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2010年1月

2010/01/26

歴代興行収入1位と2位が同じ監督作品!

Avatar「夜中に急にいなり寿司が食べたくなる…」というコンビニのCMがございましたが、夜中に急に『タイタニック』が観たくなるということはございませんか?(笑) 先日、朝までかかって『タイタニック』を鑑賞したあげく寝過ごしてしまい、「ママ、お店の鍵を開けてください」という従業員からの電話で起こされてしまったことがございました。従業員には普段から早起きを推奨しているワタクシとしたことが、大失態なのでございます。

 なぜ『タイタニック』なのか? そう、ちょいと前にジェームス・キャメロンの『アバター』を観てきたからでございます。絶大なるCG技術を駆使した最新映画を目の当たりにして、そのCG黎明(れいめい)期の作品を懐かしくなりまして、まぁ、ちょっと“さわり”だけみようと思ったらいつしか全編観ちゃっていたのでございます。で、その『アバター』でございますが、超おすすめでございます。ストーリーは単純でございますが、とにかく楽しませる事に徹した映画でございます。ある意味『スターウォーズ』のあの娯楽性に通ずるものがございます。

 映画の内容を言ってしまうのはヤボですので、ちょっと違う視点で説明してみましょう。この『アバター』に登場する異星人、肌の色を除けば全くもってアメリカインディアンにそっくりでございます。キャメロン監督も、意図的にそのようなデザインにしたようでございます。「『アバター』は『ダンス・ウィッズ・ウルブス』のリメイクだ」とも言われているように、このアメリカインディアンとの相似には、キャメロン監督の“わざとらしい”意図が垣間見られるのでございます。観ていない人には意味不明でしょうけどね、まぁ、観てみればすぐに分かります。

 ワタクシはこういった意図が盛り込まれている映画を個人的に、「アメリカの免罪符映画」あるいは「アメリカの贖罪(しょくざい)映画」と呼んでおります。「人類の存亡をアメリカが救う」といった「アメリカ・アズ・ナンバー・ワン映画」がもてはやされた時期もございましたが、その一方でアメリカ人の心の古傷をほじくり返すような映画が作られるのも、最近のアメリカ映画の傾向でございます。どこの国の歴史にも明部と暗部があるわけで、クリント・イーストウッドなんて監督も、その暗部をチクチク掘り出すのが好きな監督でございます。かつて猪突猛進だったアメリカも、今、その方向性に迷いを感じている時期なのかもしれませんね。と言うと日本にも暗部があるのでございますが、な〜んかなぁ、日本ではその“暗部”がアンタッチャブルになっちゃっていて、なかなか取り上げられなかったりするのでございます。「出る杭は打たれる」なんていう実に日本的なことわざが、そういった体質を象徴していますよね。

 さて、先ほど『ダンス・ウィッズ・ウルブス』が出てきましたが、ワタクシが思い出したのは、ロバート・レッドフォード主演の『大いなる勇者』という映画でございます。これも、白人とアメリカインディアンとの悲しい歴史に翻弄(ほんろう)された、ある白人男性の物語でございます。小さい頃にこの映画を観て、なんだかひどく悲しい気分になって、ストーリーはあやふやなのに、その悲しい感覚だけは鮮明に小さなトラウマになっております。小さいときに触れる芸術作品というのは重要でございますね。「三つ子の魂百まで」とは、よく言ったものでございます。

 『アバター』のお話を少しいたしましょうか。ワタクシは3D(立体)版を観てきましたが、う〜ん、まだまだ過渡期の技術なんでしょうねぇ。ワタクシが観た方式の3Dでは、ちょっと疲れてしまったのでございます。いろいろな情報を読むと、どうもIMAXという方式が一番評判が良いようでございます。そういえば、昔、新宿高島屋にあったIMAXで観た立体映画は、非常に鮮明でスクリーンも巨大、とても迫力があったのを覚えております。ところが、今現在日本で稼働しているIMAXの映画館は、その本来の巨大なスクリーンよりは少し小さめのスクリーンだとか。まぁ、この不景気では、しょうがないですよね。それを考えると、新宿高島屋のIMAXが潰れちゃったのは、もったいなかったですねぇ。もう少し3Dブームが早く来ていれば、今頃ウハウハでボロもうけしていたでしょうに。

