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2008年6月

2008/06/24

ナイフにまつわる、ちょっと尖ったお話

宮崎努の死刑が執行されました。その執行にゴーサインの印を押した鳩山法相を、「死に神」などと称した新聞もございます。任務として行っている人を指して「死に神」とは、老舗新聞社の割にはセンスのない表現でございます。“世相をチクリと刺すコラム”での掲載とのことですが、刺したり叩いたりするのにも愛情の裏打ちは必要でございます。愛情という裏打ちが有ってこそ、その攻め(責め)が「愛のムチ」となって輝いてくるものでございます。そう、SMと同じなのでございます。宮崎県では「愛のムチ復活」などと話題になっておりますが、“愛情を下地にする”というのは、非常に高度な所作なのでございます。

「刺す」と言えば、秋葉原の通り魔事件から、早二週間が経過しております。犯行に使われたのが、タガーナイフという殺傷能力の高いものだったとのこと。ナイフ一本で何人もの人を次々と殺すなんてのは、軍隊の特殊部隊のお家芸だと思っておりました。しかし、こんなド素人の犯人が振り回したナイフで、あっという間に大勢の人が殺されてしまったのに、大変驚いております。「事実は小説よりも奇なり」と申しますが、まさに、映画のワンシーンのようなことが、実際に起こってしまったのでございます。

ワタクシ、このナイフというものには、非常に深い思い出がございます。今回は、そのナイフにまつわるワタクシの体験談をするのでございます。お話し出てくる登場人物のプライバシーを考え、一部設定は変えてありますが、実際にワタクシが体験したことでございます。

それは、ワタクシがまだニューハーフになる前のことでございます。ワタクシ、ある繁華街の中の、ある焼き肉屋でアルバイトをしておりました。夕方に店に入り、もっぱら皿や鉄板を洗ったり、煮上がったほうれん草を搾(しぼ)っておひたしを作ったり、切る前のタン(牛の舌)を叩いて柔らかくしたり、イカの皮をむいたりエトセトラエトセトラ、とかいう仕事をして、深夜に仕事を終える。それが、毎日の日課でございました。

その職場のホール係に、ワタクシよりちょっと年下の男の子がおりました。彼は、ズングリムックリのワタクシの体型に比べ、スマートで、美形で、それこそジャニーズのスカウトから声がかかりそうなルックスでございました。ただ、ちょっと世間を斜めに見るようなところがございまして、目はオオカミのように、いつもギラギラさせておりました。常に心を緊張させているようなところがあり、つい彼の心のトゲに触ってしまったりすると、笑っていても急に顔色が厳しくなるような、そんな危なっかしさがございました。

その職場では、同じような年代が二人だけということもあって、ワタクシと彼は次第に親密になり、仕事が終わった後には深夜喫茶(当時、ファミレスなんてぇものはございませんでした)で、朝方まで長話するなんてことも時々ございました。最初は仕事の愚痴などを言い合っているだけでございましたが、そのうち、彼は自身の生い立ちなどを、少しずつ話し始めるようになったのでございます。

彼は職場では、決して着替えるときに他人に肌を見せないようにしておりました。上着などで自分の体を隠しながら、巧みに仕事着に着替えておりました。彼の美形な顔立ちとは裏腹に、彼の半身には大きな火傷の痕が有ったからでございます。彼は両親の愛情に恵まれませんでした。むしろ両親は彼のことを邪魔者と思っていたようでございます。彼が高校を中退したとき、彼の両親は無理やり彼を親戚に家に預けたのでございました。その親戚は、中華料理店を営んでおりました。彼はその中華料理店を嫌々手伝うことになったのございますが、不運なことに、他人の不注意から高温の油をかけられてしまったのでございます。

その事故がもとで嫌気がさし、彼は飛び出すようにその親戚の家を出たそうでございます。その後、職を転々と渡り歩き、そして、ワタクシと出逢うことになったのでございます。ワタクシと彼とは、本当によく長話をしたものでございます。ワタクシだけには腹を割っていろいろなことを話しているようでございました。けれど、彼の心に深く根づいている多くのトゲは、いつまで経ってもその鋭さを失うことはなかったのでございます。彼は他の従業員とのちょっとしたやり取りでキレることも多く、ある日、店長と店の中で大げんかをしたあげく、プイッと辞めてしまったのでございます。

