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2009年11月

2009/11/26

ワタクシが書かねば、誰が書く!

Science
 科学雑誌を時々購入いたします。興味のある内容だったりすると、ついつい購入しちゃったりするわけでございます。『Newton(ニュートン)』という雑誌は写真やイラストがメインで解説も一般向けで分かりやすく、眺めているだけでも楽しめる雑誌でございます。専門知識を持っていない一般の読者をターゲットにしているようでございます。一方、『日経サイエンス』という雑誌はかなり高度な話題が多く、こちらはチョット専門的な雑誌でございます。高校生の時などは、理解も出来ないのに『日経サイエンス』を読んだりして、カッコウを付けたりしておりました。書いてあることの半分も理解できませんでしたが、何かハイレベルなものに触れているという高揚感あったものでございます。

 さて、最近の巷の話題といえば、「事業仕分け」でございますね。いやぁ、蓮舫さん、凛々しいですねぇ。そんな蓮舫さんの歯に衣着せぬもの言いに、高名な学者様からクレームがついたようでございます。確かに、科学技術というのは何十年もの過程を経て進歩していくもので、今結果が出ていないからと予算を減らされるのは、最前線の研究者の方々にとっては不本意でございましょう。また、いわゆる発明・発見というものは“たまたま偶然見つかる(スピンオフ)”ことが多いわけで、「投資」と「結果」が直接結びつかないという点が、こういった予算の設定を難しくさせております。

 ただ、先ほどの二種類の科学雑誌のように、『Newton』のように科学を広い視野で見て説明しようとする方法もあれば、『日経サイエンス』のように非常に狭い範囲を深く掘り下げて説明する方法もございます。どうも技術の最先端にいらっしゃる学者さんなどは、『日経サイエンス』的な説明の仕方が板に付きすぎているようで、科学研究の重要性ばかり説いておられます。ところが、“仕分け人”の方々は、そんな科学研究の重要性なんて、たぶん百も承知なはずでございます。研究の重要性を分かった上で、無駄なところに流れているお金を搾(むし)り取るための“牽制球”を投げているのでございます。

 学者の皆さん方は、頭から湯気を出して怒っているばかりではなく、ご自分の研究の現場を、もっと広い視野で見直すべきでございます。というか、研究バカ(失礼)な学者さんの横でちゃっかり私腹を肥やしている要領のいい人(普通は研究にあまり関係ない公務員が多い)が必ずいるはずで、今回の事業仕分けは、そういった「ちゃっかりさん」に対する“牽制球”なのでございますよね。たとえば、日本科学未来館関連のディベートでは、宇宙飛行士の毛利衛さんが直接事業仕分けに出席しておりました。未来館の意義を熱く説く毛利さんの姿とはうらはらに、仕分け人の感心はその未来館に張りついている科学技術広報財団の方でございました。

 さてさて、そういった事業仕分けに関する賛否は世間で十分やられておりますので、ワタクシはちょっと違った見方をしたいと思うのでございます。“仕分け人”の方々には様々な厳しい批判がされております。同じ政治家の中にも、批判的な言葉を下す方もいらっしゃいます。でもね、思うのでございますが、仕分け人の方々も、けっして「好きでやっている」わけではないのでございます。たぶん、たまたま適任として選ばれたのでございましょう。中には、「貧乏くじ引いたな」と思っている仕分け人もいるかもしれません。にもかかわらずあれほど熱心に“仕分け”をする原動力は何か? ワタクシは何となく、「自分がやらねば誰がやる」といった使命感を感じたのでございます。

 世の中には、「割の合わないつらい仕事」というのはいっぱいあるのでございます。医者、看護師、消防士、警察官...こういった人たちの志気を支えているのは「自分がやらねば誰がやる」といった気持ちだと思うのでございます。仕分け人のダイレクトなもの言いには賛否両論ありますが、すべて「お仕事」として使命感に燃えてやっていること。最近の政治家は、貧乏くじを引くことをことさら怖がって、総理大臣の椅子さえ、その座り手が二転三転する時期もございました。「人を助ける」「世の中を救う」、そういった分野にこそ、「自分がやらねば誰がやる」といった意気込みが必要なのでございますけどね。

 科学研究の成果がすぐに表れないのと同様に、事業仕分けの成果が問われるのも、まだまだ先のことになるのでしょう。あえて日本の将来のために貧乏くじを引こうとする姿は、最近の日本の政治家が忘れている真っ当なあり方ではないですか? 公務員を称して「公僕」なんて言葉がございます。国民の僕(しもべ)という意味でございます。事業仕分けには大変な数の傍聴者が足を運びました。これは、事業仕分けの熱いやりとりに、本来有るべき政治の姿の片鱗を見ることが出来たからではないですか。世の中の関心を集めたという点だけでも、事業仕分けはひとつの成果を上げたと思うのでございます。世の中を腐敗させるのは政策の是非ではなく、「一般大衆の無関心」なのでございます。

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2009/11/24

プロマイドは間違い、ブロマイドが正式名称だよ、イエィ!

