薫さん、食べ物を語る

2010/11/11

士農工商、昔は侍の次に偉かったお百姓さん

 ローソンに、新しい商品発見! (ドラえもんの声で)「新コシ塩にぎり〜」(正式には「新潟コシヒカリ塩にぎり」と言うらしいです)。具が入ってない塩味だけのおにぎりでございまして、税込みでワンコインの100円。う〜ん、素晴らしい! これを105円にせず、税込みワンコインにしたところ、大評価なのでございます。この塩にぎり、ワタクシが見つけた時には、まだまだ大量に売れ残っておりました。う〜ん、実に残念。やはり、「具が入っていない」というのが大きなマイナスなのか。あるいはちょっと高級っぽい紙のパッケージが、「高い」というイメージを与えてしまうのか。こんなに美味しいものが売れ残っているのが、本当に残念なのでございます。

 いや、「具の入っていないおにぎりがそれほど美味いのか」と思われるかも知れませんが、具が入っていないからこそ、お米そのものの味を堪能できるとも言えるのでございます。若い頃、おにぎり工場でアルバイトをしていたので分かりますが、コンビニのおにぎりは、塩水でご飯を炊いているのでございます。ですから、ご飯の一粒一粒すべてに塩味が染み込んでいる。三角形の最初の頂点へのひとかじり、中央部分にかぶりつく、そして最後の頂点を飲み込む瞬間まで、そのおにぎり全行程のすべてで、完璧に調整された塩味が安定して舌の味蕾(みらい)を刺激し続けるのでございます(あ〜、なんという完璧な食品なんでしょう)。

 さらに、「ご飯は甘い」という真実、これを再認識させてくれるのも、やはり具の入っていない塩にぎりだからこそでございます。ご飯を噛んでいるとお米の甘みが出てきますよね。その甘みを、塩がさらに引き出してくれるのでございます。そう、スイカにかけるお塩、ぜんざいに入れる隠し味の塩、あれと同じでございます。このほのかな甘さ、具が入っていては堪能できません。また、塩なしでもインパクトが弱い。塩味が付いたご飯だからこそ味わえる甘みでございます。噛み始めは塩味がきいている。けれどかみ続けているうちに柔らかい甘みが口中に広がってくる。最初に塩味を感じているので、その甘みがよりいっそう甘く感じられる。そんな喜びが、この塩にぎりのはあるのでございます。

 え〜と、書きながら思いましたが、ワタクシって、お米大好きな人間ですよね。最近はお米の消費量が減ってきているとか言いますが、もっとお米の美味しさ、気づいて欲しいなぁと思うのでございます。「お米は太るから敬遠」なんて声も、ダイエットしている人から聞こえてきそうですが、「炭水化物が太るというのは迷信」という説もございます。あとね、幼児期の食生活が、その後一生の食事の好みを決めてしまうという研究結果もあるようでございます。小さい頃にパン食をメインにしてると、大人になってもパンを好んで食べるようになるそうでございます。

 そこで、これまた新製品が登場いたしました。(またまた、ドラえもんの声で)「ゴパン〜」。そう、三洋電機のお米からパンを作るという新製品、「GOPAN(ゴパン)」でございます。パンをお米から作ることが出来たら、もうね、諸外国に頭下げて「小麦粉売ってくれ」って言わなくてもいいのでございます。そうそう、パスタもお米から作ることが出来るなんて報告もありますし、ご飯、パン、パスタ、これらを全部お米で賄(まかな)うことが出来るようになれば、日本のお米の内需は爆発的に増大するのでございます。「目指せ! オコメ立国ニッポン」なのでございます。ワタクシは、お米からパンやパスタを作るような製品の開発には、一般家電から業務用まで含め、助成金などを付けて保護すべきだと思うしだいでございます。また、「GOPAN」のような製品にはエコポイントならぬ「コメポイント」でもつけて、普及を奨励すべきでございます。

 お米がらみでもうひとつ話題があるのですが、日曜日に『がっちりマンデー』という番組を見ておりましたら、「亀田製菓」がテーマでございます。な、なんと、新潟の亀田製菓の工場では、年間に佐賀県の年間使用量と同じ量のお米を使っているそうでございます。亀田製菓の工場の中に、もうひとつ佐賀県があるようなものでございます。その膨大な量のお米が、「ハッピーターン」を始め‘おせんべい'や‘おかき'や柿の種として日本中に食べられているのでございます。こ、これは、侮(あなど)れませんよ。

 そこで、新メニューの発明でございます。「せんべい定食」「あられ茶漬け」「柿の種どんぶり」。えへへ、これらは、おかずや具にせんべいやあられを使うというのではございません。ご飯の代わりにせんべい・あられ・柿の種を使おうというのでございます。なんてことを考えながら亀田製菓のサイトを覗いておりましたら、柿の種を使った料理のレシピがすでに紹介されておりました。う〜ん、侮れん、亀田製菓。

 農産物の貿易自由化なんてことが言われており、農家の方々が心配していらっしゃるようでございますが、日本中でガシガシお米を食べていれば、海外から輸入米が入ってきても怖くないと思いますよ。さぁ、みなさん、お米を食べましょう。お米は毎日食べ続けても絶対飽きない。こんなありがたい食品があるでしょうか! ということで、お米大好きなワタクシの、オコメ大キャンペーンでございました。