彼が辞めた後も、ワタクシは彼と連絡を取り合っておりました。仕事が終わった後、深夜喫茶で待ち合わせをして、やはり朝まで長話をするということも時々ございました。その時、彼が何をして生計を立てているか、ワタクシは詳しくは聞きませんでした。しかし、その繁華街の中で何かをしているのは、間違いないことでございました。そして、ちょっと危ない仕事をしていることも、彼の話っぷりから、何となく察しがついたのでございます。彼のトゲトゲした性格を考えると、起こさなくてもよい“もめ事”を、わざわざ起こしているのではないか、そんな心配をさせる空気が、当時の彼にはございました。

ある夜、深夜喫茶で待ち合わせをしていると、遅れてきた彼が、自慢げにあるものをワタクシに見せてくれたのでございます。革製のカバーから出したものは、サバイバルナイフでございました。柄の部分まで全て金属で出来ており、やや大きめのツバがつき、刃は鋭利な両刃になっておりました。「何かと恐い目にあうことが多く、護身用に持ち歩くのが当たり前、他の連中もみんな持っている」と、彼はワタクシに話したのでございます。ただ、彼は常日頃、両親や火傷の原因になった親戚に、非常に強い恨みを持っておりました。話の端々に、復讐心のようなものを感じることもございました。彼が自分の復讐心に気づいていたかどうかは分かりませんが、ワタクシには、その復讐心とナイフとに、いやな関連づけを感じたのでございます。

そのナイフの鈍い輝きに危ない予感を感じたワタクシは、彼に「護身用なら、もっと小さいものでも十分だろ」と提案したのでございます。そのとき彼は、意外と素直にワタクシの提案を受け止めたのでございました。その大きなナイフを、自分でも持て余していたのかもしれません。次に会ったときには、まったく同じデザインのひとまわり小さいナイフに変えておりました。提案を素直に受け入れてくれたことに安心してしまったのか、ワタクシは喉元まで出かかっていたもうひとつの提案を、そのとき飲み込んでしまったのでございました。

 「護身用なら、見せるだけで脅せるだろ。刃先は潰しておけよ」

ワタクシはそのとき、このように言うつもりでございました。この言葉を喉元まで出しかけておきながら、つい飲み込んでしまったのは、「まさか自分の周りで大きな事件など起こるわけなどない」とタカをくくっていたのかもしれません。あるいは、彼が気に入って大事にしているナイフの、その刃先を潰せというのが、どうも心苦しく思ったのかもしれません。多分、ワタクシが刃を潰せと言ったら、そのときの彼ならワタクシの言葉に従ったことでございましょう。それくらい、彼はワタクシには心を開いておりました。結果として、ワタクシは「どうせ何も起こらないだろう」と思い続け、彼はやや小振りではあるが鋭利なサバイバルナイフを持ち続けたのでございます。

彼がナイフを持ち始めてからしばらくして、衝撃的なニュースが報道されたのでございます。その繁華街で、殺人事件が起きたのでございます。死因はナイフで刺されたとのこと。ワタクシは彼の顔が真っ先に脳裏に浮かびましたが、このときにも、「まさか自分の周りで」という気持ちを持っておりました。その不透明な不安感は、次の日の朝、現実のものとなったのでございます。彼から電話がかかってきたのでございます。開口一番、昨晩の事件は自分がやったとのこと。とりあえずワタクシは、彼をワタクシの部屋に呼んだのでございます。

ワタクシは丸一日、かれをかくまったのでございます。その日は一晩中、彼と話し合いました。淡々と、彼は事の次第を話し始めました。カッとなってついやってしまったとのこと。ニュース報道では十数カ所をめった刺しと報道しておりましたが、彼はどこをどう刺したかなど、まったく覚えておりませんでした。ただ、気がつくと相手が血だらけになっており、そのまま逃げてきたとのことでした。

一見、彼は冷静そうに見えました。けれど、何を話しかけても、ワタクシの言葉は彼の脳裏の表層を滑っていくのが感じられました。どうしていいか、わからないといった感じでございました。ワタクシはなぜか、彼に自首を勧めなかったのでございます。彼に「逃げろ」と言ったのでございます。本来なら、被害者の死を悔やみ、犯人に自首を勧めるのが、人間としてしかるべき姿なのかもしれません。けれど、そのときのワタクシには、被害者への思いも法律規範なども、まったくございませんでした。ただ彼を逃がしたい、そう思ったのでございます。

