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2007年9月

2007/09/28

報道カメラマンの死、二様

ミャンマー(旧ビルマ)で日本人の報道カメラマンが亡くなりましたね。ニュースでは「流れ弾」って言ってますが、亡くなった瞬間の映像を見る限りでは、明らかに至近距離から兵士に撃ち殺されてますよねぇ。その衝撃的な映像が、朝からテレビで流されまくっておりました。カメラを持っていたので、狙われたのでしょうねぇ。危険を覚悟の上でのミャンマー入りでしょうからある程度は身構えてはいたでしょうが、あんなに呆気なくやられるとは、ご本人も思っていはいなかったでしょうね。ご冥福をお祈りいたします。

さて、同じ報道カメラマンですが、全く違う死に様をした方もいらっしゃいます。「鴨志田穣(かもしだ ゆたか)」さんという方でございます。漫画家「西原理恵子」さんの(元)旦那さんでございます。この鴨志田さんも報道カメラマンとして、ミャンマー、タイ、カンボジアなどを巡り歩いております。特にミャンマーでは出家して、僧侶になったりしているそうでございます。まぁこれには、入国ビザを撮りやすいためにとの説もあったりしますけどね。

西原理恵子さんと鴨志田さんの間には、子供二人(息子と娘)をもうけることになるのでございます。しかし鴨志田さんにはアルコール依存症(+暴力)という持病がございまして、その持病が原因で離婚することになってしまいます。彼はアルコール依存症をみごと克服するのでございますが、その頃には、鴨志田さんが癌の病に冒されていることが発覚してしまうのでございます。まぁ、何ともついてない人生の男性でございます。

鴨志田さんのアルコール依存症の克服、そして癌との闘病生活には、西原理恵子さんの援助がかなりあったそうでございます。離婚していながらも別れた旦那を助けてしまうあたり、西原女史の人となりがよく分かるのでございます。西原理恵子の漫画を読んでいると、その旦那への愛情(腐れ縁が半分?)がよく伝わってまいります。旦那に対するきつい言葉の裏腹に、ちゃんと相手を思いやる柔らかい気づかいが、ページのすみっこの方にちょこっと感じられたりするのでございます。

そしてこの(元)夫婦が二人の子供をこよなく愛していること、そしてそして、子供達も微妙な関係の両親のことを気づかいながら、その両親の愛情に応えていること。ガチャガチャしてはいますが、そんなほほえましい家族の姿が、西原女史の漫画からは伝わってくるのでございます。ただひとつ、他の家庭と違っているのは、「父親が癌に冒されている」ということでございます。

Fi1190966870578t_0e西原理恵子の『毎日かあさん』の最新刊(第4巻)を読むと、その父親が帰ってきてから(天国へ)見送るまでの半年間のことが、他のエピソードとともに盛り込まれて描かれております。不器用な生き方をしてさんざん家庭に迷惑をかけてきた男性が、最後に家族の愛情に囲まれながら、見送られております。

様々な危険をくぐり抜けておきながら、癌という病にあっさり冒され、家族に看取られながら死んでいく男...危険のまっただ中で呆気なく異国で殺されてしまった男...ミャンマーで亡くなられた長井健司さんの訃報を聞いて、同じ報道カメラマンではありながら、まったく違う生き様をしたこの二人のことを、思いめぐらしたりしておりました。名古屋薫でございました。

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2007/09/25

♪クレオパトラの〜ため息〜〜〜

なんか昨日(9/24)は、ピラミッドの特集番組が放送されておりましたね。仕事の合間にチョコチョコ見ておりました。最初は「どうせ15分ぐらいで説明できることを、数時間かけてダラダラ放送するんだろ」とか思っておりましたら、これがこれが、なかなかに充実した番組でございました。

展示されているツタンカーメンのマスクを、菊川怜が超近距離で凝視するシーンは、圧巻でございました。菊川怜が興奮して涙ぐんでおりましたが、その涙の理由、ワタクシにもよく分かるのでございます。本物の迫力というものでございますよね。ツタンカーメンの凛とした表情、遙か遠くを見つめる冷ややかな目、何千年という時間を超越した輝き、そのすべてに芸術品と呼べる美しさがございます。