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2010/11/05

「すする」という行為には、日本の悲しい歴史が

 先日、近くのスパゲティ専門店で‘あんかけスパゲティ'をいただいたのでございます。というのも、NHKの『すいエんさー』という番組で「スパゲッティーの上手な食べ方」を科学しておりまして、その番組の記憶もございまして、まんまとスパゲティを食べたくなったのでございましょう。まったく、単純でございますね、ワタクシは。

 そのスパゲッティの食べ方に関する講釈は別の日にお話しするといたしまして、日本式の「すする食べ方」と西洋風の「すすらない食べ方」を比較する番組では、ほとんどの番組がある重要なポイントに関して言及し忘れております。それは、食品の「温度」でございます。

 日本式の「すする食べ方」は、食品の温度が関係しております。例えば、味噌汁なんてのは普通に80度ぐらいございます。そば・うどんの類もそれに近い温度。あと、○○汁と言われるようなものや鍋類・ラーメンなど、日本の大衆食はかなりの高温で食べるものが多いのでございます。一方、洋食のスープなどは、必ず50度以下の温度。この50度というのはタンパク質が熱で変成する温度ですので、この温度を超すと口の中を焼けずる可能性が出てくる。「すすらない食べ方」をする西洋食では、汁物が50度以上になるということは、きわめて希なはずでございます。

 さて、話を日本食に戻しますが、日本食のような高温の汁物を飲む際に必要不可欠なのが、「すする」といった食べ方。汁と空気を同時に吸うという食べ方によって、口の中に入る瞬間に汁の温度が大きく下げられるのでございます。もしすすらないと、口の中を焼けずることは必至。「すする」習慣が無い海外では、たとえ日本食でも汁物は低い温度で出されることが多いそうでございます。

 では、なぜ日本食が高温なのかということですが、これは、日本という国が常に「飢饉(ききん)」と戦ってきた国だからではないでしょうか。食物が有り余る中国のような国では、食事を残すのが礼儀というマナーがございますが、逆に日本では「米粒を残すと目が潰れる」なんてことを申します。少ない食物を何日もかけて大事に食べようとすると、当然、再加熱による殺菌が日常的になり、その結果、日本食の温度は高めなのではないか、まぁ、こんなように想像するのでございます。

Shomikigen そのような、飢饉・食糧不足といった日本独特の歴史もありまして、日本人というのは食品に関して潔癖過ぎる傾向があるのではないでしょうか。その結果、「賞味期限」に対する過剰反応、早めの店頭撤去、売れ残りの大量廃棄ということに繋がっているような気がいたします。そういった問題もありまして、『賞味期限 基準見直し』といったことも消費者庁では検討されているようでございます(11/3付 中日新聞朝刊より)。記事に因りますと、「賞味期限」の表記方法を工夫するというような事らしいのですが、前半で申し上げたように、日本人の食品に対する潔癖症はDNAに刻まれている資質でございまして、表記方法の工夫で変えられるのかな、なんて思うのでございます。

 スーパーなどでは、閉店間際の値下げタイムサービスで“売れ残り”を減らすという企業努力が普通でございます。同じような事をコンビニがやろうとして、店舗側とコンビニ本部とが揉めるという事件もございました。食品関係に限らず世の中全体に、「大量生産・大量廃棄によって多くの人が潤う」というシステムが出来上がっております。つまり、世の中に多くの「無駄」が存在することで、収入や職が維持されている方々が大勢いらっしゃるわけでございます。まぁ、泳ぎ続けていないと死んでしまうサメのような国になってしまったのですよね、日本は。

 深夜にコンビニへ行くと、ポツリ、ポツリと売れ残った弁当が並んでいたりいたします。多分、そのまま廃棄されるのであろう弁当を見て、ちょっと悲しい思いになったりいたします。まぁ、この大量生産・大量廃棄の悪循環は、本格的に食糧危機がやってこないと変えられないかもしれませんね。日本には古来から「食べ物を大事にする」という文化がありながら、残念なことでございます。「すする」という食べ方の話から「食糧危機」の話にまで発展してしまいましたが、日本人の食べ物を大事にするという文化、もっと注目されてもいいのではないかと思うのでございます。

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2010/03/12

あの振動と流れる景色には、より美味しく感じさせる効果があるそうです

 先日、ちょっとした用事で東京まで出張しておりました。移動の途中にちょいと寄り道をして、上野の弁財天へお参りに。次の予定までにはまだ少し時間があったので、上野公園をブラブラ。いつもなら適当な美術館に入るのでございますが、あいにく今日は月曜日。美術館も動物園もお休みなのでございます。公園の中をしばらく散策してから上野駅へ。書店で『アンアン』のスピリチュアル特集号を見つけ購入。そのまま、山手線で大塚へ移動いたしました。大塚の駅、しばらく来ないうちに綺麗になりましたねぇ。その大塚で用事を済ませますと、後は帰るのみ。新幹線で名古屋までひとっ飛びなのでございます。

 このとんぼ返りの出張の間に食べたのは、フラリと入ったカレー屋での野菜カレーのみでございます。これもあんまり美味しいと思えなかったけど、とりあえず完食したのでございます。昔は電車の中で食べる「駅弁」が、ことのほか楽しみでございました。電車の中で一つ食べ、お土産にもう一つ持ち帰るなんてこともしておりました。けど、最近は駅弁を買わなくなりましたねぇ。大声では言えないので小声で言いますが、以前に比べてまずくなったような気がするのでございます(キッパリ)。

