、アメリカのイラク侵攻。ワタクシはハッキリと「侵攻」って言っちゃいますよ。だってあれは、9.11に対する報復戦争ですから。「大量殺戮兵器が有る」ってでっち上げて、殴り込んだんですから。まぁ、でっち上げは満洲事変で日本もやらかしてますから、あまり突っ込めないのですけどね。

さぁ、このイラク侵攻で、日本はお人好しをやっちゃいます。家庭内ルールを変えてまで、ドブ掃除に参加しちゃったのでございます。でも、「ドブを直接触れないので、お茶を出したり、後始末とかやるね」と、お嬢様の様な発言。しかし、ここらあたりから、テロ組織の日本に対する認識が変わってきたのでございます。

かつてはアメリカに戦争を吹っかけ、中東問題に関してもいたって中立を守ってきた日本は、テロ組織にとっては「標的外」でございました。ところが、このイラク侵攻あたりから、標的の対象となっちゃった。アルジェリアでは日本の企業が標的になり、日本人も犠牲になっております。

ワタクシの妄想でございますが、アメリカのイラク侵攻、あれは、日本は頑なに関わりを断って欲しかった。当時、「大量殺戮兵器ウンヌン」の話は出ておりましたが、どう見ても報復にしか見えなかった。アメリカの報復に、日本は荷担しちゃったのでございます。

もし、当時の日本の首相がトランプみたいな人なら、厳として断っていたかもしれません。そしてら、どうなっていたでしょう。日本は世界中からバッシングでしょう。外交や貿易で、不利や不平等なことが起きるでしょう。でも、それは「日本が戦争を回避した代償」として、受け入れなければならないのでございます。

まぁ、そんなことは起きなかったわけで。でも、今の日本人は、この「代償」を忘れている。そう、「戦争に参加した代償」があれば、「戦争を回避した代償」も有るのでございます。この世に戦争が存在する限り、参加・不参加どちらの道を選んでも、必ず「代償」はある。その覚悟が、必要なのでございます。

今後、また自衛隊が海外に派遣されることが、あるでしょう。それに関して、賛否両論出るのは当たり前。でも、どんな道を選んでも、必ず「代償」が発生する。賛成する人も反対する人も、その代償を無視して議論してはいけないのでございます。

そして、代償と言えば、自衛隊員の死傷者。まだ海外派遣で「戦死者」は出ておりません。戦闘地域へ行ってないという前提ですから、そういう扱い。でも、事故とか自殺などでの死亡は起きております。ここで、新たなるターニングポイントが発生する杞憂がございます。

「最初の戦死者」、自衛隊員の中でこれが出ちゃったときに、日本中が荒れるでしょうねぇ。それ見たことかと、議論が渦巻くことでしょう。また、実際の戦闘に慣れていない自衛隊員が、「戦死」という語をどう受け止めるでしょう。自衛隊そのものも、大きく揺れるかもしれません。

なんだが、今日は、物騒なお話になっちゃいました。すいません。日本人は、平和が当たり前と思いすぎている感がございます。その平和には、必ず「代償」が有るということ、そしてその代償を受け入れる「覚悟」が必要なこと。こういった代償や覚悟の上に平和が成り立っているのですよね。ちょっと、それを言いたくて。では。では。

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2017/04/22

【仕事の途中でトイレに行きたくなったら? それはFILOで】

毎日、乾燥したてのバスタオルをせっせと畳んでおります。畳みながら気づくのは、バスタオルの傷み。長年使うと、どんどん薄くなってまいります。そして、ロゴマークのような弱い部分から穴が開いてまいります。

そろそろバスタオルの新調を考えておりまして、その準備としてお店中のバスタオルの総数を数えてみたのでございます。お店全体で、約200枚のバスタオルが循環しているのでございますが、本日数えたところ、2割ほど枚数が減っております。穴が開いたり破れたりして処分して減るのでございます。

前回のバスタオルの交換時期を調べますと、2012年の7/25。この「ひとりごと」欄のその日の書き込みを見ると、ちゃんと記述してございます。前々回から前回への入れ替え期間が、3年とのこと。今回は5年弱ぶりの入れ替えですので、頑張りましたよねぇ、そりゃ、バスタオルも傷むはずでございます。

