スポーツ

2011/05/02

たゆたうスケーティング

「“揺蕩(たゆた)う”とは、こういうことを言うのだろう」と、思いました。フィギュアスケート世界選手権での、安藤美姫の演技のことでございます。柔らかく流れるような演技は、全ての動作が滑らかに繋がっておりました。たとえジャンプをするときでさえ、他の選手が助走をつけて「ヤッァ」と飛ぶのに対し、安藤美姫のそれは前後の動作に溶け込むように自然でございました。もちろん、振り付けはあらかじめ決まっているのでしょうが、そんな段取りは微塵にも感じさせません。まるで、水面に浮く小さな花弁が波の動きに任せて漂っているような、そんな力みをまったく感じさせない柔らかく流麗な演技でございました。

 さらに、彼女のスケーティングからは「喜び」を感じるのでございます。滑ることの楽しさを、体全体で表現しているように感じられます。多分、本人も滑ることが楽しいのではないでしょうか。そしてその喜びには、(ニューハーフのワタクシが言うのも何ですけど)「女の喜び」のようなものが感じられるのでございます。多分、「大人の女」としていろいろ経験してきているのではないでしょうか。体中から女のオーラが発散されております(ひょっとして、妊娠している?!)。

 そして、実に安定感がある。見ていて全然ハラハラしない。安心してみていられる。熟達した職人が、八分目くらいの力で余裕かましながらやっているといった感じでしょうか。どんどん引き込まれる演技でございました。決して派手な演技ではございませんが、優勝という結果には十分に納得できるのでございます。ショートプログラム、フリースケーティング、そしてエキシビジョンでの2曲、本当に堪能させていただきました。アスリートというよりは、まさに“表現者”としての息づかいで感動させていただきました。

 さて、浅田真央とキム・ヨナですが、二人ともどんどん体つきが女っぽくなってまいりましたよねぇ。でも、ハートは二人ともまだまだ「女の子」という感じでしょうか。キム・ヨナが悪女や悲哀を表現しても、やはり「振り付けとして貼り付けた」という印象を得てしまうのでございます。なんて言うか、恋愛もしたことないアイドル歌手が悲恋・失恋の歌をそれっぽく歌うような感じと申しましょうか。安藤美姫のような、内側からにじみ出てくるようなオーラは、まだまだございませんね。

 浅田真央は、相変わらず肩と腰骨を結ぶ四角形が固まっております。シロウト考えですが、テクニックを磨く練習に固執しているのではないでしょうか。体を斜めに使うとか、オフバランスの感覚ってのは、それなりに訓練しないと気がつかないものでございます。ジャズダンスのようなものをやってみると、いいのではないでしょうかねぇ。でも、それ以前に、今回は調子がかなり悪かったのではないでしょうか。エキシビジョンにも残れないという低迷さ。苦しんでおりますねぇ。でも、安藤美姫さんもちょうど今の浅田真央さんぐらいの年齢では、大スランプだった気がいたします。このスランプを乗り越えたら、大きく変われるのではないでしょうか。

 ラサール石井さんが浅田真央さんに対して「もっとエッチをした方がいい」という発言をして、物議を醸し出しているようでございます。ワタクシもラサール石井さんに同感なのですが、ちょっと表現が露骨すぎるようでございますね。ただ、女性アスリートの中には、恋愛をすると急激に失速してそのまま引退してしまう人も少なくございません。恋愛によって分泌される大量の女性ホルモンが、アスリートにとってはマイナスに働くのでしょうか。難しいところでございますよね。

 一方、キム・ヨナは相変わらず高得点。もし今回ノーミスで演技をされていたら、たぶんキム・ヨナが優勝していたでしょう。“減点されない演技”というのを、徹底的に研究しているのかも知れません。ただ、今回は2位という成績にもかかわらず、あまり嬉しくない様子。バンクーバーで金メダルを取った後、新たな目標を見つけられないのでしょうか。確かに、シロウト目に見ても綺麗で正確な演技をするのですが、何か引きつけられる感じがしない。嫌々演技しているのではないでしょうかねぇ。

 そんなことを考えていたら、浅田真央とキム・ヨナが、漫画『巨人の星』の「星飛雄馬」と「アームストロング・オズマ」に思えてまいりました。来日したオズマは飛雄馬に対してこんな言葉を発します。「俺もおまえも、小さいころから英才教育を受け、ただ野球をやるためだけに育てられた“ベースボールマシン”だ」と。その言葉を受け、飛雄馬は自分が野球をやる意味や喜びに対して悩み始めるのでございます。

 では、浅田真央やキム・ヨナはどうでしょうか。キム・ヨナは韓国ナショナリズムの圧倒的なプレッシャーを受け、浅田真央はジャンプ回転数への期待や日本の心ないマスコミからのプレッシャーを受け、そしていつも二人は比較され続け、そんな環境の中でスケートをするための“スケーティングマシン”となってないでしょうか。オズマの言葉を聞いた飛雄馬は、その後、大恋愛をすることになります。浅田真央さんも、恋愛とかはしないのでしょうかねぇ。日本のアスリートは海外に拠点を移す人が少なくないですが、海外で練習してみるというのもいいかもですね。ついでに、コーチも変えちゃえ!