 昔の駅弁って、仕出し弁当のような“ほんの先ほど作りました感”があふれていたような気がいたします。また、作りすぎないようにしているのか、中途半端な時間に買おうとすると売り切れで全く無かったりなんてこともございました。それに比べると、最近の駅弁は“コンビニ弁当レベル”になってしまったかなぁ。いや、コンビニ弁当も十分美味しいですよ。ただ、最近の駅弁には、先ほど述べました“ほんの先ほど作りました感”が無くなっているような気がするのでございます。それで、コンビニ弁当と同じような感触を得るのではないでしょうかねぇ。

 そういえば、コンビニで売られている商品というものは、これでもかというほど包装されております。リンゴやレモンなんてものまで、きちんと1個ずつビニール袋に入っていたりいたします。八百屋や果物やでは当たり前のように裸で売られておりますが、コンビニのような店舗では、そのような裸の陳列は難しいのでしょうね。果物屋ですと、店の主人が商品を選んだくれたり、ちょっと傷んでいるものをオマケにつけてくれたりするものでございます。専門店でのあのような配慮や調整が、コンビニでは出来ないですからねぇ。ということで、コンビニに並べられる商品は、多少の包装コストがかかっても、確実に「安全」な方法で陳列することになるのでございましょう。

 コンビニでは、同じような「安全性」がお弁当にまで徹底されております。その安全性をキープしつつ、大量生産、低コストという目標も達成させなければいけないわけですので、コンビニの弁当というものは、やはり「新鮮さ」という観点で考えると、「チョット違うもの」と思わざるを得ないのでございます。いやぁ、奥歯に物が挟まったような言い方でございますが、この際、添加物がどうのとかは申しません。現代社会では、添加物なしでは飲食物の流通は不可能でございます。大量の「食需要」を支えるために必然的に生まれてきたコンビニ弁当ではございますが、その安全性を確保するために、“食べ物の何か大事なもの”を失ってしまっているなぁと、ちょっと悲しい気持ちになるのでございます。

 駅で売られている「駅弁」、コスト削減などの影響を受けて、その製造方法も「コンビニ弁当的」になっているのかも知れません。たまに買ってみようかなとも思うのですが、最近の駅弁はラップで完全密封されており、あれを見ると「あぁ、おまえもか」という気分になるのでございます。きっと名古屋駅とか東京駅といった大きな駅特有の傾向なのかも知れません。こんど地方へ出張へ行くときに、その地方の駅弁に挑戦してみましょうか。あ~、食べ物の話をしていたらお腹が減ってきた! ちょっくら、コンビニへ行って、なんか買ってくるわ!

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2008/01/31

グレーゾーンの食べ物の行く末は

いやぁ、中国産の冷凍食品、すごいですよねぇ〜。殺虫剤入りでございますよ、殺虫剤。やることがハンパじゃございませんよねぇ。なんか、さんざん叩かれた赤福餅や不二家がかわいそうに思えてくるのでございます。赤福も不二家も、ルール違反をしていたという事実は拭えないのでございますが、それでも何十年も食中毒ひとつ起こさなかったわけでございます。なんだか、赤福や不二家に同情するのでございます。

赤福なんて、暗号めいた製造日ラベルとかを考案して、ゴマカシながらも実害が出ないように、涙ぐましい努力をしているわけでございます。それほどの細かい管理が出来るのならば、ごまかさなくてもきちんと管理できたはずだと思うのでございますが、そこは、かけ間違えたボタンの原理、全てを正すために一度リセットすることが出来なかったのでございましょうね。

アメリカなども、毒入りの中国製品には業を煮やしているのでございます。鉛ペイントの玩具、毒入りペットフード。「もう中国製品はいやだ!」と思いつつも中国製品の使用を止められないのは、すでに生活の中に中国製品が浸透し過ぎているからでございます。この事情は日本とて同じ。生活用品の多くを中国製品に依存している今日では、「危険だからすべて断ち切る」ということは不可能なのでございます。

食品がらみの事件で、つい先日、こんなことがございました。三重県伊賀市内の、あるショッピングセンターの社員食堂での出来事。その社員食堂を任されていた四十代の男性調理師が、本社から送られてくる食材に期限切れが多いことを指摘し、それを改善するように要望をしたら、一方的に解雇されたとのことでございます。(1/29付 中日新聞朝刊より)

細かいいきさつが分からないので、なんとも断定は出来ないのでございますが、調理師と会社側、どちらももう少し融通がきかないものでしょうかねぇ。社員食堂ですから、一般のお客は入ってこないわけでございます。そして、必要な食材も、かなり予測が立てられるわけでございます。こういった社員食堂のような場所では、期限切れ(ギリギリ)の食材を安く叩き買って経費を浮かせるというのは、ごく当たり前なのでございます。

ちょっと話がそれますが、みなさま方、街の八百屋に並んでいる野菜が、必ずしもすべて新鮮だと思っておりますか? 八百屋の店先の食材を物色していると、すべての食材が完璧に新鮮というわけではございません。多少傷んだものが混じっていたりしております。では、八百屋で買うのが危険かというと、そんなことはございません。購入するときに、八百屋のオヤジが手にとってチェックするという“人力(じんりき)セキュリティ機能”が備わっているからでございます。

あるいは、「こっちの方がおいしいよ」といって交換してくれる“その場で初期不良交換サービス”や、「ちょっと痛んでるからこれをおまけしておくね」と言って余分にくれる、“現物支給ポイント還元システム”なんてのもあるのでございます。つまり、多少傷んだ食材が混じっていても、必ず八百屋のオヤジのインターフェースを通過することになり、傷んだものがなんら処理されずに消費者に渡るということはあり得ないのでございます。

ところが、スーパーマーケットのようなパッキングされた売り場では、このようなきめの細かい処理というのは不可能でございます。当然、「絶対安全な期限で商品を引き上げる」ということになるのでございます。これはコンビニなどでも同じ。商品が流通しやすい形態にパッキングされ、流通コストや手間ひまが軽減されるメリットが大きくなり、その代償として、期限早めに処理される食材も増えてきたわけでございます。

さて、お話を先ほどの調理師に戻しますと、この調理師には八百屋のオヤジのようなインターフェースの役割が要求されていたわけでございます。期限切れの食材が本当に使えなかったのか? 調理の仕方を工夫することで利用できなかったか?

「“賞味期限”という制度の下で大量に廃棄されるグレーゾーンの食材を、今一度、人間の目でふるいにかけてもう一度再利用(リサイクル)する」

というのが、この調理師の役目だったのでございます。調理師が杓子定規すぎたのか、あるいは本社から送られてくる食材がその調理師の手腕の域を超えていたのか。グレーゾーンの食材を使わざるを得ない会社側の事情と、絶対に食中毒を起こせない現場の事情、その両者がもっと膝をつき合わせて話し合えば、何らかの妥協点は見いだせなかったのかなぁ、と思うのでございます。

その大量に放出されるグレーゾーンの食材を、有効に再利用しようという趣旨の法律があることを、つい最近知ったのでございます。「食品リサイクル法」というものでございます。施行が2001年ということなので、まだ生まれたばかりの法律でございます。スーパーやコンビニなどから回収される大量のグレーゾーンの食材や、食品加工メーカーの残りクズや廃棄品、その他売れ残ったコーヒー飲料、油、砂糖、塩、缶詰、ドレッシングまでもが、その食品リサイクル法に従って、リサイクル施設で処理されるそうでございます。(以下、食品リサイクルに関しては、1/31付、中日新聞朝刊生活面の記事より)

世の中が賞味期限に敏感になるにしたがい、食品のホワイトゾーンはドンドン狭くなり、グレーゾーンの食材が大量に処分されてきているのでございます。ただ、この食品リサイクル法が定めているのは、「食品を肥料や飼料へ再利用」することだけでございます。赤福がやっていたような餡の再利用は、法律の範疇外なのでございます。そこで、前述の記事では、そのような和菓子店での日常的なリサイクルに関して言及しております。以下に転載するのでございます。

「赤福が回収した商品に消費期限を付け直して出荷したのはとんでもないこと。ただ、和菓子業界では、大半の店が製造販売しており、まんじゅうが売れ残ると餡を取り出して、新しい小豆に混ぜて煮ることも一般的。味も品質も落とさず、表示上も問題はない。そうした伝統的な手法まで白い目で見られてしまう」(中日新聞より転載)

廃棄品を肥料や飼料にリサイクルするといった方法だけでなく、食品のリサイクルにはいろいろな方法があるのでございます。たとえば、八百屋のオヤジのインターフェースだったり、調理師の細やかな食材管理だったり、和菓子屋の伝統手法だったりと。ただ、そういった“人力”による細やかなリサイクルも、消費期限という“数字”が、大きな足かせになっているのでございます。そして、少しでもその“数字”に抵触すると、よってたかって叩きまくられる。こんなことでは、誰も食材を有効に利用しようなんて思わないのでございます。

消費期限にビクビクしながら生産している国内の食品メーカーを尻目に、中国のメーカーが殺虫剤入りの食品を大量に流入させたってのは、実に大笑いでございます。「少しでも安いものを」といった“安物餓鬼”を追求してきたワタクシたちの、ツケが今、回ってきたのかもしれませんよ。さぁ、どうする、どうする、危険だからと言って、中国産の食材をストップしたりしたら、日本の食生活、大混乱でございます。さぁ、どうする、どうする。

実は、リサイクルすると安く上がるようなイメージがございますが、リサイクルってのは、実際には高くつくのでございます。ビールが瓶からどんどん缶に移行したのも、瓶を回収して、洗って、再利用するという費用が、バカにならないからでございます。むしろ、回収した瓶を溶かして、新品のビール瓶を作り直した方が安上がりでございます。まぁ、これもリサイクルって言えば、リサイクルですけどね。

また、最近では再生紙の偽装が発覚しましたが、あれだって、古紙を回収して再生するよりも、パルプから新品を作った方が安いはずでございます。世の中が再生紙を賛美する風潮の中で、製紙メーカーはその風潮と品質とコストとのスパイラルで、苦しんでいたはずでございます。

廃棄品を別な物に加工するのもリサイクルでしょうが、本当のリサイクルは「廃棄品になる直前の水際で救ってやること」だと思うのでございます。本当のリサイクルは、とっても手間ひまのかかることなのでございます。と同時に、リサイクルってのは実際には割高になることが多いのでございます。このリサイクルの「面倒くささ」と「割高」ってのは、もっともっと知られるべきだと思うのでございます。偽装だ発覚だと、国内で足の引っ張り合いをしている間に、毒入り食品が海の向こうから、ほら、どんどん入り込んでしまっておりますよ……

ということで、今回はこのへんで。次回をお楽しみに。ではでは、名古屋薫でございました。

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2008/01/28

たかがカレーうどん、されどカレーうどん

近場の大衆食堂で、カレーうどんを食す。

カレーうどんにはトンカツがよく似合う。揚げ物の油の香りとカレーの風味、この両者のシンプルかつ絶妙なるマッチングには、えも言われぬ魔力のようなものさえ感じる。だが最近は高カロリーを気にして、素(す)のカレーうどんに生卵と小ライスの三点セットで自身を納得させたりしているのが、常である。

生卵を割る。いきなり丼に落とし込むのは邪道であり下品でもある。まず小皿に卵を割り落とす。決して黄身を崩してはならない。黄身のふくよかな輝きを暫時楽しんだあと、静かに丼の中へ流し込んでやる。この卵は、終盤まで黄身を崩さないように心がけねばならないので、箸さばきの邪魔にならない位置を十分に考慮して、丼内にその座位を決定してやる。必要であれば、卵を流し入れる前に、カマボコ、ネギなどの脇役陣を移動させておくことも、重要な配慮である。

カレーうどんを食するには、決して急いではならない。これにはいくつかの理由がある。まず第一に、先ほど流し込んだ生卵を崩さぬようにしなければならないこと。そして第二に、その卵にカレールーの熱が伝導するまでには、いささかの時間が必要だということ。そして第三には、急いで食すると、ルーが飛び跳ねて衣服を汚してしまうからである。そもそもカレーうどんなるものは、どこの店舗においてもかなりの高温を伴うことが多く、口内を焼けずる危険を回避する意味でも、決して急いではならない。

まず、カマボコを食するのが吉である。カマボコはカレールーの中に沈んでしまうと、その風味の大半を失ってしまうからである。ネギや鶏肉が、食事の終盤までも強烈にその存在感を主張するのに対し、カマボコの脆弱で細やかな風味は、ぜひとも丼の下方に埋没する前にすくい上げてやるのが、カマボコへの思いやりというものであろう。ちなみに、カマボコは白色で無地のものが、気品があってよろしい。黄色いルーに浮かぶ白色のカマボコには、独特の美しさがある。がさつな店舗では、最初からカマボコが溺死寸前になって運ばれてくるところもある。そのようなカマボコへの慈愛を忘れた店などは、まったくもって言語道断である。

熱い麺を安全に食するには、食事の前半は、麺を小皿に取り分けて食するのが妥当である。この際、一口で食べられないからといって麺を途中で噛み切るのは、やはり邪道であり下品である。麺というものは、麺職人によって理想的な形状、長さを追求された、芸術作品である。その麺職人の細かい気配りを堪能する意味でも、麺を途中で噛み切ってはいけない。そのためには、麺を箸ですくう瞬間の洞察力が、非常に重要になってくる。熟達者の中には、丼の表面を見ただけで、丼内の麺のからみ具合を推考できる者もいるが、初心者にはなかなか難しい。試行錯誤を繰り返しているうちに身につくものであると、心得るべきである。

麺をすする作業。これにも、非常な繊細さが要求される。ルーの飛びはねを考慮するならば、すすらず、口の中へ箸で運び込むのが理想的である。ところが、音が出るのを嫌う欧米人がよく行うこの麺類の食べ方には、大きな欠点が存在する。香りを楽しめないのである。日本人が麺類をすするときには、大量の空気も一緒に吸い込んでいる。吸われた空気は、鼻腔を抜けて排出されることになる。この一連の動作が、味覚と同時に嗅覚を刺激することになる。カレーライスよりもカレーうどんにおいて、よりダイナミックな食感を感じられるのは、この嗅覚を同時に刺激する“すする”という食べ方に起因するのである。

さらに、この“すする”という食べ方には、もうひとつの効用がある。大量に吸い込まれる空気によって、麺が冷まされるのである。本来、日本食の汁物は高温である。味噌汁などは80℃ぐらいで配膳されるのが普通である。これは、すするという食べ方を前提にしているからである。一方、洋食のスープなどは、ちょっと低めの60℃ぐらいで提供されるのが普通である。“すする”というすばらしい食べ方が存在しないからである。「スープを飲む」ではなく、慣用的に「スープを食べる」という言い回しをするのは、こういったことも根拠となっている。

閑話休題、高温のカレーうどんをその風味を堪能しつつ食するには、“すする”といった食べ方は必要不可欠なのである。ところが、この食べ方には汁の飛び散りという危険性も内含している。この二点の矛盾を解決するためには、両者の妥協点を見つける必要がある。つまり、この際、顔への飛び散りは妥協するが、衣服への飛び散りにまで及ばないような、絶妙なる力加減での“すすり”行為を会得しなければいけないのである。カレーうどんには、味や風味といった奥深さがあると同時に、食べる側の人間にも、深い技能を要求する。実に、実に、カレーうどんとは、奥深い食べ物なのである。

