« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008/05/20

困ったときはお互いさまプロジェクト

Kokusaikyujotai昨日(2008/5/19)の『毎日新聞』の一面トップに、ちょっと衝撃的な写真が掲載されておりました。「離さなかった冷たい手」と題されたその写真には、赤いペンを握りしめた小さな子供の手が、超アップで写されております。かさかさに乾いた皮膚は、まだいくらか赤みを帯びていて、今にも動き出そうな気配さえ感じさせております。けれど、真っ黒に変色した親指の爪の色が、その拳の持ち主が、すでにこと切れていることをものがたっております。

中国の四川大地震は、大変でございますね。オリンピックを目前にしたこの時期に、なぜこのタイミングで起きるかなぁとも思いますが、出物腫れ物所嫌わず(ちょっと違うか?)、自然現象なのでしかたがないのでございます。各国から派遣された救助隊も、中国政府の間口の狭さ、受け入れの遅さに、十分な能力を発揮できずに歯がゆい思いをしているようでございます。

タイフーンに襲われたミャンマーでもそうですが、こういったときに極端に間口が狭くなるってのは、はやり軍部主体の政治だからでしょうかねぇ。大災害時の救助活動は、最初の数時間が勝負だと言われます。中国解放軍が、ここぞとばかりに自己主張をしたいのでございましょうが、大地震の壮絶な破壊力は、一国の軍隊が対処できる規模ではございません。中国という国は、間口も狭ければ、了見も狭いのでございます。

大災害の救助活動でやはり頼りになるのは、軍隊による絶大な機動力でございます。それと、消防が持つハイテク救助技術。中国に赴いた日本の救助隊が、バスで10時間もかけて現場へ向かったとか報道されてましたが、もうね、手伝わせたくないから、わざと意地悪しているとしか思えないのでございます。ヘリで運べよ、ヘリで、と思いません? 中国としては自国のメンツもあるのでしょうが、本当に、本当に救助第一と考えるのなら、どこの国の救助隊だろうが人手が一人でも多いというのはありがたいはずでございます。人命よりも国のメンツが優先する国なのでございます。

そこでワタクシ、こんなことを考えました。「国際救助隊・サンダーバード」の結成でございます。あの人形劇の世界を、今、現実にする時代が来たのでございます。製作当時は夢のマシンであったサンダーバードメカも、その性能に近いものは、大国の軍隊が、現代では当たり前のように装備しております。今現在の人類が持ち得ている科学技術で、十分サンダーバードは実現可能なのでございます。あとは、その技術や装備を使う側の、人間の意識の問題でございます。

サンダーバードの物語には、ジェフ・トレーシーという総司令官がおりましたが、リアルサンダーバードの場合、やはり完全中立ということを考えますと、国連主導で行うのがよろしいかと思います。まぁ、国連なんて政治的には何の強制力も持っておりませんが、やはり絶対中立の非営利組織が行わないといけません。世の中には、救助活動でさえお金儲けに繋げようとする輩(やから)が、ウジャウジャおりますのでねぇ。で、世界中の危機管理のエキスパートを集めて、その国連内に国際救助隊の中枢部を置くのでございます。

あとは、各国の軍隊、消防、特殊部隊などから、さまざまな人材や機材をそれぞれ持ち寄るのでございます。大災害時の救助活動は、その初動パワーが重要でございます。世界規模の人力と機材力、機動力で取りかかれば、もっともっと迅速に救助活動が進むはずでございます。まぁ、世界中からと申し上げましたが、なにも人形劇のように、南の孤島に全メンバーと機材を集めておく必要はございません。世界中にバラバラに待機しているメンバーが、災害時に「いざ、鎌倉」と現場へ集合すればいいのでございます。それぐらい、現代の移動手段、通信網が発達してきているということでございます。大発明家ブレインズも、これほどまでの進歩は予想しなかったのでございましょう。

「備えあれば憂いなし」と申しますが、いくら最先端の救助技術を持っていても、急ごしらえで現場に放り込まれたのでは、十分な実力を発揮できないのでございます。危機管理というものは、普段からの準備が大事でございます。そのためにも、平常時に国際救助隊を組織しておけば、常に大災害時を想定に入れた準備が出来るのでございます。世界中に散在する救助活動のエキスパートたちが、大事あれば各自が一斉に動き出す。この一斉に動き出し、全体の統制を取るということが、現状では難しいのでございます。

