スポーツ

2018/06/28

【ラグビーでは、南アフリカ相手に潔かったのにねぇ】

今日は運命のポーランド戦。23時キックオフなんで、とりあえず録画をしておきまして、お店の留守番を0時まで頑張り、それからゆっくり録画視聴いたしました。23時以降は、テレビ・スマホ・パソコンは全て電源を落とし、途中速報を含む全ての情報をシャットアウトしての、録画視聴でございます。

ワールドカップに興味ない人のために説明いたしますと、ポーランド戦には負けたのですが、他の試合結果とのかね合いで、グループリーグ通過は果たしたのでございます。ただ、ポーランド戦の最後の10分、自陣でボールを回して時間つぶしをした事が、いろいろ取りざたされております。

もうね、試合終了直後から、世界中が賛否両論。ワタクシも、「後味悪いなぁ」という印象でございます。そもそもワタクシは、グループリーグ通過にあまり拘っていない。だから、「何が何でも突破して」とは思っていなかったのでございます。

しかしまぁ、何という微妙な通過だこと。勝ち点・得失点・直接対決、これらが全て同じ。「警告」の数で決まるという、まるで薄氷の上を歩ききったようなグループリーグ通過でございます。その薄氷に乗ったまま、日本代表は試合の最後の10分間、ギャンブルに出たわけでございます。

最後の10分、日本が攻めていって同点に出来れば問題なし。でも逆に点を取られるとか、警告を複数もらってしまうとかすると、敗退決定。時間つぶし作戦に出ても、他スタジアムで行われている試合でセネガルが得点を入れてしまうと、これまた敗退決定。

日本チームとしては、責めるには大きなリスクが伴い、時間つぶしをしたとしてもその結果は完全にセネガル戦の結果に委ねられるという他力本願のギャンブル。八方ふさがりでございます。その結果、一番の安全牌である時間つぶしを選択。もちろんルール違反ではありませんので、非難される筋合いは、本来は、どこにも無いのでございます。

さて、以上がポーランド戦の概略。ここからが、ワタクシの吐露。やはりサッカーは、ヨーロッパのスポーツなのですよ。そして、アジアの一国がサッカーの精神を汚したと言われても仕方が無い。ルールには記されない「精神」というものがスポーツには有り、その精神はそのスポーツを育んできた人達が一番よく理解しているからでございます。

例えば、メジャーリーグには、ルールに書かれていない「不文律ルール」がございます。大勝ちしている時にバントや盗塁をするなとか、負けているチームへの配慮とも言える「精神」が暗黙のルールとして定められております。

また、日本の大相撲はどうでしょう。カチ上げや張り手は、ルール上禁止されているわけではございません。でも、外国人力士がそういった荒技を乱用すると、やはり「相撲の精神に反する」と批判されることになる。

ヨーロッパの人達には、「サッカーを育んできた」という誇りがございます。そして、ルールには定められていない「精神」が心の中に根付いております。今回の10分間の時間つぶしは、その精神に触っちゃったのでしょうねぇ。

ただねぇ、こういった時間つぶしはよく有ることなのですが、日本代表の1・2戦のアグレッシブさが注目された後なので、印象悪かったですねぇ。また、セネガル頼みの他力本願ギャンブルというのも、潔くなかった。まぁ、サラッと忘れて、次行きましょう、次へ。ニッポン、頑張れ!

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2018/06/23

【体格の違いが、いろいろ不利だなぁ】

サッカーワールドカップということで、連日、深夜の試合中継を見ております。まぁ、どちらを応援するというわけでもないのですが、取りあえず、負けている方を応援しております。

いや、あのね、ワタクシ、サッカーのことはあまり分かりませんが、そんな素人目でも、他のチーム、ハンパない! ジャンプ力とかスピードとか、ボールを扱うテクニックとか! しかも、みんな体が大きいよねぇ。サムライブルー、大丈夫かなぁ?

日本代表の監督さんが、急に変更いたしました。通常10分程度のミーティングが30分に延びたのを受けて、テレビの解説者が「通訳なしの30分ですから、長いですよねぇ」と説明。そうですよね、監督が日本人に変更になって、通訳が必要なくなった。その分、コミュニケーションの情報量が圧倒的に増えているはずでございます。

日本代表の監督さんって、なぜか、外人が選ばれることが多いのでございます。戦略的なことには長けているのかも知れませんが、常に通訳を挟んでのコミュニケーションというのはどうなんでしょう? 特に、日本人独特の「気質」というもの、外国人の監督さんはどれほど理解していたのでしょうか?

