時計がなかった頃には当たり前でした
相変わらず暑い日が続きますが、ワタクシ、先週末ぐらいから、“秋風”の香りを感じております。暦の上の「立秋」は8月の上旬、今日あたりは風が涼しくなるという「処暑」を少し過ぎた頃でございます。自分の感覚と暦とを透かし重ねてみると、時々、その微妙な符合のしかたに驚いたりすることがございます。
8月31日と言えば、そう、夏休みの宿題。子供の頃は宿題の山を前にして憂鬱になる日でございました。最近は夏休み期間中に自由研究用の教材がいろいろ売っているようで、東急ハンズなどでそういったものを見つけると、別に宿題が有るわけでもないのに、ついつい買っちゃったりするのでございます。今年の夏も、買っちゃいました。なぜかシースルーの時計の教材が気になって。それから、『大人の科学』というシリーズから「和時計」というものが出ておりまして、あ〜、これも衝動買い。どうもメカニカルなものに弱いようでございます。
シースルーの時計は、大きな歯車が見えていて非常に面白いのですが、やはりそこは子供向けの教材、ゼンマイを一杯に巻き上げても数時間で止まってしまう。さらに、「カッカッ、カッカッ」と大きな音が、まるで壊れかけたメトロノームのように偏ったリズムを刻んでおります。まぁ当たり前ですが、とても実用的ではなく、飾って楽しんでおります。
もうひとつの「和時計」。これは大当たり。簡単に説明しますと、時間を刻む天符(てんぷ:時計の上の天秤のようなもの)が、昼用と夜用で2本付いております。たった1本しかない針は1周で24時間。その針がちょうど180度回転するたびに、その昼用と夜用の天符が切り替わるのでございます。これは何を意味するか? そう、江戸時代の時間は「不定時法」と言われるもので、早い話が、「日の出はいつでも朝の6時、日没はいつでも夕方の6時」と決めてしまうわけでございます。そして、その「日の出」と「日没」を区切りとして、その間を等分して時を刻むのでございます。あぁ、6時というのは分かりやすく現代の表記に言い直しただけでございます。これほどまでに不定時法を大事に扱ったのは、世界的に見ても日本独自の文化だそうでございます。
で、夏と冬では昼と夜の長さが違いますよね。そこで、夏は昼用の天符をゆっくり、夜用の天符を早く動くように調整し、1日の帳尻を合わせるのでございます。当然、冬はその真逆の設定。昼と夜の長さは毎日少しずつ変化していきますので、昼用、夜用の天秤棒の調整も、二十四節気ごとに少しずつ変えていかなければなりません。結構面倒くさい上に、あまり正確ではないのでございます。そんな時計のどこにワタクシが魅力を感じたのか? さぁ、これからそれを説明いたしやしょう
よく、「夏は日が長い」とか言いますよね。天文学的には、昼間の時間が長いのですから当たり前でございます。ところが、「日の出は朝6時、日の入りは夕方6時」と決めている不定時法では、「昼は時間がゆっくり進み、夜は早く進む」という感じになるのでございます。そう、この和時計は、その昼と夜との時間の進む速さの“感覚的な違い”を、実際の針の動きに反映させてしまうという、これまた何とも“人間寄りな”時計なのでございます。しかしですよ、もし時計なんてものがなかったら、人間はきっと、日の出とともに行動を開始し、日没に合わせて寝床に向かったはずでございます。ですから、不定時法に合わせた生活というのは、もっとも自然に即した生き方と言えるのでございます(あ〜あ、言い切っちゃったよ)。
そこで、和時計がどのようにしてその不定時法の時間を指し示すかでございますが、針を等速で動かし文字盤の方に細工を施した方がはるかに構造は簡単でございます(実際、そういう和時計も有る)。しかし、それをやらないところに、この時計の「粋(いき)」が有るような気がするのでございます。物理的な時間の長さを基準とせず、感覚的な時間の速度を実際に針の動きに反映させる、もうね、ロマンじゃないですか。アインシュタインもびっくりなのでございます。日本人はすでに江戸時代において、「時空」という概念を獲得していたのでございます(ちょっと大げさかな、アハハ)。
そして、世の中には、実際にこの不定時法で生活をしている人もいらっしゃるとのこと。まぁ、学者さんが研究のためにそのような生活をしているそうでございます。その学者さんが言うには、不定時法の生活をしていると、一分一秒を争うような生活をしなくなるそうでございます。さらに言うと、時計そのものがあまり必要ではなくなってくるとか。太陽さえ出ていれば、だいたいの時間が分かるようになるそうでございます。どうですか! みなさん、太陽を見て時間が分かるんですよ。不定時法、バンザ〜イ! 人間がこんなに自然らしく生きる生き方って有りますでしょうか?
そういえば、人間の体内時計というのも、体が浴びている「光」に関係しているそうでございます。海外旅行の際に時差ぼけを起こさないために、出発の数日前から計画的に強い光を浴びるなんて研究もあるそうでございます。やはりね、人間は「陽の光」に合わせて生活するのが自然なんでしょうねぇ。そんな不定時法を温存していた昔の日本人は、本当に四季折々の自然の移り変わりを大事にしていたのでございましょう。
さて、ここで、名古屋薫、ちょっとした予言をするのでございます。あまり確信のない予言でございますから、外れても文句を言わないように。その予言とは...
近い将来、不定時法のプチブームがやって来る
ということでございます。そして、そのきっかけとして、「現代の不定時法時計」の出現が考えられるのでございます。
江戸時代にはほんの一部の人にしか使いこなせなかった和時計も、現在の技術を使えば誰にでも使えるようなものが出来るのでございます。まず、日の出・日の入りが関係してきますので、時計そのものが現在位置を知るような仕組みが必要でございます。置き時計ならば、あらかじめ多くの都市名をプリセットしておき、ユーザーに選ばせればいい。腕時計なら、最新技術のGPSを内蔵してしまえば、世界中どこへ行っても不定時法で時を示す腕時計を作れたりするのでございます。
この際、秒針・分針は無しの方向で。針は時針のみ。デジタル表示なんてのはもってのほか。「自然に即したおおらかな時間感覚を得る」という不定時法の立場のもとでは、秒針や分針やデジタル表示はジャマなのでございます。もちろん、電車に乗ったり人と待ち合わせたりという場合に必要ですので、普通の時間も切り換えて見られるようにしておけば、日常生活でも困らないのでございます。でも、不定時法の時間と定時法の時間を並べて表示させたりする機能は、まったくナンセンス。定時法の時間感覚に縛られないための不定時法時計なのですからね。さてさて、こんなブーム、こんな時計は現れるのでしょうかねぇ?
夏は長い昼をのんびり過ごし、冬は夜長を楽しむ。日の出とともに行動を開始し、日没を一日の区切りとする。毎日を時間で追われる生活をしていると難しいですが、この不定時法による生活パターン、ちょっと魅力を感じるのでございます。ワタクシも現場を離れ年金生活をするころには(って、いつの話だ?)、この不定時法の生活を意識してみましょうかねぇ。
↓名古屋薫の夏休み自由研究(音が出ます)
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