現場に入った人には、現場しか見えなくなってしまいます。ですから、現場の人間が判断を下し指示を出すというのは、あまり合理的ではございません。そこで、集中管理をする中枢部が必要でございます。中枢部では各地のデータのみを収集し、判断し、現場に指示を出す。この情報の一元管理がなされないと、トンチンカンな出来事が多くなるのでございます。たとえば、都市型のハイテク救助装備をした隊員が山奥に配属されたりとか、食料は届いたけれどそれを運ぶ手段がないので腐らせてしまったりとか。指令系統の組織化、情報網の確保、まぁ、対処のしかたは戦争と同じなのでございます。大災害というものは、人間と大自然との戦争のようなものでございます。

組織的な国際救助隊を作ったところで、現地に入国出来なければ、何も出来ないのでございます。そう、国際救助隊の活動には、政治の壁を越えた行動力が必要なのでございます。ですから、たとえ国連主導で結成されたとしても、現段階では、むりやり救助活動をするわけにはいきません。将来的に、国連が特別な権限を持つようになるというのは、あまり期待できませんよね。そこで必要なのが「受け入れ国の理解」でございます。受け入れ国の理解というよりは、大災害が起きたら国際救助隊に助けてもらうという風潮が、世界的に浸透すればいいのでございます。「困ったときはお互いさま」の感覚でございます。ワタクシ、この国際救助隊発足計画を、「困ったときはお互いさまプロジェクト」と勝手に命名するのでございます。

「困ったら助けてもらいましょう。そのかわり、どこかでこまったことが起きたら、すぐに駆けつけるよ、もちろん」
各国にこういった意識が浸透すれば、国際救助隊はどんどん活躍の場を増やすでしょうし、大災害時に迅速に起動できるはずでございます。もちろん、中国やミャンマーのように、受け入れを躊躇する国もあるでしょうが、他の国が当たり前のように国際救助隊を利用していれば、その垣根の高さも徐々に低くなるのではないでしょうか。そして「助けた」「助けられた」という事例が世界規模で増えていけば、それが潜在的な不文律の安全保障条約になるような気がします。自分の命を救ってくれた人に対して、刃を向けられますか? 国際救助隊という国家を超えた組織の活動が、国家間の紛争に歯止めをかけられる。ワタクシ、そう確信するのでございます。

世界中の多くの国が、高機能な兵器をそろえております。それらの兵器の中には、災害救助に流用できるものも多くあり、実際に災害時に活躍しております。災害救助に使える機材が、世界中で多く眠っているのでございますから、それを世界的な規模で有効に利用しましょうよ。戦争の道具が国家間の平和に一役買うというのも皮肉なものでございますが、よく使える道具というものはそういうものでございます。切れ味の良い包丁は、美味しい料理で人を幸せにすることも出来ますし、人を刺し殺すことも出来るでしょ。

そして、人類は、大自然の摂理の雄大さを、もっともっと実感するべきなのでございます。四川大地震の犠牲者の数が、5万人ともそれ以上とも言われております。この地球が、ちょっとクシャミをしたり、シャックリをしただけで、何万人という被害者の大災害が起きるのでございます。一方、広島の原爆は、一瞬にして数万人を焼き殺し、最終的に20万人以上の犠牲者を出しておりますが、人類が作り出したそれほどの殺戮兵器でさえ、地球のシャックリやクシャミと、たいして程度は変わらないのでございます。

もっと言うと、ちょっとした大自然の摂理の気まぐれが起きたら、我々人類は、あっという間に絶滅するかもしれないのでございます。我々人類なんて、地球という手のひらの上でうごめく、細菌・ウイルスのようなものでございます。ちょっと地球が石けんで手を洗ったら、たちまち絶滅してしまうのでございます。そんな脆弱な存在でしかない人類が、地球のクシャミ・シャックリ程度の殺戮兵器を作り出して、お互いにいがみ合っているというのは、バカらしいものでございます。そんなことを考えると、国際救助隊よりももっともっと必要なのは、「地球防衛軍」かもしれませんよ。ガミラスのような敵が攻めてきたら、人類は一つになれるのかもね。