欧米の「個人主義」に対し、日本人は「全体主義」の傾向が強い。飛び出そうとする時に、「和を乱すのではないか」なんてことが絶対に頭をよぎるのが、日本人。ですので、サムライブルーを「組織力の強さ」と称したりもいたします。この日本人独特の感覚を理解していないと、監督と選手とのコミュニケーションに齟齬(そご)が生まれそうな気もいたします。

ですので、今回、急ではありましたが、監督が日本人に替わったというのが功を奏しているのかもしれませんね。まぁ、コロンビアに勝って、全敗敗退という最悪の事態だけは免れました。勝ち負けに拘りすぎるとイライラしますからね、この後の試合は楽しむことにいたしましょう。次のセネガル戦、ワクワクしながら待っております。

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2018/06/19

【お花見の時もやってほしいなぁ】

いやぁ、ニッポン代表、コロンビアに勝っちゃいましたねぇ。次のセネガルがまた強敵なので油断は出来ませんが、ひとまず「最悪の事態」は防げたようでございます。代表の選手も監督も、ひとつ肩の荷を降ろした気分でございましょう。

明石家さんまさんがワールドカップ関係の番組に出演しておりまして、しきりに「楽しみましょう」と連呼しておりました。勝敗に拘りすぎて、揉め事や傷害事件なんてのも起こりかねないですからね、サッカーというやつは。早々とレッドカードを貰ったコロンビアの選手には、何やら不穏なメッセージが多く届いているそうでございます。あぁ、怖い、怖い。

日本のサポーターがゴミを拾って変える事は、もはや有名になっている様子。今回も、海外のメディアが報道したそうでございます。あの精神、日本のお花見でも発揮してもらえないでしょうかねぇ。あと、河原のバーベキューとか。なんか、チグハグ感が否めないのでございます。

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2018/06/08

【おざなり、なおざり、いつも使うとき迷う】

ちょっと前に、高校野球でわざと相手選手の足を蹴る行為があったとお話しいたしました。それと関連するのですが、今日の中日新聞朝刊に、高校野球でのお辞儀が形だけで乱用されているという記事がございました。

180608_ojigi (クリックで拡大)

記事によりますと、やたら細かくお辞儀をする割にはお辞儀と声出しがそろってないとか、おざなりのお辞儀がやたら乱用されていて、「試合前後の整列してするお辞儀以外は不要」という判断を審判規則委員長が出したそうでございます。

記事を読んで驚いたのは、高校野球でのお辞儀は、当初、主催者側の「演出」だったことでございます。当時、野球をやる学生は蛮カラ(粗野な学生)が多く、世間へのイメージを良くするために武道のお辞儀を野球にも取り入れたところ大好評、そのまま定着したそうでございます。

ワタクシ、「日本の野球は”野球道”だ!」なんて言い切っておりましたが、順番が逆でしたね(笑)。アラクレ学生を隠蔽するためにお辞儀を導入したら、その結果、野球に武道的な礼節が根付いたということみたいでございます。

さらに記事にはこうございます。ベースに砂をかける、プレー以外で白線をまたぐといった基本的なマナーも悪くなっているとのこと。そして、先日申しました、相手選手の足を蹴るみたいな悪質なプレーを行う学校も出てくる。

本来、高校野球ってのは「教育の場」であるはずなんですが、反則技まで繰り出すようなところを見ると、な~んか選手や監督に「勝たなきゃいけない」というプレッシャーが強くのしかかっているのかもしれませんよね。アメフトのタックル問題も、しかり。ワタクシなどは、「たかが部活動」と思ってしまうのですけどねぇ。

礼節というもの、その本来の意味を感じながら使っていれば、あまり重ねては使えなくなるもの。重ね過ぎると、今度は「慇懃(いんぎん)無礼」という逆の意味になってしまいますからね。心を失い形骸化するから、乱用に走ることになる。そして、自らの反則行為にも気がつかなくなる。