 さて、お話をフィギュアスケート世界選手権に戻しましょう。エキシビジョンにおいてロシアのペアチーム(A・スミルノフ、川口悠子)が、映画『千と千尋の神隠し』の『いつも何度でも』を使用しておりました。この時期にこの曲を使われますと、日本人としては目頭が熱くなりますねぇ。さらにゲームのマリオの曲を使ったチームがあったり、フィナーレでは日の丸をモチーフにした演出があったりと、実に日本に気を使ったエキシビジョン、そしてフィナーレでございました。

 その『いつも何度でも』ですが、かなり前にも紹介したのですが、「ナターシャ・グジー」というウクライナ出身の歌手が、この曲を日本語で歌っております。彼女はチェルノブイリ事故での強制移送で故郷を離れ、そのまま自分のふるさとには二度と帰れない状況が続いております。ロシアの原発事故に追われた彼女が、日本に来て『いつも何度でも』を歌う。日本の原発事故で追われたフィギュアスケート世界選手権が、ロシアでこの曲に出会う。なんという因果でございましょうねぇ。

 このナターシャ・グジーさんがNHKの番組に出演したときの映像が、YouTubeに上げられているようでございます。映像の後半では、ナターシャ・グジーさんの歌う『いつも何度でも』を聴くことも出来るのでございます。URLを記しておきますので、よろしければご覧下さい。

ウクライナ美女が"千と千尋〜"主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings "Spirited Away"

 ではでは、今回のフィギュアスケート世界選手権に対して、シロートながらいろいろ生意気なことを話させていただきました。安藤美姫さん、浅田真央さんの、今後の活躍に期待いたします。

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2010/07/10

真面目な人までも腐らせてはいけません

 最近は民放のテレビ番組が軒並み予算不足のせいでつまらなくなっておりますが、その一方で、金に糸目を付けない番組作りをしている放送局がございます。NHKでございますね。NHKの番組には、「予算を気にしている」という感じはあまりいたしません。まぁ、ある意味、「NHKでなければ作れない番組」なんてものが有るわけで、そういった番組作りをしていくというのは、「受信料」という“ある種の税金”のようなもので運営されている「公共放送」として、その責任を果たしていると思うのでございます。

 で、今、話題になっているのが名古屋場所の生中継の中止。それに対して白鵬が意見してましたねぇ。温厚で普段から慎重な物言いの白鵬が、実に大胆な発言をしておりました。「大相撲の中継を世界中が楽しみにしている」という白鵬関の言葉は、外国人ゆえのグローバルな考え方でございますよね。了見の狭い日本人は反省すべきところがございます。了見が狭いというか、日本人独特の全体主義、連帯責任、五人組思想、こういったものは外国人の目から見ると異様でしょうねぇ。

 外国人力士や日本人の若手力士は思っているのではないでしょうか。「どうして何もやっていない人までペナルティーを受けるのか」と。しかも、身内どうしの花札バクチのようなものまで含まれ、「何十年もスルーされていたものが、なぜ、今さら?」という感も有るでしょうねぇ。いままで何回か書きましたが、外国人や最近の若い人には、「ルールの説明が無かった、あるいは、やっていても注意されない」、こういったことは「GOサイン」が出ているのと同じなのでございます。今まで散々黙認しておきながら、社会の風潮に押されて急に大きく舵を切った相撲協会のやり方に、そりゃぁ、ひとこと言いたくなるのも、無理はないのでございます。

 で、今回の名古屋場所の生中継の中止ですが、すでに相撲協会へ支払い済みの放送権料は中止しても戻ってこないとのこと。え? 国民の受信料でまかなわれているNHKが、そんな金をドブに捨てるようなことしていいのか! 国民はもっと怒るべきでございます。これが一般の上場企業であれば、株主から総攻撃を受けるような事態でございます。どうも、NHKも予算的にはお役所感覚ですよね。政治家の金銭感覚が麻痺しちゃっている今日ですが、NHKの金銭感覚も最近の政治家と変わらないのでございます。

 ワタクシは、どうして一部の力士の賭博問題が、放送そのものの中止にまで帰結するのか、その因果関係が全く分からないのでございます。これは、政治的な力がNHKに働いているのでしょうか? どう考えても、「制裁」行為としか思えないのでございます。相撲協会の上層部に鉄槌を下ろす手段として、たまたま時期的にタイミングが重なってしまった名古屋場所の中継が、“利用”されたのでございましょう。権力者同士の政治的な駆け引きに利用された名古屋場所こそ、迷惑な“トバッチリ”なのでございます。

 賭博に関与していなかった力士たちが「あぁ、真面目にやってきて良かった」と思えるような、そして相撲興行に関わる業者さんなどが「なんとか踏ん張って、相撲を支え続けていきたい」と思えるような、そんな未来がある持って行き方ならば、これからの進展に期待が持てるのですが、現場の人たちは、「何もしてないのにトバッチリだ」とか、「安心して商売できないよ」とか、思っているのではないでしょうかねぇ。残った人たちをくさらせないということも、相撲業界の未来を考える上で重要だと思いますよ。

 さて、この制裁問題を、強引にお店や会社の運営に例えてみるのでございます。従業員の中に違反行為があった場合、当然ペナルティーを課しますよね。これが明らかに責任がはっきりしている違反ならば、当事者だけにペナルティーを与えればいい。けれど、「全体的に緊張感がない」という漠然的なものとか、「いつの間にかルールが有名無実になり、多くの者が違反している」なんてときにはどうするか? 全員に連帯責任としてペナルティーを課しますか? あるいは現状のルールをさらに厳しくしますか?

