音楽

2010/12/08

イマジン−夢

 今日12/8は、ジョン・レノンの命日でございます。世界中の様々な場所で、『Imagine』が演奏されていることでございましょう。『Imagine』の歌詞には「You may say I'm a dreamer」とあります。確かに、「Imagine there's no countries, ... no religion too」なんて夢か理想のようなことが綴られております。

「no religion」という歌詞には皮肉ですが、理想を追いかけるのは宗教家の役目でございます。一方、政治家が追いかけるのは理想ではなく妥協点。政治の世界には、理想は存在しないのでございます。そんな現実世界のジレンマを超越したこの歌詞が目指すものは、きっと崇高な精神世界なのかも。では、現実世界に住むワタクシたちには、この歌詞は無意味なの?

 夢を語らなければ、現実を語れない。現実を見据えているからこそ、夢を見続けることが出来る。そして、夢と現実の二点を見定められれば、どちらに一歩を踏み出せばいいのかが分かる。現実も大事だけれど、夢も大事。これは、二点が定まればベクトルが決まる数学の原理と同じこと。

 夢を持ち、現実を把握する。すると、今、何をすべきかが分かってくるということなのですが、ニューハーフ業界の若手を見ていても、やはり、「夢」を持たない人が多い。夢がないから「欲」もない。ひたすら現実にしがみつき、「今が大事」と、若いのに守りに入る人がいる。

 生まれたときから不景気が続いている世代ですから、夢の見方が分からないのかも知れません。そして、お手軽な夢が、ゲーム画面の中で手に入ってしまうので、ますます、現実世界での夢の追求には興味が無くなっていくのかも。

 本当は、若い人の夢は、「大人」そのもので有るべきなのでございます。「あんな大人になりたい」「あんな金持ちになりたい」「あんな地位になりたい」そうやって大人を見上げる目が、若い人の夢であるはず。

 ところが、ニューハーフ業界に限っては、中堅以上のニューハーフが新人ニューハーフの「夢」にはなりにくい。ニューハーフを取り巻く世の中がここ数十年で急激に変化し、若い人と中堅以上では、その育ってきた環境が別世界になってしまったからでございます。

 年配のニューハーフは、若いニューハーフに何を見せてあげられるのだろう、そんなことを時々考えたりいたします。若い人は自分の10年後や20年後を想像しにくく、どちらに足を踏み出せばいいのか分からない。

 だからこそ、何でもいいから「夢」を持って頂きたい。他人から、「君は夢想家だな」と一笑に付されるかもしれない。けれど、少なくとも夢を持っている人は、どちらに歩いて行けばいいのかを知っているのです。

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2010/11/09

変わらないもの、媚びない人

Cp80m ちょっと前に、わが家のピアノの調律を行ったのでございます。わが家のピアノはエレクトリックグランドというグランドピアノを二回りぐらい小さくしたものなのでございますが、ピアノの上も、ピアノの横も下も、日用雑貨やガラクタが散乱しております。調律師さんを迎えるべく、早起きして大掃除をしたのでございます。このピアノとのつきあいは、かれこれ30年弱。他には電子ピアノやシンセサイザーを何台か持っていた時期もございましたが、結局手放すことに。けれど、このピアノだけはどうしても手放せなくて、引っ越しの度に苦労して運んでおります。

 エレクトリックグランドって何? なんて人もいらっしゃるでしょうが、グランドピアノを小さくして、電気的に音を増幅する仕組みを組み込んだピアノでございます。弦と鍵盤はグランドピアノと同じものが使われており、持ち運びがしやすく、なおかつ電気楽器という扱いやすさから、ニューミュージック(これも死語?)のミュージシャンが好んで使っておりました。弦と鍵盤部分は「生(アコースティック)」ですので、使い込むに従い楽器そのものがドンドン変化していきます。不具合が多く不安定な時期も有りましたが、30年近く使い込んだ現在では、非常に安定したいい音色で鳴ってくれております。

 購入後、何十年もかけて完成度を増していくというのも気が長いお話しでございますが、最近のデジタル電子楽器は、生産時にすでに完成品でありまして、当然のことながら、何十年経っても音色の変化はございません。これは楽器にとどまらず、デジタル技術を使ったもののほとんどは、経年劣化の心配がなくなるのでございます。というか、そもそもデジタル技術というのは、「劣化」というアナログ的なノイズを排除するための技術でございますから、当然と言えば当然。しかしご注意を。劣化しないものというのは、“成長しないもの”でもあるのでございます。

 こうやって考えると、ワタクシがエレクトリックグランドを最後まで手放さなかったのは、このピアノが自分と同じ年月を「成長してきた」からかも知れませんよね。日本という国は四季の変化が大きく、それゆえに日本人は古来、「移り変わり」ということにことさら敏感に反応する感性持っております。清少納言は移りゆく四季折々の喜びを列挙し、「平家物語」での無常観は“敗者の美学”を讃(たた)えております。「移り変わる」ということに「奥ゆかしさ」や「哀れ感」を育んできた日本人の感性ですが、デジタル技術や最近の新素材の台頭によって、現代社会は「変化しないもの」が溢れかえっております。「劣化しない」「変化しない」ってのは、生活する上ではありがたいことが多いのですが、日本古来の風情がどうなっちゃうのかな、なんて心配もしちゃったりいたします。

 変化するって言いますと、昔アイドル歌手だった人が“経年成長”いたしまして、その歌唱力を抜群に上げているのに遭遇したりすることがございます。NHKの『SONGS』という番組は、そんな嬉しい機会に巡り会うことが多い番組でございます。松田聖子や岩崎裕美などは、結婚や育児を経験するに従ってどんどん歌い方が変わっていくので、ワクワクしたりいたします。逆に、引退後に全く表舞台に出なくなったため、その変化を見られないでいる歌手もございます。「山口百恵」でございますね。その山口百恵を、『SONGS』が取り上げておりました。もちろん、最近の映像はありませんので、かつての映像ばかりを編集した内容でございました。今、改めて当時の山口百恵を聴くと、「うまい!」。こんなに歌の上手な人だったかと、再認識したのでございます。

 当時の山口百恵の映像を見て気がついたことがございます。この人の歌い方には、「客席目線」「カメラ目線」というものが全く発生しないのでございます。歌っている時の彼女の目は、周りに広がる仮想空間の中の出来事を追いかけ、自分の世界にドップリ浸かっているのでございます。ですから、観客や視聴者は彼女のメッセージを受け取るのではなく、彼女が作り上げた世界をのぞき込むことしかできない。聴く側からすると実にもどかしい歌い方で、“歌”というよりはむしろ“演技”に近いかも知れません。まぁその観客との距離感が、山口百恵の独特な儚(はかな)さや物寂しさを作り上げていたのでございましょう。