まぁ、しかし、その礼節の本質をきちんと受け継いだ大谷翔平の様な人もおりますから、捨てたものではございません。大谷選手がバッターボックスに入る際、ほんのかすか、控えめに審判へ送る挨拶、毎回、清々しくなるものでございます。礼をする習慣のないメジャーリーグですが、大谷選手の譲れないルーティーンなのでしょう。

コンビニとかでも、おざなりの「いらっしゃいませ」を聞くこと、時々有りますからねぇ。こういうものって、慣れてくるとおざなりになりやすいですよね。ワタクシも、常に、慣れないように気を付けようっと。では、では。

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2018/06/02

【こういうのを鈍感力って言うのかな?】

今日の大谷翔平選手が出場しているメジャーリーグの試合で、試合終了直後に、両選手が乱闘騒ぎになるという事件がございました。原因は、2塁へ滑り込んだランナーが、同じくその2塁を守っていた野手の「足」に向かって滑り込み、野手の足を蹴ってしまったからでございます。

スロー再生で見ると、あきらかに「足を狙って」滑り込んでいる。ちょっと卑怯ではございますが、ダブルプレーを防ぐために昔からやられている卑怯技でございます。まぁ、最近は、これで骨折する選手とか出てきて、ちょっとルールが厳しくはなってますが、選手は本能的にやっちゃうのでしょうね。

メジャーリーグには「不文律なルール」というのがありまして、この野手へのダイブもそのひとつ。それを犯しますと、バッターボックスに立った時にボールをぶつけられるという「報復」が待っていたりいたします。そしてまた乱闘になる...投手がわざとぶつけるというの、日本では有り得ませんけどねぇ、まぁ、アメリカだからね。

明石家さんまさんが日大のタックル問題に関して、「どうしてその場で乱闘にならないんだ?」と疑問を呈しておりました。言われてみれば、もし乱闘になっていれば、ファールなり反則なりが適用されて、それで終わっていたはず。「スポーツで乱闘なんかしちゃいけない」という意見もございますが、後々、大勢が長く苦しむくらいならば、その場で乱闘してけりを付けるというのも有りかなぁ。

話はチョイト変わりますが、森友関係で財務省関係者が全員不起訴。「なんか怪しい点は多いけど、犯罪としてこれ以上追及する必要はなし」という判断なのでしょう。野党は相変わらずバカのひとつ覚えで「辞任」を叫ぶばかり。いや、もう、その思考停止から抜けましょうよ。何とも脇の甘い安倍ご夫婦ですが、今、安倍首相に代わる人がいないのも事実。国力を考えると、安倍さんで行くしか無いのでございます。

お店とかやっていると、アウトローな出来事は時々ございます。犯人や責任を追及出来ない場合もございます。そういう時は、追及を諦め、同じような出来事が二度と起こらないように対策する方が建設的な場合も多いものでございます。真犯人が「しめしめ」と思っているのは悔しいですが、前に進むための潔さも必要なのでございます。

さ~て、日大のタックル問題では、胸をなで下ろしている他の大学の監督さん、いるんじゃないですか? いや、きっといるはず。少数の人間を晒し者にするのはけりを付けて、ここらで建設的な話に移行しようじゃございませんか。すでにアメリカのアメフトは対策済み。本場アメリカに習おうじゃありませんか。

森友問題も、もう諦めましょう。今後、チェックを厳しくすればいいだけ。国会議員さん、法律を作っているのはあなた方でしょ。司法気取りの真理追究はそろそろやめて、同じ問題が二度と起きないような法整備に動くべきではございませんか? ご自身のお仕事を忘れないでね(ハート)。野党にあっては、「これ(森友)を下げるから、こちらを通してくれ」という戦略もあると思いますけどね。

ということで、時には諦め、時には目をつむり、未来を構築する方に尽力した方が全体の幸福度は上がるというお話でございました。諦めるとか目をつむるとか、感情的には厳しかったりするのですけどね。では、では。

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2018/05/26

【せっかく世界唯一の精神世界が日本にはあるのに】

アメフトの反則問題、長引きますね。もう、いいんじゃね? 後は検察とかスポーツ関係者に任せておけばいいと思うのでございます。ワタクシの感覚が間違ってるのかなぁ?「ちょっと違うな」と思ったのは、反則を受けた選手側が被害届を出し、それが受理されたこと。まぁ、今回は「故意」であることが濃厚ですからね。

その経緯が、またまたちょっと変な流れになっております。最初、被害者側は、反則をした選手ではなく監督に対して被害届を出したかった模様。けれど、警察がそれを門前払い。そりゃそうだ。監督相手に「傷害罪」は成立しない。そこで渋々、反則した学生に対して被害届を出すも、その学生に対する減刑嘆願書もお願いするという自己矛盾な行い。バカじゃね?