ワタクシの「逃げろ」という言葉も、やはり彼の脳裏の表層を滑っていきました。彼は一切の判断能力が停止しているようでございました。これからどうするかを、いろいろ提案してみましたが、彼はただぼんやりとした顔で頷(うなず)くだけでございました。善悪の基準でものを考えるというよりは、むしろ蛇に睨まれた蛙のように、体も心もすくんでいる状態でございました。結局、ワタクシが彼に出来ることは何もなく、次の日の朝、彼は自分の部屋に帰っていったのでございます。

数日後、彼は捕まりました。自分の部屋にいるところを、訪ねてきた捜査員に検挙されたそうでございます。後から分かったことでございますが、彼はその繁華街では有名な人物だったらしく、事件の直後には、彼の犯行だということが、すでに分かっていたそうでございます。彼とワタクシの電話のやり取りも、一晩、ワタクシがかくまったことも、すべて調べがついていたそうでございます。

ワタクシは一度だけ、留置所内の彼に面接に行ったのでございます。面会室の透明板越しに見る彼の顔は、事件前の鋭い顔つきに戻っておりました。そのときの彼には、被害者を悔やむ気持ちは、まったくございませんでした。「裁判で徹底的に戦ってやる」、そう言って、目をギラギラさせておりました。ワタクシが面会に行ったのは、その一回きりでございます。その後の彼の消息は、まったく分かりません。多分、すでに刑期を終えて、シャバに出てきているはずでございます。先日の秋葉原の報道を、彼はどんな気持ちで見ていたのでしょう。まだ目が尖っているのでしょうか? それとも、丸い穏やかな目になっているのでしょうか?

彼は、たまたまカッとなったときにナイフを持っていて、気がついたらそれを使ってしまっていた。もしワタクシがそのナイフの刃を潰させていたら、彼は違う運命を歩んでいたかもしれないのでございます。あるいは、犯行後の彼が逃げるのをワタクシが手伝っていたら、ワタクシも何かの罪に問われたかもしれないのでございます。

みんな、「自分が犯罪者になるわけがない」とタカをくくっている。でも、人というものは、ちょっとしたことで誰もが犯罪者になってしまう可能性を秘めているのでございます。犯罪者になるために生まれてきた人なんてもちろんございません。確信犯でもないかぎり、「さあ、これから犯罪を犯すぞ」と自ら犯罪者になる人もおりません。

「気がついたら犯罪者になっていた」

犯罪を犯してしまった人というものは、そんなものでございます。

「事実は小説よりも奇なり」という言葉のごとく、以上申しあげたお話しは、ワタクシが実際に体験したことでございます。ただ、設定は、多少変えております。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が有りますが、犯罪者が犯罪に追い込まれるには、必ずその追い込まれるプロセスというものがございます。犯罪に至るそのプロセスを追求し、同じような悲しい事件が起こらないようにしてこそ、その犯罪者も被害者も浮かばれるというものでございます。

秋葉原事件の犯人を、「彼も社会の被害者だ」と言うような風潮もございます。その言葉の上べっつらだけを拾い上げると、その言葉は単なる“犯罪予備軍への免罪符”になってしまうのでございます。「犯人も社会の被害者だ」という言葉は、犯人の犯行に至るプロセスを掘り下げて、他の多くの予備軍の心を救う言葉で無くてはならないと思うのでございます。軽々しく「社会の被害者」という語が交わされるのを、ワタクシ、ちょっと嫌な面持ちで感じております。

ではでは、今回はこの辺で。なんか深刻なお話しになっちゃいましたね。次回はオチャラけたお話しでもしましょうかね。次回をお楽しみに。

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2008/06/13

軽くて深い味わい…お菓子じゃないよ

今頃の季節になりますと、近くの定食屋に「ナスのツユバリ」というメニューが登場するのでございます。焼き茄子がヒタヒタのおつゆに浸(ひた)してあるのでございます。温めても良し、冷たいまま食しても良し、このメニューが棚に並ぶようになると、「夏が来たな」と感じるのでございます。ナスとナツ、ナスとナツ、ナス、ナツ、ナス、ナツ、バンジャーイ。

