芸能・アイドル

2020/10/28

【田中みな実】

今日はね、昨日と似たような内容になっちゃいますが、どうかご容赦を。火曜日に録画したNHKの『プロフェッショナル』を、今日、観てみました。テーマが「田中みな実」ということで、「タレントがテーマ? プロフェッショナルもネタ切れか?」と、丸一日放置しての録画視聴でございました。

これがね、田中みな実さんには謝らなくてはいけませんね。なかなかに見応えが有った。NHKの担当者は、年末に放送される田中みな実さん出演ドラマの番宣くらいの気持ちでだったでしょうが、番宣なんていううわついた動機を吹っ飛ばすほどに、田中みな実さんの内面がエグかったのでございます。

まずね、田中みな実さんのアスリート並みのストイックさがエグい。ただね、残念なのは、田中みな実さんがストイックに追い求めているものと、テレビ局や大衆が求めているものとが大きく乖離していることでございますね。

アナウンサー時代の田中みな実さん、「朝の顔」になるべく必死に努力しますが、テレビ局が与えるのは「ぶりっこ」というキャラクターばかり。独立してフリーになってからも、その乖離は続くわけでございます。その乖離を埋め続けている間に、田中さん自身は「飽きられること」への恐怖を持ち続けているのですよね。

『プロフェッショナル』で、こんなシーンがございました。あるドラマの収録現場、撮影後に監督やプロデューサー、ベテラン俳優が田中みな実さんを「完璧!」「最高!」と褒めまくる。ただね、何十年もドラマの制作現場にいる人達が、たまたま4~5本のドラマに出ているだけのシロウト同然の人をそこまで褒めるなんて有り得ない。ワタクシはこのシーンで、実に嫌な気分になったのでございます。

それは、なぜか? こと芸能の現場においては、人を「育てよう」という場では、けっして人を褒めない。人を褒めるのは、はなから「育てる」という関係ではないから。言い換えれば、「使い捨て」扱いの人だからこそ、褒めることが出来る。ドキッとするでしょ、こんな言い方をすると。ストイックにドラマに相対している田中みな実さんに対する、現場の反応がこれでございます。あぁ、乖離してますねぇ。

ところが、驚くことに、そのシーンの直後に田中みな実さんのこんな発言が挟み込まれる。「客寄せパンダとしてキャスティングされていることを理解してますから」とのこと。理解した上で、最善を尽くしているとのこと。これは、エグいですよ。エグ過ぎる。33才というのは人生の頂点あたり。そろそろ自分の人生の下り坂がチラチラ見えてくる時期。よく、持ちこたえているなぁと思ったのでございます。

救いのないような今回の『プロフェッショナル』でございましたが、番組の最後に来て、希望の光がございました。田中みな実さん自身のこんな言葉、「自分が苦手なところにしか、わくわくすることってないよね」。ワタクシ思うに、この言葉こそ、プロフェッショナルの証しだと思うのですが、田中さんご本人はあまり気づいていない感じでしたねぇ。

田中みな実さんという方に、非常に興味を持ったのでございます。今後の活躍を期待いたします。彼女が、より良き環境に恵まれるとよろしいですねぇ。「褒められる」というのは、まだ同じ土俵に上がっていない証拠。同じ土俵に上がれると、周りの人間は無口になるのですよ。なぜなら、周りの人間にとって、自分が「脅威」になったからですよね。そこからが、彼女のスタートかもしれませんね。では、では。

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2017/02/13

【芸能人は、非常識で無法者であるほうが絶対面白い】

若い頃から音楽や舞台に携わってきたワタクシは、「人を感動させるツボ」というのを考え続けておりました。幼少期の頃は、自分で考えた踊りを音楽に合わせて踊ると、大人が大喜びすることに気がつきました。子供の考える踊りですから、稚拙でございます。それでも、大人の喜ぶ顔が、快感でございました。

青春期、ワタクシが楽器を演奏すると、聞いていた人が「固まる」というのをよく経験いたしました。とりわけ賞賛を望んでいたわけでもなかったので、その時は気にも留めておりませんでした。あるいは、明からさまに嫉妬の表情をする人もおりました。でも、「ワタクシの演奏なんか誰も気にしてない」と思い込んでおりましたので、やはり、意味が分かりませんでした。