ワタクシ、「だったら被害届を取り下げろ」と言いたいのでございます。要は、謝罪した学生に情が移っちゃったから、その学生は追及したくないのでしょ? でも、監督は懲らしめたいと思ってる。でも、監督を直接懲らしめる方法が無い...だったら、取り下げろと。だって、それが法律だから。

「加害学生をこれ以上追い込みたくない」と考えているのでしょうが、被害届を出せば、どうやったって、出された人は非常に面倒くさいことになる。加害学生を救いたいのであれば、まず、その学生を「蚊帳の外」へ出すのが最良の策。監督やコーチに対する怒りは理解出来ますけど、怒りや憎しみでは動かないというのが司法の原理でございます。

大谷翔平選手が、その礼儀正しさや真面目さで、メジャーリーグで好評価を得ております。大谷選手の人柄も有るでしょうが、もとより、日本の高校野球は、「スポーツ」ではなく「野球道」であることが大きく影響していると思っております。

高校球児が、帽子を取って挨拶する。グラウンドに入る時には、そのグラウンドに一礼。バッターボックスに入る際には、審判に一礼。プレイボール・ゲームセットも、礼に始まり礼に終わる。勝負の場である以前に、精神修行の場であるのが「道」の考え方でございます。

ところがですねぇ、近年の高校野球で、相手選手の足をわざと蹴って怪我をさせようとするプレーがあり、問題になったのでございます。試合中に何度も行われ、監督が生徒を叱責するような場面も無かったので、もしかしたら監督の指示なのでしょうか? 動画が残る時代に、バレないわけないじゃん。

さらに悪いのは、動画として「永遠に」ネット上に残ってしまうこと。たった1回の悪意のある反則が、その人の一生を左右しかねない。高校野球もアメフトも、生徒の未来を考えなかったのでしょうか? 勝てればそれで良かったのか? それらが「教育の場」であることが、信じられないのでございます。

特にアメフトの反則は、下手すると下半身不随にもなりかねない危険な行為。アメフトの監督さんには、子供はいなかったのでしょうか? 反則を受けるのが自分の子供だったらとは考えなかったのでしょうか? 逆に、反則をした学生の精神的な負担やトラウマは考えなかったのでしょうか?

「道」という精神で抑制出来ないので有れば、厳しい罰則を設けるしかありません。渦中の学生さん達の心中を想うと、今回の件はほどほどに幕引きし、次に同じ事が起こらないような厳しいルール改正を早急にするのが、よろしいのではないでしょうか。

関係者の方、マスコミの方、裁判官気取りで真犯人追及したいでしょうが、グレーのまま棚上げし、未来への改善を優先するという選択肢もあるはずです。お願いします。

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2018/05/16

【たかが縫い目、されど縫い目】

大谷翔平選手が、メジャーリーグで大活躍でございます。ここ長らくプロ野球なんて興味を失っておりましたが、大谷選手がメジャーへ行ってからはすかさず野球中継を見るようになった、「にわか大谷ファン」の名古屋薫でございます。

久しぶりに野球中継を見ますと、何やら聞き慣れない用語がポンポン飛び出します。特に、ピッチャーの球種が、以前とはガラリと変わっております。スプリットというのは昔のフォークボールのこととか。カーブ、スライダーなんてのはそのままですが、分からなかったのが「フォーシーム」「ツーシーム」という球種。

調べますと、どちらも「直球」のことらしいのでございます。「シーム」ってのは縫い目。フォーシーム、つまり4つの縫い目とは、投げたボールが1回転する間に4つの縫い目が見え隠れするということらしい。同様に、ツーシームは1回転で2つの縫い目が見え隠れする。