 違う言い方をすれば、「お客に全く媚びない歌い方」でございます。ただひたすら、自分の美意識に注目した歌い方でございます。きっと、「媚びない」というのは彼女の生き方そのものなんでしょうね。良いものを作り上げれば、かならずお客が振り向いてくれる。彼女の歌には、そんな自信が満ちあふれております。彼女が結婚後に潔く芸能活動から退いたのは、これもまた自分の生き方に自信を持っているのであり、そして、自分の人生という作品の完成度を高めるという崇高な目標があるからでしょう。

 逆に、大衆に媚びてしまったために苦しんだ歌手もいらっしゃいました。「八神純子」でございまして、やはり最近の『SONGS』に出演しておりました。彼女の談によれば、デビュー直後に作った『みずいろの雨』はまるで霊感が天から降ってきたように直感で作曲できたそうでございます。しかし人気が出てきて「売れる物」を作らなければならないというプレッシャーが強くなると、「観客に媚びる曲作り」を常に考えるようになってしまったそうでございます。彼女が日本を離れてアメリカに活動拠点を移したのも、そんな自分への葛藤が有ったからかもしれませんね。

 ワタクシはかつての自分のコラムの中で、「純芸術」「大衆芸術」という言葉を創作したことがございます。純文学・大衆文学という語を「芸術」にまで拡大させたのでございます。美や文学性を追求する純文学と娯楽性や商業的採算を重視した大衆文学との関係が、芸術一般にも成立すると思うのでございます。音楽を始め、絵画や造形芸術、もっと言えばスポーツの世界まで、それに関わる人はこの「純粋でいられるか」vs「大衆に媚びるか」という大きな振り幅の中のどこに立つかというスタンスを、迫られるのでございます。

 純と大衆、どちらが理想的かとか正しいかとかは決められません。というか、そんな議論は、多分古代ギリシャから続けられてきているでしょうしね。ただ、最近のブログやツイッターというのは、極端な「純」の世界なのかも知れません。ネットというのは「純」なものを幅広く発信できるという点では、非常に都合がよろしいようでございます。逆に、そのネットの影響なのかどうかは分かりませんが、大衆向けの娯楽である映画やCD・DVDなどは、ここ最近苦戦しております。にも関わらず、思いっきり大衆に媚びて大成功している「AKB48」なんてグループも存在しております。でも、そんな「AKB48」のメンバーの中にも、「大衆」と「純」との板挟みになって苦しんでいる人がいるかもや知れません、この「純」と「大衆」というスタンスの違いは、芸術家にとっての永遠の課題なのかもしれませんね。

 冒頭でお話したエレクトリックグランドピアノ、『SONGS』の中で八神純子さんも使っておりました。ご自分のピアノを持ち込んだのかNHKが用意した楽器なのかは分かりませんが、やはりこの機種に愛着があるのでしょうね。いまだにこの楽器を使っている人を見ると、嬉しくなるのでございます。ではでは...

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2010/09/16

ボンボンバカボン、バカボンボン

Animentine バブルがはじける直前の頃、そう、まだ日本中に札束が飛び交っていた頃、ワタクシは毎週月曜日から木曜日までを東京で歌とダンスのレッスンを受け、金・土・日は名古屋でお仕事をするというハードスケジュールをこなしておりました。移動中の新幹線の2時間弱(当時)の時間は、貴重な練習時間でございまして、ダンスの振り付けを頭の中で何度も反芻したり、ヘッドフォーンで曲を聴きながら課題曲を覚えたりしておりました。

 ある夜の新幹線の車内での出来事でございます。座席はかなり空いておりました。ヘッドフォーンで英語の歌詞を覚えておりましたら、ふと気がつくと、前の座席から首だけ出してワタクシを見ている白人の男の子と目が合ったのでございます。男の子は母親に叱られるように呼び戻され、少し離れた自分の席に戻っていきました。どうやら、歌詞を練習していたワタクシ、いつの間にか小さく声が出ていたようでございます。お客の少なかった車内でどこからか聞こえてくる下手くそな英語の歌に引き寄せられ、その男の子は興味を持ってワタクシを見物に来たのでございましょう。

 今の若い人、若い歌手は、実にサラリと英語の歌詞を歌い、当たり前のように“後ノリ”のリズム感を持っております。しかし、ワタクシが歌を勉強している頃は、まず英語に対するコンプレックスをなくすこと。そして、体に染みついた“前ノリ”のリズムを払拭することが最優先でございました。それくらい、日本人が歌う英語の歌がヤボッたかった時代でございました。そしてまた、日本人が英語で歌を歌うということが、実にカッコイイ時代でもありました。ですから、当時「カバー曲」と言えば、外国の歌を日本人が歌うこと以外に有り得なかったのでございます。

 ところが、今や立場は逆転し、日本の曲を多くの外国人がカバーするようになっております。エリック・マーティンの VOCALIST シリーズなんてのが有名でございます。そして特に熱狂的なのがフランス人。パリでジャパン・エキスポなるものまで開催されております。北野武がフランスで人気があったり、日本のアニメや漫画がフランスで大人気だとのこと。フランス人が曲に合わせて踊り叫ぶ様は、日本のオタクのそれと全く同じ。そこで、今話題になっているCDを買ってみました。クレモンティーヌがアニメ・ソングを歌っているCDでございます。あと、もう1枚、「メイヤ」という人がジプリ・ソングを歌っているというので、これもまた購入。ただ今、ちょっとしたオタク気分に浸っております。フランス語になったアニメ・ソング、非常にかわいいのでございます。

 クレモンティーヌのM2『バカボン・メドレー』は、CMでおなじみの曲。また、M8のフランス語のサザエさんが、これまたオシャレ。あと、メイヤのM9『カントリーロード』は、本来は外国の曲(オリビア・ニュートン・ジョン)を"逆再輸入"した形。メイヤの他の曲には英語歌詞が作詞されておりますが、このM9だけは日本語の歌詞で歌っております。本来は日本語の歌詞を英語訳して歌いそうなものですが、そこをアニメソングのオリジナルのまま歌うところに、"粋"さを感じるのでございます。実は、外国人が日本語の歌詞を日本語のままで歌うということ、これが日本びいきの外国人の間では"カッコイイ"のだとのこと。まさに時代は逆転しておりますね。

 麻生さんが漫画博物館の構想を出しておりましたが、あれもまんざらバカげた話ではなかったのかもですね。日本の漫画やアニメは、今や重要な輸出品となり得るのでございます。と考えると、外国人が日本に来て、日本のオタク文化に触れられる場所が秋葉原だけというのは、ちょっと物足りないかも。外国人向けのオタク文化博物館なんてのが有ってもいいかな、なんて思うのでございます。日本が大きく西洋化に傾いた明治時代初期に、多くの日本の伝統文化財が只同然で外国に流れていったことがございました。今や、その轍を踏んではいけないのでございます。世界が注目している日本文化に、日本人自身がもっと興味を持ち、その価値に目を向けてもいいかな、なんて思う今日この頃でございます。

 そういえば、9/14の Google のトップページが赤塚不二夫になっておりました。Google がトップページを装飾するには、いつも何らかの由来がございます。調べてみますと、どうやら9/14は赤塚不二夫の誕生日のようでございますね。赤塚不二夫さん、フランス人が「ボンボンバカボン、バカボンボン」って歌っているのを想像したでしょうかねぇ。赤塚不二夫さんが亡くなられてから、早2年余りが経っております(2008年8/2没)...

