« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009/04/29

秒進分歩の時代に7年越しの計画ですか?

 本日は「みどりの日」ということで休日、ゴールデンウィークに突入なのでございます。すでにさっさと旅行にでかけちゃった方、自宅でテレビを見ていらっしゃる方、いろいろでございましょう。ワタクシ名古屋薫はと申しますと、ゴールデンウィークもぶっ通しでお仕事三昧。世の中が遊んでいるときに忙しくなるという、サービス業の宿命なのでございます。

 さて先日は、日本のテレビ業界を大きく揺るがす大ニュースがございました。SMAPの草ナギ剛さんが大トラになってトラ箱に入れられたとのこと。なんだか逮捕とか家宅捜索とか大変な騒ぎでございます。どうしてこんなに処分が重いのでございましょうねぇ。なんか、警察の各区域ごとに「どこが一番有名な人を逮捕できるか」なんて競争でもしていたのでしょうか。逮捕した赤坂署には、かなりの抗議電話が殺到したようでございます。

 この騒ぎで、ちゃっかり行動しているのがフジテレビ。「今回の件で事務所に賠償金は請求しません」と、早々と決めております。ジャニーズ事務所ってのは何かと注文の多いところだそうで、フジテレビとしてはここでキッチリ恩を売っておいて、今後のタレント利用を有利に運ぼうというもくろみでございましょう。ジャニーズは、SMAP以外にも有力なタレントを多く抱えておりますからね。「草ナギの件、目をつぶったんだから、今度はこちらの注文、聞いてよね」といったところでしょうか。

 その草ナギ事件を耳にして、鳩山さんがこれまた脊髄反射で批判がましいことを言いまして、ヒンシュクを買っております。もうちょっと様子を見ながら、そして言葉を選びながら発言すればいいのに、どうして思ったことをツルッと言葉にしちゃうのかなぁ、政治家のくせに。ひと昔前にゃぁ「駐車違反ぐらいなら政治家に頼めばもみ消せる」なんて言われた時代もございました。その感覚で今回の事件も“もみ消し”にかかればよかったのにね。この草ナギ事件が大きくなると、地デジ移行がらみのポスター全張り替え、CM取り直し、そういった費用は税金から出るわけで、国民の血税の重さを自覚していたのなら、クールダウンさせる発言こそすれ、火に油を注ぐような言い方はいけないでしょ。こんな時こそ、政治家お得意のしたたかな洞察力を発揮していただきたいのに。

 草ナギ剛さんがどのくらいで復帰してくるかは分かりませんが、復帰後最初の出演は、公共広告機構からアルコール依存症がらみのCMとかいいのではないでしょうか。説得力があると思いますけどねぇ。ひょっとしたら、草ナギさん、アルコール依存症の一歩手前まで行っていたのかもしれませんね。この時期に逮捕されたというのは、本人にとってプラスだったんだと考えましょう。まだ再スタートが出来る年齢ですからね。

 さて、その草ナギさんが大使を務めている地デジ移行でございますが、この事件が多少影響はするのでしょうが、移行そのものは予定通りに2011年に実施される可能性が濃厚でございます。ワタクシがすんでいるお部屋のビルも、共同アンテナに地上アナログ、地上デジタル、BS、CSとフルメニューが入っております。ところがところが、ビルが古いため、その壁の中を走っている配線も古く、せっかくフルメニューの共同アンテナも、お部屋によってはBSやCSがレベル不足で見られなかったりしております。せっかくフルメニューの共同アンテナがあるのに、BSやCSを見るためには自前のパラボラアンテナを必要とするチグハグな状態で、なんだかなぁなのでございます。

 この地デジへの移行と似たような事情を持つメディアに、「有線放送」というものがございます。店舗などのBGMは、この有線放送を利用しているところが多いのでございます。長らく、この有線放送というものは、各店舗を電線でつないでおりました。しかし、街中に張りめぐらされたその電線が各所で老朽化し、やはりレベル不足で不安定な状態なところが多いそうでございます。そこで有線放送の会社は、その電線をインターネット回線や衛星回線、無線といったものに交換し始めているそうでございます。ワタクシがニューハーフデビューしたころのお店は、有線放送が4チャンネルぐらいしか有りませんでした。ところが最近では、一台のチューナーで400チャンネルほどの内容を聞けるのが当たり前でございます。どうやってひとつの回線にそれほど多くの情報を盛り込めるのか分かりませんが、情報伝搬技術の進歩は、すさまじいのでございます。