さて、「羞恥心」というユニットをご存じでしょうか。「ヘキサゴン」というクイズ番組から生まれた、男性三人の歌手グループでございます。この羞恥心がユニット結成後2曲目にあたる「泣かないで」という曲を発表したのでございます。昨日、たまたまそのヘキサゴンという番組の中で見たのでございますが、もともと役者畑出身の3人でございますので、歌唱力に関しては、まぁまぁといった感じでございます。ただ、実にキッチリと歌い、キッチリと踊っている。特にダンスに関しては、キリリとしていて、なかなか格好良く決めているのでございます。

一般的に、歌先行でデビューしたアイドルの場合、ちょっと片手間的というか、なんかリズムの「ノリ」でごまかしているような踊りをする人がいたりします。これは、ベテランダンサーなどがする「枯れた踊り」とはちょっと違いまして、やはり「なんか誤魔化してるなぁ」といった感じがするものでございます。まぁ、歌が本職でございますし、多くの場合、後ろで本職のバックダンサーがキッチリ踊っているわけでございますから、アイドル自身がそれほどきちんと踊りきる必要はないのでございます。

そこで、この「羞恥心」の3人組でございますが、歌も踊りもけっしてハイスペックなことをしているわけではございません。ただ、キッチリ、誠実に歌い、踊っている。たぶん、歌の先生や振り付けの先生から注意されたことを、しっかり守っているのでございましょう。歌詞や振り付けを、実に大事にして演じているのが、伝わってくるのでございます。これは、3人が役者畑出身だということも有るでしょうね。舞台という非常に厳しい上下関係の中で培われた誠実さだと思うのでございます。

さて、その「羞恥心」の新曲とは別に、また違う新アルバムも発売されております。「JERO」の『カバーズ』というアルバムでございます。CDの発売は6/25みたいでございますが、「iTunes Music Store」には早々とリリースされております。えぇ、早速ポチリましたとも。ということで、その曲目を記してみたりいたします。

  M1「氷雨」 M2「君恋し」 M3「夜空」
  M4「水鏡」 M5本牧メルヘン」 M6「釜山港へ帰れ」
  M7「さらば恋人」

ちょっと話がそれますが、十数年前、ワタクシがミュージカルの勉強をしていたとき、歌のレッスンでまずやらされたのは「タンバリン」でございました。タンバリンで何をレッスンするかというと、「アフタービート」の練習でございます。つまり、邦楽というのは伝統的に拍の頭(表側)にアクセントが付くのでございます。ところが、洋楽の多くは拍の裏側にアクセント(アフタービート)が来るのでございます。このアフタービートというもの、理屈では分かっていても、長年、伝統的な邦楽に囲まれて生活してきていると、その頭打ちのリズム感が身体に染みついているのでございます。それを払拭して本当のアフタービートを訓練で身につけるのが、そのタンバリンでの訓練でございます。

最近は、「氷川きよし」さんなども、伝統的な演歌を歌いつつ、ポップスなども歌うようでございます。その芸風の広さに、氷川きよしさんの実力のすごさを感じたりいたしますが、やっぱり、氷川きよしさん、ポップスを歌うときは、どうしても拍の頭でアクセントを取ろうとしてしまうのでございます。実に器用に何でもこなす氷川きよしさんですが、ポップスを歌うと、ちょとドロ臭くなってしまうのは、その身に染みついたリズムの取り方が、原因しているようでございます。

逆に、アフタービートの世界で育った「JERO」さんが演歌を歌うとき、頭打ち前提で作曲されている演歌と、自然に裏打ちを使用とするJEROさんの歌い方とが相殺されて、実に軽やかな演歌となっているのでございます。リズムの「ノリ」は軽いけれど、言葉の一つ一つを大切に歌っているからこそ、その歌には強力な説得感が伴っているのでございます。ドロ臭さを感じさせない耳当たりの良さと、歌詞を大事に歌う誠実さ、これがJEROが人気を博している理由なのでございましょう。

先ほどのアルバム『カバーズ』でも、アフタービートノリノリの編曲にしてあったりいたします。普通の演歌歌手がその伴奏で歌ったりいたしますと、多分、伴奏のリズムに乗りきれず、チグハグなことになっちゃうはずでございます。アフタービートの下地があるJEROだからこその、歌いきりなのでございます。