 で、3Dを“過渡期の技術”と申し上げましたけどね、どうも立体に見えるのが邪魔になる事がある。まず字幕。字幕も画面の中に浮かんで見えるのですが、奥行き情報が増えた関係で画面の中が非常にやかましい。そのやかましい画面の中に字幕が埋もれてしまうのでございますね。普通の2Dの映画のようにすんなりと字幕が目の中に入ってこない。それが疲れる原因のひとつのようでございます。また、飛び出す画面の中で行き場を失った字幕がその表示場所をコロコロ変えたりする。これも視線が飛ばされて、疲労感の一端となっている。3Dの映画は「吹き替え版」をお勧めするのでございます。

 さらに、「画面がやかましい」と申し上げましたが、これは3DというよりはフルCG画像が持つ問題。画面の中の情報量が多すぎるのでございます。これはね、きっと「捨てる勇気がない」のでございますよ。今、CGクリエイターたちは、「あんなことも、こんなことも出来る」とウハウハ状態で作品を作っておりますので、画面に愛着を持ち過ぎるのでございましょう。ポイントを絞り込んで、捨てるものは捨て、“魅せたいものに視線が集中するような絵作り”があるともう少し見やすいのにというのが、ワタクシの現状のフルCG画像の印象でございます。

 そうそう、映画を観ていて気がついたのでございますが、カメラ撮影の実写のシーンは、画面の全てにピントが合っているわけではないのでございます。当然、被写体以外のところはピントが甘くなっているので、自然に被写体に視線が集中することになる。ところが、そのピントが来ていない部分も3Dで浮き上がって妙に存在感を主張してしまいますので、せっかくピントを外して“捨てた”つもりでも、画面の中では主張してしまい“やかましく”なるのだと思います。さらにこれが実写ではなくフルCGの画面ですと、画面の全てにピントが合い、しかも立体情報も持っていますので、さらに“やかましさ”は倍増なのでございます。

 こう考えると、これからのフルCG画像そして3D画像は、「捨てる勇気」が必要になってくる気がいたします。これは皮肉なもので、コンピュータの能力がまだ十分でなかった頃は、精細な表現を諦める事で、そのコンピュータの能力不足や特殊効果の限界を補っていたのでございます。逆に現在は、どこまでも精細でリアルな表現が出来るにもかかわらず、あえてその精細さを部分的に潰していき、簡素な表現を目指すことになるかもしれないのでございます。これを皮肉と言わず、なんと言いましょうか。

 あ〜、この「捨てる勇気」ってのは、他のいろいろなことにも言えるかもしれませんね。芸術作品全般には必要でしょうし、電子機器や家電製品の設計などでもあるでしょうし、会社経営とか、政治の世界でもあるかもしれません。あ、そういえば、ワタクシの家の押し入れにも、いろんなガラクタや空き箱やらがいっぱい...捨てる勇気を持たなければね。

 では、いろいろ申しましたが、みなさまもよろしければ、『アバター』、ご覧下さいませ。3D版は非常に混雑いたしますので、余裕を持ってお出かけくださいませ。ではでは...

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2010/01/16

♪君の行く道は、果てしなく遠い〜〜〜

 ハッピーマンデー制度なんてものが出来てから、月曜日が祝日になることが多くなりました。その結果、週休2日の人ならば3連休になるわけでございます。「成人の日」もそのハッピーマンデー制度の対象のひとつ。今年は1/11の月曜日が成人の日でございました。ということで、今回は成人に日にちなんで、「若者たち」のお話をするのでございます。

自分の成人式の日って、何やってたかなぁって思い出すと、2浪のボロボロの受験生。しかも目標は「音大」。午前中はあんこ工場(和菓子に入れる「餡」をいっぱい作っている工場)でアルバイトをし、午後から夜にかけて毎日8時間ぐらい練習をしている日々でございました。成人式って言ったって、なんか着ていく服もないし、というか本当は振り袖を着ていきたかったけど、そんなもの買うお金も、着て行く勇気もなかったし...ということで、成人式はバックレ(しらばっくれるとかサボるという意味)て、自分の部屋で悶々としていたような気がいたします。

 音大っつっても、お金がないので公立のピンポイント受験。そして、その公立の音大っていうのは「東京音大」と「京都市芸」のふたつしかない。どちらも競争率30〜40倍。受験勉強を2浪もしていると、自分の可能性っていうのが見極められてくるものでございます。ここは妥協して「愛教大の音楽科」なんていう選択肢もあるのでございますが、当時は血気盛んな若者であったワタクシ、「ケッ、先コウなんかになれるかよ」なんて思っております(教職の激務に従事されていらっしゃる方々、ごめんなさい、若気の至りです)。きっと「目標を下げたら負け」なんて思っていたのでございましょうね。現実を直視する勇気を持てず、目標が定まらないままに、ただただ黙々と練習だけを続けている日々でございました。