●クレモンティーヌ『アニメンティーヌ〜ボッサ・ドゥ・アニメ〜』
 1. ラムのラブソング
 2. バカボン・メドレー
 3. 崖の上のポニョ
 4. おどるポンポコリン
 5. 風の谷のナウシカ
 6. はじめてのチュウ(キテレツ大百科)
 7. ロマンティックあげるよ(ドラゴンボール)
 8. サザエさん・メドレー
 9. ドラえもんのうた
10. とんちんかんちん一休さん
11. タッチ
12. CAT’S EYE

●メイヤ『アニメイヤ〜ジプリ・ソングス〜』
 1. となりのトトロ
 2. Arrietty's Song
 3. もののけ姫
 4. ルージュの伝言
 5. テルーの唄
 6. 君をのせて
 7. 崖の上のポニョ
 8. 風の谷のナウシカ
 9. カントリー・ロード
10. いつも何度でも
11. 世界の約束

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2010/04/21

美学というのは前向き、けれど美化というのは後ろ向きな考え方

 ワタクシも若いころ作曲の勉強をしておりましたが、気持ちの良いメロディーラインというのはある一定の法則がございまして、その法則に従って作曲いたしますと、意図せず他の曲と似てしまうことが有ったりいたします。また、過去にどこかで聴いた曲のメロディーが深層心理の奥底にこびりついており、その煮凝りのような記憶がいつの間にか溶け出して使ってしまうということもございます。ただ、こういった場合は、「なんとなく似ている」とか「部分的にそっくり」ということになるのですが、「ほとんど同じ」あるいは「伴奏までそっくり」ということになると、「盗作疑惑」ということにまで発展いたします。

 過去の有名な例で申しますと、岩崎宏美の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」、八神純子の「パープルタウン」などがございます。これらは結局、作曲者や題名に“疑惑元”を併記することで解決しております。最近では、松本零士と槇原敬之との、実に“大人げない”戦いがございました。漫画と歌謡曲というジャンル違いの戦いで、どうしてあんなに揉めることになるのか、不思議でございました。

 で、話は今話題の上海万博のテーマソング。これが、実に面白いことになっております。盗作疑惑で中国側がいったん使用停止にしましたが、“疑惑元”の岡本真夜があっさり許しちゃいました。実際に聞き比べてみると、“疑惑”どころか“そのまんまパクリ”なのでございます。この件に関しては、中国の対応は迅速でございましたねぇ。吉野家の牛丼なみの速さなのでございます。これはきっと、何かありますよ。先日の餃子事件の犯人が逮捕された件も、その直後に日本人死刑囚が処刑されましたからねぇ。こうやってすぐに非を正す場合ってのは、その陰でもっとスゴイことをやっちゃってたりするんですよね。まぁ、あくまでも推測のお話でございますけどね。

 中国は数年前から、コピー商品に対して厳しく取り締まり初めております。多分、北京オリンピックそして上海万博を見越して、国際化するための必須条件だと認識しているのと同時に、上海万博をなんとか完璧に成功させたいという強い願いがあるのでしょう。それゆえの、今回の迅速な対応なのだと思います。なんかいろいろツッコミたかったけど、こうあっさりと解決してしまうと、ちょっと損をしたような気分でございます。

 ここは、相手の弱みにつけ込み、上海万博に便乗したかったですよね。「盗作、あぁ、かまへん、かまへん。そんかわり、日本もちょいと商売させてもらいまっせ」みたいなノリで便乗商法するのでございます。まず、当の話題の人「岡本真夜」を持ち出しまして、上海万博テーマソングの日本語バージョンの売り込みでございます。いや、岡本真夜ひとりでは弱い。日本の歌手を総動員しての大合唱。気分は「We are the World」なのでございます。それこそ弱みにつけ込んで、やりたい放題するのでございます。

 さらに、上海万博には日本のパビリオンもございまして、多くの日本企業がスポンサーとなっております。この盗作問題にかこつけて、日本企業がつけ込むチャンスでございます。「上海万博御用達」というやつでございますね。そうそう、パビリオン建設の際も、いろいろと融通をきかせてもらわなければなりまへんなぁ(時々、にわか関西弁が混じりますが、気分でお読み下さい)。ということで、権利を主張するばかりが能じゃない。相手の弱みにつけ込んで商売に繋げられたら良かったねというお話でございます。

 ただね、今回、あまりにも岡本真夜側があっさり認めちゃったのは、何かしらの大金が動いているのかな...なんてゲスな想像をしちゃうのはワタクシだけでしょうか。中国側も、万博直前にして時間のかかる訴訟問題にしたくないでしょうしね。ちょっと心配なのは、テーマソングの作曲者。かの国は“銃殺刑”がありますからねぇ。まさか、これぐらいで死刑にはならないでしょうが...でも...ひょっとすると...最初から“作曲者”なんて存在しなかったのかも...おっとぅ、ワタクシもまだ命が惜しいので、この話はこのぐらいにしておきましょうか。

 今の中国は、ちょうど日本が東京オリンピックや大阪万博をやっていたころに相当するのでございましょうか。日本も、高度成長、電子立国と呼ばれたころは、欧米諸国に対して大きな脅威を与えていたものでございます。しかし今や立場は逆転し、日本が中国の後を追いかける時代になってしまいました。平家物語の「盛者必衰、常なるものは無し」という無常観の心境でございます。

 ちょっと脱線。日本にはそんな「敗者の美学」があるにも関わらず、政権交代直後の自民党は“投げやり感”満載で醜態をさらしておりました。与党となった民主党は民主党で、闇雲に過去の経緯を全否定し、おこずかい問題を指摘されると、自分の立場を美化するばかり。負けた方は卑屈になり、勝った方は自身の非を棚に上げて盛大にガッツポーズを取るばかり。こんな国が外国人力士に品格ドウタラと言っているのは、笑っちゃうのでございます。

 閑話休題。中国を追いかける立場となってしまった日本ですが、ここは嘆いてばかりで醜態をさらしてはいけません。したたかに行動して、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともう一度言わせたいものでございます。「日本の本当の実力はこんなものじゃない」と変に美化しておりますと、取り返しのつかないことになっちゃいますよ。ここは、恥も外聞も捨ててガムシャラにならなきゃいけないのですが...世の中のエネルギーのほとんどは、ネット通信やゲームに注がれているのでございますよね。

 かつて中国にアヘンという麻薬が入ってきたとき、中国はその国力を衰えさせるアヘンに驚異を覚え、戦争までしてアヘン締め出しをしております。今の日本は、ネットとかゲームという麻薬にやられちゃってませんかねぇ? アヘンのようなはっきりとした麻薬なら分かりやすいのですが、ネットとかゲームは、“いかにも無害に見えます”からね。登りつめたあと目標を失ってしまった感がある日本ですが、“中国を追い越す”という新たな目標が出来たのですから頑張りましょうよ。それとも、この期に及んで、「まだまだ、日本は中国なんかに...」と美化し続けますか?