先日、所用で東京へ出かけた際、チョットした時間を利用して上野の東京国立博物館へ寄ってまいりました。仏像などをいっぱい見てきたのでございますが、どういう訳かワタクシ、仏像のようなふっくらとした顔立ちに妙に引かれるのでございます。仏像の造形にも美術的な美しさがございますが、これもやはり、本物に直接対面しないと感じられないものがございます。

芸術作品全般に言えるのでございますが、観賞するときは本物に直接対面するべきでございます。絵画や造形芸術などを映像や写真から鑑賞したのでは、本物の実感はなかなか分かりません。展示してある物に対峙し、質感や色、光と影、その場の空気、そういったものをすべてひっくるめて享受したとき、その良さが分かってまいります。ツタンカーメンに対峙した菊川怜も、写真や映像ではその存在を知っていても、本物に接したときに、その迫力に圧倒されたのでございましょう。

さて、ピラミッド、クレオパトラというと、ワタクシ、ある作品を思い出すのでございます。虫プロダクション制作の劇場用長編アニメ(虫プロはこれを「アニメラマ」と称しております)、「クレオパトラ」でございます。

Fi1190709865000t_0eこの「クレオパトラ」という1970年に公開された作品、ワタクシ、母親に連れられて映画館に観に行った覚えがございます。特にワタクシが「観に行きたい」と、ねだったわけでもないように記憶しております。子供が見ちゃいけないようなチョイエロなシーンも有ったりするわけで、ストーリーはほとんど分かりませんでしたが、妙にドキドキしながら見た覚えがございます。

この映画の壮大なストーリーは、小さな子供のワタクシには難解でございましたが、主題歌だけは、その後何十年もワタクシの耳に焼き付くことになるのでございます。「クレオパトラのため息」という曲(「クレオパトラの歌」かも?)。中山千夏さんの作詞、由紀さおりさんの唄、そして作曲があの(と言っても最近は知らない人多いだろうな)富田勲さんでございます。

富田勲さんはこの頃、虫プロダクションと非常に縁が深く、他のアニメーション主題歌の多くを作曲しております。幼少期に多くの富田サウンドに囲まれて育ったせいでしょうか、その後、富田勲さんの音楽には、ワタクシ、少年期(!)、青年期(?!)を通して、非常に憧憬することになるのでございます。
この「クレオパトラ」は、虫プロのアニメラマの第2作の作品でございます。「クレオパトラ」の前年1969年に、「千夜一夜物語」という作品が公開されております。アポロが月に着陸したり、大阪万博が開催されたりと、日本中が活気づいていた時代でございます。その勢いに乗って制作された虫プロ制作の劇場用長編アニメでございますが、「アニメラマ」と呼べるものは、その後、ややスケールダウンして制作された「哀しみのベラドンナ」という作品を合わせて、以上の3作品が限りとなってしまったのでございます。

技巧的にはまだ未熟な時代ではありましたが、まだまだ“差別用語・差別表現”などというものが取りざたされる前ということもあって、制作者は(良くも悪くも)何でも自由に表現しております。アニメーターの熱意が強く感じられる、アニメにとっての良い時代だったのかも知れません。アニメは実写とは違い、常に「デフォルメ(変形・誇張)」というものを伴います。制作者の意図や熱意といったものは、そのデフォルメのしかたで、より鮮明に作品の中に盛り込まれます。しかし、アニメにコンピューターが導入されるに従い、ちょっと事情が変わってまいります。

アニメにCG(コンピュータグラフィックス)が導入され、そのCGの比率が多くなるに従い、アニメそのものからデフォルメという概念が薄くなったような気がします。たとえばピカソの絵を思い出していただければ分かると思いますが、デフォルメというのは実に人間的な所作でございます。データを忠実に再現するのが得意なコンピューターにとっては、このデフォルメという作業は、“人工知能”に匹敵するほどの難問題でございます。

CGの導入は、アニメの効率化やコストダウンに貢献しているのでございましょうが、ワタクシなどは、昔の人間くさいアニメの方がより愛着がわくのでございます(だから、ガンダムはZまでしか認めません)。ワタクシがそういった作品で育ってきたからなのでございましょうかねぇ? あるいは、最近のCGてんこ盛りのアニメで育った世代は、アニメに対してまた違う思いを持っているのでしょうかねぇ?