 午前中は蒸気釜の大鍋を前にして、ズタボロになってアルバイトをし、午後はひたすら練習をする。ソルフェージュ、ピアノ、専門楽器と、やるべきことは山ほどあり、8時間でも足らないと思っておりました。でも、そんなアルバイトと練習の日々が、まったく辛くはなかったし、それを軽くやってしまう体力もあった。年を取ると脳細胞は賢くなるが体力が無くなる。若い時は体力はあるけど頭の中が単細胞。世の中、うまく出来ているものでございます。目標が定まらないまま、血気だけは熱く、パワーは余りまくっておりました。軍隊の一個中隊でも与えられたらクーデターでさえやりかねない、そんな若者だったのでございましょう。

 さて、ちょっと話が変わりますが、最近見たふたつのテレビ番組のお話をいたします。ひとつは1/4にNHKで放送された『7サミット』という番組。これはニートであった若者が山に魅せられ、7大陸のそれぞれの最高峰に挑戦するドキュメンタリーでございます。もうひとつは1/8にテレビ東京系で放送の『たけしのニッポンのミカタ』という番組で、やはりニートが話題になっておりました。何でも最近は、ニート同士がネットでコミュニケーションを取り、お金を恵んだり恵んでもらったりするサイトがあるとのこと。同じニートを扱ったふたつの番組でございますが、妙に対照的な内容であったため、印象に残っております。

 両者は同じように、生きる目的が見つからない青年たちの姿でございますが、一方は有り余ったパワーを大きな目標にぶつけるドン・キホーテのような生き方をし、かたや一方は、惰性で生きる者同士が傷をなめ合って現実を直視しないようにしている。この両極端に見えるふたつの生き方に共通するのは、「傷つきたくない」という衝動。そう、若者は傷つくのを恐れるものなのでございます。パワーを出し続けていないと心が壊れてしまったり、傷をなめ合うことで孤独感を紛らわしたり、大人になるのが怖くて成人式で暴れてしまったり...そう、若者のガラス細工のような心は傷つきやすいのです。だから、若者は気取ってばかりいるのでございます。

 閑話休題。ガムシャラに山に登っている若者を見ると、「目標を達成しても空虚感が待っているだけだよ。だって、君はただパワーを山にぶつけているだけだから。ぶつけるものが無くなったら寂しくなるだろ」と思ってしまう。それは、自分も通ってきた道だからよく分かる。そして傷をなめ合っている若者たちには、「君たちの中には核融合でも作り出せないような巨大なパワーが秘めているのに、どうして使わないんだい。使っても使わなくても、そのパワーは年を取ると無くなってしまうんだよ」と思ってしまう。それは、ワタクシも若い頃は「この若さが永遠に続く」なんてアマッチョロイことを考えていたから。

 ゆとり教育というものが、“我慢の出来ない若者”を大量生産しているような気がしてなりません。でもその教育のシステムを作っているのは大人たち。大人の「いつまでも可愛い子供のままでいてね」という子供をペット化する思いが、そのようなシステムを作ってしまったのかもしれません。その最大の被害者は当の若者たち。世の大人たちは、最近の若者の弱体ぶりを嘆く前に、子供たちを崖下に突き落とす勇気を持てなかった自らの心の甘えに、気づくべきでございます。そして若者たちよ、大人に責任転嫁したところで、自分の人生はすべて自分にツケが回ってくるんだよ。大人を反面教師にして、生きろ!、そう言いたい。

 さらに話は変わって、ずっと前に、かぐや姫の『神田川』という歌の歌詞について書いたことがございました(2006/1/28分「やさしさ」)。最後の「ただ、あなたの優しさが、怖かった」という歌詞の深い意味に関してでございます。これに関して、テレビのあるバラエティー番組で言及(※注)しておりましたので、改めて補足いたします。この歌の歌詞、前半の石けんカタカタとか二四色のクレパスとかのくだりは、女性目線の歌詞だそうでございます。そして、最後の「若かったあの頃、何も怖くなかった、ただ、あなたの優しさが怖かった」という部分だけは、男性目線の歌詞だそうです。女性のひたむきで平凡を求める愛情に溺れそうになる心と、秘めたパワーのやり所に困る心、このふたつの心の間で葛藤する若者の心の歌だったのでございます。

 まぁ、年を取ると「平凡の中にも幸せはある」と思えてくるのでございますが、若い頃は「平凡は負け」ぐらいに思っておりますからね。若者には若者にとっての幸せ、年寄りには年寄り向けの幸せというものが有るようでございます。あ〜あ、最後は年寄りくさい話になっちゃった。ではでは、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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※注
『人生が変わる1分間の深イイ話』(NTV系) 2009/12/14 放送分より