 無常観を代表する花といえば桜。その桜の花でさえ、一度散ってしまっても、次の年には新たな花を咲かせるでしょ。ねっ、ねっ。

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2010/04/19

ジーンズをはいた演歌歌手

 先日、何気にテレビをつけておりましたら、懐かしい人が出演しておりました。たのきんトリオのヨッちゃんこと野村義男でございました。NHKのロックギター講座の講師として出演しておりました。地道にマイペースで活動しておりますねぇ。たのきんトリオの中では、田原俊彦と近藤真彦は何かと矢面に立たされることが多く波瀾万丈の人生を歩んでおりますが、その二人の陰の目立たないところで、野村義男は自分の一番好きなような人生を送れているのかも知れませんよね。

 お店の留守番をやりながらチラチラ見ておりましたら、いつの間にかお笑い芸人の友近が温泉に入っておりました。「友近の温泉学」なる番組があるようで、この友近という人も、何かと芸の幅が広い人でございます。先日、由美かおるの水戸黄門での入浴シーンがなくなってしまうというニュースを聞き、さっそくその後釜に立候補しようとしたみたいですが、あっさりと却下されたようでございます。そんなオチャメなところが憎めないのですけどね。

 さて、坂本冬美の「まだ君に恋してる」という曲が、静かなブームを起こしているようでございます。焼酎のCMで使われて、着メロなどで相当のダウンロード数を重ねているようでございます。ワタクシ、たまたま別の曲が目的で坂本冬美の『LOVE SONGS~また君に恋してる』というアルバムを購入しておりまして、そのアルバムにもこの曲は入っておりました。

Love_songs_3坂本冬美『LOVE SONGS~また君に恋してる』
  1. また君に恋してる
  2. 恋しくて
  3. あの日にかえりたい
  4. 会いたい
  5. 言葉にできない
  6. 恋(松山千春)
  7. 夏をあきらめて
  8. シルエット・ロマンス
  9. 片想い(浜田省吾)
  10. なごり雪
  11. 時の過ぎゆくままに
  12. 大阪で生まれた女b
  13. また君に恋してる(デュエットヴァージョン)

 そう、カバーアルバムでございます。表題の「また君に恋してる」という曲も、てっきりCMのための書き下ろしかと思っておりましたら、ビリーバンバンの曲だそうでございます。カバーブームが台頭し始めて久しくなりますが、「坂本、おまえもか」といった印象でございます。ただ、ワタクシ、演歌歌手の歌うポピュラーソングというのは、大好きでございます。演歌歌手は言葉を大事に歌いますし、もともと歌唱力がございますので、ポピュラーなんかもそれなりに歌い上げてしまうのでございます。

 このアルバム、坂本冬美にとって初めてのカバーアルバムだそうでございますが、単発では過去に何曲かポピュラー曲を歌っております。もうかなり前、化粧品の「ノエビア」のコマーシャルで、ツイストの「Tonight」を、この坂本冬美が歌っております。これは実に秀逸でございまして、もし全曲集の中などで見つけたら、ぜひ聞いてみて下さいませ。あるいは、中島みゆきの「化粧」を歌っておりますし、また、細野晴臣と忌野清志郎と坂本冬実とでユニットを組んでいた(?!)時期もあったようで、ビートルズの「And I Love Her」を歌っていたりいたします。この人も、何とも芸の幅の広い方でございます。

 ということで、他にもワタクシが持っているCDの中から、演歌歌手が歌っているポピュラー曲をいくつかご紹介するのでございます。

 まず、門倉有希の「愛に疲れて ~ラブ・イズ・ブラインド」。題名で分かるように、原曲はジャニス・イアンの同名曲。門倉有希はその他にも、「二人でお酒を」「百万本のバラ」「別れの予感」「五番街のマリーへ」「想い出ぼろぼろ」なんてのも歌っております。

 次は都はるみの「愛は花、君はその種子」という曲。これがなんと、ベット・ミドラーの「Rose」なんですよね。「おもひでぽろぽろ」というジブリ映画の主題歌でございました。

 あと、演歌歌手ではないですが、美空ひばりは何を歌わせてもそれなりに形にしてしまうすごい歌唱力を持っておりました。ジャズのスタンダードも何曲か歌っておりますし。美空ひばりの「スターダスト」なんてのは大好きでございます。

 では、こんなところで。演歌歌手が歌うポピュラーソング、もしよろしければ聞いてみて下さいませ。


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2008/06/13

軽くて深い味わい…お菓子じゃないよ

今頃の季節になりますと、近くの定食屋に「ナスのツユバリ」というメニューが登場するのでございます。焼き茄子がヒタヒタのおつゆに浸(ひた)してあるのでございます。温めても良し、冷たいまま食しても良し、このメニューが棚に並ぶようになると、「夏が来たな」と感じるのでございます。ナスとナツ、ナスとナツ、ナス、ナツ、ナス、ナツ、バンジャーイ。

さて、「羞恥心」というユニットをご存じでしょうか。「ヘキサゴン」というクイズ番組から生まれた、男性三人の歌手グループでございます。この羞恥心がユニット結成後2曲目にあたる「泣かないで」という曲を発表したのでございます。昨日、たまたまそのヘキサゴンという番組の中で見たのでございますが、もともと役者畑出身の3人でございますので、歌唱力に関しては、まぁまぁといった感じでございます。ただ、実にキッチリと歌い、キッチリと踊っている。特にダンスに関しては、キリリとしていて、なかなか格好良く決めているのでございます。

一般的に、歌先行でデビューしたアイドルの場合、ちょっと片手間的というか、なんかリズムの「ノリ」でごまかしているような踊りをする人がいたりします。これは、ベテランダンサーなどがする「枯れた踊り」とはちょっと違いまして、やはり「なんか誤魔化してるなぁ」といった感じがするものでございます。まぁ、歌が本職でございますし、多くの場合、後ろで本職のバックダンサーがキッチリ踊っているわけでございますから、アイドル自身がそれほどきちんと踊りきる必要はないのでございます。