虫プロが全財産を投げ出して壮大なアニメラマを制作しているちょうど同時期に、やはり同じ虫プロ制作の「どろろ」というアニメがテレビで放送されております。そんな繁忙期の制作でございますし、テレビ放送となりますとなおさら週に一回のハードスケジュールでございます。楽屋裏のゴタゴタなどがチョットかいま見られるような作品となってしまっているその「どろろ」のお話を、もうそろそろしなくちゃね、なんて思っております。

では、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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2007/09/22

弁当、F、そして...カアチャン

今回は、ワタクシがまだ中学生だった頃のあるエピソードを紹介するのでございます。ワタクシがまだ、詰め襟の学ランを着ていた頃のお話でございます。お話の中でワタクシと言っているのは、まだまだ若き紅顔の美少年の頃のワタクシでございますので(嘘?)、脳内補完しながらお読み下さいませなのでございます。ではでは、始まり始まり〜〜でございます。

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これはワタクシが中学三年の頃の、弁当にまつわるお話でございます。

ワタクシが通っていた中学の昼食は、給食ではなく弁当でございました。弁当ではございましたが、なぜか牛乳だけは支給されるというおかしな因習がまかり通っていたのでございます。そのため昼食時になると、冷えた弁当と、これまた冷蔵庫から出てきたばかりのキンキンに冷えた牛乳が机の上に並ぶという、実に滑稽な悪魔の食べ合わせが実行されていたのでございます。

パンを購入する購買部もございましたが、朝一番に予約しなければ買うことが出来ないという不便さのため、パン食にする人はそれほど多くはおりませんでした。まだまだコンビニエンスストア・コンビニ弁当などというものは希有な存在であり、昼食時には、各自のカアチャン手作り弁当が、色とりどりに教室の中を飾っておりました。

他人のお弁当には、様々なおかずが何品も入っているようでございましたが、ワタクシのおかずはいつも単品でございました。パッキング式のおかず入れの中には、ウインナーがぎっしりと詰め込まれていたり、ただトンカツだけが押し込まれていたり、前日の残り物のすき焼きだったりとか。他人のカラフルなおかずが、ちょっと羨ましいときなどもございました。

そんな昼食時に、数週間前から“ある事件”が起きておりました。隣のクラスのFが各クラスを渡り歩きながら、ある“悪さ”をするのでございます。このFというやつ、校内の不良グループの一員でございまして、見るからに危なっかしい風体。昼食時になり、食事がある程度進んだ頃になりますと、フラッとやって来るのでございます。

挨拶とも独り言とも分からぬ言葉を発しながら入ってきたFは、教室内を徘徊しながら、誰に話しかけるでもなく大きな声で喋りまくるのでございました。「今日はいい天気だね〜」とか「どんなおかずなの〜」とか、まぁたいした内容ではないのでございます。これだけならば、単なるお調子者で片付けられるのでございますが、その喋りながら行うFの“奇行”が、教室内を“ある緊張感”に陥れておりました。

そのFは、おもむろに他人の弁当のおかずに手を伸ばすと、素手で他人のおかずをつまみ取り、食べてしまうのでございます。ひどいときには、かじりかけのおかずを、本人の弁当箱に戻したりいたします。これには、ワタクシの教室だけでなく、学年中の迷惑であったのでございましたが、誰一人文句を言い返す者はおりませんでした。そのFが、不良独特の危ないオーラを全身から発し、関わり合うと大変なことになると、みなが直感で感じていたからでございます。