 今や、数百チャンネルもある有線放送がインターネットでつなげられる時代でございます。同様に、テレビ番組なども、インターネットを利用して配信する方法もございます。総務省が躍起になって進めている地上デジタルへの移行、やたらアンテナのことを強調しておりますが、ひょっとしたら2年後の2011年には、アンテナよりもインターネットを利用した視聴の方がメインになっている可能性もあるのでございますよね。NHKが苦労して開発したハイビジョンテレビも、さあ実用化という段階には世の中のデジタル化の勢いに先を越され、すっかり過去の技術になっておりました。電波を使った地上デジタルという配信方法も、2011年には過去の技術になっていなければいいのですけどねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/27

愛情飽和度100パーセントの人生

 まず、最初にことわっておきますよ。今回は、非常に不謹慎で軽率なお話をいたします。不謹慎で軽率なお話をするとワザワザことわっているので、ワタクシは責任を取ったりいたしません。ですから本日は、不謹慎で軽率で無責任なお話でございます。

 小さな子供の臓器移植が、国外では出来なくなるそうでございます。これってね、「○○ちゃんを助けましょう」とか言って募金を集め、小さな子供が臓器移植を受けるためにアメリカまで行ったりとか、そういうのが出来なくなるのでございますよね。それで、この募金をまねて、架空の病気で募金を騙し集める「死ぬ死ぬ詐欺」なんてのも起きたりしております。さあ、不謹慎なことを言いますよ。あのね、子供ってのは、特に小さな子供ってのは、簡単に死んじゃうものなのでございます。重病を抱えて生まれてくる子供というものは、家電製品でいえば初期不良品。初期不良ならば、交換すればいいのでございます(ア〜ァ、言っちゃった)。

 小さな子供が死ぬということは、確かに悲しいことでしょう。でも、それってね、悲しい、悲しいと大騒ぎしているのは大人側でしょ。大人が「子供を失うのが悲しい」と言って、騒いでいるのでしょ。死ぬことが恐い・悲しいと思うのは、大人になって多くの煩悩を抱えているからでございます。小さな子供ほど「生への本能」で生きております。大人が持つ「生への執着」が、小さな子供にどれだけあるでしょうか? 募金という形で多くの人の手を煩わせ、小さな体に大手術という負担を負わせ、そして時として不幸な結果に終わり、家族は莫大な借金を抱えていくことになる。これを、大人のエゴではないと、言い切れますか?

 長く生きたから幸せなのですか? 生まれてすぐ死んだ子供は不幸ですか? 生まれて、たった数年の命しか与えられなかった命でも、その数年の間中、すばらしい愛に抱かれていたのなら、その数年間は愛情度100パーセントの人生でございます。一生のすべてが100パーセントの愛情で満たされているなんて、なんてすてきな人生だとは思いませんか? 愛情飽和度100パーセントの人生、すてきでしょ。

 発展途上の国ほど、多産多死型の人工分布になります。小さな子供が簡単に死んでしまうから、母親は犬のようにポンポンと子供を産むからでございます。本来死んでしまったであろう小さな命を、医学の力で救う、それもひとつのあり方でございましょう。でもね、先ほど「初期不良」と不謹慎なことを申し上げましたが、短い命はそれを運命として受け入れ、また新たな生命を育もう、そういった考え方も有ると思うのでございます。小さな命を救うという体制もたしかに必要でしょう。それと同時に、より少ない負担で新しい命を育んでいける、そんな「多産型」へ向かう世の中の体制というものも、重要だと思いますよ。

 最後にちょっと付け加え。欧米諸国のセレブと呼ばれる人たちには、「愛情に恵まれない子供を養子として受け入れるのが、ひとつのステイタスである」といった考えがございます。ですから、白人の家庭が、恵まれないアフリカ系やアジア系の子供を養子として迎えているケースが多く存在したりいたします。また最近は、代理出産という形で生まれてくる赤ん坊のケースも、ときどき耳にいたします。日本語に「血縁」という言葉がございますが、親子の関係というものを、血のつながりとか肌の色とかで語ってはいけない時代になってきているような気がいたします。

 では、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/25

世の中は、エコ、エコと騒いでいるけれど...