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2010/01/09

人間は遺伝子の乗り物

 ワタクシは母親を5年前に亡くしております。年を取ってくると、体の様々な部分が母親と似てくるのを、まじまじと感じたりいたします。まず、目もと。目は母親とそっくりになっちゃいましたねぇ。そして体型(笑)。まぁこれは、自己責任も半分ということで母親のせいばかりには出来ません。あと、母親はぜんそくの持病を持っており、ワタクシも同様にぜんそく持ちなのでございますが、気がつくと、晩年の母親とそっくりのせきをしているのに気がつくのでございます。親子でございますねぇ。

 『西原理恵子の太腕繁盛記』(西原理恵子著、新潮社)という本の中で、西原の友人で美容整形で有名な高須克弥氏が西原に言葉を投げかけた、こんなエピソードがございます。

 (西原の夫、鴨志田の葬式の日に、高須が西原に向かって)
 高須:「いいですか、西原さん。人間は遺伝子の乗り物です」
    「鴨志田さんは、もう新しい船に乗船しました」
    「古い船の事は、忘れてしまいなさい」
    (西原の息子を指して)
    「ほら、あんな新品の船に乗船している鴨志田さんをごらんなさい」
    「彼は、しあわせですよ」
 

よく母親はワタクシに、「あなたは私の分身なんだよ」と言っておりました。年齢を重ね、自分の体の端々が母親と似てくるにつれ、母親の“分身”という言葉がしみじみと感じられるようになってまいりました。人間の体は、単なる“遺伝子の乗り物”。遺伝子という主人公が船を何十そうも乗り換えながらする長い船旅の、ほんのいっときの乗り物にしかすぎません。母親の遺伝子は、今、ワタクシの船に乗船中なのでございます。では、次の乗船先は...残念!! タマタマを取ってしまったワタクシの場合、今の船が終着のようでございます。

 もちろんワタクシは子供を“産む”ことは出来ませんし、“産ませる”こともすでに出来ないわけでございます。自分の遺伝子を未来に伝えられないというのは、この年になってみて、ちょっとさみしい感じがいたしますね。ワタクシの母親は、ワタクシがニューハーフになってからも、「孫の顔が見てみたい」と時々ことばをもらしておりました。そんなこともありまして、タマタマを取ってしまったことを母親には打ち明けられぬまま、母親は逝ってしまいました。もっとも、母親はそんなこと百も承知で、「孫が〜」と言って、ワタクシをからかっていたのかも知れませんけどね。

 一般論として、ニューハーフがごく普通の男性と夫婦(の関係)になろうとすると、この“子供を産めない”ということが大きな障害になったりいたします。本人同士は納得していても、親類縁者からそれを理由にして猛烈に反対されたりいたします。実家が田舎にあるほど、この傾向は強いようでございます。逆に最近は20代の夫婦の6割強が、「子供なんていらない」と言っているという調査報告もございます。また、未婚女性が意中の男性を手中に収めようとするとき、「子供が出来ちゃったみたい」という“女の武器”を最大限に利用する例もあるようでございます。

 子供がある、ない、できる、できない、できちゃった...男と女の間には深くて暗い川があるなんて言いますが、どうやら「子供」というものが、その川の深さや幅に大きな影響を与えているようでございます。

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○ちょっと4コマ漫画を(クリックすると、拡大します)
Can_case_futatu_4

○西原の夫の葬式に関しては「報道カメラマンの死、二様」もご参考に

○『西原理恵子の太腕繁盛記』西原理恵子著、新潮社、¥1,100
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2010/01/08

「夜の初えびす」って、なんかエロくない?

Kumade_2 え~、正月五日といいますと、「初えびす」の日なのでございます。関東地方ですと「酉の市」と称しまして、毎年11月の酉の日に鷲神社(おおとりじんじゃ)で盛大に熊手を売っていたりいたします。一方、名古屋では、酉(とり)ではなく恵比寿様を祝うようでございまして、毎年1月5日に熱田神宮で行われる「初えびす」が有名でございます。

 お店がオープンして以来かかさず行っている「初えびす」ですので、今回で10回目ということになりましょうか。昨日の営業終了後、広告原稿を作ったり、ホームページの更新などをしておりましたら、時間はあっと今に明け方の4時頃。ここで仮眠なんてことをすると寝過ごすのは必至、さっさと準備して行ってきたのでございます。