 責任者というもの、つい構成員全体を「チーム」として考え、連帯責任を負わせたくなるのですが、一部の真面目にやってきて結果を出している人には、「私の努力は何だったの?」と思わせることになってしまいかねません。では、連帯責任ではなく、真面目な人、結果を出している人を優遇したり報奨するという方法もございます。“ご褒美で釣る”という考え方でございますね。これも、褒美に釣られない欲のない人にはあまり効果がなく、全体の志気がチグハグになったりいたします。

 褒めたりご褒美を与えることが良い結果に結びつく人もいれば、厳しくルールで縛り尻を叩き続けてうまく行く人もいたりいたします。いろいろな人が混じっているゆえに、ご褒美で釣る、ルールで縛り緊張感を持たせる、真面目にやっている人に何らかの救済措置、こういった飴と鞭を織り交ぜながら全体の志気を上げていくことになるのでございます。この飴と鞭のさじ加減が、難しかったりするのでございますけどね。

 話を名古屋場所に戻しますと、真面目にやってきた人に対する何らかの救済措置が有っても良かったのではないでしょうか。せめて賞金や賞が今までどおりにならば、残った力士たちは張り合いが出たでしょうに。NHKは、公共放送という立場にも関わらず、そして国民の受信料で維持されているにも関わらず、その放送権を政治的制裁に利用するというのは言語道断であると、ワタクシ、キッパリと断言いたします。いいかげん日本も、江戸時代の五人組制度から脱却しましょうよ。連帯責任というのは日本の国民性でもありますから仕方がないとしても、残された人たちへの救済措置は欲しかったですねぇ。

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2010/07/01

名古屋場所直前の不祥事って、とんだとばっちりだよ

 ヒエェェ〜〜、暑い、ムチャクチャ暑いのでございます。何でも昨日(6/30)は午前中から30度を超していたとのこと。そんな日に、ワタクシは朝からアッツアッツの味噌煮込みうどんが朝食でございました。食後は、自分の部屋の掃除。まず掃除機をかけ、そして雑巾がけでございます。もうね、手に持っているのが雑巾なのか、自分自身が雑巾なのか、それが分からないくらい汗が出て、体中グッチャグッチャだったのでございます。まぁ、でも、お掃除をした後っていうのは何かしら霧が晴れたような感じがして、清々しいのでございます。

 さて、ワールドカップのサムライジャパン、ベスト16まで行きましたが、ペナルティーキックで負けるとは惜しかったですねぇ。いや、このサムライジャパンの活躍には、日本中のいろいろな人が謝っております。ワタクシも「弱いなら弱いなりの戦い方がある」なんて申しまして、ゴメンナチャイなのでございます。今回、ワールドカップの中継を見ていて思ったこと。それは、サッカーというスポーツは、ミスジャッジもその内容の一部として認めてしまうという、実に“悟りを開いた競技”なんだということ。と言うか、様々な角度から撮影しているカメラの映像を見ているからミスジャッジがすぐに分かるのであって、広いピッチで走り回っている選手やレフリーだけで事の真相を追究するのは本来無理。そういった事情からなのか、正確なジャッジよりも試合の流れを優先させるという“潔(いさぎよ)さ”かも知れませんね。

 同じスポーツでも、大相撲の方はゴタゴタなのでございます。まず、“その筋”の方々が最前列に陣取っていたというお話。そういえば昨年の名古屋場所のテレビ中継のとき、なんだかそれっぽい人が画面に映り込んでいて、「いいのかなぁ」なんて思っておりました。カメラアングルの関係で時々超アップになったりしておりまして、まぁ、そりゃぁ問題にもなりますわな。でもこれ、10年ぐらい前から続いていたんでしょ。オイオイ、なんで今まで放っておくのかなぁ。賭博問題も、もともと昔からの因襲だったことが、今回マスコミに取り上げられてから急に進展しちゃってますし。こういったことって、当然、現場の方々は以前から分かっていたはずですよね。そう、朝青龍のモンゴルでのサッカーやガッツポーズを散々やり玉に挙げているときも、世に知らされていなかった本当の暗黒面は、棚に上げられていたんですよね。あ〜あ、朝青龍はつまんない事でクビになったよね。というか、さらにもう一つ深く読むと、あんなつまんない事でクビにしたのは、その深層に隠れる本当の暗黒を隠匿するため?.....もう過ぎたことですし、いいか。

 お話を現在に戻しまして、大相撲名古屋場所を開催するかどうかで揉めておりましたが、可哀想なのは名古屋場所に関わる業者さん。こんな直前に開催を決定されても、困るだろうなぁ。不祥事に関わっていたのは一部の人で、その他大勢の力士や業者さんには関係のないこと。真面目にやっている人が“とばっちり”を受けるような事態の運び方は、全体の志気が下がると思うのですけどねぇ。というのも、ワタクシのお店でも、これまでいろいろなトラブルに直面してきております。その都度、ワタクシがまず目指すことは、「従業員の利益を守ること」でございます。真面目に出勤している人が“とばっちり”で嫌気がさすようなことがあっては、お店全体はどんどん疲弊していく一方でございます。トラブルを乗り越えるには、お店全体に「体力」が必要でございます。従業員一人一人が「お店がそこまでやってくれるのなら、なんとか辛抱しよう」という我慢強さを持ってくれる、それがお店の「体力」なのでございます。逆に、「やってらんないや」って息切れをされてしまうと、お店の運営は大変重たくなりますし、トラブルを乗り越えるのにも何倍もの労力を必要とするのでございます。

 一部の人の賭博問題が表沙汰になったことで、どうしてそれが名古屋場所を開催するかどうかが審議の対象になっちゃうんだろうねぇ。関係ないじゃん。NHKは放送しないとか言い出してるし。もうね、「名古屋場所」ってのを単なる「切り札」として使いたいだけではないかと思えてくるのでございます。いや、切り札として使ってもいいですよ。でも、切り札を使う方も使われる方も、切れ味が悪すぎる。もっとスパッと出して、スパッと答えなきゃ。それを、グズグズグズグズと引き延ばしてる。あ〜あ、こういうときこそ日本人お得意の「根回し」をやればいいのになぁと思うのですけどね。「あっしがこの札を出しますってぇと、あなた様はどのようにお答えになりやすか? あぁ、そうしますか、それがいいですね、では、それで行きやしょう、では本番もよろしくお願いしますよ」てな具合でございます。「引き延ばす」という行為には、何らメリットはございません。もちろん厳罰すべき人は罰する必要がございましょう。でも、それとは別に、関係ない力士や関係業者の利益は守るということ、そして国民の楽しみを安易に奪わないということ、そのようなメリハリの効いた采配が、角界全体の疲弊感を軽減し、トラブルを乗り越える体力を温存し、かつ国民の支持も得やすいことになると思うのでございます。

 さぁ、2010年も半分が過ぎてしまい、ちょうど一年の「折り返し地点」でございます。サッカーで言えば「ハーフタイム」、相撲で言えば「幕内土俵入り」ってところでしょうか。さぁ、後半戦も頑張らなくっちゃね。

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2010/06/08

かっこよく負けよう!