縫い目は空気抵抗を発生させますので、見え隠れする縫い目の数がボールの挙動に影響を与え、違った球種になるという寸法でさぁ、ダンナ。たかが縫い目と思いきや、されど縫い目だったのでございます。

さて、ちょっとイメージしにくかったので、実際のボールで確認いたしましょう。と、言いたいところですが、そんな調子よくボールが見つからない。何か丸いものに線を引いて確認しようとしましたが、そんな丸いものも調子よく見つからない。結局、こんなものに線を引いて、確認いたしました。

オッパイ! 丁度、身近に、オッパイが有りましたので、野球のボール独特のあの縫い目を書き込んでみたのでございます。なぜ「なごやん」が置いてあるかって? まぁ、置いといた方が、大きさが分かりやすいでしょ。エッ? このオッパイは何だって? ワタクシのオモチャ箱には、色々なものが入っているのでございます。

写真の「乳首」が横向きの状態ででボールが縦回転すると、4つの縫い目が見え隠れし、フォーシームになる。乳首を上向きに持って縦回転させると、確かに2つの縫い目しか横切らない。ツーシームの直球になるということらしい。こんなことで、ボールの挙動が変わるのですねぇ。というか、この2つの直球を見分けているアナウンサーや解説者が、スゴイと思うのでございます。

さて、ツーシーム、フォーシームを調べておりましたら、なんと「ワンシーム」なんてぇ球種があるとのこと。ここで、ワタクシ、「エッ?」なのでございます。ボールが1回転する間に縫い目がひとつしか横切らない? それは、それは、トポロジー(位相幾何学)的に、有り得ないのでございます。

野球のボールは2枚の瓢箪型の皮を縫い合わせております。縫い目は繋がった輪になっております。では、その2枚の皮を、それぞれ「A」「B」と呼びましょう。目の前を縫い目がひとつ通過する時、見えている皮は「AからB」あるいは「BからA」と変化するわけでございます。さぁ、付いて来て下さいよ。

目の前を縫い目が通過する度に、見えている皮は入れ替わります。そして、ボールがちょうど1回転した時、最初に見えていたのと同じ皮が見えているはず。同じ皮に戻るためには、目の前を横切る縫い目は「偶数」で無ければならないのでございます。

ですから、トポロジー的に、「ワンシーム」というのは、有り得ない! と、屁理屈を言ってはいけませんね。ワンシームのボールの握り方を見ますと、どうもボールを斜めに持っているようでございます。縦横に走る縫い目に角度がつきますので、そのどちらも空気抵抗の影響を受けにくくなるということみていでございます。

まぁ、名前の由来的には「ワンシーム」というのはおかしいのですが、「ツーシームよりもさらに空気抵抗が少なくなる」という意味合いでワンシームになったのかもしれませんよね。野球のボールの縫い目、たかが縫い目、されど縫い目、実に繊細な使い方をされております。

バレーボールとか、サッカーのボールは、頻繁にモデルチェンジされまして、縫い目の形も大幅に変化いたします。それに比べて野球のボールの縫い目は、百年以上も同じ形をしております。これだけ繊細な使われ方をされてましたら、モデルチェンジなんて出来ませんよね。納得なのでございます。

さて、ワタクシに線を引かれたオッパイ、水性ペンなので水洗いで落ちるかなと思いきや、うっすらと青い線が残ってしまいました。今、ワタクシのオモチャ箱の中には、青筋の入ったオッパイが転がっております。まぁ、よりリアルになったかな? では、では。

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2018/05/04

【中くらいと言ったのは、小林一茶】

卓球の世界選手権、準々決勝で突如、北朝鮮と韓国が合同チームに! 戦わずして準決勝へ進むことに。これってさぁ、もし決勝とかに進んじゃったら、このチームだけ他とは1試合少ないゲーム数で勝ち上がっているわけだよね。不公平だよねぇ。普通なら絶対認められないはずだけど、どうも世界中が南北統一ムードにやられちゃってますね。

これさぁ、決勝まで北朝鮮と韓国が残っていて最後の決勝戦は戦うのをやめましょうなら、まぁ百歩譲って了解できるかなぁ。それでも、2位かをどうするかで揉めることになるだろうし。トーナメントの途中でやらかすってのは、やっぱりダメだよね。明らかに、パフォーマンスとして狙ってたね。