 『シーメール白書』という創刊17年の歴史を誇るニューハーフ雑誌があるのですが、とうとうその雑誌が休刊(事実上の廃刊)することになったのでございます。ワタクシ、その雑誌のコラムのひとつを執筆しておりまして、本日、最後の号となるVol101用の原稿を入稿したところでございます。このコラムには、毎号ワタクシの写真も掲載されておりまして、実はその写真、毎回ワタクシが自分で撮影しておりました。

 本日もカメラを自分に向けて“自分撮り”。そのデータを現像ソフトで雑誌用の大きさのモノクロ画像として書き出しまして、メールに添付して編集部へ送る。とまぁ、これでワタクシの『シーメール白書』への最後のお仕事が完了してしまったのでございます。この雑誌には、8年間にわたってコラムを書かせていただきました。書いているときは、「面白くないから打ち切り!」なんてことを急に言われるのではないかと、いつもハラハラビクビクしておりましたが、雑誌の方が先に休刊になってしまうというのは、実に残念なことでございます。

 で、そのモノクロの画像データ、たまたまプリンタの写真用紙のハギレが余っておりましたので、チョチョイチョイとプリントしたのでございます。まぁ、気分は浅草マルベル堂! カッチョいいブロマイドを作って自慢のひとつでもしてやろうかと思ったのでございます。ところがところが、どこで設定を間違ったのか、プリントアウトしたものを見てみると、妙に白っぽいできあがり。しかもチョット色が付いている。

 でも「まぁいいか」と思いつつ従業員に見せたのでございますが、従業員の反応は、

     「まるで“遺影”みたい...」

 アハハハハ、ヤッタッ~~、イエィ! なんて言っている場合ではございません。そう言われてみればなんか昔の写真のようなちょっと古めかしい微妙な色具合。確かに「遺影」のようでございます。まぁ、生前葬をやっておくと長生きするとか言いますし、ここは「イエィ!」と喜んでおきますか。

 ということで、その「遺影」のような画像をお楽しみ下さいませ。下のリンク先の画像は、そのプリントアウトされた写真と同じように見せるための色調補正をしております。

↓イエィ
Kaoru_hakusho101_2

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2009/11/23

伝統を変えるっていうのは、勇気がいるものです

 大相撲の九州場所が始まっておりますが、ワタクシ、この大相撲中継の音声を聞いていると、なぜか妙に懐かしい感覚に陥り、そして非常に眠たくなってくるのでございます。大相撲中継の音声をを聞きながらウトウトしているときなんてぇのは、「もう、このまま死んじゃってもいい!」って思えるほど気持ちがいいのでございます。これはきっと、小さいころ昼寝をするときに親がいつも相撲中継を見ていたか、はたまた、相撲中継の音声の中に、ワタクシを眠りに誘う秘密の周波数があるのか? そうそう、赤ん坊は「ザ~」というホワイトノイズの音を聞かせると寝付きが良くなるとのこと。なんでも、赤ん坊が母親の胎内で聞いていた音が、ホワイトノイズに近いそうでございます。ということは、ワタクシの感性は“赤ん坊なみ”っちゅうことでしょうか。まぁ、大相撲中継の音声を聞いてワタクシが懐かしい気分になるということは、それだけ大相撲中継の音声の雰囲気が変わっていないということでもございます。

 某国営放送(NHK)には、大相撲中継の他にも、昔からあまり変化のない長寿番組がございます。大晦日の「紅白歌合戦」でございます。その出演者が本日発表されたそうでございます。この番組、数年前に視聴率が非常に低迷いたしまして、いろいろテコ入れをやったあげく、少しずつ盛り返してきております。でも何でしょうねぇ、NHKの他の音楽番組には秀逸なものが多いのに、この紅白歌合戦だけは何か因習のようなものを引きずっていて、根本的なところで大改革をやり損ねておりますよね。NHKの資本力をもってすれば、もっとすごい音楽番組が出来るはずなのに、でございます。大相撲でもそうでございますが、なまじっか“伝統”があるものってのは、その伝統が改革の邪魔をするのでしょうね。

 もう、「生放送」にこだわらなくてもいいと思いますよ。あれだけの出演者が入れ代わり立ち代わり出演するとなると、どうしても舞台上で組めるセットというものに制約が生じてまいります。また、生舞台・生放送ということで、ポストプロダクション(映像収録後に行うエフェクトなどの処理)もほとんどできません。そして秒単位で管理する番組の流れが、どこか「せせこましさ」を与えてしまっております。同じNHKの『SONGS』なんて音楽番組では、大がかりなセットを組んで実に独創的そしてダイナミックな表現をしております。どうも紅白歌合戦は、録画技術が生まれる前の骨董的伝統に縛られているのではないでしょうかねぇ。今までのどこかの時期に、「録画にしましょうよ」って言い出した人がひとりぐらいいたような気もするのでございますが、そんな革命家の提案よりも、長らく続いた伝統の重さが勝ってしまうことは、容易に想像できるのでございます。