その日もFはやってきました。いつものように独り言ともつかぬ話をしながら、教室を徘徊しております。ざわついていた教室が一瞬にして、緊張感に包まれ、みなが「俺の近くに来るな」と思いながら、下を向いて黙々と食事を続けております。ワタクシもそのFと目が合わないように、下を向き、食事を続けておりました。すると、視界の脇からスルッと手が伸びてきて、おかずのウインナーを取り上げていきました。Fの仕業でございました。

Fはワタクシのおかずを一口かじると、そのかじりかけのウインナーをワタクシの弁当に戻したのでございます。ワタクシは、「何をされても無視を続けよう。関わり合いたくないから」と固く決心をしておりました。しかし、そのかじりかけのウインナーを戻されたとき、その決心など消し飛び、ワタクシの心は脊髄反射のような反発力で、そのFに大声で言い返していたのでございます。

「何するんだ! あっち行けよ!」
言いながら、これまた無条件反射的にワタクシはFをにらみつけておりました。そのとき、ワタクシはFの顔を見たのでございます。Fの顔は、安堵と喜びの入り交じったような、なんとも嬉しそうな顔をしておりました。たぶん、“無視されない”ということが嬉しかったのでございましょう。そのFの安らいだ笑みは、ワタクシにとっては、まったくの意外で驚きでございました。

ところが、そのFに言い返した直後に、ワタクシは大きな後悔をしておりました。「ヤベッ、関わり合いたくないな」という気持ちでございます。そのFの笑みに対する好奇心よりも、ワタクシの小心者としての保身意識の方が勝ったのでございます。ワタクシは何事もなかったように下を向き、食事を続け、Fを無視し続けました。ワタクシはFを見殺しにしたのかもしれません。

Fの顔をまじまじと見たのは、その一瞬がすべてでございました。それからしばらくすると、Fはやってこなくなりました。Fの心の中で何か変化があったのか、あるいは教師の誰かから注意を受けたのか、定かなところは分かりませんが、とにかくそれ以後、昼食時にFがやってくることはありませんでした。

学校を卒業してから、もう何十年も経ちますが、その一瞬のFの顔だけは、いまだに記憶から消えることがございません。Fが戻したかじりかけのウインナーも、脳裏にはっきりと残っております。単品のおかずがぎっしりと詰め込まれた、実になさけない弁当だったけど、その弁当を汚されて無性に腹が立ったワタクシ。そして、心の隙間を埋めたくて徘徊していたF。ワタクシの弁当にまつわる想い出でございました。

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二ヶ月ほど前、神戸の私立高校で、ある男子生徒が飛び降り自殺をするという事件がございました。少年はポケットの中に遺書を用意しており、先日、その遺書の内容が明らかになり、その少年がお金を要求されるなどのいじめを受けていたことが判明したそうでございます。

その少年が自殺をした当日も、彼の弁当には何らかの嫌がらせが有ったようで、遺品となって帰ってきた彼の弁当を開けた母親は、自分が作った弁当とはまったく違う物が入っていたのに気づいたそうでございます。その違う物がなんだったのか? それはまだ噂話の域を超えないので言及いたしませんが、おそらく“食べられるものではなかったでしょう”

少年が母親の手作りの弁当を開けたとき、どれほど悲しく、また怒りに震えたことでしょう。母親が遺品となった弁当を開けたとき、どんな辛い思いをしたことでございましょう。それを考えると、ワタクシとしても、実にやり切れない思いでいっぱいでございます。

もしいじめを受けている人がいたら、とにかく反抗するべきでございます。嫌なことをされたら怒り狂え! みすみす殺されるな! 死にたくなかったら反抗しろ! そして、反抗してもだめなら逃げな。転校すればいい。

もし年頃のお子様を持っていらっしゃる方でしたら、子供は必ずメッセージを発しています。注意深く読み取って助けてあげて下さい。そして、もしだめなら、引っ越しでも転校でもするべきでございます。「孟母三遷」と申します(洒落じゃないっすよ)。「逃げるが勝ち」という言葉もございます。子供の命を守ろうとするときには、躊躇せず行動して下さい。こんな悲しい事件を繰り返さないためにも...

