電子化が進めば、公務員は半分に減らせるはず
今、銀行の預金通帳って、わざわざ銀行まで行かなくてもネットで残高を確認したり振り込んだりすることが出来るの、知ってました? ワタクシもちょっとした確認ならば、ネットでやっております。そんな便利な銀行の通帳ですが、こと、通帳の相続となりますと、厳格な手続きを要求されたりいたします。
銀行の預金通帳の相続って、みなさんやったことございます? ワタクシは母親を6年ほど前に亡くしておりますが、その母親の預金通帳がずっとそのままになっておりました。1年ほど前に相続手続きを始めたのですが、母親の戸籍を調べる段階で大きな問題発生。母親の出生から死亡までの連続した戸籍が必要なのですが、結婚や離婚、転籍といったことをくり返した波瀾万丈の人生ゆえ、戸籍の情報が各地に転々と分散しているのでございます。
「岬〜、めぐりの〜」なんて歌はありましたが、母親の過去をたどって、ワタクシは“区役所めぐり”なのでございます。除籍謄本(亡くなっているので除籍)を区役所で取りますと、その記録がどこから転籍・入籍されたかが記されております。分かるのはひとつ前の情報だけ。それで、そのひとつ前の区役所まで行って、同様に謄本を取ってひとつ前の場所を知って・・・ということのくり返し。名古屋市内の区役所を4カ所ほど回ったところで、次の手がかりが「京都、中京区」とある。こりゃ大変だとばかり作業中断したのが、ちょうど1年前のお話しでございます。
と、ここまで読んで、どうして区役所のハシゴをしなければならないかと疑問に思っていらっしゃるかもしれませんね。実は、戸籍というのは存命中に入籍や転籍といった移動がありますと、移動先の区役所に全ての管理が移ってしまい、各区役所にはその戸籍が入ってきた時から出て行った時までの記録しか残っていないのでございます(事情の違う地域もありますが、それは後ほど)。それでワタクシの母親のように入籍や転籍で戸籍が動いておりますと、その動きを逆にたどりながら区役所のハシゴをすることになるのでございます。
で、その相続手続き、いつまでも放置しておくわけにもいかず、先日、夕方までお休みをもらって京都まで行ってまいりました。京都中京区で謄本をもらい、次の手がかりは大阪市阿倍野区。さぁ、大阪に移動でございます。電車を乗り継ぎまして、阿倍野区役所へ。
さぁ、大阪は何カ所回ることになるのやらと思いながら阿倍野区役所へ。その阿倍野区役所で、事態は大きく変化するのでございます。なんと阿倍野区役所の担当の方、ワタクシのひいおじいさんの代まで調べてくれたのでございます。大阪市は戸籍の電子化が進んでおりまして、大阪市内の移動であれば、1カ所で記録を追跡することが出来るそうでございます。ワタクシの母親は大阪市の旧南区(現在のミナミのあたり)の生まれとのこと。夕方までかかるかなと思っていた戸籍の追跡、なんとか昼過ぎに完了したのでございます。
現在、各自治体で戸籍の電子化が進められているそうでございます。1年前は名古屋中をハシゴさせられた名古屋市の戸籍ですが、今現在は16区中13区まで電子化が進み、今年度中に名古屋市全区が電子化されるとのこと。これだけコンピュータが進んでいる時代に、戸籍の管理はつい最近まで原始的な手作業(さらに手書き!)でやっていたのでございますよ。全国的に電子化が進んでいるそうで、あと何年後かには電子化が完了するのでしょうが、ワタクシ、ちょっとした不安を感じているのでございます。
戸籍電子化の資料を読みますと、「漢字の異体字の処理をどうするか」といったことが長々と解説されております。異体字ちゅうのは、「渡辺」と「渡邊」みたいに同じ漢字のバリエーションでございます。あと「高」と「髙」なんてのも有名。同一人物であろうと思われるデータ間でこのようなちょっとした違いがあった場合、人間の手作業ならば前後の関係や状況で同一人物だと推測してしまうでしょう。しかし、コンピュータでは、よほど周到な人工知能的プログラムでも組まない限り、こういった微妙な違いを別人だと判断してしまうのでございます。また、当然混じっているであろう誤字・脱字に関しても、コンピュータは柔軟に処理するのは難しいのでございます。
消えた年金問題を思い出していただきたいのでございます。国民年金は氏名と生年月日だけで処理しておりますので、同姓同名がいたり誤字が有ったりいたしますと、そこで記録の錯綜(さくそう)が起こる可能性が高いのでございます。あれは、年金の担当者がかわいそう。あんな原始的な記録方式で、間違いが起こらない方が不思議なのでございます。さらに、その消えた年金の追跡調査もなかなか進まないとのこと。そりゃぁ当たり前。手書きの文字を手作業で一人ずつ拾っていっているのでしょうから、気の遠くなるような作業なのでございます。まだ、江戸時代の米問屋の帳簿を解析する作業の方が、楽なことでございましょう。
この同一人物の判断には「ユニーク性」というものが関わってくるのですが、その前にちょっと「データベース」のお話しを。データベースとは、多くのデータを処理する方法のこと。コンピュータで処理する場合には、それ専用のソフトが有ったりいたします。このデータベース処理には「伝票型」と「リレーショナル型」の二種類がございます。今までの戸籍や住民票や年金といったものは、伝票型の処理を手作業でやっていた。各伝票一枚一枚に、個人や家の情報を書き記すようになっているのでございます。ただ、ワタクシの母親のように転々と移動しておりますと、一人の人間の情報が、何枚もの伝票に分散されて記されることになる(区役所のハシゴ)。また、戸籍と年金のような種類の違う伝票を関係づける際には、同一人物で有るかどうかの十分な検証が必要とされる(消えた年金問題)。現在のような複雑な社会構造の中では、単純な伝票型の管理はすでに限界を通り越しているのでございます。