 巷では、ちょっとしたワールドカップブームでございます。本来ならば、このブームに便乗して家電メーカーが矢継ぎ早にテレビやレコーダーを宣伝しそうなものでございますが、どうも家電メーカー的には、それほど盛り上がっているわけでは無いようでございます。テレビもレコーダーも十分各家庭に普及しているという判断か、あるいは日本チームがあっさり負けてくることを予想しているのか。なにやら3D立体映像の中継も予定されているとのことですが、う〜ん、盛り上がりませんねぇ。

 すでに日本チームは、南アフリカ入りをしているとのこと。これまでの戦績を考えると、サムライジャパンは本当にワールドカップなんかに出場してもいいの? いや、失礼だとは思いますが、みんな、うすうす、そう思っているでしょ。ヘタしたら一勝も出来ずに帰ってくるなんて下馬評も上がっております。そこで、ワタクシ、考えました。弱いチームには弱いなりに戦い方があるのでございます。あ、いや、弱いって決めつけておりますが、まぁ、聞いてみておくんなせぇ。

 かつて日本のサッカーチームは、「フェアプレー賞」というのを受賞しております。で、ちょいと調べましたら、なんとメキシコオリンピックのときに受賞しているようでございます。そう、今回のワールドカップでは、この40年以上前に受賞した「フェアプレー賞」を目標にするのでございます。最近のサッカーでは当たり前の、反則すれすれのラフプレー、引っかけられればワザと派手に転ぶ、そして大げさに痛がる、こういった“あざとい”プレーを排除し、まるで少年サッカーのように、正々堂々と戦うのでございます。

 もちろん、相手チームはいつも通りラフなプレーをしてくるでしょう。そこで乗せられてはいけないのでございます。サムライジャパンは、まさに文字通り、侍のように実直で誠実なプレーに徹するのでございます。もしかすると、大きな点数差でボロ負けをするかも知れません。でも、たとえ点数で負けても、相手チームに

   「あいつら、なんてすがすがしい奴らなんだ!」

と思わせれば、サムライジャパンの勝ちなのでございます。かりそめにも“サムライ”を名乗るのであれば、勝ち負けにこだわらず、サムライの精神を世界中に見せつけようではございませんか。そう、

   「これが、日本のサムライか!」

と世界中に思わせれば、日本のチームは、優勝杯以上のものを手に入れることが出来るのでございます。

 まぁ、夢物語のようなことを書きましたが、サムライジャパンには、(出来る範囲で)頑張っていただきたいものでございます。日本はバンクーバーオリンピックのときにもテンションが低かったですが、本来スポーツの国際試合ってのは、国をまとめるいいきっかけになるはずなのですけどねぇ。それをうまく利用したのが、南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ氏でございます。大統領就任後、国技であるラグビー強化し、みごとワールドカップ優勝に導いたのでございます。その国を挙げての喚起が、国民全体の自信につながり、黒人と白人との対立を緩和する糸口を作り出したとも言えるのでございます。

 今、日本は、国中がド〜ンと沈み込んでいる時機でございます。たとえ負け試合であろうとも、国中で熱狂できる“何か”が有ると、雰囲気も変わってくると思うのですけどねぇ。勝てないなら勝てないなりに、「かっこよく負ければ」いいじゃん。国を体表するスポーツ選手の、そんな潔(いさぎよ)く清々(すがすが)しい姿が、今、日本が無くしている「自信」や「誇り」を取り戻してくれるような気がするのでございます。

ガンバレ、ニッポン!

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2010/02/27

銀メダルは、あまり喜ばれていないそうでございます

 フィギュアスケートのフリーの結果は、キム・ヨナさんの金メダル。浅田真央さんが銀メダルでございました。真央さんも頑張りましたが、やはりキム・ヨナさん、上手すぎる。動きが柔らかく、すべての動きが流れるようにつながっている。そして、音楽のディテールを正確に動きで表現する能力を持ち、しかもリズムを外さない。手の動きなど、随所にダンサー的な動かし方が見られますので、スケートのコーチだけではなく、バレエやダンスの振り付け師なども動員しての、徹底的な振り付け指導が行われたものと思われます。また、採点方法を徹底的に分析し、最高の点数が出るプログラムの組み立てを研究しております。力の入れようがハンパないですよね。そんな相手に対し、浅田真央さん、善戦したのでございます。

 ただ、浅田真央さんには「ありのままの実像」が見えるのに対し、キム・ヨナさんには「急造成による虚像」が見えるのでございます。浅田真央さんにとっては単なる「経過点」であるこのオリンピックが、キム・ヨナさんにとっては金メダルを取るための「終着点」のようでございます。後のことを考えず、すべてを金メダルのために特化してきた技術には、どこか“付け焼き刃”的なものさえ感じます。すばらしい表現力を持ったキム・ヨナさんのスケートですが、そのすばらしい表現を支えるに見合った「心」が育っているかどうか。その点に、キム・ヨナさんの「表現者」としての違和感を感じます。今後はプロに転向するそうですが、この虚像が露呈したときに、何か大きな壁にあたるような気がいたします。

 何かの統計によると、金メダル・銅メダルを取った選手の幸福感は大きいのに対し、銀メダルを取った選手の幸福度は、金や銅に比べると比較的小さいそうでございます。それは、銅メダルの選手は「かろうじて残れてラッキー」とプラス思考で考えるのに対し、銀メダルの選手は「あのとき、もし~だったら」とマイナス思考で考えてしまうからだそうでございます。浅田真央さん、銀メダルでしたが、どうかマイナス思考で考えず、プラス思考で考えて次の目標を目指して欲しいものでございます。