 雨に降られる年もあれば、雪の年もございましたが、今年はかなり暖かいのでございます。いつもなら、古い熊手を焼く“たき火”がこの上なくありがたく、しばしあたっていたりするものでございますが、今年はむしろたき火の火が熱いぐらい。古い熊手を火の中に放り込み、新しい熊手とお札をいただき、お参りをしてさっさと帰ってきたのでございます。

 初えびすはいつも深夜に行くのでございますが、ここ数年は寒いと思ったことはございません。これも地球温暖化の影響なのでしょうかねぇ。あ、そうそう、最近は「どんと焼」で発生するダイオキシンが問題となったりしてますが、熊手を焼くたき火を見ながらそんなことがチョット気になったのでございます。で、ふと熊手をチェックいたしますと、以前はプラスティックを使っていたような部分も、ぜんぶ厚紙で作られておりました。縁起物の熊手にも環境問題への影響が及んでいるようでございます。

Hatuebisu 最近は、やれ“シーオーツー”だ、やれエコだと騒がしいですが、石炭が、そして石油が発見されて以来、人類は劇的な勢いでエネルギーを燃やし続けております。「焼く」「暖める」といった所作は、そのまま「熱エネルギー」を発生いたします。「動く」「動かす」といった「運動エネルギー」の発生では、副次的に「熱エネルギー」も発生いたします。そして、「冷やす」といった所作でも、当然、その冷やしたエネルギーを上回る「熱エネルギー」を発生いたします。夏のエアコンの室外機を考えれば分かりますよね。

 人類は、すでに100年以上も、膨大な熱エネルギーを発生し続けております。地球が暖かくなるなんて、当たり前だと思いますよ。それをすべて“シーオーツー”の責任にするのは、シーオーツーもいい迷惑でございます。根本的な原因はシーオーツーと言うよりも、人類の営みそのものだと思うのですけどね。文明が発達すれば地球が暖まるのは当たり前。その暖まった地球でどう賢く生きていくか、そういった考え方の方が、賢明のような気がしますけどねぇ。

 やはり初えびすは、肌に突き刺すような寒さの方が、しっくり来るのでございます。初えびすのたき火を見ながら、いろんなことを考えた夜でございました。

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2010/01/03

2010年宇宙の旅("トラ"ベル)

2010nengajo←2010年 年賀状

 あけましておめでとうなのでございます。今年は頑張って年賀状を作りましたので、みなさま方に披露するのでございます。今年は寅年ですので、トラに扮しましたよ~。

『2001年宇宙の旅』なんて衝撃的な映画がございましたが、その続編で『2010年』といいう映画がございます。映画の中では木星までの有人飛行が可能になっているはずの2010年ですが、現実では、スペースシャトル計画がその運用を終える年になってしまいました。また、事業仕分けではロケット開発の予算は容赦なくカットされておりましたし、映画のような宇宙時代は、まだまだ先のようでございますね。

 スペースシャトルの運用が終わると、国際宇宙ステーションに物資を補給する方法が問題になってくるわけでございます。となると、先日、日本のJAXAが成功させた「HTV」という無人補給機は、とっておきの目玉商品だと思うのですが、このタイミングで予算削減とは、ロケットの関係者はガッカリしているでしょうねぇ。

 また、「2位じゃダメなんですか?」で有名になったスーパーコンピュータの予算も、事業仕分けでカットされておりました。このスーパーコンピュータというもの、今や新素材や新薬の開発、航空機の空力シュミレーション、核融合といった科学技術の最先端にはなくてはならないもので、スーパーコンピュータの開発停滞は、先端科学技術全般の停滞を意味するのでございます。1位や2位である必要は無いかもしれませんが、“1位グループ”に入っているということは、絶対条件だと思うのでございます。

 また、天気予報、台風の進路予測などにもスーパーコンピュータは使われておりますよ。正確な天気予報の情報は、流通業界の運用計画・売れ筋予測にはなくてはならないものでございます。また、広域の気象情報は、中東と日本を行き来するタンカーなどの燃料削減に、大きく役立っているのでございます。

 さらに、ミサイルの弾道計算をするのもスーパーコンピュータ。ということは、とろくっさいコンピュータ使っとる国は、簡単に攻められてまうで、あかんがね、ということになるのでございます。軍事目的にも使われる高性能のコンピュータは、輸出規制品になることも多く、「自国で開発しなくても輸入すればいい」という理屈は、通らないのでございます。

 事業仕分けに出席していたコンピュータ側の官僚も、スーパーコンピュータが大学の研究室の中だけのものではなく、生活に密接に関係しているものであることを、もっと説明出来ればよかったのですけどね。ということで、なんか宇宙旅行の話から事業仕分けの話になっちゃいましたね。では、本年もよろしくお願いします。名古屋薫でございました。

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