近くの大衆食堂で「朝定食」(生卵、コーヒー付き、600円)を食べながら、ふとこう考えた。七人掛けの電車の横長椅子。六人で座ると角が立つ。七人で座ると窮屈だ。中途半端な混み具合だったりすると、とかく座席には座りにくい。
正直に定員通り七人座ると、七人が窮屈な思いをして不幸になる。そこで、誰か一人が立ち上がればいい。そうすれば、情に棹さして立った一人の不幸者と、一人分余裕が出来てゆったり座れる六人の幸福者が出来上がる。七人の不幸と六人の幸福とを比較すれば、六人の幸福の方が優れているに決まっている。故に、七人掛けの椅子には六人が座るのが正解なのである。
また、化粧をしながらこんなことも考えた。眉は右利きなら逆の左から描いた方が綺麗に描けると人は言う。しかしである。描きにくい左の眉は当然上手には描けない。その下手な左の眉に合わせて右の眉を描いたら、右の眉も下手になってしまう。醜い眉が二つ出来上がるわけである。
より美しい眉を望む場合、利き手側から描くべきである。描きやすい右の眉を上手に完璧に仕上げるのである。而(しこう)して、描きにくい左の眉に取り掛かる。結果として、完璧な美しい眉が一つと醜い眉が一つ出来上がる。利き手の逆側から描けば醜い眉が二つ、利き手側から描けば少なくとも一つの美しい眉が残る。どちらが良いかは火を見るよりも明らかである。眉は一般論とは逆に「利き手側から」描くべきなのである。
全国の読者の皆様方、名古屋薫でございます。ふと気が付くとアッという間に二週間という時間が過ぎ去っているのでございます。必然的にというか然(しか)るべくして今週のメールマガジンは4/23・4/30合併号になってしまったのでございます。なんだか、巷にあふれる諸雑誌のようでカッコいいのでございます。
さて、冒頭で述べました二つの事例、ふと思いついたことを徒然(つれづれ)なるままにダラダラと書いてみました。まさに「逆も真なり」というとはよく言ったものでございます。皆様方、ぜひ実践していただきたいものでございます。ではそろそろ本題に入るのでございます。
先日、あるTVの教養番組が「ピアニストを科学」しておりました。ピアニストの頭に電極を付け、ピアノを弾くときの演奏者の脳波を調べておりました。人間の脳ミソというものは右と左で役割分担が違うそうで、右脳は感覚や感情、左脳は言語や論理的なことを考えるように出来ているそうでございます。
当然、音楽などを聴くときには、感覚を司る右脳がより敏感に反応するわけでございます。ところがピアニストが演奏しているときには、右脳だけではなく言語などを司る左脳も激しく反応しているのでございます。そして、TV画面に現れた学者先生も、その左脳の反応に関しては「説明が付かない」などと頼りないことを言っているのでございます。
そこで、ワタクシ、ピーンと閃いたのでございます。ワタクシも遠い昔には音楽家の(卵の)ハシクレ。音楽の心得はあるのでございます。そのワタクシに言わせて頂けば、楽器演奏者が演奏中に、感覚を司る右脳だけではなく、言語・論理を司る左脳をも使うというのは、ごくごく自明のことなのでございます。
それはなぜか? それは、音楽家は音を「音名」で聴いているからでございます。例えば、「チャララ〜ララ、チャラララララ〜〜」なんて音も、音楽家の耳には「ドレミ〜レド、ドレミレドレ〜〜」なんて聞こえているのでございます。また、さらにスゴイ人などは、伴奏のコード進行を頭の中で楽譜を起こしながら聴き取ったりなんてするのでございます。
一般の方は、音楽のメロディーラインを「単なる感情の起伏」として“感覚的に聴いている”のでございます。一方ミュージシャンは、伴奏の和音の流れなども同時に聴き取りながら、音を“論理的に読んでいる”のでございます。その論理的に分析するという作業をバックグラウンドでこなしながら、感覚的な部分で音楽を組み立てていっているのでございます。
このようにして音楽家は、右脳と左脳を同時に使いながら演奏しているわけでございますが、その右脳と左脳、感覚的な右脳は女性の特徴として、論理的な左脳は男性の特徴として語られることが多いものでございます。それでは、男と女では脳ミソの作りが違うのか? これはワタクシにも分かりません。
ただ、人というもの、小さなときから「男らしくしなさい」とか「女なんだから」とさんざん言われ、自分で脳ミソのどちらか半分を“殺しながら”大きくなってきているのかもしれないのでございます。まったくもったいない話でございます。灰色の脳細胞が詰まった頭脳を、半分しか使っていないわけでございますから。
