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2008/02/14

みんな生まれつきの死刑囚

ここのところ、風邪なんだか花粉症なんだか分からない症状でボロボロになっております。とにかくコンコンと出る乾いた咳に、一日中悩まされております。この悩ましい咳、シャワーを浴びたりするとピタッと止まったりするのでございます。

「これは、自分の体に付着していた花粉が取り払われたから症状が無くなったのだ」
なんてぇ勝手な解釈をいたしまして、シャワーの後、スッポンポンで歯を磨いたり髪の毛を乾かしたりしておりますと、やっぱり咳が出始める。「自分の体に付着していた花粉説」は撤回なのでございます。次は、「シャワーを浴びている間は咳が出ない説」を立証するために、一日中シャワールームで過ごすなんてぇいう実験をやってみたいのでございます。

さ〜てさて、ちょっと前のお話になりますが、「赤福餅」が再開いたしましたねぇ。行列が出来るほどの盛況ぶりだとか。よかったよかった、なのでございます。「不二家」も若干の客離れはあるようでございますが、順調に復活しているようでございます。

一方、今や「雪印」は“絶滅危惧種”状態、「ミートホープ」に至っては“お家取りつぶし”なのでございます。不祥事を出しても復活する赤福や不二家のような企業もあれば、そのまま先細りになってしまった雪印やミートホープ。「この両者を分けるものは何だったんだろう」何てぇことを考えておりましたら、ある漫画によってその解答の糸口がもたらされたのでございます。というわけで今回は、ただ今開催中の「第11回文化庁メディア芸術祭」の漫画部門で大賞を受賞した、『モリのアサガオ』という漫画を紹介するのでございます。

Fi1202999965160t_0eこの『モリのアサガオ』という漫画は、ある新人刑務官が死刑囚の舎房に配属されるところから始まるのでございます。その新人刑務官の目を通じて、加害者である死刑囚の苦しみ、そして被害者の苦しみをも、独特の画風で描き出しております。そしてさらに、「仇討ち」という「加害者であり被害者でもある」というシチュエーションを持ち出すことによって、底なし沼のようにより深遠に錯綜する死刑囚の心情を表現しております。『漫画アクション』に二年にわたって掲載された、重い重い作品でございます。

「罪を回心し、反省して死んでいく者」
「最期の時まで大暴れして死んでいく者」
「冤罪(えんざい)をかけられ、無念の中で死んでいく者」
「あえて冤罪の道を選び、納得して死んでいく者」
こんな死刑囚が、『モリのアサガオ』の中では描かれております。またこの作品は、
「罪の重さを知り回心するためには死刑という極刑が必要だが、その回心して心が穏やかになった者を殺さなければならないという死刑囚の宿命」
といった、大きな矛盾にも言い及んでおります。さて、この作品を読んで知ったのですが、死刑囚には死刑執行をあらかじめ告知しないそうでございます。ある朝、突然呼ばれ、見覚えのない部屋に連れて行かれる。すると、そこが死刑執行の部屋なのだそうでございます。つまり、死刑は必ず行われるのだけれど、いつ死ぬことになるかは本人にはまったく分からない。ねぇねぇ、これって、別に死刑囚じゃなくても、普通の人でも同じことが言えません?
「死は必ず訪れる。そしていつ死ぬかは分からない」
つまり、すべての人間は、皆、「生まれつきの死刑囚」なのでございます。であるからして、死刑囚が抱える恐怖、悩み、迷い、苦しみ、こういったものは、普通の人にもそのまま当てはまるはずなのでございます。逆に言いかえますと、「われわれは所詮、皆、死刑囚なんだ」と腹を括(くく)ってしまいましょう。「どうせ死刑囚なんだから」というところから考えると、悩み、苦しみを昇華させる、何らかの糸口が見つかるような気がするのでございます。

われわれは皆死刑囚と申し上げましたが、本当の死刑囚と普通の人とが違うところがございます。それは、

「どんなにつらくとも、当面は死なないこと。そして、すべてをやり直す十分な可能性と時間があること」
でございます。私はよく、苦しんでいる人や困っている人には、「どんなに辛くとも、命までは取られないから」とアドバイスをいたします。「『死』という最大苦よりは、まだましさ」と煽(おだ)てるようなアドバイスでございます。そんな煽てるようなアドバイスを受けて、みごと悩みや苦しみを克服したところで、いつかは死を受け入れなければならないわけでございます。先ほど申し上げた「死刑囚の大矛盾」と同じでございます。

さ〜て、テーマの重たさゆえに、言葉や表現を選びまくっておりますので、なんだか紆余曲折な文章になっております。ここで、冒頭の食品会社のお話に戻りましょう。不祥事を出しながらもみごと再生した会社と先細りな会社。何が会社の先行きを決定してしまったのか? それには様々な要因があるのでしょうが、そのひとつに、謝罪会見時の腹の括り方があると思うのでございます。

一方は、「命までは取られないだろう」と腹を括り、真摯な対処。この真摯な対処が、古くからの熱烈なファンの支持を得、多くの「信じる人」「支える人」を増やしていったような気がします。別の一方では、自分の息子にまで見放されてしまうような、往生際の悪い対処。その結果、ますます孤立するばかり。こんなところで、運命が決まってしまったのではないでしょうかねぇ。

『モリのアサガオ』の中でも、死刑囚を信じる人、支える人の出現によって、その死刑囚が罪を回心して、心穏やかになっていく様子が描かれております。そうそう、この漫画の作者、郷田マモラさんのプロフィールを読んだら、なんと出身地が三重県伊勢市だそうでございます。赤福餅のお膝元でございます。まぁ、それがどうしたって言われれば、どうでもいいことなのでございますけどね。

さて、今回はこのへんで。『モリのアサガオ』では、多くの冤罪を作り出してしまう危険性なども示唆しております。それで、『モリのアサガオ』読破後に映画『それでもボクはやってない』を見たりしたのでございますが、まぁ、日本の司法制度って、こんなものなのでしょうかねぇ。といったところで次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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