思えば、「歌詞を大事に歌う」というすばらしい文化が、演歌にはあるのでございます。しかし、その演歌は、昔ながらの歌唱法から脱却できずにいるため、いまひとつ新しい世代のファンを獲得出来ずにいるような気がするのでございます。JEROのような新しい風が吹くことによって、日本の演歌界にも、新しい歌手、新しいファンが生まれるのではないでしょうかねぇ。

ワタクシは別にレコード屋(この言い方、古ッ)の回し者ではないのでございますが、JEROのこのカバーアルバムは、非常によろしいと思うのでございます。聴く機会がありましたら、JEROのその軽やかな表現力と、深い言葉の言い回しを堪能してくださいませなのでございます。ワタクシ的には、M7の「さらば恋人」がお気に入りなのでございます。

おバカキャラの人気やJEROの人気の裏には、その誠実さが有るようでございます。ひょっとしたら現代人は、「誠実さ」というものに飢えているのかもしれません。点数や成績ばかりで評価されがちな現代人が、誠実さという心の原点に基づく価値基準で評価し、また評価されることに憧れているのでしょうかねぇ?

では、今回はこの辺で。そうそう、ナツとナスと言えば、こんな曲がございましたよね。

  ♪ナスのお嬢さん、ビキニがとっても似合うね...

え〜と、え〜と...バンジャ〜イ

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2008/06/11

ミズノ印の褌が世界を股に掛けるとき

本日は「水着」のお話。そう、今、世界中で話題になっている、あの水着のお話しでございます。スピード社の「レーザー・レーサー」、すごいものでございます。あの水着をめぐって、日本中の水泳関係者が振り回されているわけでございます。

その大騒ぎの中でも、とりわけスポーツ用品メーカーの「ミズノ」と北島康介選手との契約がらみの話題が取りざたされたりしております。ミズノにスポンサードされている北島選手がスピード社の水着を着る、これはまさしく花柳界でいうならば、馴染みが金積んで芸妓(げいこ)を身請けしたにもかかわらず、その芸妓が若い男と駆け落ちしたようなものでございます。

さて、その北島選手は先日の競泳ジャパンオープンでスピード社の水着を着て、みごと世界新記録を出すわけでございますが、このとき、もうちょっとうまく事を運んでおけば、ミズノが大もうけするビジネスチャンスがあったのでございますけどねぇ。というわけで、「たられば」の話をしてはいけないのでございますが、逃がした水着は大きいというビジネスアイデアのお話しでございます。

そもそも、ミズノ屋の世話になっておりながらスピード屋の水着を着た北島、まったくもって男らしくないのでございます。ここは、一宿一飯の恩義を返す意味でも、意地でもミズノ屋の水着で泳いでこそ、日本男児でございます。そこで、日本男児と言えば「褌(ふんどし)」。そう、他の選手がそろってスピード屋の水着で出場している中で、一人、褌で出場するのでございます。

その褌も、普通の褌ではおもしろくないのでございます。もっとも、素材・構造などは伝統的な日本の褌そのものでございます。ただ、ひとつ違うところは、そう、「ミズノ」のマークが入っているのでございます。ミズノが規格を決め、型番を定め、「北島2008年モデル」として大々的に製品化するのでございます。もちろん、世界中から問い合わせが殺到することを考えて、ミズノのホームページ上などでも、きちんとアナウンスするのでございます。

世界中がスピード社の水着に注目しているこのとき、「世界の北島」が褌を着けて競泳大会に出場したら、これは、世界的なニュースになるのでございます。世界中で報道され、「あれは何だ!」という問い合わせが世界中から殺到するはずでございます。その結果、世界的な褌ブームが訪れるのでございます。何もないときに褌を着けたところで、効果は薄いのでございます。スピード社の水着が注目を浴びている今このときが、最大のビジネスチャンスなのでございます。

どうせ今回の水着開発競争は、日本勢の完敗は目に見えていたのでございます。でございますから、スピード社の水着が解禁されるのも自明の理。北京オリンピックでは、ほぼ自由に水着を選べるであろうことは、容易に想像がついたのでございます。なにも、あの日本中がそして世界中が注目している競泳ジャパンオープンで、北島選手が実験的にスピード社の水着を着る必要はなかったのでございます。まぁ、結果的に世界新記録を出してしまったので、結果オーライということなのでございますけどね。