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2010/02/25

“技術”が勝つか、“表現“が勝つか。

 フィギュアスケートのショートプログラム(SP)が終わりましたねぇ。今の時点で、韓国の「キム・ヨナ」が堂々の1位。チョット差を付けられて日本の「浅田真央」が2位につけております。この2人、表現の仕方が全くの好対照で、ちょっと面白く思えましたので、ワタクシの感じた範囲でこの2人を語っちゃうのでございます。あしからず。

 フィギュアスケートというのは、スポーツでありながら芸術的な要素も十分加味されるという、演じる側からすると実に厄介なスポーツだと思うのでございます。ここで、スポーツとダンスとの区別を、体の骨格を使って説明いたしやしょう。両肩と左右の腰骨を結ぶ「四角形」を想像してくんなまし。この四角形を出来るだけ崩さずに動こうとするのが、「スポーツ」でございます。この四角形を維持したまま、手足でバランスをとるわけでございます。

 一方、「ダンス」というものは、この四角形をあえて崩すように動く事が多いのでございます。肩と腰骨を近づけるような動きですとか(イメージできますでしょうか)、あるいは風をはらんだ帆のように胸を張ったり猫背になったりといった動きとか。ダンスは肩や腰が何かに引かれるように動き始めて、後から手足が付いてくる感覚がございます。肩や腰で踊るわけでございますね。ダンスというのはそういった「クネクネ」とした要素が含まれまして、一方、「スポーツ」的な動きというものが体全体でバランスを取りながら動くのとは対照的なのでございます。

 浅田真央さんの滑り方は、かなり「スポーツ」寄りの演じ方。キチッとした演じ方でございます。手先も理想的なポジションにはめ込んで固めている感がございます。一方、キム・ヨナさんの滑り方は、かなり「ダンス」を意識しております。先ほどの四角形を崩すようなポーズを随所で使っておりますし、手先にも、ちょっとルーズさを残しております。その結果、浅田真央さんには、「段取りを正確にトレースしている」という印象がございます。逆にキム・ヨナさんは、「何を観客に伝えるか」というのを、本人がはっきり持っております。そのはっきりとした目的を、スケートという手段で表現している「表現者」なのです。技術云々以前に、キム・ヨナさんには「スター性」が有るのでございましょう。

 さて、次に、呼吸のお話をいたしましょう。スポーツの呼吸というのは、常に動きと連動しております。けれど、芸術的な呼吸というのは音楽と連動しております。フィギュアスケートのような芸術性が加味されるスポーツというのは、この呼吸面でのジレンマに必ず突き当たるのでございます。浅田真央さんの呼吸は、やはり動き優先の呼吸でございます。大事なジャンプをする直前など、ジャンプのタイミングに呼吸を合わせようとしております。ではキム・ヨナさんの呼吸はどうか。実に、音楽優先の呼吸をしております。ですから、音楽に動きがピッタリ合う。このシンクロの見事さは、息づかいまで気づかっていなければ絶対に不可能でございます。と同時に、先ほどの「ジレンマ」がございますので、呼吸に関してはかなりの苦しさを我慢しながら演じているはずでございます。

 そして、この呼吸に関する事ですが、浅田真央さんは呼吸を合わせようとするときに、「素に戻ってしまう」のでございますね。素に戻るというのは、分かりやすく言うと「演技を忘れる」といったところでしょうか。これが、キム・ヨナさんには全く無い。キム・ヨナさんは、最初から最後まで、常に「演じること」に集中しているのでございます。高度なジャンプを優先した浅田真央さんの演じ方と、あえて難易度の高いジャンプを避け、表現することを優先したキム・ヨナさんの演じ方と、実に好対照になっているのでございます。

 本日(2/25)の深夜に、この2人の決着が付くようでございますが、どうなるのでございましょうか。確かに「表現」という観点ではキム・ヨナさんに一日の長がございます。けど、ショートプログラムであれだけのものを見せておいて、いったい「フリー」でまだ見せるものが残っているのかなんて、ワタクシなどは思っちゃいます。“表現“が勝つのか、“技術”が勝つのか...みなさま方もオリンピック中継を見る際には、こんなことも気にしながら見てくださいませ。ではでは、ワタクシ名古屋薫がチョット偉そうに、世界の浅田真央とキム・ヨナに対して、講釈たれてみましたとさ。

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2010/02/07

金にはかえられない、そう思ったかな

 ちょっと前に、大事件がございました。朝青龍の引退事件でございます。やはり、日本人と外国人との間の“ミゾ”のようなものが有ったのでしょうかねぇ。そしてまた、ニューハーフの業界にも、外国人が大勢従事しております。この業界でワタクシが得た“外国人像”をまじえながら、朝青龍の事件のお話をしたいと思います。

 まず、日本人は「空気を読む民族」なのでございます。まわりの空気を読んで、その空気に似合った行動をするし、まわりにも要求する(集団主義)。その空気のことを「常識」と言い換えたりもいたします。だから「空気を読みなさい」とか「そんなの常識でしょ」なんてことを気軽に言ってしまう。一方、外国人は「個性を主張する民族」(個人主義)。他人と同じことをやるというのは、ある意味「悪」なのでございます。そこで問題となるのが、日本人は勝手に「常識=ルール」と思っていますが、外国人はそうではない。空気を読むことで自然に不文律のルールが出来上がる「不文律文化」の日本人に対して、外国人は「契約文化」でございます。守って欲しい決まり事は、きちんと文章にしてあらかじめ説明しておく必要がございます。それをやらずにいきなり「こんなことが分からないの!」とやってしまうと、「日本人はルールを後付けする、ズルイ人たち」という印象を与えてしまうのでございます。