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2007/09/20

悪役キャラの関取...いいかもしれない

あぁ、あんまし、政治の話はしたくないのでございますが、チョットだけ言わせて下さいませなのでございます。ただ今わが国は、首相がいないということでございまして、それでは全くの無防備という事じゃござんせんか? アメリカで言えば大統領がいないようなものでしょ。もしそんなときに何かが攻めてきたらどうするのよ! たとえば...たとえば...ガミラスが攻めてくるとか...ゴジラが東京湾に現れるとか(アハハ)。こんな無防備な状況をうっちゃっておいて選挙にご執心な人たちってのは、本当に日本のことを憂いているか、その神経を疑うのでございます。

福田さん、大丈夫かなぁ? あの人もやはり官房長官のような縁の下の力持ち的役職の方が、向いているような気がするけどなぁ。それに対しあの麻生って人、なかなかのタヌキっぽいですよねぇ(個人の感想であり、一般的な評価ではありません)。なんか、「とりあえず立候補したから責任は果たしたけんね。あとはシランケンシュタインだけんね」なんて嘯(うそぶ)いていそうでございます(重ね重ね、個人の感想ですよ、アハハノハ)

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といったところで、無防備な日本をうっちゃってる人たちは放っておいて、今回はうっちゃりで相手を投げ飛ばす人のお話でございます。そう、朝青龍の一連の事件が、今回のテーマでございます。

皆様方、杉山邦博さんという元NHKのアナウンサーをご存じでございましょうか? たぶん顔写真を見ると「あぁこの人か」って分かるぐらいの、有名なアナウンサーでございます。その杉山さん、現在は「東京相撲記者クラブ会友」の一員だそうですが、あるテレビ番組に出演したときのこと、他の出演者の相撲協会を批判する発言に対して、ほんのちょっとうなずいてしまったそうでございます。そのうなずきに対して相撲協会が、「協会への謀反じゃ!」とばかりに、その杉山氏から本場所取材用の取材証を没収していたようでございます。

この大人げない行動には相撲協会も後から気がついたみたいでございます。無事に取材証は杉山氏に返されております。まぁしかし、相撲協会の北の湖理事長、オナカは大きいのに、ケツの穴の小さい人間でございます。この例からも分かるように、相撲協会というところは、まるでイスラム原理主義のような「相撲道(すもうどう)絶対主義」に凝り固まった、やや閉鎖的な団体でございます。この「相撲道」というのがクセモノ。では「道(どう)」とは何か? まずそこから、朝青龍と相撲協会との軋轢(あつれき)を紐解くのでございます。

【第一の食い違い:「道」vs.「スポーツ」】

柔道、剣道、華道、茶道、オカマ道(?)...ごらんの通り、「道」と付くものはスポーツだけとは限りません。「道」とは“精神”であり“生き方”であり“哲学”なのでございます。「道」の第一の目的は“精神の修養”であり、“礼法の習得”でございます。竹刀で打ち合ったり、お花を生けたり、その方法・手段はそれぞれ違えども、おしなべて「〜道」と付くものは、皆その目的は同じ、“携わるものの精神的鍛錬”なのでございます。

「道」は、ある意味“宗教”のようなものでございます。ですから(本来)儲かりません。目標はハッキリせず、一生かかっても会得できないかも知れません。そして、追求すればするほど、禁欲的な苦しさが増すものでございます。この「道」の特徴は、世間一般に「スポーツ」と呼ばれているもののそれとは真反対でございます。スポーツならば、スタープレイヤーになることで儲かりますし、目標は単純明快、勝つこと。そして一流になればなるほど、リッチで優雅な生活が待っています。

どうでございましょう? もし相撲を「道」と考えている人と「スポーツ」と考えている人が衝突したら? そりゃぁ、話がまとまるわけがない。まぁ、その価値観の行き違いを相撲協会が理解していれば、もうすこしやり方も変わったのでしょうけどねぇ。相撲協会は「朝青龍がルールを破った」と怒り心頭でございますが、そもそも朝青龍は、「“相撲教”の信者ですらなかった」のでございます。信者ではないので、そりゃぁ教則に従うはずはございません。

