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2010/09/02

あと100年ぐらいしたら、もっとクールに語り合えるかな

 さて、いよいよ9月。実は8月中に録画したテレビ番組を、昨日、まとめてガンガン見ちゃいました。というのも、毎年8月は恒例のようにテレビ番組が「戦争」一色に変わるわけでございまして、ワタクシもボチボチそんな番組を見ておりましたが、何しろ2時間とか3時間の番組ばかりで見るのが追いつかない。やっと手が空きましたので、まとめて見た次第でございます。今回は日本人と韓国人の直接対決とかありまして、意外と面白かったのでございます。ということで、ワタクシもちょっと戦争にまつわるお話をするのでございます。堅苦しくならないようにいたしますので、どうかおつき合いのほどを。

 ワタクシの母親は、11歳で終戦を迎えております。戦前の教育を受けているせいか、朝鮮人や韓国人に対する差別意識をしっかり持っておりました。あと、もともと差別意識の強い性格だったのか、ネイティブアメリカン(アメリカインディアン)や黒人などにも、なんとなく差別意識がございました。少年期(!)のワタクシは母親のこの差別意識が大っ嫌いで、よく母親と大喧嘩したものでございます。あまりワタクシが腹を立てるので、いつしかワタクシの前ではそのような話をしなくなりましたが、多分、70歳で死ぬまで、母親のその価値観は変わっていなかったと思うのでございます。

 母親は、テレビで戦争のシーンを見る度に、「東条英機のバカ野郎! アイツが一番悪い!」と叫んでおりました。そんな母親も、町内会の慰安旅行では、バスの中で「同期の桜」を歌ったりして、もうね、戦争を肯定しているのだか否定しているのだか分かりゃしない。母親は何かの集まりで歌を歌ってくれと言われれば、この曲を歌っていたような気がいたします。差別意識を持ち、東条英機が大っ嫌いで、でも「同期の桜」を歌ってしまう、そんな母親でございました。

 ワタクシは、父親とは幼少の頃に生き別れておりまして、ほとんど記憶がございません。ただ一度だけ父親に「戦争では何をやっていたの?」と聞いたことがございました。「南の島で、敵機が飛んできたらゼロ戦をジャングルの中に隠す仕事をしていた」と“嬉しそうに”答えたのを覚えております。ワタクシがゼロ戦のプラモデルを作って見せたりいたしますと、嬉々としていろいろ説明をし始めたりいたしました。大相撲の中継を見るのが大好きで、キュウリを挟んだトーストに醤油をかけて食べるのが大好きで、ゼロ戦の話を嬉しそうにする、そんな父親でございました。

 ワタクシの父親も母親も「絶対に戦争を繰り返したくない」という強い意思は持っていたはずでございます。しかし、戦争を憎みつつも、その戦争を生き抜いたそれぞれの青春時代は、輝いていたのでございましょう。世の中には、「戦争体験は絶対に話したくない」と堅く口を閉ざす人もいらっしゃいます。韓国のように、マスコミが“憎しみの再生産”をしている国もあれば、未だに戦争に関しては奥歯にものが挟まったような言い方しかできない日本という国もございます。戦争の当事者がまだまだご存命なうちは、はっきりとした妥協点を見いだす事は難しいのかも知れません。

 話を冒頭のテレビ番組に戻しますが、やっぱり「爆笑問題」に戦争テーマの番組をやらせちゃダメですよ。あの太田って人は責任のないところで好き勝手やっている分には面白いのですが、戦争という重たいテーマの番組では、足も手もすくみっぱなし。そこへいくと、池上彰さんはやっぱり見事! 惜しむらくは、番組が長すぎる。最近の民放は少ない予算で尺を水増しする事に慣れすぎておりますよね、本当に(プンプン)。戦争がテーマの3時間番組は、う〜ん、見るのが辛いですよ。逆に、NHKは「どこにそんな金があるんだ」と思えるほどの予算と手間ひまをかけておきながら、番組の尺はこぢんまりと適当な長さ。というか、むしろバタバタ急ぎすぎて性急に感じる部分さえ有るのでございます。そして、まとめようとし過ぎ。そんな結論が出るような問題じゃないんだから。

 ちょっと気になったのは、「韓国人が知っている日本の有名人」の第5位に、「豊臣秀吉」が入っていた事。番組がこの件に触れなかったのは非常に残念でございました。というのも、この5位に豊臣秀吉が入ったのは、単に戦国武将として有名だからじゃないはず。これは明らかに、豊臣秀吉の朝鮮半島への“進軍”が原因でございましょう。最近は歴史の授業が少ないっていうから、この史実、どれだけの日本人が知っているのかちょっと心配なのでございます。いじめた方は忘れちゃうけど、いじめられた方はいつまでも覚えているのでございます。それも400年以上も前の話を。この朝鮮半島への進軍、教科書的には「文禄・慶長の役」というのでございます。やっていた事は「侵略」なのですが、ほんとうに日本史の表現てのは、綺麗な言葉をお使いになるのでございますね、オホホホホ(ワタクシが習った日本史の教科書には、「朝鮮征伐」という記述もあったような気がするのですが、ちょっと記憶が定かではございません)。

 もし、日韓併合以降のグズグズの日韓関係がなければ、韓国の人たちは未だに豊臣秀吉の進軍にこだわっていたでしょうか? 逆に言うと、近年のグズグズの関係が有るからこそ、400年以上も前の出来事を蒸し返されてしまうということではないでしょうか。あのね、語弊を恐れずに申しますが、「戦争による恨みや憎しみは、何百年という時間の流れで水に流すしかない」と思うのでございます(だって、十字軍をいまだに恨んでいる人なんていないでしょ...多分)。数百年後に水に流せているかどうか、それは、現在のワタクシ達の行いにかかっております。「事実は伝えるが、憎しみは伝えない」ということ。どうでしょうか? でも、数百年後も相変わらず日本史は綺麗な言葉で飾られているかも知れませんし、韓国では憎しみの再生産が続いているかもしれません。そして、ワタクシのこの文章は、数百年後に誰かに読まれる事があるのでしょうか? 歴史というのは何百年という大きな“うねり”に乗って変化しているのに、人間は性急に変化や解決を求めすぎているのかも知れませんね。

 以前、日本にも戦争博物館を作るべきだと申しましたが(「戦争博物館を作りませんか」)、麻生さんが立ち上げたマンガ博物館(だったっけ?)の話がポシャったとき、「その流れた“箱”で戦争博物館が作れたらなぁ」なんて思っておりました。キャメロンが作ろうとした原爆の映画の話も流れてしまったそうですし、スミソニアンは相変わらずだし、日本は戦争に関して相変わらずモゴモゴしているし...毎年8月の戦争特番ぐらいかな、シャキッとしているのは。ということで、本当に長い文章になっちゃいましたが、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。名古屋薫でございました。

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