 そして、外国人に「上品」とか「下品」といった感覚を正確に伝えるのは、実に難しい。なぜならば、外国語での「上品」「下品」といった語は、動作の外観を指している言葉なのでございます。しなやかに動くとか、粗野に動くとか、見た目の違いを言い表しているだけなのでございます。ところが日本語の場合は、この「上品」「下品」といった言葉は、人の心(精神)を洗わしている。まず「心ありき」なのでございます。ですから、外国人に「上品な立ち振る舞い」というものを会得させる場合は、精神論を説かず、出来るだけ具体的に動きを説明してあげるのが、いちばんの近道でございます。外国人の場合はそれで何となく形になる。ところが同じことを日本人がやると、いっぺんに“お里が知られて”しまうのでございます。これは、日本人に「上品さ」と「心(精神)」を密接に結びつける特殊な感覚があるからでございます。この「心ありき」の感覚を、日本人は「道」と名付けております。柔道、剣道、合気道、そして華道、茶道、すべて、「まず心(精神)ありき」なのでございます。

 外国人と日本人の大きな違いは、こんなところでしょうかねぇ。さて、朝青龍に当てはめてみましょうか。まず、朝青龍の数々の不祥事、その度に朝青龍は注意を受けてきたわけでございますが、日本人だと「注意を受けて恥ずかしい」と思うのが普通。ところが、朝青龍は何と考えたでしょうねぇ。「そんなルールが有るのなら、最初に説明しておけよ」と思ったでしょうか。あるいは、「ただ個性を主張しているだけなのに、どうして俺ばかり怒られる」と思ったかも知れません。これは“契約主義”の外国人を使う上で、あらかじめ細かくルールを取り決めておかない日本側の体質にも、問題がございます。「常識で考えろ」とか「空気を読んで」といった精神論を押しつける前に、外国人向けの細かいルールをあらかじめ取り決めるべきでございます。最近の家電製品の取扱説明書には、「こんな事はしていけません」という注意書きが山のように記載されているでしょ。そう、あのノリでございます。

 そして、さんざん言われている「品格」の問題。朝青龍の記者会見でも「品格、品格と言われるけれど、土俵の上に上がれば鬼になる」と言っておりました。あ〜あ、やっぱり朝青龍、勘違いしている。たぶん「品格=優しさ」、つまり「品格を出せ」と言われて「優しくしろ」と解釈している。すると、勝負で勝つことと優しさが、朝青龍の心の中で矛盾してしまう。ということで、最後まで「品格」を理解できなかったようでございます。日本語で言う「品格」とは、「全てを尊重する心の寛大さ」でございます。自分の体を尊重し、自分の技、名前を尊重する。と同時に、対戦相手の体や技や名前も尊重する。すると、真剣に戦うのも「品格」でございますし、戦いが終わった後に手を差し出すのも「品格」、負けた時に当たり散らさないのも「品格」であれば、勝った時に相手の気持ちを思いやってガッツポーズをしないのも「品格」。品格という言葉には、その下地として「尊重する」という‘精神’が隠れているのでございます。日本側は「品格」という“言葉”を押しつけるだけで、その内容を全く説明できないでいる。ここに、「悲しい思い違いのすれ違い」が発生したのでございます。

「品格」を精神として理解できなかったのですから、当然、「相撲道」の「道(どう)」という概念も理解できていなかったはずでございます。さて、この「道」を考える上で、日本相撲界には大きなジレンマが存在するのでございます。それは、相撲人気のほとんどを外国人力士に頼んでいるにもかかわらず、あくまでも「相撲“道”」を推し進めていかなければならないというジレンマでございます。似たような事情を持つ「柔道」で説明いたしますと、「柔よく剛を制す」という柔道の精神から考えると、柔道には重量別の階級制度は存在してはいけないのでございます。ところが、東京オリンピックの際に正式種目として柔道を認めてもらうために、日本の柔道界は涙をのんで、その西洋的合理性である階級制を取り入れたのでございます(「無差別級」という階級が長く維持されていたのも、この経緯の名残)。ですから、日本国内では精神としての「柔道」を育みながら、国際試合でのスポーツとしての「JUDO」も認めていくという二元化(ジレンマ)を、柔道界は受け入れております。

 さて、相撲界にお話を戻しますと、多くの外国人力士の存在は、「興業としての相撲」を成立させるためには、今やなくてはならない存在でございます。と同時に、その外国人力士が増えれば増えるほど、伝統的な相撲道の精神は希薄になっていることを否めません。その精神の希薄を感じつつも、興行収入を獲得するために外国人力士をどんどん幕内に押し上げてきた。つまりここに、日本相撲界の金権的な体質を感じるのでございます。外国人力士は金を呼ぶ。その中でも飛び切り強い朝青龍は、特に金を呼ぶ。その朝青龍を取り巻くようなお金の流れが出来る。表向きは「相撲道」などと精神論を掲げながらも、興業を成立させるための外人力士起用には、金権的なうさんくささが見え隠れする。外人力士の人気にあぐらをかくうちに、「純粋」なものと「邪(よこしま)」なものとがそれぞれ一人歩きをはじめてしまい、その収拾が付かなくなってしまったというのが、ここ10年ぐらいの相撲界のジレンマではないでしょうか。

 結局、もっとゆっくりじっくり育てることも出来た大型外人力士を、興業を成立させるための金権体質が無理な早熟栽培を行った、という感じでしょうか。本来は教育者である高砂親方が毅然とした指導をするべきなのでしょうが、その高砂親方と朝青龍との間に、なにか一蓮托生のような「なれ合い」を感じたりいたします。多分、お金で繋がった人間関係ではないでしょうか。その打算的な人間関係が朝青龍を増長させ、暴走させたのかも知れないのでございます。ただね、誰かを責める、というわけにもいかないと思います。これはすべて、「流れ」だったのでございます。日本相撲界の低迷期に登場し、本人のあずかり知らないままにその大きな流れに乗せられてしまい、「金になる」と思われたとたんに様々な‘取り巻き’がワラワラと沸いてきて、本人の望むと望まざるに関わらず、「世間が求める朝青龍像」を演じ続ける。そして、いつのまにかそれが‘板について’しまい、そうやってヒールは育てられるのでございます。