 出演者の選定にも「アレッ」って思うことは有りますが、その出演者が歌う曲目の選び方にも、芸がないですよね。せっかくの大晦日という特別な日の特別な時間の娯楽なのに、その娯楽番組の内容は「ありきたり」をただ集めて、せわしなく次から次へと流すだけ。ここはいっそ、普段見られないものを見たいですよね。そして、普段聞けないものを聞きたいですよね。他人の歌をカバーしたり、普段歌わないジャンルを歌ってみるとか。演歌歌手ってのは歌詞を大事にしますので、バラードなどを歌わせると意外にもムチャクチャうまいですよ。また、大勢でミュージカル仕立ての演出なんてのもいいですよね。なんてことを書いていてふと思いつきました。そう、そうですよ、あのフジテレビの『新春かくし芸大会』の趣向を、そのまま使っちゃうのでございます。あの「非日常感」というのが、紅白歌合戦には少ないのでございます。

 “生放送”にこだわらなければ、もっとすごい番組に出来るはずなのですけどね。すばらしい音楽番組を多く作り出しているNHKにしては、実にもったいないと思うのでございます。といったところで、今年の紅白歌合戦はどうなるのでございましょうか。自分のお店を「完全年中無休」にしちゃったおかげで、毎年お店で店番をしながら年を越してしまう、名古屋薫なのでございます。

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2009/11/21

内容を書かずに映画紹介『沈まぬ太陽』

Shizumanu_12
 最近はずっとお店にはり付き状態で、なかなかお休みとか取れないのでございますが、ちょっとした暇なタイミングを見計らって、外出させてもらい、映画などを観たりしております。先日観てきた映画は、渡辺謙主演の今話題の映画、『沈まぬ太陽』でございます。

 実は今年の春に大阪へ出向いたとき、新大阪の駅でたまたまこの映画のロケ現場に居合わせたのでございます。そのときのシーンを確認したいという気持ちもありまして、わざわざ外出して観に行ったというようなこともございます。ストーリーを書いてしまうような興ざめなことはいたしませんので、まだ映画を観ていらっしゃらない方も、安心してお読みくださいませ。

 この映画、3時間22分という長尺でございまして、途中で10分間の休憩が入ります。長尺ではありますが、けっして退屈したりはいたしません。主人公のモデルは小倉寛太郎(おぐらひろたろう)という実在の人物。山崎豊子による原作がこれまた周到な事前取材を経た上で書かれており、小倉寛太郎氏の著作物などとも大筋で合致することを考えると、この映画のストーリーのようなことは、たぶん実際に起きていたのだろうと想像できるのでございます。

 ところが、この映画のもう一つの主役である「○○航空」は、まったくこの映画に協力しておりません。事実無根なストーリーだと抗議し、協力どころか名誉棄損も辞さぬ勢いでございます。もうね、潰れかけている会社がまだそんなことを言っているのかと呆れてしまうのでございます。海の向こうアメリカでは、公的支援の是非を問う公聴会にジェット機で出向いた自動車3バカ社長がおりましたが、まさにそれと同じ。こんな○○航空を救うために貴重な税金が使われるのかと思うと、腹立たしくもなるのでございます。

 閑話休題、今回お話ししたかったことは、そんなバカ航空の話ではございません。この作品のモデルとなった小倉寛太郎という人物の妙な魅力について、お話ししたかったのでございます。この小倉寛太郎氏、バカ航空との闘争の物語でも執筆しているかと思いきや、著書はアフリカのお話ばかり。動物の写真集なども出しております。一企業との闘争なんて小さなことには目もくれず、晩年の関心は大自然の摂理にあったようでございます。そんな小倉氏の生き様に相対(あいたい)すればするほど、既得権益に固執する一企業の卑(さも)しさが、浮き彫りにされるのでございます。

 で、実在の人物小倉寛太郎さんの経歴などを調べると、この人の生き方がどんどん不思議に思えてくるのでございます。人生のほとんどを航空会社との労使紛争に費やしながらも、その心は、どんどんアフリカの広大な大自然に引き寄せられていったようでございます。小倉氏の出版した写真集を見ますと、その写真集の主役が動物ではないことが、すぐに分かります。

 地平線まで広がる広大な大地、蒼(あお)くどこまでも高い空、さまざまに形相を変える雲、とてつもなく大きく緩やかに大地をなでていく風、そして匂い。すでにアフリカの空気の一部になっているとも思える動物たちの“いとなみ”。そんな何もかも包み込むような雄大なアフリカの大自然の空気を、その写真集からは感じ取ることが出来るのでございます。動物が好きとか、草原が好きとか、そんなレベルではなく、大自然の摂理そのものに惚れ込んでしまったのでございましょう。そんな小倉氏の晩年の感性が、読み取れるのでございます。

 この作品は、ある航空会社の一社員の生き様を通して、その社員の持つ雄大な人生観を描くことが本来のテーマなのですが、残念ながら、3時間22分という尺をもってしても、それを完全に描ききっているとは思えないのでございます。この映画を観に行かれる方は、観る前でも後でもよろしいので、原作を読む、あるいは、小倉寛太郎という人物の略歴などに触れることで、その描ききれなかったさらに深い部分に触れることが出来るのではないでしょうか。ということで、よろしかったらご覧下さいませ。『沈まぬ太陽』

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