ショーパブで働き始めた頃、ダンスのレッスンに通うようになりました。レッスンを初めて数年後のある時期から、ダンスの先生が急に厳しくなりました。後から思えば、「生徒」から「弟子」に昇格したのだと気がつきましたが、その時、ワタクシの中では、その先生を見下す心が芽生えておりました。

先生を見下す心、これは、自分の中で表現したいものと先生のそれとのギャップから生じるものでございます。「自分がやりたいのはコレじゃない」という気持ちが沸き上がりますと、「この人の下にいちゃいけない」という考えに至るのでございます。それが、「見下す」という傲慢にまで増長していくのでございます。

この傲慢は、音楽のレッスンでも起こりました。音楽の先生、ダンス教室をいろいろ変えてみるものの、「生徒」としか扱われないうちは、冒頭で申し上げた「固まる」という現象が起きました。この時点になって、その固まるという現象は「感動」なんだと気づくようになりました。「私は人を感動させている」という実感が湧くとともに、ワタクシに感動して固まっているその先生方には、やはりワタクシの中に見下すという感情が湧いてまいりました。

本気で人を感動させると、その人は固まります。そして、何か美味しいスイーツでも食べたような微笑みを呈しております。「私は人を感動させられる人間なんだ」という自覚を持ちますと、今度は、その自覚との戦いが始まったのでございます。なぜなら、そう自覚した瞬間に、人を感動させられなくなるからでございます。

スポーツ選手に「ゾーン」という体験があるそうでございます。そのゾーン中は、精神が集中し、プレッシャーもなく、非常に高い能力が出せるそうでございます。しかし、ほんのちょっとした雑念が、そのゾーン領域から逸脱させてしまうそうでございます。ワタクシの中にも、そのゾーン体験と同じような感覚がございました。意識すると、感動させる能力が逃げていくのでございます。

その後、ミュージカルの勉強をしている頃、ワタクシは、歌や、演技や、ダンスのレッスンするさいには、いつもその「自覚」との戦いをしておりました。優越感と劣等感、雑念と無心、そういったものがパイ生地のように何層も積み重なった感情が、心の中にうずめいておりました。そして、「天狗」と「卑屈」の両者を行ったり来たりする事になるのでございます。

その後、ワタクシの人生の大きな岐路がやってまいります。東京の事務所のオーデションに受かり、そこの研究生になれたのでございます。そして、幸運にも時はバブルの終焉ちょっと前の時期。お金が有り余っている時期でございましたので、研究生と言えども相対する先生方は日本のトップクラスの人達ばかり。実際に日本の芸能界の現場で活躍されている方々ばかりでございました。

研究生という立場ですので、教える方も完全に「師匠と弟子」モードでございます。その先生方、さすがプロでございます。ワタクシの中の「葛藤」を完璧に見抜いておりました。徹底的に、ワタクシの鼻っ柱を折るという指導に徹しておりました。動物の調教と同じでございますね。まず上位のものが下位の首に噛みつく。上下関係がはっきりして初めて、「調教」が始まるのでございます。

その後、実際の舞台に立つようになっても、「プロの洗礼」を受ける事になるのでございます。出演者すべてが、「自分はこう表現したい」というものを持っている。もちろん、脚本や演出による「縛り」は当然ございます。その縛りの中で、各自が自分の主張を前面に出そうという「戦い」が舞台の上で行われるのでございます。

舞台に立ち続けるというのは、それなりのプレッシャーでございます。「自分の居場所がなくなるのではないか」という不安は、いつも付きまといます。そして「自分は人を感動させられているのか」という疑心も、常に沸き上がります。逆に、そのような不安や疑心から翻(ひるがえ)って増長側に至ったとき、感動の「ゾーン」が消えていくというジレンマもございます。

さらに、ドラマでも映画でも舞台でも、大勢のキャストやスタッフが携わっております。その大勢の中のほんのひとつの「駒」として動いていくうちに、なにか巨大な綿の中で手足を動かしているような、そんな手応えの無さも感じてくるものでございます。それは、本来、自分がやりたかった事とはかけ離れている事が多いというのも、要因のひとつでございましょう。自分の中で完結している芸術でない限り、この「個」と「全体」との葛藤はなくならないのでございます。