 ホリエモンこと堀江貴文もボチボチ顔を出しておりますし、小室哲哉は先行きは不明ではありますが何とか再スタート出来ました。そうそう、亀田兄弟は、地獄をくぐり抜けてから人間が丸くなりましたよね。才能のある人ってのは、何かと金権目当ての取り巻きに翻弄されることが多いのです。朝青龍もそういったヤカラに翻弄されたような感はございますが、しばらく充電して、また何らかの形で再スタート出来たらいいですね。そのときには、いろいろな意味で、さらにひとまわり大きくなっているはずでございますよ。

 ワタクシも従業員を使っていて、「とっても人気があるけど人間的に非常に困った人」というケースが、ごくまれにございます。経営、経営と念じながら、なんとか働いてもらうわけでございますが、ある段階で、「もう、お金には、かえられない」と思ってしまう瞬間がございます。そうなると、あとは自分が腹を据えて、その問題児に辞めてもらう、ということになってしまいます。今回、相撲協会も性急な判断をいたしましたが、同じような感情があったのでしょうか。朝青龍の傷害事件がまだ藪の中というのも、どうも気になりますよね。せめて、その傷害事件の決着がついてから、判断してもよかったような気がしますが、まぁ、仕方ないですね。

 ということで、朝青龍の引退に関して、いろいろお話いたしました。ではでは...

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2009/12/07

TVに出るためには勝ち続けなければならないという残酷

 ちょっと前のスポーツの試合で、最近には珍しく、視聴率40%をたたき出した番組がございました。そう、亀田興毅と内藤大助のボクシングの試合でございます。試合結果に関しては、みなさまご承知の通りでございますよね。ということで、今回はボクシングの試合とテレビ局のお話。ボクシングにあまり興味が無いという方も、しばし、おつき合いのほどを。

 そのボクシングの試合中継を、ボチボチ、お店の電話番をしながら片手間に見ておりました。まぁ、シロート目にはいい試合だったと思いますよ。なんか逃げ回ってばかりいる試合とか、抱き合ってばかりいる試合とか、そんな試合じゃありませんでしたしね。まぁ、ボクシングに関してはあまり詳しくないので、内容の是非に関しては、ちょっと置いておきましょうか。それよりも、ワタクシがチョット気になるのは「テレビ局」の方。

 特に根拠はないのですが、こういった試合を見るたびに、テレビ局というものがどんどん不純に見えてくるのでございます。スポーツといえども“興業”ですので、興行収入とか動員数というものが大前提になってくるのは仕方がないこと。そう考えると、あれだけの動員を稼げる亀田一家というのは、興行的な感覚で見れば大変な“実力者”と言わざるを得ません。ところが、こういった“色物的な実力”というのは――まぁ一種の「ブーム」と呼びましょうか――時期が過ぎると、あっという間に「夢のあと」となりかねない、そんな一過性のブームなのでございます。

 テレビ局も、そんな一過性を十分に分かっているはずでございます。分かっていながら、“旬”の間にボロ稼ぎをしようというのが、常套手段。持ち上げるときは思いっきり持ち上げて金儲けをし、落とすときにはこれまた思いっきり落とすことで話題性を取ろうとする。ひとつのネタで二往復分を稼ぐという効率のいい“利用の仕方”。しかもその上がり下がりが、テレビ局による操作だったりするのでございます。人気が上がるのも落ちるのも、すべてテレビ局の胸先三寸。テレビ画面から伺える「人気」というのは、その本人の実力ではなく、テレビ局が作り出した幻想なのかもしれないのでございます。

 そんなテレビ局と張り合うためには、テレビ局以上に“したたか”でなくてはならないのですが、亀田一家、どんなもんでしょうかねぇ? 亀田一家から感じるのは、“したたかさ”ではなく「幼さ」なんですよね。そう、一家全員が幼い(失礼)。幼さゆえの「純粋さ」というものはございます。その純粋さが、ある種の「カリスマ性」を生んでいるのでございます。ですから、幼いということは決して悪い事ではないのでございますが、その幼さゆえに、暗黒のフォースに染められてしまうという危険もはらんでいるのでございます。

 とにもかくにも、一時期はガラガラだったボクシングの試合に、あれだけの観客を動員したというのはすばらしいことでございます。でも、亀田以外の試合は、相変わらずガラガラなんですよね。どうもテレビ局は「亀田」だけに興味があるようで、ボクシング界全体には興味がないようでございます。そんなところに、テレビ局の「使い捨て感覚」を感じちゃったりするのですけどね。

ということで、今回はこの辺で。テレビ局のことばかり書きましたが、これは、テレビだけではなく、雑誌などでも言えるような気がするのですけど、まぁ、それは別の回で...

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2009/03/26

逆境の中で見えるもの、逆境の後に見えるもの

 WBC、優勝おめでとうなのでございます。イチロー選手、なんだかんだ言っても、結局一番おいしい役どころをかっさらっていってしまうのは、生まれ持った強運のなせる技でございましょうかねぇ。今回のイチロー選手、非常に調子が悪かったのでございますが、人は逆境のときにこそ、その本性が現れます。結果が出なくても一番に球場に入り、黙々と練習に励んでいたそうでございますが、むしろそういった逆境に苦しむイチローであったからこそ、若手選手への影響は大きかったかも知れません。

 また、イチロー選手、大会前にさんざん大風呂敷を広げてしまい、大会中は針のむしろだったと思われます。この「針のむしろ状態」を味わうということも、イチロー自身にとって良い収穫だったのではないでしょうか。そういえば清原選手も最後のシーズンは出番も少なくなり、もっぱらダッグアウトでニコニコするムードメーカーに徹しておりました。「良い役者は背中で演技する」なんて言いますが、「良いプロ野球選手は、グランドの外でも重要なプレイしている」と言えるかも知れませんね。

 さて、イチロー選手の言葉で、「(バッターボックスで)いろいろ考える時には、あまり良い結果が出ない」という語が、ちょっと気になったのでございます。実は、芸術の世界でも、舞台や本番でいろいろ考えるようだと、結果はあまりよろしくございません。「考える」という作業は、練習のときにやり尽くすものなのでございます。そして、本番では、ひたすら練習で覚えたことを「忘れる」ことに専念するのでございます。忘れていても体や口が自然に動くほどまでに、練習時に体に染み込ませることが肝要なのでございます。

 本番では「無の境地」が一番でございます。何もかも空っぽにすると、「芸術の神様」が降りてまいります。そして、練習のときには思いもよらなかったような感覚で本番を演じたりということもございます。芸術の神様というと何やら神秘的でございますが、無の境地に至ることで余分な力が抜け、外界からの刺激に敏感になり、より速く、しかも最小限の力で反応できる。そういったメカニズムではないかと考えております。もっとも、この空っぽにするという作業が、至難の業なんでございますけどね。

 練習で動きを体にすり込ませ、本番で無我になる。イチロー選手は、こういった作業を自然に行っているのかも知れませんね。まぁ、何はともあれ、イチロー選手があの場面で決勝打を打てて良かったのでございます。もし、今回、イチロー選手に良い結果がひとつもなかったら、もしかしたらイチロー選手の選手運命を変えていたかも知れません。野球の神様は、まだまだイチロー選手に追い風を送っているようでございます。

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2009/03/11

♪勝ったぁ〜、負けたぁ〜と、騒いじゃい〜るぅがぁ〜

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、日本国内のゲームは終了したようで、選手団のみなさまがた、アメリカへ旅立ったようでございます。まぁ、敗者復活とかありまして、結局、どこが本当に一番強いんだか分からないようなトーナメント方式になっております。短期決戦なので、“運”とかちょっとしたミスが大きく影響してくるのでございましょう。

 野球中継、見ておりましたが、まぁ日本の放送局なので日本のチームを応援するのは当たり前なのでございましょうが、それにしてもあからさまな偏向実況に、ちょっと「オヤッ」と思うのでございます。そういえば、亀田兄弟のボクシングの試合でも、そのような偏向実況が行われたような覚えがございます。かつて「前畑ガンバレ!」と叫んで大問題になったオリンピック中継もありましたが、中立公平を美徳とするスポーツ実況の精神は、もはや過去のものなのでございましょう。

 プロ野球で言いますと、やはり名古屋では中日戦が放送されることが多いものでございます。そして、多重音声の裏側などで「ドラゴンズ応援放送」なんてものがよくあるわけで、このように裏側で趣向を凝らしたことをやる分には、いささかも問題はないと思いますよ。しかし、誰が聞いているか分からない主音声では、誰が聞いても当たり障りのない中立な解説が望ましいと思ったりするのでございます。

 スポーツというのは、どちらが勝つか分からないところに面白みがあるわけでございまして、両者・両チームが全力を出して戦う姿、そのありのままを見ることに感動があるわけでございます。「ありのまま」というところが感動のツボでございまして、本当にいい試合であればどちらが勝っても感動できるというのも、全力で対戦するありのままの姿が、“すでに美しい”からでございます。その「ありのままの美しさ」に注目しているのならば、偏向した実況などは出来ないはずでございます。

 実況が偏向してしまうのは、勝ち負けに拘(こだわ)りすぎているからではないでしょうかねぇ。スポーツの感動というものは、勝ち負けだけではないのでございます。そうそう、朝青龍のガッツポーズが問題になりましたが、そもそも日本古来のスポーツがガッツポーズなどを戒めているのは、敗者の心への気配りという点にあるのでございます。技術や腕力で優劣を決めるのを「スポーツ」と定義するならば、心と心が鬩(せめ)ぎ合うのが日本独特の「道(どう)」という考え方でございます。柔道、剣道、合気道、み〜んな「道」という字が使われているでしょ。あとおまけで華道とか。

 こう考えますと、「スポーツ」ってのは常に意識が外(他人)に向かっている。他人の記録、日本記録、世界記録、常にそういった外の状況に心が向かっているのでございます。一方、「道」と名がつくものは、意識が内(自分)に向かっている。自分をどれだけ磨けるか、己の心に勝てるか、そして、他人と対戦することで自分を磨けるか、そういったところに、「道」の精神があるように思ったりいたします。まぁ、ちょっと大ざっぱすぎる考え方かもしれませんけどね。

 朝青龍が、稽古を休んでファッションショーに出演したってんで、やくみつる氏が顔を真っ赤にして怒っておりましたが、こういったところにも、「スポーツ」と「道」の考え方のすれ違いがあるのでございましょう。かつて閑古鳥が鳴いていた大相撲が、ただ今は朝青龍人気で大盛況でございます。相撲協会も、「相撲道」としての考え方と「興業スポーツ」としての考え方との、その両者のさじ加減が難しいところでございましょうね。

 さて、お話が脱線してしまいました。NHKの大相撲中継などは、非常に中立公正な実況をしております。だからといって、大相撲中継が魅力を欠いているということはございません。スポーツ中継ってのは、中立な実況で見た方が何百倍も興奮できると思いますよ。ありのままを見、ありのままの結果を受け入れる。「スポーツを楽しむ」ってのは、そのありのままの姿にあると思うのでございます。

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