北島選手は「泳ぐのは俺だ」みたいなTシャツを着ていながら、スピード社の水着を着たりして、潔(いさぎよ)さがないのでございます。男っぽくないのでございます。そこまで自己主張するのであれば、褌ぐらい着けていただきたかったのでございます。その褌がミズノ製ならば、スポンサーのミズノにも、大きなビジネスチャンスをものにすることが出来たかもしれなかったのでございます。そしてその褌姿を見て、北島選手は新しいファン層を開拓できたかもしれなかったのでございます。あ〜あ、せっかくのビッグチャンスを、もったいない、もったいない。北島の褌姿、見たかったのでございます(って、結局ソコかい!)。

スピード社の水着は競技規格違反ギリギリの素材を使っているそうでございます。日本の企業は「どうせオリンピック本番では採用されないだろう」とタカをくくって余裕をぶっこいていたところ、足をすくわれたようでございます。このような新素材は日本のお家芸だと思っておりましたがねぇ。いや、日本のある企業が、スピード社の水着と同じような素材を開発し、日本の水着メーカーに売り込んでいたそうでございますが、水着メーカーはその新素材をあまり使わずに新モデルを開発していたとのこと。ここでも、大企業のメンツが優先しちゃったのかなぁなんて、思うのでございます。

そうそう、レスリングという競技は、古代ギリシャ時代には、素っ裸で戦ったそうでございます。競泳も平等を期すため、素っ裸で泳げばいいじゃん、とか思うのでございます。まぁそれは冗談として、F1マシンでは、スピードが出すぎないように、タイヤの幅に対する規制ルールが出来たりした時代がございました。競泳の世界もスピードが出すぎないように、水着の面積を規制するなんてルールがそのうち出来るかもしれないのでございます。

ではでは、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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2008/06/04

配信方式の変更でございます

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 【名古屋薫のShe−Mail】
   ●●ニューハーフ名古屋薫のエッセイを不定期にお送りします●●
   ごくありふれた出来事も、男の視点+女の視点、合わせて四つの目で
      見るとどうなるか、ニューハーフ独自の視点でとらえた
          ちょっと変わったエッセイをどうぞ。
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さてさてさて、名古屋薫でございます。このメールマガジンとおつきあいの長い方には、このヘッダーが懐かしいのではないでしょうか? 今回は、ちょっとしたお知らせなのでございます。

ただ今、ワタクシのメールマガジン『名古屋薫のShe-mail』は、メールアドレスを登録していらっしゃる方にはhtml形式でメールマガジンが配信され、そのバックナンバーはブログ形式で管理されております。

その管理・運営などは、「まぐまぐ」という会社が行っているのでございますが、今回、ブログ形式の管理方法が廃止されることになったのでございます。それに伴いまして、みなさま方に配信するメールマガジンはhtml形式からテキスト形式に変更になるのでございます。またバックナンバーのページも、ブログとしては機能せず、バックナンバーのアーカイブサイトとして閲覧専用のページに変わるのでございます。

あっ、読者のみなさま方には、特にやっていただくことはございません。メールマガジンを登録していらっしゃる方には、今まで通り配信されますし、バックナンバーのページをごらんになっている方は、同じアドレスで新しい方式での閲覧の方法がアナウンスされるはずでございます。

思い起こせばこのメールマガジン、第1号の配信は1998年の12月13日でございます。かれこれ9年半も続けさせていただいております。ちょうど7年目の2006年の1月に現在のブログ形式に移行したのでございますが、またまた最初のテキスト形式に戻るわけでございます。形式を変更すると、そのたびにバックナンバーを管理するページが変わりますので、読者のみなさまにはご面倒をかけちゃったりするのでございます。

さて、配信元の「まぐまぐ」からは、メールマガジンのバックナンバーをブログとして管理するツールなどの提供もアナウンスされておりますので、ゆくゆくは「ブログの形でバックナンバーの管理を」ということも考えておりますが、どうなることやら。

というわけで、今回は配信方式の変更のご案内でございました。末永く、お付き合いのほど、よろしくお願いするのでございます。ではでは...名古屋薫でございました。

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追記(2010/1/9)
この配信方式の変更は過去の記事の転載で、現在メールマガジンをお読みいただいている方にはまったく関係ございません。また、この記事の中で述べられている「ブログの形でバックナンバーの管理を」がやっと実現出来て、ホッとしております。

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