さて、お話を四川大地震にもどしますと、この地震、大災害ではあるけれど、中国の歴史から考えると、ある意味、タイムリーな出来事だったのかもしれません(不謹慎は承知しております)。チベット問題で中国は疎外感のかたまりになっておりましたからねぇ。今回、外国の救助隊を受け入れたことで、国際的な近所づきあいみたいなものを、ちょっと認知したのではないでしょうか。国内でのマナー改善や、コピー商品の摘発など、中国は今、自国の国際化に躍起になっております。チベット問題では世界中から冷水を浴び、逆に、この地震では世界中から温かい手を差しのべてもらう。短い期間に冷たいものと暖かいものを一時に体験したことは、国際化に向けて、非常にいい体験になったはずでございます。

とまぁ、今回はこのへんで、と言いたいのですが、あともう一つだけ。今回、中国がなかなか諸外国からの救援隊を受け入れなかった間口の狭さを申し上げましたが、実は、日本も同じことをやっているのでございます。23年前に日航123便墜落事故というのがございました。その際、アメリカ軍は早々と墜落地点を特定し、墜落の数時間後には現場上空で特殊部隊が待機していながらも、日本政府からの援助要請が出なかったため、やむを得ず引き返すということがあったのでございます。結局、歩いて向かった地元の消防団が現場に到着したのは、翌朝のことでございました。

メンツにこだわってはいけません。「困ったときはお互いさまプロジェクト」、実現しませんかねぇ。といったところで、長くなりましたので終わりにしましょうか。次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/09

アリノママのビミョウな月のお話

NKKの番組で、『マイロード』という地味な番組がございます。ある著名人にスポットを当て、幼少の頃のことや成功するまでの生い立ちを、じっくりと話してもらう、ただそれだけの番組でございます。4月は久本雅美さんにスポットを、そして今月はサッカーの中澤佑二さんにスポットが当たっております。

この番組、1回放送分の30分の間、その著名人がほとんどしゃべりっぱなしでございます。その30分番組が4回でワンセット。つまり、ひとりの著名人の約2時間分のお話を、4回に分けて放送しているのでございます。

Jougenno_tukiさて、その番組の内容が、今回のメールマガジンのテーマではございません。たまたま遭遇したその番組のテーマ音楽が、これまたいい曲なのでございます。『上弦の月』(詞:バスケス 曲:松本俊明)という曲でございます。

歌っているのは「夏木マリ」さん。その声、独特な歌い回し、特徴のあるビブラート、すぐに夏木マリさんの歌声だとわかったのでございます。夏木ねえさん、最近はハードな絶叫タイプの曲を歌うことが多いのでございますが、このような、しっとりとした曲も、なかなかによろしいのでございます。

この夏木マリさんの「上弦の月」、検索してもまったく出てこない。夏木さんのオフィシャルウェブサイトにも公示がない。「マイロード」という番組では、サビの部分しか流されない。なんとかこのしっとりとした曲を、通して聴いてみたいと思っておりましたが、「この番組のためだけに作られた曲なんだな」と諦めておりました。

ところが、昨日、なんとこの曲が「iTunes Music Store」に突然現れたのでございます。1曲200円。もちろん、すかさずボチりましたとも。言葉を大事に歌う歌手の歌ってのは、ほんとにいいですね。歌詞のひとつひとつが立っているのでございます。すべての言葉に細心の注意がはらわれ、無駄がない。夏木マリさん、絶叫するときも容赦ないですが、こういったしんみりとした歌詞を歌いこむときも、容赦なく追求している。日本語を歌う歌手は、まさにこうあって欲しいと思うのでございます。

上弦の月というのは、新月と満月の間の、「太っていく過程での半月」でございます。逆に満月と新月の間の「痩せていく過程での半月」は下弦の月でございます。占いなどでは、太っていく上弦の月を「誕生・成長、吸収」などに例え、逆に下弦の月は、「死・老衰・放出」などに例えられたりするのでございます。この夏木マリさんの歌う「上弦の月」も、人生にやや疲れた人が、月に癒され、自分を信じ、また歩きだそう、そういった歌でございます。上弦、下弦といった意味が分かっていると、より深く曲の味わいを感じられるのでございます。

「上弦の月」が誕生や成長を意味していると申し上げましたが、ところがところが、この「上弦の月が昇るところ」といったものは、私たちは見ることが出来ないのでございます。エッ、どういうことかって? 上弦の月というものは、天空上で太陽を追いかけるような位置関係にございます。その結果、上弦の月が昇るのは正午のころ。真っ昼間の明るいときに、東の空に上り始める、それが上弦の月でございます。