ルーの辛さに、つい水を飲んではいけない。水を飲んだ瞬間に、いままでの苦労は全て台無しである。カレーうどんのルーは、カレーライスのように激辛ということは少ないはずである。カレーライスのルーとは違った細やかな味わいを楽しむためにも、水は差し控えたいところである。箸休めには白米を食するべきである。この箸休めの白米も、大量に頬張ってはいけない。ほんの少量にすべきである。この白米には、食事の終盤において重要なふたつの役割が存在する。初期段階で大食いして、その量を減らしてしまってはいけないのである。

麺を三分の二ほど食べ終えたら、温存していた卵の登場である。この頃には、ある程度の熱が卵に伝導し、程よい“とろみ”と甘さが卵に備わっているはずである。決して、割落とした卵に半熟以上の煮上がりを求めてはいけない。半熟以上の堅さにするには、鍋で煮込む必要があるからである。最初からメニューに卵の煮込みが記載されているか、あるいはよほどの常連客ならばお願いすることもできるが、あとから割落とした卵には、とろみと甘さで良しとすべきである。

さて、劇的な黄身を割る儀式の段階である。この段階まで卵の黄身を温存してきた苦労が、今報われるのである。卵の黄身を割った直後も、大胆な箸さばきは厳禁である。薄膜から解放された濃厚な黄身の中身が、ゆっくりとカレーのルーに混ざっていく様子には、デザインカプチーノのような美しさがある。ぜひ堪能すべきである。そして、その黄身とルーとの美しいまだら模様が残っているうちに、静かに残りの麺を、その黄身とルーに絡(から)めつつ食するのである。半熟卵のもつ濃厚かつ支配的な味わいもよろしいが、この半熟未満の卵の柔らかな甘みは、カレーの風味と共存し、混ざり合い、非常に良好なハーモニーを形成する。卵は、その温度や堅さでいくつもの顔を持っている、不思議な食品のひとつである。

麺を食べ終えると、今度は白米の登場である。残ったカレーのルーに、白米を入れるのである。この儀式にも、重要な美学がある。ぞんざいに白米を放り込み、雑炊にしてはいけない。白米をかたまりのまま静かに落とし込み、できるだけほぐれないようにするのである。このとき、白米をすべて入れてしまってはいけない。ほんの一口分だけ残しておくのである。この一口分の白米が、食事の大団円を飾る大事な儀式に必要だからである。

ルーの中に入れた白米は、時間の経過とともにドンドンほぐれていく。この段階では、おっとりしていてはいけない。優雅かつ速(すみ)やかな動作が要求される。白米を入れるまでの段階では、ほとんど箸のみで食することが可能であった。しかし、ここからの作業には、レンゲあるいはスプーンが必須である。レンゲまたはスプーンで、丼内の白米をすくい上げるのであるが、ここでも出来るだけ白米をほぐさないようにするのがコツである。ルーと絡みあった白米が、口に入れてからホロッと崩れる。この口の中で崩れる食感は、高級寿司を食べるときの食感に似ている。カレーうどんでここまでの食感を追求してこそ、本当のカレーうどんファンと言えるであろう。

丼内の白米を食べ尽くしてしまうと、丼の中には、わずかなルーが残っているだけである。このルーもレンゲあるいはスプーンですくい取って味わってしまう。やはり、スープは最後まですべて食するべきである。それが通(ツウ)の心意気である。食堂で働くオバチャン、厨房内のオヤジ、麺職人や、人間の食生活のために尊い命を捧げたブロイラー、そしてネギ、卵への感謝を込めて、スープを最後まで食するのである。スープを最後まで飲み終えたら、先ほど残した一口大の白米による、最後の重要な儀式をとりおこなうことになる。

白米を少しだけ残していたのには、重要な理由がある。スープを飲み終えても、まだ丼の内側には微量のルーが残っている。これを最後の白米で絡(から)め取ってしまうのである。少量の白米を有効に使うためには、ここでも巧みなる箸さばきを要求される。うかつな動作をすると、白米がバラけて散らかるだけである。小さな小さなおにぎりを、箸先だけで丼の中で転がしていくのである。そして、その小さなおにぎりを食べてしまえば終わりかというと、そうではない。その丼に軽くお茶を注ぐ。決して並々と注いではいけない。ほんの少量、丼の中で転がす程度のお茶を入れて、飲み干す。大げさと思うかも知れないが、これは美学の問題である。ここまでやることに実用的な価値があるかどうかは、問題ではない。自分の中の達成感こそが重要なのである。なぜならば、“美学”だからである。

そして最後に、大きく息を吐く。額の汗を拭く。顔に飛んだ汁を拭き取る。まだ残るカレーの風味とともに、余韻を楽しもう。たった一杯のカレーうどん。たかがカレーうどん、されどカレーうどん。

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さてさて、早朝に見たテレビ番組で、カレーうどんを特集しておりました。なんか急にカレーうどんが食べたくなって、今日の朝食は、近くの定食屋でカレーうどんを食することに。エッ、カレーうどんをこんな風に食べているのかって? うん、当たり前じゃん(エヘヘ)。というわけで、非常にダラダラと名古屋薫風カレーうどんのウンチクでした(こんなに長文になるとは、本人も思っていなかったです、はい)。