さ~て、どうやって入れ替えるか? 入れ替え方には、ふた通りございます。総入れ替えするか、部分入れ替えするか? 総入れ替えは、ひとつ残らず全部のバスタオルを新しいものに交換するやり方。部分入れ替えは、痛んだものだけチョイスして交換するやり方。

当店のオープン当初は、部分入れ替えでやっておりました。痛んだものからポイポイ捨てていき、枚数が減ってくると、時々まとまった数のバスタオルを補充するというやりかた。これは、無駄が少ないというメリットがある一方、新旧のバスタオルが混在しますので、管理が難しい、デザインや色のリニューアルがやりにくいというデメリットがございます。そこで、ロゴマークの入った今のバスタオルにしてからは、ずっと総入れ替え方式でやっておりました。

総入れ替え方式は、これは、「気持ちが良い」というメリットがございます。とにかく、バスタオルが全部新品になるということ、清々しい気分になれます。総入れ替えを機に、デザインや色のリニューアルをするというのも可能でございます。デメリットは、無駄が多いということ。それほど痛んでいない新品同様のタオルも、処分することになりますからね。

実は、それなりにまんべんなく使おうと気をつけてはいるのですが、なぜか、タオルの使用頻度というのは、かなり偏るのでございます。頻繁に使われて痛みの早いバスタオルもあれば、何年も新品同様で残っているものもございます。

お部屋にバスタオルを補充する際には、新しいものを下に滑り込ませる様にしております。タオル置き場でも、長く置かれているものから出す様にして、古いものが溜まらない様にしております。プログラミング用語でいうところの「FIFO(ファースト・イン・ファースト・アウト、先入れ先出し)」でございます。

これは、お部屋の使用頻度が関係しているかもしれません。頻繁に使うお部屋と、滅多に使われない予備用のお部屋がございます。その予備用のお部屋に準備されたバスタオルは、比較的長い時間、使われずに置かれたままになる可能性が高いのでございます。

さて、今回は、どうするか? 景気のいい時期は、どんどん総入れ替えをしておりました。管理はやりやすいし、とにかく気持ちがいいからでございます。しかし、昨今、そんなに景気は良くありませんからねぇ。総入れ替えにするか、部分入れ替えにするか、チョイト悩んでおります。

ここで、名古屋薫の余談コーナー! 先ほどの「先入れ先出し」ってのは、飲食店の厨房などでも、時々お目にかかれます。食材や、食器など、古いものが溜まらない様にするための注意書きなのでございましょう。

FIFOの対となる言葉は「FILO(ファースト・イン・ラスト・アウト)」。最初に入れた物を最後に出すという意味で、積み重ねるという意味の「スタック」と言ったりいたします。処理に優先順位や階層構造がある場合は、このスタック方式の処理が当たり前なのですが、それはコンピュータのプログラミンのお話。一般社会では、このスタック式に見当たるものが、なかなかございません。溜まった仕事、後から来たのを優先してたら、最初の人が怒りだしてしまいますからね(笑)。

プログラミングでは、文字入力やデータ入出力の部分が「FIFO」、つまり先入れ先出し。最初に打ち込んだ文字を後からコンピュータに送られたりしたら、全部逆さ言葉になってしまいますからね。

その文字入力をしている途中で、マウスとか動かされたら、そのマウスへの対応を優先させなければならない。それは、FILOで処理される。つまり、文字入力への対応をちょいと「後回しにして」、ポインターの動き処理を片づけ、そして文字入力へ戻ってくるということ。その間に溜まっていた入力文字を、先に入力されたものから順次コンピュータに送っていく(FIFO)ことになるのでございます。

先入れ先出し(FIFO)は「順次処理」でございますし、スタック(FILO)は「割り込み処理」と言えるのでございます。実は、日常生活で、多くの人は、このふたつの処理方法を使い分けております。順番にやらなければマズイ仕事、他を中断させてでもすぐに処理しなければならない仕事、それぞれを臨機褒貶に対処しているのでございます。

もし、普段の仕事で「要領が悪い」とか「優先順位が付けられない」とか言われる人がいましたら、こんなふたつの処理方法の違いをちょっと覚えておくと、何かの助けになるかも知れませんね。お役に立てれば、光栄でございます。と、余談のつもりが、すごい長い余談になってしまいました。では、失礼いたしましょう。