次に「リレーショナル型」の説明を。伝票型は記入する台紙に注目する方法でしたが、リレーショナル型は、個々のデータに持たせた多くのフラグ(旗)に注目する方式。例えばワタクシの母親の例ならば、「昭和○年大阪市阿倍野区○○家」「昭和○年京都市中京区○○家」「昭和○年名古屋市中川区」……というフラグを、経歴の数だけ持たせるのでございます。母親以外の他の人すべてにも同様にそれぞれのフラグを持たせてありますので、「昭和△年大阪市阿倍野区□□家」といったくくりで検索をかけると、それにマッチしたフラグを持ったデータが抽出されることになる。その時初めて台紙を用意し、その抽出されたデータを台紙に並べれば、その時期の家族構成が出来上がり、とまぁ、こういった仕組みで管理するのでございます。
さぁ、ここで絶対に必要となってくるのが「データのユニーク性」というやつ。この場合の“ユニーク”っていうのは、「ひとつしかない」という意味。例えば(またワタクシの母親の例で恐縮ですが)、戸籍データベースの母親のデータと、年金データベースの‘ある’データとが同じ人物つまりワタクシの母親のデータであると結びつけられれば、戸籍で検索をかけるだけで年金のデータも抽出できてしまう。あるいは、生年月日も姓名も同じデータがもし複数見つかっても、ユニーク性が有れば、それらが別人か同一人物であるかをハッキリと区別できる。コンピュータでデータベースを処理する場合には、この「データのユニーク性」が必要不可欠なのでございます。ユニーク性を確保できないデータ処理なんてのは、たとえコンピュータを使っていたとしても、それは「高級な文房具を使った手作業」に他ならないのでございます(現在の社保庁の年金データ解析がこれ)。
国民データのユニーク性、そう、何十年も前から議論されている「国民総背番号制」が、このユニーク性の実現に相当するのでございます。このユニーク性が無いために、日本のお役所仕事は明治時代と何ら変わっていない。今後、戸籍の電子化、住民票コード、年金データの整理などが進むでしょうが、それらを関係づける横のリレーションが確立しない限り、縦割りの処理形態は依然残り、前時代的なお役所仕事は続くのでございます。そして、年金のデータは解析が完了する前に、該当者がみんな死んでしまうなんてことにも(笑)。
ここで、衝撃的な事実が! 背番号制が導入され、各役所のデータが完全に電子化されリレーション化されると、多分、お役所の公務員は半分以下で足りてしまう。公務員の給料が民間に比べてどうとか言っているけど、背番号制を導入して公務員の人数を減らせば、大幅な経費節減が可能なのでございます。細かく別れている役所の窓口も、総合受付ひとつで足りてしまう。ひとつの窓口で、戸籍や年金のデータだけではなく、電気や水道や電話料金の履歴まで調べることが出来てしまう。ちょっと極端な例えだったかもしれませんが、各データにユニーク性を持たせて横のリレーションをつけてやれば、そんなことも可能なのでございます。
そしてさらに衝撃的な事実が! 背番号制の導入で、戸籍は必要なくなるのでございます。実際、アメリカやカナダには戸籍や住民票というものがない。その代わり「社会保険番号」といった背番号のようなものが存在し、それで管理している。つまり、最初からリレーショナル型に近い方式で進めてきたので、いまさら戸籍を作る必要がなくなってしまったのでございましょう。日本も、背番号制の実現以降は戸籍の管理はほとんど必要なくなるはずであり、それにかかっていた経費が大幅に浮くことになるはず。また、背番号制の導入は、今まで取りこぼしていた税金をきちっと徴収することを可能にするのでございます。消費税を上げるかどうかが物議を醸しておりますが、取りこぼしをなくせば、これまたかなりの財源になるはずでございます。
しかしながら、背番号制には根強い反対派もいらっしゃいます。あの住基ネットでさえ、その安全性を疑問視する自治体はいくつかございます(名古屋市の河村市長も、かつてはそうでした)。日本国民ってのはさ、一方で「年金のずさんな管理はゆるさん」って言っておいて、もう一方では「個人情報を守るために背番号反対」って言っちゃう。アッチもコッチも欲しいって、そりゃ無理だと思いますよ。アメリカ人なんかは、ネットでも何でも本名をよく使う。アメリカには「匿名」という文化がほとんど無いのでございます。それは「実名を使うことでのデメリットもあるけど、それ以上にメリットを感じられるから」という合理性で動いているからでございましょう。Facebookのような実名でのコミュニケーションが発達しているのも、そういった合理性のなせる技なのでしょう。
日本人の個人情報に対する過敏性は、考え直してみるべきでございますよ。個人情報を守りすぎる風潮のため、刑事が捜査できない、郵便配達人が配達できない、そんなことも起きているようでございます。個人情報を守りたいという気持ちは分かりますが、社会全体のメリットとデメリットを考えると、国民を背番号で管理するという方法は、今や避けて通れないと思うのでございます。銀行の預金通帳がネットで管理できる時代でございます。国民に背番号が振られたからといって、それほど危険だとは思えないのですけどねぇ...振られると、困る人がいるのかな?...いや、今回はこのへんで、では、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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