ではでは、失礼いたします。次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2007/11/17

おかえりなさい

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ペコちゃんの顔が戻ってきましたねぇ。コンビニに置かれたミルキーの大袋を、思わず買ってしまいました。「ミルキーなんてのは子供のお菓子」と思って何十年も口にしておりませんでしたが、改めてなめてみると、エヘヘ、おいしいですねぇ。くどすぎない程よい甘さが、何とも言えませんねぇ。ミルキーをなめながらブラックコーヒーを飲んだりいたしますと、これまたいけるのでございます。甘さと苦さ、お口の中に広がる子供の味と大人の味のコラボレーション、これ、超オススメでございますよ。

今年の一月、消費期限切れ材料の使用が発覚したときには、非常に厳しい“不二家バッシング”が生じたわけでございますが、ここに来て、赤福その他の事件があからさまになってみますと、「不二家はどうしてあれほど叩かれたのかなぁ」なんて思ってしまうのでございます。まぁとにかく、無事にペコちゃんも復帰できて良かったのでございます。売上的にはかなり客離れが起きたようでございますが、潰れたわけではございません。今後の不二家に期待するのでございます。

不二家の問題が発覚したときには、おそらく日本中の多くの洋菓子店が戦慄したことでしょう。消費期限切れの材料を使うなんてのは、かなり一般的に行われていることが予想されますからねぇ。そう言えば、赤福事件の影響で、三重県が県内の和菓子店を軒並み査験しておりますが、もうね、次から次へと、ワラワラ発覚しております。回収品の再利用とか、日付の貼り直しといったことは、ごく日常的に行われてきたのでございましょう。

どうやら、赤福がやっていたようなことは、多くの食品製造業で行われている可能性がございます。たまたま三重県では、赤福事件の影響で厳しく検査を行っておりますが、三重以外の他の県では、怖くて立ち入り検査を躊躇しているのでございましょうねぇ。だって、調べ始めれば、三重県同様にワラワラ発覚するのは目に見えているのでございましょうから。「この騒ぎ、早くおさまってくれ」と願っている食品製造業の方々、いっぱいいると思いますよ。

さてここで、ちょっとイメージしてみていただきたいのでございます。もし近い将来に食糧危機なるものがやってきたと思ってみて下さいませ。そして、「過剰生産した食品は、回収して再利用しなければならない」なんて法律が出来たといたしましょう。そうしますと、今度は緻密な日付管理をして回収品を使い回ししていた赤福は、“貴重な食料を有効に利用する優良企業”として評価されるかもしれませんよね。

そう、今は日本中がヒステリックに違反業者を叩いておりますが、環境が変われば、悪行と思われた行為が善行と評価される可能性もあるわけでございます。ひとつの行為が善か悪かなんてのは、誰も決められないのでございます。ある行為の善悪を決められるのは、その行為を取り巻く環境との関わり合いを持って初めて、善になったり悪になったりするのでございます。環境次第でコロコロ変わるわけでございますから、この世の中に絶対な善とか、絶対な悪とかは存在しないということなのでございます。

ヒステリックは良くないでございますよ。絶対な善も、絶対な悪もないのでございますから。むしろ、自分の心の中の善や悪が、見るもの聞くものに「善」と「悪」のレッテルを貼っているだけなのでございます。世の中がヒステリックになって喜ぶのは、事件が大ごとになって売上や視聴率が上がるマスメディアだけでございましょう。最近は、何かが発覚すると「潰れるまで叩く」という風潮がございますが、もうちょっと、マタ〜リと反応しませんか。ほら、ペコちゃんの笑顔がまた見られて、嬉しいでしょ。ね、だから、ね。

さあさあ、ペコちゃんに「お帰りなさい」と言うだけのつもりだったのでございますが、話がどんどん発展していって、善と悪の問題になっちゃいました。ちょっとメールマガジンの配信の間が空いてしまいましたが、ここのところ領収書の山と格闘をしておりまして、なかなか配信に至りませんでした。書きたいネタはいろいろ溜まっておりますので、ネタの賞味期限が切れない内に書き下ろして配信していかなければいけませんよね(アハハ)。

ではでは、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2007/10/21

賞味期限はアナログで

「赤福よ、お前もか!」

食品偽装の名古屋コーチンに続き、赤福餅も製造日偽装が発覚したのでございます。中部地区の名産品、イメージダウンが続くのでございます。が、別に赤福を弁護するわけではないのですが、余ったあんこの再利用のみに関しては、「それほど悪いことしたのかなぁ」というのが、率直な感想でございます。

ワタクシ、大学へは二浪して行っておりますが、その合格するまでの2年間、名古屋市内のあんこ工場で働いております。あんこに入れる原材料の砂糖の量はハンパじゃござんせんよ、ほんとに。 「あんこ」というものは、ほとんど“砂糖のかたまり”のようなものでございます。ここで、「糖度の高いものは腐りにくい」といった常識がありまして、あんこ工場でもっぱら重要視されていたのは、腐敗ではなく異物混入でございました。

その工場でも、作りすぎたあんこ等は、さっさと冷凍処理しておりました。そして、次に同じ商品を作るときに、一緒に放り込んでグツグツ煮ちゃうのでございます。完成品のあんこをそのまま再利用した赤福とはチョット事情が違いますが、冷凍保存したあんこを“材料として”再利用するなんてのは、当たり前の日常的な業務でございました。