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2017/04/18

【向こう側の電車が逆に動くと、自分の電車が動いて感じるみたいな】

お店のフロントでクーポン券を使われる際、スマートフォンや携帯電話でそのクーポン画面を見せて頂いております。それで、チョイト気になったことがございます。スマホ等の操作を言葉をかけて誘導するのでございますが、「画面を上に/下に」という指示が、なかなか上手く伝わらないのでございます。

お客さまが操作するスマートフォンを上から覗き込みまして、画面のもっと下の方を見ていただきたくて「もう少し下です」と言うと、画面を下にグイッと下げてしまい、見えてくるのは逆の上の方。ワタクシが意図した方向とは逆に動かす方が、少なくないのでございます。

これに関しては、言い方をいろいろ変えて試しているのですが、なかなか決定打が見つからない。想像するに、これにはパソコンからスマートフォンへの進化の過程で、その操作の仕方が変わっていく中で、仕様変更に人間様が振り回されているからでございます。

ノートパソコンにおいて、トラックパッドが今や当たり前の装備になりました。あれって、二本指で上下に動かすと、画面をスクロール出来ますよね。あの動かし方の方向に、非常に興味深い事実がございます。

画面を「上」にズリズリ動かしたいとき、トラックパッドを2本指で「下」に動かします。これはWindowsの標準仕様。Macintoshも当初はWindowsと同じ方向でしたが、6年前からこれを逆にしております。つまり、画面を上にズリズリしたいときは、トラックパッドの手も上に動かすという仕様。もっとも、Macintoshでは、設定を変えることによって、この向きを逆にすることも出来ます。

さて、この指をどちらに動かすかということに世界2大パソコンメーカーが紆余曲折しているのには、パソコンやスマートフォンを使わせるときの「哲学」が違うからでございます。難しい話をヤンワリとお話しますので、付いて来て下さいね。

まず、パソコンやスマートフォンの画面を、「小さな小窓」だと思いなせぇ。その小窓から覗き込んで、向こう側の画面を見ていると想像するのでございます。では、始めますよ~。

まず、小窓から見える画面の、「もっと上の方」を見たいとしますよね。その場合、やりかたは2通り。小窓を「上」にずらしていって上の方を見るか、あるいは小窓を固定して奥の画面の方を「下」にずらしていって上の方を見るか、この2通りでございます。

さぁ、勘のいい人は分かってきましたよね。「小窓を上に動かす」やり方は、小窓から見える画面は実際には「下」方向へ動いていきます。一方、「画面の方を動かす」やり方は、動かす方向と実際の見え方は同じ方向でございます。

小窓を動かすやり方、これはWindows標準の仕様。動きと画面の動きが逆なのでございます。一方、画面の方を動かすやり方は、現在のMacintoshの工場出荷状態。これが、なぜ「哲学的」かと申しますと、「主体」が真逆だからでございます。

小窓を動かすということは、動かない画面の表面を、小窓と共に「自分」が動いていくということでございます。動くのは「自分」。一方、画面を動かすやり方は、自分は動かない。不動の自分がいて、小窓から見える小世界をタテヨコに自由に動かすというイメージでございます。

ほら、「主体」が違うでしょう。自分が動くというやり方は、これはパソコンにポインター(カーソル)が有った故の仕様でございます。「ポインター=自分の位置」という概念であり、自分が上に行こうとすれば、当然画面は下に流れていくのでございます。

では、Macintoshが6年前に仕様を逆にしたというの、気になりますよねぇ。これは、iPhoneやiPadのような「ポインターの無い操作」では、小窓を動かすという仕様は馴染みません。当然、画面を動かすという仕様を採用する訳ですが、すると、パソコンとスマートフォンで操作が逆になってしまう。操作性を統一させたのでしょうねぇ。

こんな紆余曲折ありまして、「画面を上に/下に」という言葉の受け取り方も、ひとそれぞれになっちゃっているのでしょう。まぁ、みなさん、操作性が混在する中で、上手に使い分けておりますよね。何だかんだ言っても「使えば都」といったところでしょうか。

ワタクシの大好きな、余談のコーナー。ワタクシ、シャープのZaurusから電子手帳系は使い続けておりますが、Zaurusでは、この画面を動かすという発想は全く有りませんでした。つまり、Windows系の小窓を動かすという思想しか無かった。目の付け所は良いシャープですが、「逆転の発想」までには至らなかった様ですねぇ。あるいは、すでにアップルが特許を取っていた思想なのかも? こんな想像をするのも、また楽しいのでございます。

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