さぁ、そこで「オカマ」の登場でございます。常日頃「変態」「異常者」と言われがちな世のオカマでございますが、実は、この男でありながら女っぽく振る舞うオカマこそ、脳ミソの右も左も100%使い切る、素晴らしき能力を持った人達なのでございます。
たとえばでございます。テーブルの上にやや小さめの灰皿があったといたします。その灰皿を見て、「やぁ、これは灰皿としては小さすぎるな。やはり灰皿として機能するためには大きさがナンタラ、角度がウンタラ…」と考えるのは理屈っぽい左脳でございます。また、一目見て「キャ〜、カッワイ〜イ」とか「信じらんなぃ」というふうに,条件反射的に反応しているのが感覚的な右脳でございます(かな〜りワタクシの独断的解釈です)。
そして、世にあふれる「デザイン」と呼ばれるもの。それはすべて、この「理論」vs「感性」のバランスであり、そのほどよいバランスからは「機能美」が生まれるのでございます。つまり「美しくかつ理にかなっているもの」を創造する仕事、何か新しい斬新なものを生み出す仕事には、脳ミソの右と左どちらもバランスよく使う必要があるのでございます。そう、理論と感性を必要とするクリエイティブなお仕事は、まさにオカマにはうってつけなのでございます。
脳ミソを自由に使う必要のあるお仕事だから自然にオカマチックになっていくのか、あるいはオカマさんにとって働きやすい職種だからそういった人達が集まるのか? どちらにせよ、クリエイティブな職種にはオカマチックな人が多いのは事実でございます。
さぁ、皆様方も、お仕事に煮詰まったり、人間関係に行き詰まったりしたら、オカマになりましょう。普段使っていない脳ミソの残り半分を存分に使い切り、クリエイティブに、そして自由に生きるのでございます。オカマのパワーは世界を征服するのでございます。
さて、今まで述べましたのは「男性」が脳ミソの残り半分を使う場合でございました。では、「女性」の場合は? 女性はオナベになるのかな?
想像してみて下さいませ。オカマチックな男性というものは一般社会で生きていくのはなかなか大変でございます。それに対し、ボーイッシュな女性というのは、ごく普通にいらっしゃいます。そうでございます。つまり、脳ミソの残り半分を活用しようとする場合、男性よりも女性の方がはるかに条件がいいのでございます。
そして、実は、女性の中には自分でも気が付かないうちに脳ミソの残り半分を活用している方などもいらっしゃいます。「やり手の」ホステスさんとか、「やり手の」女社長さんなどに見受けられます。あくまでも「やり手の」でございます。クラブのママさんなどで、超美人だけれど、ハートの中に大変男性っぽい要素を持った方とかが多くいらっしゃいます。脳ミソをフル活用していらっしゃるのでしょうね。
また、女形の役者さんなどが出す独特の色気は、女の色気を理屈で分析し尽くした上での「技」なのでございます。男性の論理的分析力が有ってこそ、あの女形の色気は生まれ出るのでございます。ニューハーフが演じる女っぽさも、それに近いものが有るのでございます。女性を「男の目」で見ているからこそ分かること、というものが有るのでございますね。
ニューハーフは「論理的に色気を演出」しております。水商売に従事していた頃など、女性のお客様が「女より色っ〜ぽ〜い」と言って褒めて下さいましたが、女性でもちょっと論理的に頭を使えば難しいことではないのでございます。しかし、そこは女というもの「情」が優先するように神様が作っていらっしゃるようでございます。
逆に、女性がその自らの色気を「計算ずくで」演出する論理的「技」を身につけたら、ニューハーフなんてかなわないとも思っておりました。だって、計算された色気プラス「女の武器」を持っているわけでございますから(使う使わないは別にしてね)。事実、前述の通り、クラブのママさんなどには、そういった技を自然に身につけられていらっしゃる方が多いものでございます。
さてさて、今回は合併号(?)ということもございまして、長くなってしまいました。ちょっとくたびれたので、次回は手を抜いて短めにしようかな? とか言いつつお別れでございます。では、次回をお楽しみに、バイバーイ。
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