(そう言えば、ワタクシはご飯を炊くとき、前日の残りの冷ごはんも放り込んで一緒に炊いておりました。母親から教わった生活の知恵でございますが、電子レンジがわが家に訪れてからは、そのような裏技は使わなくなっちゃいました、って、電子レンジが無いって、いつの時代の話よ(笑))

また、おせち料理も調味料をドッチャリ入れて味を濃くするのは、何日もかけて食べるものだから腐らないようにする工夫らしいのでございます。ほんと、みなさん、あんこの様な甘ったるいものってのは、腐りませんから。いや、劣悪な条件では腐るかもしれませんが、一般的に腐りにくいですって。何十年もあんこの再利用をしていた赤福が、これといった食中毒事件を起こしてないでしょ。いや、問題が起きなければいいということじゃありませんが、「賞味期限」という考え方に、もうちょっと見直しがあってもいいとは思うのでございます。

そもそも、みんな、賞味期限・製造日の数字にナーバス過ぎ! コンビニで一日でも賞味期限の長いものを選ぼうとして陳列棚を引っかき回している人とか、もうアホか、バカかと思っちゃうのでございます。

もみじまんじゅうの製造元の人がニュースのインタビューに答えておりました。(もみじまんじゅうは)それほど傷むものではないので、賞味期限を長く取りたいらしいそうでございますが、そうすると買った人が安心して、劣悪な条件で保存をされる可能性があるとのこと。そのため、短めの賞味期限を設定し、製造後三日ぐらい目で回収してしまうらしいのです。が、その三日目が、お菓子としては一番おいしい食べ頃なのだそうでございます。

また、賞味期限が長いというのは、保存剤や防腐剤がいっぱい入っているのではないかという印象も与えるかもしれませんよね。そんなものを入れなくても、あんこってのは元々腐りにくいものなのですが、なかなか一般の方にはそのように思ってもらえませんからねぇ。

そこで、名古屋薫、考えました。賞味期限や製造日の表示を一工夫するのでございます。まず、賞味期限というものは個体差が大きいアナログ的な要素であるにもかかわらず、その賞味期限の表示が、ある特定の日付を示すというデジタル的な表示になっていることに問題がございます。そのため、コンビニで陳列棚をかき回すヤカラが出てきてしまうのでございます。

 賞味期限は、ぜひとも、アナログ表示にするべきでございます。

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というわけで考えたのが、画像にあるような「食べごろ表示」。あえて製造日(製造時間)は表記しない。日付の表示も大ざっぱ。日付の下のカラーバーで大体の食べごろを表示するのでございます(まぁ「自己責任」というのは冗談ですけどね)。カラーバーは常に同じで、その上の日付表示のみが製造日に応じてスライドしていく仕組み。お弁当などの傷みやすいものは日付のスケールが細かく、日持ちのいいものは、日付のスケールが大きいのでございます。

そしてさらにもう一工夫。コンビニなどのPOSシステム(レジの機械で、販売品目やその入出荷などを管理するやり方)ならば、商品のバーコードに製造時間などの情報も盛り込まれておりますので、それをもとに自動的に割引をするのでございます。「製造後12時間後なら10%引き、18時間後なら20%引き」とかね。この割引も、どうせ自動処理でございますから、時間を細分して割引率を細かく設定した方がよろしいのでございます。ここでデジタル的にスパッと線引きすると、またそれに、こだわりすぎる風潮が出るとも限りませんからね。

さて、この“アナログ的食べごろ表示”、その目的は賞味期限偏重傾向を緩和するのが目的でございます。賞味期限偏重主義があるから、製造側は賞味期限を短めに設定せざるを得ず、その結果、まだまだ傷んでいない商品なのに、売れ残り・回収品などのロスが多くなる。そりゃぁ、メーカーもごまかしたくなるでしょ。十分食べられるものを、毎日ごっそり廃棄しているのでございますから。

賞味期限をデジタル的に表現するということは、需要曲線と供給曲線が小さな点で交差しているということでございます。需要の変化に合わせて供給を細かく調整しなければいけないので、調整が難しく、ロスも多いのでございます。世の中が賞味期限に関してアナログ的になれば、このふたつの曲線が「点」ではなく「ある程度の範囲」で交差することになるのでございます。その結果、調整が楽になり、売れ残りが減れば、メーカーもわざわざリスクを冒したり、品質を下げてまで、ごまかそうとしなくなるのでございます。つまり、売れ残りが出にくいような仕組み・風潮が、メーカーのごまかしを未然に防ぐことになるのでございます。

コンビニなどで大量に売れ残っている弁当などを見ますと、「値引きしてでも売り切っちゃえばいいじゃない」と思うのですけどねぇ。でも販売側からすると、「何か起きたときに責任問題に発展する」ということがある。となると、きわめて安全な線引きをせざるを得ない。ということで、ロスが多いけれど今のやり方に落ち着いているのでございましょうねぇ。

さて、賞味期限に関してのお話はこれで終わり。で、赤福餅の件は、実は内部の人の密告から、不正が発覚しているのでございます。最近は食品関係のみにかかわらず、ありとあらゆる業種で、その不正が告発され続けておりますが、そんなチクリ社会の真相を、ワタクシ名古屋薫がチョット批判させていただくのでございます。

ではでは、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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