そこで、この「羞恥心」の3人組でございますが、歌も踊りもけっしてハイスペックなことをしているわけではございません。ただ、キッチリ、誠実に歌い、踊っている。たぶん、歌の先生や振り付けの先生から注意されたことを、しっかり守っているのでございましょう。歌詞や振り付けを、実に大事にして演じているのが、伝わってくるのでございます。これは、3人が役者畑出身だということも有るでしょうね。舞台という非常に厳しい上下関係の中で培われた誠実さだと思うのでございます。

さて、その「羞恥心」の新曲とは別に、また違う新アルバムも発売されております。「JERO」の『カバーズ』というアルバムでございます。CDの発売は6/25みたいでございますが、「iTunes Music Store」には早々とリリースされております。えぇ、早速ポチリましたとも。ということで、その曲目を記してみたりいたします。

  M1「氷雨」 M2「君恋し」 M3「夜空」
  M4「水鏡」 M5本牧メルヘン」 M6「釜山港へ帰れ」
  M7「さらば恋人」

ちょっと話がそれますが、十数年前、ワタクシがミュージカルの勉強をしていたとき、歌のレッスンでまずやらされたのは「タンバリン」でございました。タンバリンで何をレッスンするかというと、「アフタービート」の練習でございます。つまり、邦楽というのは伝統的に拍の頭(表側)にアクセントが付くのでございます。ところが、洋楽の多くは拍の裏側にアクセント(アフタービート)が来るのでございます。このアフタービートというもの、理屈では分かっていても、長年、伝統的な邦楽に囲まれて生活してきていると、その頭打ちのリズム感が身体に染みついているのでございます。それを払拭して本当のアフタービートを訓練で身につけるのが、そのタンバリンでの訓練でございます。

最近は、「氷川きよし」さんなども、伝統的な演歌を歌いつつ、ポップスなども歌うようでございます。その芸風の広さに、氷川きよしさんの実力のすごさを感じたりいたしますが、やっぱり、氷川きよしさん、ポップスを歌うときは、どうしても拍の頭でアクセントを取ろうとしてしまうのでございます。実に器用に何でもこなす氷川きよしさんですが、ポップスを歌うと、ちょとドロ臭くなってしまうのは、その身に染みついたリズムの取り方が、原因しているようでございます。

逆に、アフタービートの世界で育った「JERO」さんが演歌を歌うとき、頭打ち前提で作曲されている演歌と、自然に裏打ちを使用とするJEROさんの歌い方とが相殺されて、実に軽やかな演歌となっているのでございます。リズムの「ノリ」は軽いけれど、言葉の一つ一つを大切に歌っているからこそ、その歌には強力な説得感が伴っているのでございます。ドロ臭さを感じさせない耳当たりの良さと、歌詞を大事に歌う誠実さ、これがJEROが人気を博している理由なのでございましょう。

先ほどのアルバム『カバーズ』でも、アフタービートノリノリの編曲にしてあったりいたします。普通の演歌歌手がその伴奏で歌ったりいたしますと、多分、伴奏のリズムに乗りきれず、チグハグなことになっちゃうはずでございます。アフタービートの下地があるJEROだからこその、歌いきりなのでございます。

思えば、「歌詞を大事に歌う」というすばらしい文化が、演歌にはあるのでございます。しかし、その演歌は、昔ながらの歌唱法から脱却できずにいるため、いまひとつ新しい世代のファンを獲得出来ずにいるような気がするのでございます。JEROのような新しい風が吹くことによって、日本の演歌界にも、新しい歌手、新しいファンが生まれるのではないでしょうかねぇ。

ワタクシは別にレコード屋(この言い方、古ッ)の回し者ではないのでございますが、JEROのこのカバーアルバムは、非常によろしいと思うのでございます。聴く機会がありましたら、JEROのその軽やかな表現力と、深い言葉の言い回しを堪能してくださいませなのでございます。ワタクシ的には、M7の「さらば恋人」がお気に入りなのでございます。

おバカキャラの人気やJEROの人気の裏には、その誠実さが有るようでございます。ひょっとしたら現代人は、「誠実さ」というものに飢えているのかもしれません。点数や成績ばかりで評価されがちな現代人が、誠実さという心の原点に基づく価値基準で評価し、また評価されることに憧れているのでしょうかねぇ?

では、今回はこの辺で。そうそう、ナツとナスと言えば、こんな曲がございましたよね。

  ♪ナスのお嬢さん、ビキニがとっても似合うね...

え〜と、え〜と...バンジャ〜イ

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2008/05/09

アリノママのビミョウな月のお話

NKKの番組で、『マイロード』という地味な番組がございます。ある著名人にスポットを当て、幼少の頃のことや成功するまでの生い立ちを、じっくりと話してもらう、ただそれだけの番組でございます。4月は久本雅美さんにスポットを、そして今月はサッカーの中澤佑二さんにスポットが当たっております。

この番組、1回放送分の30分の間、その著名人がほとんどしゃべりっぱなしでございます。その30分番組が4回でワンセット。つまり、ひとりの著名人の約2時間分のお話を、4回に分けて放送しているのでございます。

Jougenno_tukiさて、その番組の内容が、今回のメールマガジンのテーマではございません。たまたま遭遇したその番組のテーマ音楽が、これまたいい曲なのでございます。『上弦の月』(詞:バスケス 曲:松本俊明)という曲でございます。

歌っているのは「夏木マリ」さん。その声、独特な歌い回し、特徴のあるビブラート、すぐに夏木マリさんの歌声だとわかったのでございます。夏木ねえさん、最近はハードな絶叫タイプの曲を歌うことが多いのでございますが、このような、しっとりとした曲も、なかなかによろしいのでございます。

この夏木マリさんの「上弦の月」、検索してもまったく出てこない。夏木さんのオフィシャルウェブサイトにも公示がない。「マイロード」という番組では、サビの部分しか流されない。なんとかこのしっとりとした曲を、通して聴いてみたいと思っておりましたが、「この番組のためだけに作られた曲なんだな」と諦めておりました。

ところが、昨日、なんとこの曲が「iTunes Music Store」に突然現れたのでございます。1曲200円。もちろん、すかさずボチりましたとも。言葉を大事に歌う歌手の歌ってのは、ほんとにいいですね。歌詞のひとつひとつが立っているのでございます。すべての言葉に細心の注意がはらわれ、無駄がない。夏木マリさん、絶叫するときも容赦ないですが、こういったしんみりとした歌詞を歌いこむときも、容赦なく追求している。日本語を歌う歌手は、まさにこうあって欲しいと思うのでございます。