その「道」と「スポーツ」との感覚の違いが第一の原因。さらに第二の原因がございます。日本人と外国人の国民性の違いでございます。

【第二の食い違い:「全体主義」vs.「個人主義」】

「組織のルールに従うのが第一。組織のルールはどこに有るかって? そんなものは周りを見回して、自分で会得しなさい。まあ、空気ぐらい読めるだろうから、あまり無茶な要求は誰もしないでしょうけどね」
という考えの人がいると思って下さいませ。一方、
「要求できることは、とりあえず何でも主張したほうがいいでしょ。何か不都合が有れば、向こうから断りを入れてくるだろうしね。エッ、ルール? 何も言われてないし、もらってもいないよ。だから“禁止されてない”ってことでしょ」

さぁ、こんな二種類の人たちの間に何か問題が起きたら、そりゃぁ揉めるのは必至でございます。前者はごく日本人的な考え方でございます。この“空気を読む”という感覚が、外国の方には難しい。諸外国、特に欧米人は、「規則=契約」という感覚でございますので、日本的な“暗黙の了解”というのは、なかなかに理解してもらうのが大変だったりいたします。

外国人が流暢(りゅうちょう)な日本語を話していたりすると、その感覚までも日本のそれを会得してくれていると、日本人は安易に考えたりいたします。それって、日本人の傲慢でございますよ〜。外国人に対しては「空気読め!」と突き放すのではなく、細かい注意書き・ルールのようなものを“文書で”示すのが、いたって確実でございます。朝青龍に対しても、伝統とかしきたりとかで片付けず、あらかじめ細かい取り決めを交わしておくべきだったかも知れませんよね。

さて、もうひとつの要因がございますが、それはマスコミでございます。

【第三の食い違い:「マスコミの悪意」vs.「身内の善意」】

朝青龍のサッカー事件は、モンゴルでサッカーをしていたというあの報道がすべての発端でございます。そこで、もしあの報道が以下のような内容であったらどうでございましょう?

<朝青龍、オフを利用して祖国モンゴルで親善サッカー試合に協力>
肘の故障で休場している朝青龍関が、かねてからの依頼により、祖国との親善サッカーに協力するために、モンゴルに帰国しました。肘や腰の故障にもかかわらず、あえて明るい表情を絶やさない朝青龍関の振る舞いに、祖国のファンも感動しています(あえて、サッカーをしている場面ではなく、ベンチで観戦している映像を流す)。
マスコミの報道なんてものは、編集者の胸先三寸でどうにでもなってしまうものでございます。歴代の横綱が、皆模範生であったわけではございません。横綱と言えども人の子。歴代の横綱の中には、まぁ横着なことをやっている人もいたわけでございます。その横着が「武勇伝」として伝えられるか「スキャンダル」として報道されるかは、編集のしかた次第なのでございます。

宮中や宮内庁を批判するような報道は、一般のテレビや新聞では、まずあり得ないですよね。それは宮内庁が厳しくコントロールしているからでございます。相撲協会も、有能なアナウンサーから取材証を取り上げるようなことをするまえに、まずマスコミをコントロールする努力をして、自分たちの身内である朝青龍をかばうべきだったのでございます。マスコミの悪意のある攻撃から朝青龍を守ってやってから、相撲界内部で諭すような教育をすべきでございます。身内の相撲協会からも突き放されて、朝青龍は居場所が無くなったのでございます。

朝青龍って、どこかプロレスの悪役のようなイメージがあって、以前から「伝統ある相撲界にふさわしくない言動」とか言われることが多かったのですよね。それゆえ、こういったトラブルの時に、なかなかかばってもらえなかったりするわけでございます。でも、彼はまだ、20代後半の若者でございますよ。そんな彼に、悟りきった修行僧のような行いを要求するのは酷でございます。それに、相撲界の悪役キャラってのも、なかなかよくありませんか? 相撲協会もメンツばかり気にせず、わがまま芸能人を使う芸能プロダクションの感覚でやればいいのにな、って思うのですが、難しいでしょうかねぇ?