ですから、上弦の月は太陽が西の空に沈む夕方のころに南中し、真夜中に西の空に沈んでいくのでございます。誕生や成長の象徴とされる上弦の月でございますが、夜空でワタクシたちが見ている上弦の月は、必ず「沈む途中の月」なのでございます。まぁ、皮肉と言えば皮肉でございますね。逆に同じ理屈で、下弦の月は、いつも上る姿しかワタクシたちには見せておりません。

月に思いを馳せ、その動きに自分の人生を重ね合わせる。そんな人間のささやかな情思にはわれ関せずと、大自然はもっともっと壮大なる摂理の元に動いているようでございます。まぁ、占いなんて、つじつま合わせの集大成みたいなものでございますからね。

朧月(おぼろづき)という語がございます。雲に隠されておぼろげにしか見えない月のことでございます。日本ではこの朧月を、また別の美しいものとして愛(め)でる感覚がございます。「幽玄の美」というやつでございます。この「ぼんやりとした美しさ」という曖昧さへの美的感覚は、西洋ではゴッホやモネといった印象派以降の、つい最近になって芽生えたものでございます。

イエスとノーをはっきり決着つけたがる西洋人は、日本人が日本語独特の曖昧な返事でお茶を濁したりするのを嫌ったりいたします。ところが日本には、この曖昧な返答や曖昧な人間関係で、全体の和が保たれているという文化があるのだからしかたがございません。最近の言葉でいうと、「ビミョウ」とでも言うのでしょうか。月の美しさへの感じ方ひとつにも、西洋と日本との文化の違いが反映しているのでございます。

古(いにしえ)の時代、人々が様々な思いを馳せた月でございますが、最近は探査機が月の間近まで接近し、精細な写真を撮影できたりいたします。よく分からない世界だったものがはっきりしてしまうと、何だか夢を持つのが難しくなりますよね。科学が発達し、今まで曖昧だったものがドンドンはっきりしてくるにつれ、世の中に「夢」を見るのが、難しくなってきているような気がするのでございます。

最近は、曖昧なものを嫌ったり、不思議なものをはっきりさせようとする風潮がございます。なんか「科学で証明できないものは悪だ!」みたいなこと、あるでしょ。でもね、曖昧なものや不思議なものを、そのまま「アリノママに受け入れる」ってのも、なかなかに夢があってよろしゅうございますよ。

そう、この「アリノママに受け入れる」ってのは、小さな子供はみんなやっているんですよね。でも大人になって理屈が身につくと、この感覚をいつの間にか無くしてしまうのですよねぇ。エッ、でもどうやったらアリノママに受け入れられるのかって? そんなの簡単ですよ。心をカラッポにすればいいのでございます。カラッポの器の中には、アリノママのものがアリノママの姿で入ってくるでしょ。

もし、仕事のこととか、人間関係とか、人生についてとか、何かしらの「行き詰まり」を感じていらっしゃったら、一度、頭の中をカラッポにすることをお勧めいたします。何もかも忘れて小旅行に行くのもいいかもしれません。スポーツジムで、一心不乱に体を動かすのもよろしいかも。頭の中をカラッポにすると、新しい糸口やひらめきが得られるかもしれませんよ。

ではでは、今回は曲の紹介から始まり、「月」にまつわる色々なお話になっちゃいました。「アリノママのビミョウな月のお話」でございました。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/03

ファイブ・イヤーズ・イン・トーキョー

Five_years_in_tokyoなんか、スッゴイ美味しいお豆腐を見つけたのでございます。「どえりゃ! うみゃ〜豆腐」という商品名のお豆腐でございます。これは東海地方のみの販売なのでございましょうか? まぁ、とにかく、コンビニで発見したときには、すかさずまとめ買いをしております。このお豆腐の詳細は、また次回にでも写真付きでご紹介するのでございます。

聖火リレーもやっと中国大陸に入り、一段落したようでございます。聖火リレーに関しましては、まぁほんとにこの1ヶ月間、いろいろな事件があったのでございます。これほどまでに各国の聖火リレーが荒れたのも、その聖火リレーの開始に先立つ3月中旬に、“実にタイミング良く”チベットで暴動が起きたからでございます。あるいは、今年に入ってから騒がれている「毒ギョーザ事件」も、これまたオリンピックを前にして、タイミングが良いって言えば、良いですよねぇ〜