 今回は、新聞の記事から拾い読みでございます。なんだか、「エコ大賞」を受賞した日立の冷蔵庫が実際にはエコではなかったとのこと。パンフレットのうたい文句ほどにはリサイクル材料が使われていなかったと騒がれております。巷ではリサイクル、リサイクルと騒いでおりますが、必ずしも「リサイクル=エコ」とならないことに、巷のみなさんは気づいていらっしゃるのでしょうかねぇ。多くの手間と熱量を必要とするリサイクル行程よりも、原料から新品を作ってしまった方がエコな物って、意外と有ったりするのでございます。

 ガラス瓶などはその良い例で、回収して洗浄・殺菌して再利用すると、新品よりも高価になっちゃうのでございます。また、溶かして別のガラス製品に作り替えようとしても、色や不純物の関係で、もはやガラス瓶としては使えないのでございます。そうそう、年賀状の含有率詐称で話題になった「再生紙」も、ガラス瓶と同様のことが言えるのでございます。粗悪なイメージがある再生紙というものは、その品質とは裏腹に、実は新品の紙以上にコストも手間暇もかかった紙なのでございます。

 そういった世の中のエコ感情と、実際の現場の事情との隔たり、現場の人間はもっと声を大にして言ってもいいと思いますよ。エコって言えば善人のように思われる。エコって書いておけば、優秀な電化製品のように宣伝出来る。「エコ」という“いかにも善良そうな言葉”が一人歩きして、その上っ面のイメージだけが利用されることが多いようにも感じられます。「エコ、エコ」って軽々しく使われていたら、「おまえ、『エコ』って言葉、使いたいだけちゃうんか?」と突っ込んであげて下さいませ。

 そういえば、戻ってきた料理の使い回しで物議を醸し出した「船場吉兆」。あれだって、再利用していたんだから、立派なエコでしょ。日本中の最高級な食材、漁師さんでも口に出来ないような高級な食材を尽くした最高級の料理を、惜しげもなく、手もつけずに残していくバカ客が大勢いたとのことです。船場吉兆を利用していた日本の官僚の皆さん方だそうでございます。

 そんなバカ客には使い回しの食材で結構でございます。世の中は船場吉兆に謝罪しろと詰め寄ったけれど、じゃぁ、最高級の料理に手もつけずに残したバカ客は、吉兆の料理人に謝罪するのか? 吉兆のあの女将さん、記者会見で腹話術みたいなことをやっちゃったけど、いっそ腹すえて、そういったバカ客のことをぶちまけてやれば良かったんですよ。エコとかシーオーツーとか気にしている「お偉いさん」の方々が、いちばん反エコなことをしているのでございますから。

 さて話は飛んで、三重県のJR名松線。営業終了後、ちょっと目を離したすきに、下り勾配を車両が勝手に動き出し、無人・無灯のままで10キロメートルも走行させてしまったそうでございます。危険だとか、職務怠慢だとか騒がれておりますが、動力を使わずに10キロも走行したのなら、それこそエコでございます。冷蔵庫から剥奪されたエコ大賞を、この幽霊電車に与えるべきでございます。

 この幽霊電車事件、不祥事と報道されておりますが、ワタクシなら、この幽霊電車でツアーとか組んじゃいますね。暗闇の中を音も立てずに走る不気味な幽霊電車、運転席は無人で、車内も真っ暗、深夜の田舎をゆっくりと走るのでございます。もちろん、スタッフを路線の随所に配置しておく必要はございますが、そのスタッフには妖怪のコスチュームを着せておくのでございます。窓の外にときおり見える人影が、砂かけばばあだったり、こなきじじいだったりするのでございます。終点ではどんなイベントを用意しておけばいいでしょうかねぇ。終点にボロ小屋を建てて、その小屋で一泊なんてのはどうでしょうかねぇ。「世界の車窓から、三重名松線、幽霊電車の旅」なんて番組が出来るかもしれませんよ。

 さて、本日のおやつはコンビニで購入した葛餅。パッケージには「吉野本葛」なんて書かれておりますが、吉野の本葛粉は、トッテモ、トッテモ高価でございますよ。まぁ、入ってなければ「広告に偽りあり」になっちゃいますから、チョコットは入っているのでしょうねぇ。それに、ワタクシ、吉野の本葛で作った葛餅というものを食べたことがございません。ですから、コンビニの葛餅が何で出来ていても、判断できないのでございます。ハッ、そうか! 詐称とか詐欺とかって、気づかなければ永遠に幸せになれるものなのでございますね。相手を完璧に騙しきるというのも、ひとつの愛の形のようでございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/23