北朝鮮の今までの「やらかし」を知っていれば、今回の南北統一は実に胡散臭く感じるのだけど、それを知らない欧米の人は、ドイツの壁が無くなった時と同じように見ているかもしれませんよね。なんかね、「南北統一はおめでたいことなので、批判しちゃダメ」という空気がある。ワタクシ的には、政治的な策略としか見てない。おめでたくも何ともないし、ルールはルールとしてちゃんとやろうとという感じ。

さて、50才まで現役と言っていたイチロー選手が、ほぼ、引退寸前という状態。まぁ、生涯契約という扱いで、メジャーリーグ的にはおめでたいことだそうですが、な~んか素直に喜べない。アドバイザーとか言われてるけど、どんなポジションなんでしょね? そういやぁ、中日ドラゴンズも落合博満さんがゼネラルマネージャーをやってましたが、あれもよく分からないポジションでございました。

イチロー選手の奥さんは、旦那の節目の試合には必ず球場に足を運ぶそうでございます。今シーズン最後となってしまった試合にも姿を見せていたそうです。そして、記者会見の後、しっかと抱き合ったとか(新聞報道より)。人前で抱き合うとか、日本だと見ている方が小恥ずかしくなりますが、アメリカ生活の長い鈴木夫妻、愛情表現はアメリカ的になっている様子。とにもかくにも、ご夫婦にとってはおめでたい出来事の様でございます。

めでたそうに見えてめでたくないもの、微妙なんだけどご本人にとってはおめでたいもの、とらえ方は人それぞれ、本人が嬉しければそれでいいかな。では、では。

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2018/04/09

【これで行こうとみんなが納得すれば、それが伝統となる】

百人一首、藤原公経(ふじわらのきんつね)の歌に、こんな歌がございます。

 花さそふ
  あらしの庭の
  雪ならで
 ふりゆくものは
  わが身なりけり

強い風で桜の花弁が一面に散り敷いて、季節外れの雪が積もったように、庭を白くしている。桜も降(ふ)り行くが、むしろ、髪を白くしている私も、旧(ふ)り行く(年を取ること)ものだなぁ。と歌った和歌でございます。

藤原公経は桜の花弁を雪と見間違えたわけですが、高山では、実際に季節外れの雪が降り、桜の花に雪が積もったそうでございます。「寒の戻り」とは言いますが、何もそこまで戻らなくてもよろしいのにねぇ。「桜に積もる雪」なんて場合、季語はどうなるのでしょうねぇ。

お話は変わって、先日、大相撲で女性が土俵に上がるウンヌンというお話がございました。それで、表彰式などは女性に「男装」をさせれば良いなんてぇことを、ワタクシ、申しましたが、それに関してさらなるアイデアが思いついたのでございます。

どうせやるなら、トコトン、頂点を極めましょう。男装と言えば、そう、「タカラヅカ」でございます。タカラヅカから暇そうな人を呼んで、いや、失礼、もとい、タカラヅカに協力を仰ぎまして、スタッフを呼ぶのでございます。出番の空いている男役の団員さんを呼ぶというのも、これまたよろしいかと。

そこでですねぇ、表彰式で土俵に上がりたいと言う市長さんなり官房長官なりがいらっしゃいましたら、そりゃぁもう、タカラヅカ張りの男装を決めまして、立ち居振る舞いも団員さんの実技指導を施すわけでございます。タカラヅカの男役に実技指導を受けると聞いて、喜ばない女性がいるでしょうか。女性側の問題は、これで解消ですし、最高の余興になる可能性も! いや、女性を余興とか、セクハラ失礼。

あとは、世論ですよねぇ。これが難題。どうやって世間に理解を得るか? 都市伝説として、女性の生理が不浄だから、神聖な場所にはふさわしくないという説がある。神聖と言われましてもねぇ、普段は体育館だったりする場所で行われているわけで、単に「空気・雰囲気」の問題なのでございますよね。ここに、「スポーツ」として合理化していない大相撲の難しさがございます。

そこで、一案! 「神様を騙す」と相撲協会が公言してしまう。男装をすることで、神様の目を欺くわけでございます。神様を騙していいのかと叱られそうですが、日本の神様は騙していい。なぜなら、日本の神様は、嫉妬もすればイジワルもする、西洋の絶対神に比べると、日本の神様は、ずっと、ずっと、感性豊かで人間的なのでございます。