タイミングが良いって言えば年末恒例の紅白歌合戦。あの紅白歌合戦の出演者選考の時期になると、なにやら芸能人のスキャンダルが発覚しますよねぇ。それも、タイムリーのスキャンダルではなく、何年も前の行いが突然発覚したりするのでございます。ほんとに、そのタイミングを計って誰かが怪文書を出してるとしか思えませんよねぇ〜〜

北京オリンピックを目前にした数々のゴタゴタも、うまくタイミングを計って誰かが起こしているのかなぁなんて思いたくなりますが、こういった「扇動」に乗らないためには、何が起きても軽くスルーするのが一番なのでございます。「右から左に受け流す歌」なんてのがありますが、あの歌の歌詞が、まさに真理を突いているのでございます。

毒ギョーザ事件も、中国側は「チュゴク、何も悪くないね。悪いのニポン人。ニポン人、自分で毒入れてチュゴクのせいにしてる。ひどいアルね」なんてことを言っております。一方的に強気の態度に出ている中国側でございますが、これもオリンピックを目前にした扇動かもしれないという警戒心があれば、強気に出て断絶するよりも、被害者側の日本とタッグを組んだほうが有効だと気づくはずなのでございます。

毒を入れているのが誰かは分かりませんよ。でも、もし日本と中国がこまめに連絡を取り合い、情報の公開や交換をして共同戦線を張っていれば、扇動隊の行動も、もう少し明からさまになったかもしれません。かき回そうとしている者からすれば、そのぶつけ合いたい当事者同士の仲が良いというのは、一番やりにくいわけでございますからね。もっとも「真犯人が身内に居たため、慌てて強気に出て真実を葬った」なんて想像も出来ちゃいます。まぁ、今のところは、まだまだ藪の中でございます。

リレーを目前にしたチベット暴動も、あえて強硬な態度に出ず、ここは「オリンピック大事」と考えて、嘘でも、一時でも、チベットと仲の良さそうな演出が出来れば、世界中がこれほどナーバスに反応はしなかったでございましょう。よく、扇動者のことを「かき回すもの」という意味で「マドラー」などと呼びますが、マドラーからしてみれば、今回のリレー騒動は、願ったり叶ったり、まさに「思う壺」だったはずでございます。

10年ほど前に、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』という映画を鑑賞いたしました。新宿歌舞伎町の映画館でございます。ワタクシ、東京には5年ほどしかおりませんでしたが、その当時、毎週土曜日の深夜は、歌舞伎町のオールナイトの映画館で一晩中映画鑑賞のハシゴをするのがオキマリでございました。多くの場合、あらかじめキャストやあらすじを確認し、予備知識を得てから映画に臨むのでございますが、この映画の場合は、何の予備知識もなく、題名だけにつられて入った覚えがございます。この映画の題名が、実に神秘的に感じられたものでございました。

映画の内容は、第二次世界大戦時期のチベットを舞台に、登山家ハインリヒ・ハラーと当時8才のダライ・ラマ14世との交友を描いた、事実に基づいて製作された“ハリウッド映画”でございます。なぜハリウッドとワザワザことわったかと言いますと、随所にハリウッド特有の演出が施されていて、ワタクシ的にはところどころ“鼻につく”部分はあるのでございますが、まぁ、大まかなところでは史実どおりの映画でございます。

昨日、この映画を10年ぶりに再観賞いたしました。10年前は何の予備知識もありませんでしたので、ただストーリーを追いかけるだけの見方でございました。しかし、今回は連日の聖火リレー騒動で、チベットに関しては知識が豊富になっております。この映画のバックグラウンドやテーマなどが、よりハッキリと分かったのでございます。「映画って、ほんとうにいいものですねぇ〜〜」って言うか、10年前の自分の無知さかげんを思い知ったのでございます。

さてさてさて、世界中で「フリーチベット」とか騒いでいる人が大勢いらっしゃいますが、その大騒ぎな人たちは、はたしてチベットの歴史などにどれだけの知識があって、またどれほどの信念を持って行動していらっしゃるのでしょうかねぇ? ワタクシには、「ただお祭りに参加したいだけ」って感じがするのでございますけどねぇ。

ワタクシ自身、10年前に観賞してから最近の聖火リレー騒動まで、特にチベットという国には関心を持っておりませんでした。はっきり言って、忘れておりました。「セブン・イヤーズ・イン・チベット」が公開された10年前、そのチベット・中国間の問題が、どれだけ取りざたされたでございましょう? そしてこの10年間、いやもっと言えば、中国がチベットに侵攻した1940年代から現在にいたるまで、どれほどの人がこの問題に関して拳を振り上げましたでしょうか?