上弦の月というのは、新月と満月の間の、「太っていく過程での半月」でございます。逆に満月と新月の間の「痩せていく過程での半月」は下弦の月でございます。占いなどでは、太っていく上弦の月を「誕生・成長、吸収」などに例え、逆に下弦の月は、「死・老衰・放出」などに例えられたりするのでございます。この夏木マリさんの歌う「上弦の月」も、人生にやや疲れた人が、月に癒され、自分を信じ、また歩きだそう、そういった歌でございます。上弦、下弦といった意味が分かっていると、より深く曲の味わいを感じられるのでございます。

「上弦の月」が誕生や成長を意味していると申し上げましたが、ところがところが、この「上弦の月が昇るところ」といったものは、私たちは見ることが出来ないのでございます。エッ、どういうことかって? 上弦の月というものは、天空上で太陽を追いかけるような位置関係にございます。その結果、上弦の月が昇るのは正午のころ。真っ昼間の明るいときに、東の空に上り始める、それが上弦の月でございます。

ですから、上弦の月は太陽が西の空に沈む夕方のころに南中し、真夜中に西の空に沈んでいくのでございます。誕生や成長の象徴とされる上弦の月でございますが、夜空でワタクシたちが見ている上弦の月は、必ず「沈む途中の月」なのでございます。まぁ、皮肉と言えば皮肉でございますね。逆に同じ理屈で、下弦の月は、いつも上る姿しかワタクシたちには見せておりません。

月に思いを馳せ、その動きに自分の人生を重ね合わせる。そんな人間のささやかな情思にはわれ関せずと、大自然はもっともっと壮大なる摂理の元に動いているようでございます。まぁ、占いなんて、つじつま合わせの集大成みたいなものでございますからね。

朧月(おぼろづき)という語がございます。雲に隠されておぼろげにしか見えない月のことでございます。日本ではこの朧月を、また別の美しいものとして愛(め)でる感覚がございます。「幽玄の美」というやつでございます。この「ぼんやりとした美しさ」という曖昧さへの美的感覚は、西洋ではゴッホやモネといった印象派以降の、つい最近になって芽生えたものでございます。

イエスとノーをはっきり決着つけたがる西洋人は、日本人が日本語独特の曖昧な返事でお茶を濁したりするのを嫌ったりいたします。ところが日本には、この曖昧な返答や曖昧な人間関係で、全体の和が保たれているという文化があるのだからしかたがございません。最近の言葉でいうと、「ビミョウ」とでも言うのでしょうか。月の美しさへの感じ方ひとつにも、西洋と日本との文化の違いが反映しているのでございます。

古(いにしえ)の時代、人々が様々な思いを馳せた月でございますが、最近は探査機が月の間近まで接近し、精細な写真を撮影できたりいたします。よく分からない世界だったものがはっきりしてしまうと、何だか夢を持つのが難しくなりますよね。科学が発達し、今まで曖昧だったものがドンドンはっきりしてくるにつれ、世の中に「夢」を見るのが、難しくなってきているような気がするのでございます。

最近は、曖昧なものを嫌ったり、不思議なものをはっきりさせようとする風潮がございます。なんか「科学で証明できないものは悪だ!」みたいなこと、あるでしょ。でもね、曖昧なものや不思議なものを、そのまま「アリノママに受け入れる」ってのも、なかなかに夢があってよろしゅうございますよ。

そう、この「アリノママに受け入れる」ってのは、小さな子供はみんなやっているんですよね。でも大人になって理屈が身につくと、この感覚をいつの間にか無くしてしまうのですよねぇ。エッ、でもどうやったらアリノママに受け入れられるのかって? そんなの簡単ですよ。心をカラッポにすればいいのでございます。カラッポの器の中には、アリノママのものがアリノママの姿で入ってくるでしょ。

もし、仕事のこととか、人間関係とか、人生についてとか、何かしらの「行き詰まり」を感じていらっしゃったら、一度、頭の中をカラッポにすることをお勧めいたします。何もかも忘れて小旅行に行くのもいいかもしれません。スポーツジムで、一心不乱に体を動かすのもよろしいかも。頭の中をカラッポにすると、新しい糸口やひらめきが得られるかもしれませんよ。

ではでは、今回は曲の紹介から始まり、「月」にまつわる色々なお話になっちゃいました。「アリノママのビミョウな月のお話」でございました。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2008/02/16

CMは昭和の調べ

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お店の有線放送を聴いておりましたら、昔懐かしい「パチパチ」というレコードのスクラッチノイズが聞こえてまいりました。「レコード音源から吸い上げた昔の曲かな?」なんて思いまして、しばらくその曲を聴いておりました。けれど、特に昔の曲というわけでもございません。しばらく聴いて、ハッと気がつきました。最新のデジタル技術を駆使すれば、レコード音源のスクラッチノイズなんてのは、いとも簡単に除去できるはずでございます。その曲は、「あえてスクラッチノイズを乗せるという演出」だったようでございます。

さて、古い曲を聴くと、その曲を聴いていた頃の自分が彷彿と思い出されることって、ございますよね。CMなどで「カーペンターズ」や「オリビア・ニュートンジョン」が流れたりいたしますと、何十年も忘れていた昔の思い出が呼び起こされたり致します。青春時代に聴いた曲というものは、より深く自分の人生の一場面とリンクされているようでございます。逆に、現在のゴタゴタを一時でも忘れたいと思うとき、そんな若かりし頃の思い出の曲を引っ張り出して聴くと、まるでタイムマシンで運ばれたごとく、過去の自分に戻れたりいたします。

今回は、そんなタイムマシンのような魔力を持ったアルバムを、二枚ほど紹介するのでございます。一枚は「世良公則」の『ジャカランダ』というアルバム。もう一枚は「デーモン小暮」閣下の『GIRLS' ROCK √Hakurai』でございます。ではでは、はじまりはじまりなのでございます。

まず世良公則の『ジャカランダ』。軽く曲目を紹介するのでございます。

 M1 アンタのバラード
 M2 性 −さが−
 M3 Days −デイズ−
 M4 Soppo
 M5 そっと...kissを、
 M6 宿無し
 M7 Against The Wind
 M8 歩み(そして・・・明日)
 M9 銃爪
 M10 燃えろいい女
 M11 バラードが聴こえる
 M12 Jacaranda −ジャカランダ−

どうですか? 30代〜40代の方なら、実に懐かしい曲名でございましょう。このアルバム、世良公則がアコースティックギター(生ギター)だけで歌っております。アコースティックギターだけの歌唱、最近の世良公則さんがよく行っている歌い方でございます。

YouTube などで世良公則(ツイスト)の曲を検索すると、様々な"亜種ツイスト"がワラワラと出てまいります。サクッと粋(いき)に歌い上げるクールなバンドもあれば、ガッチガチに力みきって叫びまくっているバンドなんてのが見つかったりいたします。「ツイスト」「世良公則」というと、パワフルでアクセル全開といった印象がございますが、このアルバムで歌っている世良公則は、本当に、楽〜に力を抜いて歌っております。