そんな不安や虚無感の中でも、なんとか芸能界に残りたいと思う人は大勢いらっしゃいます。それは、大きな「全体」の中の「個」でしかないにも関わらず、その「個」が「世界の中で自分にしか表現できないもの」を訴える事が出来るからではないでしょうか。その「自分にしか出来ないもの」を守り通すため、日々、不安や疑心や葛藤を持ちながらも、芸能界に憧れ、自分の場所を確保し続けようとする芸能人の方々が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

最近、あっさりと「引退」してしまう芸能人の方が増えております。確かに、週刊誌などでプライベートを晒されてしまうようなことがあると、「そこまで犠牲にして残りたい居場所でもない」と思うのかもしれません。あるいは、「犠牲を払ってでも守りたい『個』がない」ということなのかもしれません。

成宮寛貴さんや清水富美加さんの唐突な「引退」の陰には、本人でしか分からない事情が有ったのかもしれません。あるいは、守り通す「個」を見いだす前に、プレッシャーばかりが襲いかかったのかもしれません。残念ですけど、本人の強い意志があるようですので、仕方がないですよね。

芸能界ってのは、不道徳で、無法地帯で、快楽主義で、かつストイックで、そんなハチャメチャな場所でいいと思いますよ。基本的に、芸術的意欲の下に「楽して儲けたい」というモチベーションを持った人達の集まりでございますから。

視聴者や聴衆は、画面や舞台に「非常識」を求めるくせに、それを演じている芸能人には「常識」を強く要求する。そんな非常識と常識の間の歪みを埋められないと、「引退」ということになってしまうのかな、そんな風にも思いました。

長くなっちゃいましたね。最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。では、では。

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2017/01/16

【確かに、最近の化粧品は肌にやさしい】

ワタクシも、疲れが溜まってきますと、体に兆候が出てまいります。一番最初に出てくるのが、口の周り。そういう時は、何かしらの栄養が足りないのでしょうねぇ。唇の周りがピリピリしてくるのでございます。一度病院へ行きましたら、単に「水分が足りてない」との診断。「リップクリームを塗りまくりなさい」と指示を受けて、実行しております。

もうひとつ出てくる兆候が、目の回り。このあたりは毎日メークで肌に負担をかけておりますので、体が弱っているときにはてきめんに現れる。特に、アイシャドーの色素が悪さをする。化粧品の色の中でも、青い色に使われている色素は、肌に対するアレルギーが出やすいのでございます。

そこで、体調が悪いと、目の回りが荒れる。ちょうど青とか紫色のシャドーを塗っている場所だけが、荒れてくる。やはりピリピリして痛いので、化粧が出来ない。そういう時は、きわめて薄化粧で、目の回りもほとんどノーメーク。バランスの取れた食事を取り、疲れを溜めないようにしながら復帰を待つのでございます。

毎日化粧をする仕事というのは、顔を酷使しております。特に、「こする」という動作があまり良くないのでございましょう。アイメークなど、こすって色を付けるような場所は色素が沈着しちゃうのでしょうか、肌の色がくすんで「化粧やけ」というのが起きることもございます。今は化粧品が発達したのか、化粧やけなんてあまり言いませんよね。いいことでございます。

舞台に携わっていたころ、事務所の大先輩の舞台が有りますと、差し入れを持って楽屋へ挨拶に行っておりました。舞台を見終わった後に楽屋へ伺いますと、ちょっと待たされた後に、シャワーを浴び終わった女優さんとかが楽屋へ戻ってくる。シャワー直後ですから、スッピンでございます。かなりショッキングなほどに痛めつけられている素顔を目撃することも、時々ございました。

今の舞台用品は知りませんが、昔のは「ドーラン」と呼ばれる化粧品で、グリースのような感触。これが、肌に悪い。長年、毎日塗りたくっておりますと、確実に肌がボロボロになる。さらにさらに、これはワタクシの母親から聞いた話ですが、昭和初期の舞台照明は、マグネシウムか何かで光らせていて(よく覚えてない、ごめんなさい)、この光が目に良くないとのこと。昔の役者さんは、肌も目も酷使していたのでございます。

あぁ、なんか懐かし話になってしまいましたね。「色の白いは七難隠す」と若い頃よく言われたものでございます。ワタクシは当時、色白でキメの細かい肌でかなり得をしておりました。逆に言いますと、他に7つ、悪いところが有るよと言われていたのでしょうか? お後がよろしいようで、では、では。

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