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2011年5月

2011/05/09

それでも食べるという人が、半数以上いるそうです

 暑い、もう、夏みたいに暑い。この調子で本当の夏が来たら、夏場の電力は大丈夫か! 世の中、感情論で「原発止めろ」って言ってるけど、夏が来て大変なことになっても知らないよ。世の中ってのはそんなに急ハンドルは切れないんだからさ。なんで、5年とか10年といった展望で議論しないのだろう。

 さて、ユッケがいろいろ議論されております。政府やマスコミはやたら「生食用」と「加熱用」にこだわって規制の話をしておりますが、なんか大きな勘違いをしているような気がいたします。その勘違いを、ワタクシがチョットお話ししてみたいと思います。と、その前に、「生食」あるいは「規制」ということで思い出す食品を、ひとつひとつ上げていきましょうか。

 まず、生食用と聞いて思い出すのが「牡蠣(かき)」。牡蠣の生食用というのは“鮮度”の問題ではございません。除菌処理を施しているものが生食用。施していないものは毒素を持っておりますので、当然、加熱用となるのでございます。この場合の規制は「生産者に対する規制」。牡蠣を出荷する前段階での規制というか区別でございます。牛肉に付けられる5段階の等級も、これと同様なのではないでしょうか。

 次に思い起こされるのが「河豚(ふぐ)」。河豚の場合は、「部位」が問題でございまして、この場合は河豚をさばく板前さんの技術や知識の問題。ですから、国家試験という形を取って、「現場の技術に対して規制」をかけているのでございます。牡蠣のような生産者側でかける規制が河豚には使えないというのは、よく分かりますよね。

 他にあたりやすい食品と言えば「卵」。卵には生食用・加熱用なんて区別はありませんが、大きな問題が起こることは少ないですよね。それは、卵はその鮮度が重要だということが周知されているからでございます。ですから、規制というよりは「現場の良識に任されている」といったところでしょうか。実は、卵の殻の表面に付いているボツリヌス菌も要注意なのですが、これもきちんとした料理店(料理人)なら周知しているだろうというところで、現場の良識まかせなのでございましょう。

 では「ユッケ」はどれに当てはまるのでしょうか? 今までは卵のように現場の良識に任されていたわけでございます。そして今回の事件を機に、現場の知識やトリミングという処置を徹底させようというのですから、河豚と同じ「現場の技術に対する規制」ということになるのではないでしょうか。ということは、もし規制をかけるとしたら、それは「流通」ではなく「現場」なのでございます。にもかかわらず、政府もマスコミも流通ばかりを問題にしている。大きな勘違いなのでございます。

 まぁ、国家試験をやるというのは大げさですので、研修制度くらいを導入するというのはどうでしょうか。生肉に対する正しい処置や知識を得るための研修を設け、「ユッケや刺身のような生肉を直接提供するメニューは、その研修を受けた人しか作ることが出来ない」というような仕組みにするのでございます。スナックなどを開業する場合にも必須の研修制度はありますので、それほど混乱せずに導入できるのではないでしょうか。

 さらに、韓国ではこういった問題が起こらないのは、非常に厳しい抜き打ち検査があるようでございます。厳しい罰則があれば、当然、現場の人間や管理者は勉強いたします。現場の良識でトラブルを回避しているということでございますよね。日本の事件も、現場の人間や管理者が、ほんのちょっと勉強していれば防げたこと。厳しい罰則や抜き打ち検査を設けて現場の良識を促すというのも、ひとつの方法かも知れません。

 ワタクシ、学生の頃、焼肉屋でアルバイト(皿洗い、鉄板磨き)をしていたことがございます。厨房の中を観察しておりますと、一日に二度、ランチの後と営業終了時に、厨房の中を完全に清掃・消毒しておりました。また、どんなに面倒くさくても、肉は注文が入ってから切り分けておりました。今思い返せば、事故を未然に防ぐ重要なノウハウだったのでしょうが、当時のワタクシは「ここの作業はもっと合理化できるのに、要領悪いね」なんて思っていたのでございます。ほんとうに、無知とは怖いものでございます。

 あの食中毒事故を起こした焼肉屋の社長は、「日本中のお店が、加熱用の肉でユッケを出しているじゃないか!」と息巻いておりましたが、問題はそこではないのでございます。問題は社長自身の勉強不足に有るのでございます。犠牲になられた方は本当に不運でございましたが、その犠牲を無駄にしないためにも、生肉に対する正しい処置の仕方や技術が、今回の事件を機に、広まって欲しいと思います。

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2011/05/02

たゆたうスケーティング

「“揺蕩(たゆた)う”とは、こういうことを言うのだろう」と、思いました。フィギュアスケート世界選手権での、安藤美姫の演技のことでございます。柔らかく流れるような演技は、全ての動作が滑らかに繋がっておりました。たとえジャンプをするときでさえ、他の選手が助走をつけて「ヤッァ」と飛ぶのに対し、安藤美姫のそれは前後の動作に溶け込むように自然でございました。もちろん、振り付けはあらかじめ決まっているのでしょうが、そんな段取りは微塵にも感じさせません。まるで、水面に浮く小さな花弁が波の動きに任せて漂っているような、そんな力みをまったく感じさせない柔らかく流麗な演技でございました。

 さらに、彼女のスケーティングからは「喜び」を感じるのでございます。滑ることの楽しさを、体全体で表現しているように感じられます。多分、本人も滑ることが楽しいのではないでしょうか。そしてその喜びには、(ニューハーフのワタクシが言うのも何ですけど)「女の喜び」のようなものが感じられるのでございます。多分、「大人の女」としていろいろ経験してきているのではないでしょうか。体中から女のオーラが発散されております(ひょっとして、妊娠している?!)。