裏付けとか裏書きとか、裏も大事だったりするのよね

 お店のホームページで「ひとりごと」という日誌を書いております。その「ひとりごと」で誤字があったようで、お客様からご指摘を頂きました。「丁重」とあるべきところを「低調」と書いてしまったようで、大変失礼な文章になってしまうところでございました。ご指摘、ありがたかったのでございます。このような同音異義語の誤字を“堂々と”やってしまうというのは、パソコンによる文章入力の弊害でしょうかねぇ。

 ワタクシの本棚には、非常に大きな辞書が二つほどございます。角川の「類語新辞典」と講談社の「類語大辞典」でございます。俗に言う類義語辞典で、ワタクシが文章を書くときには、この二つの辞典が大活躍している時期がございました。ございましたと申し上げたのは、今や、この分厚い辞典が、小さな電池で動く電子辞書に収まっているからでございます。そしてその電子辞書も、以前ほどの出番はなくなってまいりました。パソコンで日本語変換をしながら、日本語変換プログラムに内蔵された辞書が参照できるからでございます。

 一昔前に比べますと、文章を書くのは本当に楽になったのでございます。まず辞書を引くのがお手軽になりました。そして資料や文献をあたるときには、インターネットという強い味方があったりするのでございます。文章の"裏"を取るために、本屋で立ち読みをしたり、図書館へ出向いたり、たった数ページのために本を購入したりとか、そんな手間がなくなったのでございます。サクッと検索一発でワラワラと検索結果が出てくるのでございます。インターネットというところは、巨大な百科事典のようなところでございます。

 さてさてさて、(一般書物の)文献から裏を取った内容というのは自信を持って書けるのでございますが、インターネットから引用したものは、たいへん用心するのでございます。正しいけれど古いものとか、間違っているけど書いた本人が正しいと思いこんでいるものとか、あえて間違ったことを書き込んでいるものとか、もうね、インターネットというところは何でもあり。正否の判断は自分の責任なのでございます。

 そんなインターネットの書き込みを鵜呑みにして「裏に入った(※注)」人がいらっしゃいます。『最後のパレード ディズニーランドで本当にあった心温まる話』というベストセラー本を書いた作者でございます。その本の一節が読売新聞に投稿されたあるエピソードと非常に似ているとのことで、盗作疑惑を持たれております。著者本人の談によれば、「ネット上でみんなが知っている話として載せた」と言っているようですが、ネット上の気楽な文章に”原典”があるかも知れないと、どうして疑わなかったのでしょうかねぇ。もし調べても分からなかったのであれば、「原典不詳」とひと言加えておくべきでございます。

 ワタクシは大学生のころ、国文学科に在籍しておりました。まぁ、中退しちゃったんですけどね。それで、大学の中にゼミというグループ分けがございまして、そのゼミの中で自分の研究を発表したり小論文を書いたりするわけでございます。このとき、書物から引用した文章に対しては、必ず出典を添えるというのが大原則でございます。出典を書かずに自分の文章のような書き方をすれば、それは盗作でございます。また、「孫引き」というのも厳禁でございます。これは、すでに書物の中で他の書物からの引用として書かれている文章を、さらに引用文として使うことでございます。この場合は、その「他の書物」までさかのぼって原典にあたる必要がございます。

 インターネットなどがなかったころは、活字になっている文章というものには、非常に威厳がございました。と同時に、それを引用する場合には細心の注意をはらっていたような気がいたします。最近は簡単に自分の書き込みをインターネットに掲載することができ、画面上できれいな文字で表示することができ、全世界に配信することが可能になっております。そのような簡単さが、かえって「引用」の重要さ・怖さに対して鈍感にさせているかも知れませんね。ということで、辞書のお話から、引用のお話でございました。

(※注)
ワタクシ、「裏に入る」という語を「道を踏み外して困った状態になる」という意味で長年使っておりました。初めてニューハーフになったときに、そのお店のママさんがよく使っていて覚えたのでございますが、今回、その語の「裏」を取ろうと思ったら、どの辞書にも載っておりません。また、ネット上でもまったく用例が見つかりません。裏がとれなかったので、本来、多くの方が読む文章には使うべきではございませんでしたが、名古屋薫はアマノジャクなので、そんな言葉も使ってしまうのでございます。あしからず...名古屋薫は自由な風なのさ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »