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2007/10/07

ドクちゃん、そして毒の話へ

以前、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤に関するドキュメント番組に言及したことがございます。ベトナムの奇形児や結合児の写真を撮り続けている、あるカメラマンのドキュメント番組のことでございます。その番組では、あの“有名な”と言っては語弊がありますが、あの「ベト君、ドク君」も取り上げられておりました。

そのベト君とドク君が7歳の時、兄のベト君が危篤状態になったため、強引に分離手術が施されました。弟のドク君は順調に成長し、奥さんをもらって結婚するまでに至っております。ところが兄のベト君は、分離手術後寝たきりの状態が続き、つい先日(2007/10/6)、亡くなったそうでございます(享年26歳)。

このドク君の記事を読んでいて、ふと気がついたことがございます。アメリカはいまだに枯れ葉剤とベトナムでの奇形児との因果関係を認めていないそうでございます。それどころか、枯れ葉剤で使われていた“ダイオキシン”という薬品の有毒性を否定する意見まで、出ているようでございます。

ダイオキシンが有害なのか無害なのかは、まぁ学者さんの研究結果にお任せするのでございます。だいたい、公害訴訟とか薬害訴訟とかいうものは、政治的な圧力や大人の事情などが働いて、スムーズに事が運ばないのは世の常でございます。そして世の中には、そんなダイオキシンよりももっと怖い物質に囲まれているかもしれないのでございます(注:“ダイオキシン”という名称は、ダイオキシン類という総称で、特定の薬品を指すわけではないようです)

チクロ、PCB、アスベストといった物をご存じですか? アスベストは最近ですから、ご存じの方も多いですよね。これらはみな、発ガン性があるとして現在厳しく使用や管理が規制されている物質でございます。ところが、その毒性が発覚するまでは、どの物質もまったく、ためらいなく、日常の多くの製品に使用されておりました。特に人工甘味料として使われていたチクロは、その使用が禁止された後、すべてのお菓子がまずくなったので、よく覚えていたりするのでございます。

あるいは電子レンジで使われているマイクロ波。もちろん、電子レンジという製品はマイクロ波が漏れ出さないように厳格に設計されております。しかし、その電子レンジが発明される以前の、まだマイクロ波の特性が十分わかっていなかった頃には、マイクロ波は無造作に扱われていたのでございます。「携帯電話の電磁波は有害だ」という説もございました。とりあえず、携帯電話の電磁波は無害ということになっておりますが、これだって、より高度な検証が進んだとき、どうなるかは分からないのでございます。

多くの有害だとか危険だとかいう物質も,その有害性が発覚するまでは日常生活の中で当たり前のように使っていたのでございます。ということは、今、普通に使っている物が、ある日突然、その有害性が発覚し、使えなくなるということも考えられるわけでございます。その様に考えますと、現代生活なんてものは、潜在的な有害物質・有毒物質に囲まれて生活しているようなものでございます

ただ、ある物質が本当に有害なのかどうかは、非常に検証が難しいようでございます。なぜなら、動物実験の結果が必ずしも人間に当てはまらないということだそうでございます。かと言って、毒の検証でございますから、人体実験をするわけにもいきません。また、ある物質に毒性があるかどうかは、先述のように政治的な圧力や大人の事情が絡み合ったりいたしまして、なかなか真実にたどり着けなかったりいたします。

さらに、毒性に対するしきい値が、国によって違っていたりいたします。ある国では当たり前の食品添加物が、違う国では使用禁止だったりいたします。BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)の全頭検査が取りざたされたときも、アメリカと日本での認識がことごとくずれまくったのは、この毒性に対するしきい値の違いでございます。

もうね、何が毒で、何が毒でないか、その確証を持って生きていくというのは、現代人にとっては不可能なのかもしれません。潜在的毒物に囲まれた実に曖昧な安全性を受け入れ、毒に囲まれて生きていくしかないのでしょうか? そう考えると、まったく夢も希望もございませんよね。

ところが、かつて“悪魔の薬”と呼ばれ多くの奇形児を発生させた、「サリドマイド」という薬がございます。現在この薬は、癌やエイズの薬としてその効果が研究されているようでございます。毒をもって毒を制すということでございましょう。また、骨髄移植という治療法しかなかった「再生不良性貧血」も、その治療薬の研究が進み、多くの人が投薬治療で助かっているそうでございます。不治の病が多く現存すると同時に、難病を解決する新薬も、日々発明され続けております。

人類が知り得ている真理や原理などというものは、ほんの一握りなのかもしれません。人類が生命のあり方を左右する「」や「」を造ろうなどというのは、まだまだおこがましいということなのでしょうかねぇ?

今回は、ドクちゃんの話から、毒の話になってしまいました。数奇な運命をたどったドク君、お疲れ様なのでございます。そして、安らかに眠ってくださいませ。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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