 そして、実に安定感がある。見ていて全然ハラハラしない。安心してみていられる。熟達した職人が、八分目くらいの力で余裕かましながらやっているといった感じでしょうか。どんどん引き込まれる演技でございました。決して派手な演技ではございませんが、優勝という結果には十分に納得できるのでございます。ショートプログラム、フリースケーティング、そしてエキシビジョンでの2曲、本当に堪能させていただきました。アスリートというよりは、まさに“表現者”としての息づかいで感動させていただきました。

 さて、浅田真央とキム・ヨナですが、二人ともどんどん体つきが女っぽくなってまいりましたよねぇ。でも、ハートは二人ともまだまだ「女の子」という感じでしょうか。キム・ヨナが悪女や悲哀を表現しても、やはり「振り付けとして貼り付けた」という印象を得てしまうのでございます。なんて言うか、恋愛もしたことないアイドル歌手が悲恋・失恋の歌をそれっぽく歌うような感じと申しましょうか。安藤美姫のような、内側からにじみ出てくるようなオーラは、まだまだございませんね。

 浅田真央は、相変わらず肩と腰骨を結ぶ四角形が固まっております。シロウト考えですが、テクニックを磨く練習に固執しているのではないでしょうか。体を斜めに使うとか、オフバランスの感覚ってのは、それなりに訓練しないと気がつかないものでございます。ジャズダンスのようなものをやってみると、いいのではないでしょうかねぇ。でも、それ以前に、今回は調子がかなり悪かったのではないでしょうか。エキシビジョンにも残れないという低迷さ。苦しんでおりますねぇ。でも、安藤美姫さんもちょうど今の浅田真央さんぐらいの年齢では、大スランプだった気がいたします。このスランプを乗り越えたら、大きく変われるのではないでしょうか。

 ラサール石井さんが浅田真央さんに対して「もっとエッチをした方がいい」という発言をして、物議を醸し出しているようでございます。ワタクシもラサール石井さんに同感なのですが、ちょっと表現が露骨すぎるようでございますね。ただ、女性アスリートの中には、恋愛をすると急激に失速してそのまま引退してしまう人も少なくございません。恋愛によって分泌される大量の女性ホルモンが、アスリートにとってはマイナスに働くのでしょうか。難しいところでございますよね。

 一方、キム・ヨナは相変わらず高得点。もし今回ノーミスで演技をされていたら、たぶんキム・ヨナが優勝していたでしょう。“減点されない演技”というのを、徹底的に研究しているのかも知れません。ただ、今回は2位という成績にもかかわらず、あまり嬉しくない様子。バンクーバーで金メダルを取った後、新たな目標を見つけられないのでしょうか。確かに、シロウト目に見ても綺麗で正確な演技をするのですが、何か引きつけられる感じがしない。嫌々演技しているのではないでしょうかねぇ。

 そんなことを考えていたら、浅田真央とキム・ヨナが、漫画『巨人の星』の「星飛雄馬」と「アームストロング・オズマ」に思えてまいりました。来日したオズマは飛雄馬に対してこんな言葉を発します。「俺もおまえも、小さいころから英才教育を受け、ただ野球をやるためだけに育てられた“ベースボールマシン”だ」と。その言葉を受け、飛雄馬は自分が野球をやる意味や喜びに対して悩み始めるのでございます。

 では、浅田真央やキム・ヨナはどうでしょうか。キム・ヨナは韓国ナショナリズムの圧倒的なプレッシャーを受け、浅田真央はジャンプ回転数への期待や日本の心ないマスコミからのプレッシャーを受け、そしていつも二人は比較され続け、そんな環境の中でスケートをするための“スケーティングマシン”となってないでしょうか。オズマの言葉を聞いた飛雄馬は、その後、大恋愛をすることになります。浅田真央さんも、恋愛とかはしないのでしょうかねぇ。日本のアスリートは海外に拠点を移す人が少なくないですが、海外で練習してみるというのもいいかもですね。ついでに、コーチも変えちゃえ!

 さて、お話をフィギュアスケート世界選手権に戻しましょう。エキシビジョンにおいてロシアのペアチーム(A・スミルノフ、川口悠子)が、映画『千と千尋の神隠し』の『いつも何度でも』を使用しておりました。この時期にこの曲を使われますと、日本人としては目頭が熱くなりますねぇ。さらにゲームのマリオの曲を使ったチームがあったり、フィナーレでは日の丸をモチーフにした演出があったりと、実に日本に気を使ったエキシビジョン、そしてフィナーレでございました。

 その『いつも何度でも』ですが、かなり前にも紹介したのですが、「ナターシャ・グジー」というウクライナ出身の歌手が、この曲を日本語で歌っております。彼女はチェルノブイリ事故での強制移送で故郷を離れ、そのまま自分のふるさとには二度と帰れない状況が続いております。ロシアの原発事故に追われた彼女が、日本に来て『いつも何度でも』を歌う。日本の原発事故で追われたフィギュアスケート世界選手権が、ロシアでこの曲に出会う。なんという因果でございましょうねぇ。

 このナターシャ・グジーさんがNHKの番組に出演したときの映像が、YouTubeに上げられているようでございます。映像の後半では、ナターシャ・グジーさんの歌う『いつも何度でも』を聴くことも出来るのでございます。URLを記しておきますので、よろしければご覧下さい。

ウクライナ美女が"千と千尋〜"主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings "Spirited Away"

 ではでは、今回のフィギュアスケート世界選手権に対して、シロートながらいろいろ生意気なことを話させていただきました。安藤美姫さん、浅田真央さんの、今後の活躍に期待いたします。

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