まぁ、詭弁になっちゃいましたけど、女性が土俵に上がれないという問題は、何かしらのルールを作らないとマズイでしょうねぇ。ワタクシみたいに、男だか女だか分かんないのも増えちゃってるわけですしねぇ。男だと思って土俵に上げたら、実は女でしたなんてことになったら、どうなるのでしょう。これはこれで、ちょっと、ワクワクですな。では、では。

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2018/04/06

【少し許すことで、重みが出る】

土俵の女人禁制で、揉めておりますねぇ。相撲協会にとって不幸だったのは、若い呼び出しがマイクを持っていたこと。言葉を選ぶ余裕も無く、条件反射で「女性は土俵から~」と言ってしまいましたねぇ。もしマイクを使わずに叫んでいたのなら、もう少し騒ぎは小さかったかも。

あるいは、「救命措置に関係無い人は、土俵から下りてください」でも良かったかもね。映像を見ると、何の役にも立ってない男性が大勢、野次馬で覗き込んでる。あれは普通、市長に背中を向けて立ち、見えないように人の壁を作るのがセオリー。そんなことも出来ない人達なら、いっそいない方がいい。

まぁ、ことが「人命救助」ですから、伝統の例外は有ってもいいと思うのでございます。「緊急避難」というやつですね。女人禁制なんていう実に前時代的な伝統を守ろうとしたら、そういう例外処置を設けておかないと世の中の理解は得られないでしょ。例外処置、それは世の中の「共感」を得るためのガス抜き穴でございます。

前時代的な伝統を守るというのは、「おもしろみ」もございます。大相撲には、いたるところにそういう前時代的な伝統がございます。そう、レスリングやアメフトの様に、合理的・現代的に変える事も出来るはずですが、あえてそうしない。古き「様式美」を尊重しているのでございますね。

だけどねぇ、どうも、相撲協会の中の人達は、その「様式美」という感覚では無いようですねぇ。むしろ、威厳というか「管理者」の感覚になっておりますよね。だから、ルールに拘り、その文言に振り回され、例外処置を設ける心の余裕が、無くなってしまう。ごく希な例外処置が有ることによって、逆に伝統の重みが増すってことも有るのですけどねぇ。

今回も、「女人禁制という伝統はありますが、ことがことだけに、その伝統を破りました!」と相撲協会が言えたなら、カッコ良かったですよねぇ。人命と伝統が、ほぼ対等の関係に来るわけですから、重みが伝わる。例外処置の、清く正しい、しかも効果的な使い方でございます。

じゃぁ、表彰式のために土俵に上がりたいと言っている女性政治家の方々は、どの様に例外処置をするか。これは、もちろん、男装させれば良い。女性政治家に恩を売りつつ、様式美も守れる。しかも、「そこまでして伝統を守るか!」という「おもしろみ」も加味されるのでございます。表彰式の「名物」になるやも知れません。

まぁ、男装に関しては、猛反対する人が出てくるでしょう。ゴマカシに過ぎないですからね。でも、続けていくうちに、歌舞伎の女形やタカラヅカのような様式美に到達する可能性もございます。伝統なんて、そもそもみんな非科学的なのでございます。でも、それを守り続けることでみんなが気持ち良くなる、そうなると、その非科学的が伝統へと昇華していくのでございます。

今回のこの事件を、「日本はなんて男尊女卑な国なんだ」と世界中の多くのマスコミが取り上げております。まぁ、武士の時代から、日本は男尊女卑の文化でございましたからね。言われても仕方が無いかなぁとは思います。

でも、その武士の時代に発達した「落語」の世界では、圧倒的に「かかあ天下」のお話が多い。どうも、男尊女卑という様式と男と女の情、この様式と情とを上手にバランスを取っていたのが、江戸時代から昭和初期まで続く、日本の様式美だったのかも知れませんね。

まぁ、今回の土俵での救命措置の件は、これからの流れを変える良いきっかけになったのではないですか? 今後、同様のことが起きても、良い前例があれば対処が楽ですしね。失敗を経て上手になる。頑なにならず、直ぐに謝罪した大相撲協会は、良い対処でございました。

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