各国の聖火リレーでは、流血騒ぎまで出る大騒ぎに発展しております。でもみんな、つい先日まではチベットのことなんか忘れていたでしょ。無関心だったでしょ。その無関心さが、本当の“現実”でございます。お祭り騒ぎに便乗して、なにかしらのアクションを起こし、それで「自分は世の中の役に立った」という実感が欲しいだけなのでございます。で、オリンピックが終わったころには、どうせみんな忘れちゃってるでしょ。扇動によって起こされた暴動なんて、そんなもんでございます。

聖火なんて、ただの火でしょ。消したいって人がいたら消させてあげればいいじゃない。別にあの火が消えたら誰かが死ぬわけでもないでしょ。ランタンで予備の火を二つも持ち歩いているのだから、再点火すればいいだけの話じゃん。ランナーを襲う人がいたりするけど、あのランナーはただの一般人ですから。それに、襲われたら聖火なんて放り出してプレゼントしちゃいなよ(いや別に、チャイナと掛けてませんよ<笑>)。予備のトーチなんて、売るほど持ってきてるでしょ。

あれほどの人数の警官隊を随行させるのなら、その警官隊に世界中の国旗を持たせちゃえば? 聖火ランナーの周りを、万国旗が取り囲んじゃってるの。それで、コースの沿道にも万国旗を張り巡らしちゃうの。世界中の国旗にあふれていたら、一国の国旗を振り回しているのなんて、バカらしくなるでしょ。あ、それから、チベット側と中国側でそれぞれランナーを一人ずつ出して、国旗を振りながらリレーコースを最期まで伴走させるってのも面白いよね。信念を持って行動しているのなら、それぐらいの根性を出せって、ほんと、言いたい。

そもそも、国どうしの仲が悪いのは仕方がございませんが、本国を離れている人どうしがいがみ合うってのも、バカげているのでございます。外国にいる人は、自国のことを、もっともっと客観的にかつ冷静に見られるはずでございます。「外にいる人がこんなに冷めているのに、本国の人たちは何やってるんでしょうねぇ?」という風潮が広がれば、国元でも、もうすこし冷静になれると思うのですけど。まぁ、ナショナリズムの問題とか、国が率先して扇動していたりとか有りますから、難しいでしょうけどねぇ。

「国が率先して扇動」と自分で書いていて、ふと思いました。今までは「マドラーの扇動説」でお話をしておりましたが、「中国のマッチポンプ説」ってのも考えられるのでございます。つまり、騒ぎの発端を自分たちで起こしておいて、「ほら、こんなに妨害者がいるのだから、厳しく取り締まらなければいけないでしょ」って言って、締めつけや規制を厳しくしちゃうっていうの。まぁ、こんなことを考えていたら、何が真実か分からなくなっちゃうでしょ。だから、“右から左へ受け流す”ことが重要なのでございます。事実関係のあやふやな揉め事には、とりあえずスルーする冷静さが必要でございます。

というわけで、スポーツと政治は切り離してもらいたいって思っているのではございますが、政治家にとってオリンピックっていうのは、なかなか便利で効果的な政略道具なようでございまして、ましてや、政治家じゃない人でもそれを利用して主義主張を訴えたいなんてこともありますのでね(ミュンヘンとか)。ことオリンピックに関しては、「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と」というわけにはいかないかもしれませんよね、残念だけど。

さてさて、今回はこのへんで。「セブン・イヤーズ・イン・チベット」がハリウッド的で鼻につくっていうのは、善と悪という二極化のステレオタイプでチベットと中国を描いているからでございます。敵味方を「同じ人間」として描くと、歴史の流れに翻弄される人々をより深く感じられるのになぁと思うしだいでございます。だから、「硫黄島からの手紙」はスゴイと思いますし、「スターウォーズ」に至っては、主人公と敵役が“因果応報”という一直線上で繋がっているという、ハリウッドらしからぬストーリーが、またよろしかったりするのでございます。

後書きが長くなってしまいましたね。では、ほんとうに、このへんで、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

----------
え〜と、ちなみに、こちらが本物の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(角川ヘラルド・ピクチャーズ)でございます。
Seven_years_in_tibet

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »