あぁ、あんまし、政治の話はしたくないのでございますが、チョットだけ言わせて下さいませなのでございます。ただ今わが国は、首相がいないということでございまして、それでは全くの無防備という事じゃござんせんか? アメリカで言えば大統領がいないようなものでしょ。もしそんなときに何かが攻めてきたらどうするのよ! たとえば...たとえば...ガミラスが攻めてくるとか...ゴジラが東京湾に現れるとか(アハハ)。こんな無防備な状況をうっちゃっておいて選挙にご執心な人たちってのは、本当に日本のことを憂いているか、その神経を疑うのでございます。
福田さん、大丈夫かなぁ? あの人もやはり官房長官のような縁の下の力持ち的役職の方が、向いているような気がするけどなぁ。それに対しあの麻生って人、なかなかのタヌキっぽいですよねぇ(個人の感想であり、一般的な評価ではありません)。なんか、「とりあえず立候補したから責任は果たしたけんね。あとはシランケンシュタインだけんね」なんて嘯(うそぶ)いていそうでございます(重ね重ね、個人の感想ですよ、アハハノハ)。
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といったところで、無防備な日本をうっちゃってる人たちは放っておいて、今回はうっちゃりで相手を投げ飛ばす人のお話でございます。そう、朝青龍の一連の事件が、今回のテーマでございます。
皆様方、杉山邦博さんという元NHKのアナウンサーをご存じでございましょうか? たぶん顔写真を見ると「あぁこの人か」って分かるぐらいの、有名なアナウンサーでございます。その杉山さん、現在は「東京相撲記者クラブ会友」の一員だそうですが、あるテレビ番組に出演したときのこと、他の出演者の相撲協会を批判する発言に対して、ほんのちょっとうなずいてしまったそうでございます。そのうなずきに対して相撲協会が、「協会への謀反じゃ!」とばかりに、その杉山氏から本場所取材用の取材証を没収していたようでございます。
この大人げない行動には相撲協会も後から気がついたみたいでございます。無事に取材証は杉山氏に返されております。まぁしかし、相撲協会の北の湖理事長、オナカは大きいのに、ケツの穴の小さい人間でございます。この例からも分かるように、相撲協会というところは、まるでイスラム原理主義のような「相撲道(すもうどう)絶対主義」に凝り固まった、やや閉鎖的な団体でございます。この「相撲道」というのがクセモノ。では「道(どう)」とは何か? まずそこから、朝青龍と相撲協会との軋轢(あつれき)を紐解くのでございます。
【第一の食い違い:「道」vs.「スポーツ」】
柔道、剣道、華道、茶道、オカマ道(?)...ごらんの通り、「道」と付くものはスポーツだけとは限りません。「道」とは“精神”であり“生き方”であり“哲学”なのでございます。「道」の第一の目的は“精神の修養”であり、“礼法の習得”でございます。竹刀で打ち合ったり、お花を生けたり、その方法・手段はそれぞれ違えども、おしなべて「〜道」と付くものは、皆その目的は同じ、“携わるものの精神的鍛錬”なのでございます。
「道」は、ある意味“宗教”のようなものでございます。ですから(本来)儲かりません。目標はハッキリせず、一生かかっても会得できないかも知れません。そして、追求すればするほど、禁欲的な苦しさが増すものでございます。この「道」の特徴は、世間一般に「スポーツ」と呼ばれているもののそれとは真反対でございます。スポーツならば、スタープレイヤーになることで儲かりますし、目標は単純明快、勝つこと。そして一流になればなるほど、リッチで優雅な生活が待っています。
どうでございましょう? もし相撲を「道」と考えている人と「スポーツ」と考えている人が衝突したら? そりゃぁ、話がまとまるわけがない。まぁ、その価値観の行き違いを相撲協会が理解していれば、もうすこしやり方も変わったのでしょうけどねぇ。相撲協会は「朝青龍がルールを破った」と怒り心頭でございますが、そもそも朝青龍は、「“相撲教”の信者ですらなかった」のでございます。信者ではないので、そりゃぁ教則に従うはずはございません。
その「道」と「スポーツ」との感覚の違いが第一の原因。さらに第二の原因がございます。日本人と外国人の国民性の違いでございます。
【第二の食い違い:「全体主義」vs.「個人主義」】
「組織のルールに従うのが第一。組織のルールはどこに有るかって? そんなものは周りを見回して、自分で会得しなさい。まあ、空気ぐらい読めるだろうから、あまり無茶な要求は誰もしないでしょうけどね」
という考えの人がいると思って下さいませ。一方、
「要求できることは、とりあえず何でも主張したほうがいいでしょ。何か不都合が有れば、向こうから断りを入れてくるだろうしね。エッ、ルール? 何も言われてないし、もらってもいないよ。だから“禁止されてない”ってことでしょ」
さぁ、こんな二種類の人たちの間に何か問題が起きたら、そりゃぁ揉めるのは必至でございます。前者はごく日本人的な考え方でございます。この“空気を読む”という感覚が、外国の方には難しい。諸外国、特に欧米人は、「規則=契約」という感覚でございますので、日本的な“暗黙の了解”というのは、なかなかに理解してもらうのが大変だったりいたします。
外国人が流暢(りゅうちょう)な日本語を話していたりすると、その感覚までも日本のそれを会得してくれていると、日本人は安易に考えたりいたします。それって、日本人の傲慢でございますよ〜。外国人に対しては「空気読め!」と突き放すのではなく、細かい注意書き・ルールのようなものを“文書で”示すのが、いたって確実でございます。朝青龍に対しても、伝統とかしきたりとかで片付けず、あらかじめ細かい取り決めを交わしておくべきだったかも知れませんよね。
さて、もうひとつの要因がございますが、それはマスコミでございます。
【第三の食い違い:「マスコミの悪意」vs.「身内の善意」】
朝青龍のサッカー事件は、モンゴルでサッカーをしていたというあの報道がすべての発端でございます。そこで、もしあの報道が以下のような内容であったらどうでございましょう?
<朝青龍、オフを利用して祖国モンゴルで親善サッカー試合に協力>
肘の故障で休場している朝青龍関が、かねてからの依頼により、祖国との親善サッカーに協力するために、モンゴルに帰国しました。肘や腰の故障にもかかわらず、あえて明るい表情を絶やさない朝青龍関の振る舞いに、祖国のファンも感動しています(あえて、サッカーをしている場面ではなく、ベンチで観戦している映像を流す)。
マスコミの報道なんてものは、編集者の胸先三寸でどうにでもなってしまうものでございます。歴代の横綱が、皆模範生であったわけではございません。横綱と言えども人の子。歴代の横綱の中には、まぁ横着なことをやっている人もいたわけでございます。その横着が「武勇伝」として伝えられるか「スキャンダル」として報道されるかは、編集のしかた次第なのでございます。
宮中や宮内庁を批判するような報道は、一般のテレビや新聞では、まずあり得ないですよね。それは宮内庁が厳しくコントロールしているからでございます。相撲協会も、有能なアナウンサーから取材証を取り上げるようなことをするまえに、まずマスコミをコントロールする努力をして、自分たちの身内である朝青龍をかばうべきだったのでございます。マスコミの悪意のある攻撃から朝青龍を守ってやってから、相撲界内部で諭すような教育をすべきでございます。身内の相撲協会からも突き放されて、朝青龍は居場所が無くなったのでございます。
朝青龍って、どこかプロレスの悪役のようなイメージがあって、以前から「伝統ある相撲界にふさわしくない言動」とか言われることが多かったのですよね。それゆえ、こういったトラブルの時に、なかなかかばってもらえなかったりするわけでございます。でも、彼はまだ、20代後半の若者でございますよ。そんな彼に、悟りきった修行僧のような行いを要求するのは酷でございます。それに、相撲界の悪役キャラってのも、なかなかよくありませんか? 相撲協会もメンツばかり気にせず、わがまま芸能人を使う芸能プロダクションの感覚でやればいいのにな、って思うのですが、難しいでしょうかねぇ?
さてさて、朝青龍のお話はここまで。で、ちょっと考えてみて下さい。朝青龍のような行動パターンってのは、最近の若い人にもときどき見られるのでございますよね。仕事に対するスポーツ感覚。全体より個人主義。ね。どうやらこういった問題は、相撲界の中だけの問題ではないかも知れませんよ、ウフフ...
では今回はこの辺で。次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。
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