「芸が枯れる」なんてことを申します。芸というものはドンドンこなれてくると、力が抜けてくるものでございます。芸の神髄を表現するには力を抜けばいいのだと気付くわけでございます。それが、「芸が枯れた」という状態でございます。若いとき、未熟なときには、ついつい力みがちになるものでございます。その力押しの表現も、またひとつの方法論(メソード)であって、ひとつの正解でございます。力で押すなんてぇのは若いときしか出来ないのでございます。

ところが、歳を取ってくると、若い頃のような力押しの表現は出来なくなってまいります。力はなくなるのでございますが、人生経験を積んだ分、今度は知恵の方が増えているのでございます。力で表現する方法論から知恵で表現する方法論へと変わってくるわけでございますね。力を抜いたシンプルなやり方で、奥深い表現が出来るようになるのでございます。「シンプル・イズ・ベスト」とはよく言ったもので、物事、究極を突き詰めるとシンプルになるのでございます。

というわけで、この『JACARANDA』というアルバムでは、「枯れた」世良公則を堪能できるわけでございます。世良公則は2003年にも同じようなセルフカバーアルバム『照(しょう)』をリリースしております。この『照』では「熟しきったパワフルな世良公則」といった感じでございました。今回ご紹介した『JACARANDA』は、「さらに熟してドライフルーツになった世良公則」とでも言いましょうかねぇ。

では、もう一枚ご紹介を。デーモン小暮閣下の『GIRLS' ROCK √Hakurai』というアルバムでございます。これは、昨年リリースされた、「女歌をデーモン閣下が歌う」というコンセプトのカバーアルバム『GIRLS' ROCK』の第二弾でございます。この第二弾は、「女歌であり、なおかつ日本でリリースされた時点で既に外国曲のカバーであった曲」というコンセプトだそうでございます(あぁ、ややこし)。以下に曲名を並べるのでございます。

 M1 ヒーロー (Holding Out For A Hero)
 M2 愛が止まらない (Turn It Into Love)
 M3 ダンシング・ヒーロー (Eat you up)
 M4 Mr. サマータイム
 M5 今夜はANGEL (Tonight Is What It Means To Be Young)
 M6 雨音はショパンの調べ (I Like Chopin)
 M7 NEVER
 M8 ランバダ (Lambada)
 M9 チェリー・ボンブ -悩殺爆弾- (Cherry Bomb)
 M10 SHOW ME
 M11 タフな気持ちで (Don't Cry)

これらの曲目も、懐かしいですよねぇ。第一弾が大ヒットしたゆえの、今回の第二弾のリリースだそうでございます。実は、第一弾でのデーモン閣下の歌い方には、やや消化不良気味なものを感じておりました。「こんな物作って売れるのかいな?」といった迷いのようなものがあったのでございましょうか? しかし、今回の第二弾では、デーモン閣下、吹っ切れております。第一弾が大ヒットしたことを受け、迷いなく、確信犯的な歌い方をしております。

実は世良公則さんも、「女歌」をよく作曲します。「あんたのバラード」などは代表作でございます。しかし女歌だからといって女々しく歌うわけではございません。世良公則さんの歌う「あんたのバラード」は、どこまでも男の息づかいで女の心情を歌っております。ここに、女歌を男が歌うときの「艶(つや)」が出てくるわけでございます。

ところがデーモン閣下の第一弾『GIRLS' ROCK』では、どうも「女の歌」というのを意識したのでしょうか、どこかしら「女ぶって」歌っている気配が感じられるのでございます。これは、オカマが女の歌を歌うときの歌い方と同じで(歌っていう字、いっぱいやね)、ちょっと気色悪いものを感じたものでございました。

しかししかし、今回の第二弾では、曲を十分自分のものとして消化し、そこから自分の感性で吐き出しているという感じを受けます。男とか女とか拘(こだわ)って表現を変えるのは不毛でございます。それは、猿まね・物まねの域を出ないからでございます。曲のエッセンスを読み取り、それを最大限に表現しようとしたときには、もはや歌詞の性や自分の性などは、関係なくなるのでございます。魂の叫びというやつでございます。魂には性別はないのでございます。

というわけで、この『GIRLS' ROCK √Hakurai』、とってもデーモン閣下らしさが出ていて、楽しめるアルバムでございます。しかも、曲が懐かしくって、ホロッと来ちゃうしね。『JACARANDA』は、ちょっと低めの音量でマタ〜リと聴きたいななんて思いますけど、この『GIRLS' ROCK √Hakurai』は、許される限りの大音量で、ノリノリで聴きたいアルバムでございますね。

さてさて、今回紹介した二枚のアルバムもそうなのでございますが、最近は30〜40代の人をターゲットにした曲が多いように思われます。CMソングなども、昔のカバー曲が多いですしね。これは、この年代が一番購買力があるからなのでしょうかねぇ。とすると、まんまと業者の陰謀に乗せられてしまっているのかな、といったところで今回はこのへんで。次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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2007/02/02

少女趣味的閣下の新盤「GIRLS' ROCK」

Fi1203103890665t_0e歌謡曲には「男歌」「女歌」というものが有るのを、ご存じでしょうか? 男の心情を歌ったものが男歌、女の心情を歌ったものが女歌でございます。普通は男が男歌、女が女歌を歌うものでございますが、男が女の心情を歌った曲というものがございます。それも、意外と日本の歌謡曲には多いのでございます。

ほんとに、ほんとにわかりやすい例を申しあげますと、細川たかしの「わたしバカよね〜、おバカさんよね〜」というあの曲などは典型例でございます。聞き慣れているのであまり違和感がないかもしれませんが、よくよく歌詞を分析してみますと、あれは女のセリフなのでございます。

このように、男が女歌を、女が男歌を歌うのを、「クロスジェンダー」と申します。とまぁ、ワタクシ、偉そうに言っておりますが、このクロスジェンダーという語を知ったのは、つい先日のことでございます。「たぶん“クロスセックス”か、“クロスジェンダー”あたりの単語でヒットするだろう」なんてぇ感じで、いい加減に検索してみつけた語でございます。ほんとにほんとに、インターネットは便利でございます。

で、お話はそのクロスジェンダーでございます。最近は何かとカバーブームでございまして、昔のヒット曲をかき集めて作ったアルバムなんてのが多うございます。「○○トリビュート」なんて銘打っているアルバムなども、その一例でございます。そういったカバーアルバムの中で、男性歌手が女性の歌ばかりを集めたカバーアルバムというものに、ここのところよくお目にかかります。

最近買ったものでは、徳永英明の『VOCALIST』『VOCALIST II』なんてのが、極めつけのクロスジェンダーカバーアルバムでございます。男性が歌う女歌というものは、妙になまめかしく、そしてあまり執念深くなく(笑――深い意味はないですよ〜)、サラッと聞けていいのですが、どうも、この徳永英明の歌い方がオカマっぽく聞こえて、ワタクシ、ムズいのでございます。オカマにオカマっぽいと言われたのでは、徳永英明も立つ瀬がございませんでしょうが、「エエイッ、日本男児なら、もちっとシャキシャキ歌え!!」と叫びたくなるのでございます(それにこの人、あまり歌上手じゃないし〜)。

そんな折に、たまたま見つけたのが、閣下が歌われる『GIRL'S ROCK』という最近出たアルバムでございます。閣下とは言わずと知れた「デーモン木暮」閣下でございます。ワタクシ、この人の透明感のある声が大好きでございます。最初は「デーモン木暮、聖飢魔II」→「シャウト、ハードロック」という固定観念がございました。しかし、しかし、閣下の「BAD AGAIN 〜美しき反逆〜」という曲を始めて聴いたとき、その透明感のある艶っぽい声に、ワタクシはまるで、井上陽水の「心もよう」のEPレコードを脳天にぶつけられたときのような衝撃を感じたのでございます。

デーモン閣下の歌詞を実に大切に歌うといったところも、ワタクシ好感をもっております。「歌詞を口先でこねくり回して変に気取る」というところが微塵もございません。本来トゲトゲしくなりやすい英語の歌詞でさえ、閣下が歌うとまるでオペラ歌手のアリアのように、メロディーラインに柔らかく乗せられてしまうのでございます。しかも、細かく刻む伴奏のリズムに逆らうことなく、かつ、陽炎のようなゆらぎのあるリズム感を維持できる歌い方、素晴らしいのでございます。

で、その『GIRL'S ROCK』というアルバムでございます。なんか宣伝みたいでやらしいので、収録曲は各自ご自分で調べてみて下さいなのでございますが、1曲目の「六本木心中」なんてのは、もう実にハマりまくってます。オリジナルであるアン・ルイスの声は、どうもワタクシ、耳にキンキン響いて嫌いなのでございます。ところがところが、閣下が歌う六本木心中は、「柔らかい」のでございます。かといって、決してオカマくさくない。曲の内容を考えて、ちょっと手加減している閣下の歌い方が、ちょうどいいところに落ち着いているのではないでしょうか。

また、笑っちゃうのが、「City Hunter 〜愛よ消えないで〜」なんて歌も歌っております。もうね、悪魔が「愛よ消えないで」とか、「瞳みつめて Fall in love 」なんて歌っちゃってるのでございます。悪魔の風上にも置けないのでございます。でも、まぁ、こういった悪魔に似つかわしくない曲をムリクリ歌っているところに、やや力の抜けた、かわいらしいデーモン閣下がかいま見られて、楽しいのでございます。非常に賛否両論別れそうなアルバムでございますが、ワタクシ的には非常に気に入っているアルバムでございます。

ではでは、最近耳にしたCDを、独断的にダラダラ語ってみました。次回は、「どろろ」を、これまたダラダラ語るのでございます。毎度、おつき合いのほど、ありがとうございます。名古屋薫でございました。

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2006/10/14

メン・イン・ブラックのように

【フール・プルーフ】fool proof
 誤った使用法への対処機能。使用者に安全性を求めずに、誤りの検出・訂正や使用法の制限などの機能を機械などに持たせること。(広辞苑)
  例の臓器移植用の腎臓を棄てちゃった話、まったくおかしな話でございます。4重のビニールで包まれ、クーラーボックス内で専用の容器に入れられ、「右」とか「左」とかの紙も貼ってあったんでしょ。どんな間抜けでも、そんなの「何かおかしい」って思うはずでしょ、えっ、違います? もうね、「汚染しちゃって使えません、ごめんなさい」とかなんとか言っておいて、その腎臓、どこかに横流しでもしたんじゃないでしょうかね、まったく、あーあ、フンッだ。(以上、名古屋薫の勝手な憶測です。発言に責任は持てません。あしからず)

といったところで、本題でございます。

「ニューハーフのメールマガジンなのに、ニューハーフに関係するお話がまったく無いじゃないか! プン! プン!」といったようなご意見を、ときどき頂いたりしております。ワタクシの場合こむずかしいお話が多かったりするので、題名だけで購読を始めちゃった人は面食らうかも知れませんよね。まぁ、ここのところは‘元男性’の話題が続いておりますので、ここ数回分のメールマガジンに限っては、「ちょっとはニューハーフっぽくなっているかな」、なんて思っております。

前々回、そして前回と、中村中(なかむらあたる)さんを紹介いたしました。今回紹介するのも同じミュージシャン、ロックバンドのボーカルの一人でございます。


50/50(←バンド名、「フィフティ・フィフティ」と読みます)

【5050 Official Web Site】
 http://www.50fifty.jp/
 

このバンドの「森 ちひろ」というボーカルが、まぁワタクシが最近言うところの‘元男性’でございます。先日、名古屋のライブハウスに来ましたので、急ぎ、そのステージを見てきたのでございます。まぁ、デビューしたばかりということもありまして、まだまだ舞台上の表現には‘および腰’的な部分がございましたが、立派にステージを務めておりました。まぁそんなおよび腰も、これから場数を踏むことによって、より腹の座ったいい表現ができるようになるのではないでしょうか。なんとか伸びていって欲しいものでございます。

このバンド、「ミラクルシェイプ」というドラマ(日テレ系、永井大出演)のエンディングテーマであるとか、坂口憲二の「レディーボーデン」のCM(ロッテ)に曲が採用されておりますので、曲を聴いたら「あぁ、この曲ね」って思われる方もいらっしゃるかも知れませんね。

‘元男性’のミュージシャンを二人ほどご紹介いたしました。「中村中」さんも「森ちひろ」さんも、どちらも芸能人でございますから、‘元男性’という事実を公表し、ある程度‘営業的に’利用しております。

しかし、こういった人達とは別に、自分の素性を公表せず、普段の社会生活にとけ込んでいる‘元男性’も大勢いらっしゃいます。ワタクシが知っているだけで、看護師、デパートの店員、ネイルサロン、コンビニ店員、歯科助手、オフィスレディ……と、大勢いらっしゃいます。もちろんこの他の職種にも、‘元男性’はイッパイ世の中に紛れ込んで、普通に社会生活を送っていらっしゃいます。あなたの側にいる素敵な女性も、ひょっとすると‘元男性’かもしれませんよ。

そうそう、宇宙人が密かに地球人に混じって社会生活を送っているというSFとか映画とかあったでしょ。最近は、缶コーヒーのCMにも、そんなのがあるし……‘元男性’は密かに、ワタクシたちの社会生活に大勢紛れ込んでいるのかも知れませんよ。そう、「メン・イン・ブラック」の宇宙人のようにね。

ではでは、次回をお楽しみにね。ウフッ。

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