さてさて、朝青龍のお話はここまで。で、ちょっと考えてみて下さい。朝青龍のような行動パターンってのは、最近の若い人にもときどき見られるのでございますよね。仕事に対するスポーツ感覚。全体より個人主義。ね。どうやらこういった問題は、相撲界の中だけの問題ではないかも知れませんよ、ウフフ...

では今回はこの辺で。次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2007/09/16

ご意見・ご感想・誹謗中傷・罵詈雑言、大歓迎でございます

ちょいと、ご報告。

7/267/28の配信で、中越沖地震への報道や復興支援のあり方についての独断と偏見を書かせていただきました。その件に関しまして、いくつかのご感想をいただいておりますので、チョイトご報告がてら、お礼を申し上げるのでございます。

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まず、看護関係・福祉関係の方からは、報酬や待遇、社会的認識の低さなどを訴えるお手紙を頂いております。「人情や善意で医療福祉を押し進めると、現場が破綻する」といったお手紙も頂いてます。

一方、実際にボランティア活動をしていらっしゃる方からは、「自分の活動を否定されたみたいで、あまり気分が良くない」といった感想も頂いております。善意で活動していらっしゃる方々からすれば、自分たちの活動を金額に換算する「プロ」という感覚が不本意なのでございましょう。貴重なご意見、ありがとうなのでございます。

ワタクシ、2005年の6月に、越後湯沢に赴いております。たまたま越後湯沢駅での列車の接続で二時間ほど空いてしまい、いっそ途中下車をし温泉につかっていこうと、ブラリ途中下車の旅をしたのでございます。あのあたりの温泉街は、さかのぼること8ヶ月前の2004年新潟県中越地震で大打撃を受けております。地元の方にその当時のお話を伺いましたところ、いくつかの温泉が震災者のために無料開放したということも聞きかじっております。越後湯沢温泉の名誉のためにも、付け加えておくのでございます。

看護関係で思い出しましたが、急患の妊婦がたらい回しにされるなんてニュースを聞きますと、つくづく、産婦人科医師の絶対数が足りないのだなと思ったりいたします。本来、なり手が少ない職種であればあるほど、その職種で高収入が得られるはずなのでございます。雇用、被雇用における供給と需要の関係でございますよね。でも実際には、必ずしもその供給と需要の関係がうまく機能していないようでございます。社会的に必要とされる職業の方々こそ、より高収入を得られるようなシステムが不可欠ではないでしょうか? 7/27〜7/28の配信は、そういった趣旨で書かれておりますです。

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いくつかのお手紙を頂きましたので、ここにご報告させていただきました。ご意見・ご感想、ありがとうなのでございます。

ではでは、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2007/09/14

一にハッタリ、二にオダテ、三、四がなくて、五に理論

車を運転する方はこんな経験はございませんか? 側道から本道に入りたがっている車がさんざん躊躇したあげく最悪なタイミングで合流し、周りの車をヒヤッとさせるようなことを。安倍首相の辞任劇が、まさにそんな感じでございますね。なんか政治的な話題が続いちゃいますが、その辞任劇に関して、ちょっと思うところがありますので、まぁ、しばし、お付き合いのほどを。

もう安倍首相、許してあげようよ。解放してあげようよ。そもそも安倍首相の就任のいきさつって、気の弱い子に無理矢理に学級委員を押しつけたようなものじゃない。もともと首相に向いてないような人が、よくここまでやったでしょ。誰も引き受けてくれないような貧乏くじ首相を一年間も務めてくれたのだから、まぁこれで楽をしてもらいましょうよ。

安倍首相を無責任とか言うけれど、本当の無責任は一年前にさんざん大風呂敷を広げて、その風呂敷をたたまぬままさっさと退いたイイカッコシイの小泉前首相でしょ。格好いい部分だけ演じて、いちばん大変な局面になるとサッサと他人に下駄を預けてしまうって、ちょっと小泉、調子いいのでございます。まぁ、そんなタヌキなところがなければ、政治家なんて務まらないのでしょうけどね。

とか言うワタクシ名古屋薫も、様々なプレッシャーに負けて東京から名古屋に逃げ帰るといったことが、過去に二回もございます。安倍首相の場合は、その辞め方が最悪でございますが、プレッシャーに潰され逃げ出したその気持ち、ワタクシ分からないでもないのでございますけどねぇ。

ではここで、ワタクシの経験談を、ひとつ紹介するのでございます。

ワタクシ、高校時代にブラスバンド部の指揮者の経験をしております。大学時代にはオーケストラ部に在籍し、指揮者の留守中にコソッと指揮棒を振らせていただいたりしております(なんか「のだめカンタービレ」を地で行くような学生時代でございます)。その指揮棒を振った際の体験談でございます。

指揮者とかいうと、なんだか楽団を完全に掌握しているようなイメージがございますが、実際には指揮者と楽団とは、ある意味「戦い」なのでございます。指揮者の技量がおぼつかないと、楽団は指揮者をからかおうといたします。わざときっかけを無視したり、わざと音を外して指揮者が気づくかどうか試したりとかね。そんな楽団のオチョクリになめられないように、指揮者は様々な手法を駆使して楽団をコントロールするわけでございます。指揮者の手腕とは、「一にハッタリ、二にオダテ、三、四がなくて、五に理論」。そんなところでございます。

自分が指揮台に立っているときには、そういった楽団の洗礼を散々受ける羽目になるわけでございます。指揮者の時に自分が嫌な思いをしているにもかかわらず、不思議なもので、自分が楽団側に座って他人の指揮を受ける立場に回りますと、今度は、技量の未熟な指揮者をオチョクル自分がいたりするのでございます。人間、痛みが分かっていれば他人に優しくできるなんて言いますが、それは本人の精神力しだい。ましてや、自己顕示欲の強い音楽家の世界では、「ニコッと微笑みながら生き馬の目を抜く」なんて感覚が結構あるのでございます。

そういえば、舞台の上でも同じ思いをしております。舞台の上での立ち位置というのは、稽古時に演出家が“厳格に”決めるのでございます。しかし、舞台稽古を重ねるうちにその立ち位置がジリジリと移動し、ベテラン俳優がどんどんおいしい位置を独占していってしまう。ワタクシの様な端役は、どんどん居場所を失ってしまい、台本に「○○へ移動する」なんて書いてあっても、舞台上でそこまで移動するルートが無かったりするのでございます(笑)。それでベテラン俳優に注文をつけたりすると、とんでもない叱責を受けたりする。舞台の上も、戦いなのでございます。

人というものは優しくあるべきでございます。ところが、自己顕示欲の強い世界では、そんな優しさなんて決して期待は出来ないのでございます。たとえ他人の痛みが分かっている人でさえ、自分が攻撃できる立場に回ってしまうとアッサリと以前の痛みなど忘れて攻撃側に回ってしまったりとか、そんなものでございます。政治の世界にも、そんな陰湿さって、ありますよね。

安倍首相は性格のストレートな、いわゆる「いい人」でございます。そんないい人が、タヌキ親父の巣窟である政界で、よく一年間も頑張られました。お疲れ様なのでございます。ここらで政治からすこし距離を置いて、ゆっくり療養していただきたいものでございます。そして、今まで気楽な立場から突っつき回していた連中は、「やれるものなら自分たちがやってみろ」なのでございます。そうそう、指揮者の奥義、「一にハッタリ、二にオダテ、三、四がなくて、五に理論」っていうのは、政界にも有効かも知れませんよね。

ではでは、次回こそ、朝青龍のことを書かなくっちゃね。それから「どろろ」も棚上げになっちゃってるしね。次回をお楽しみに。

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2007/09/11

9月が来ると…

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」
と藤原敏行が歌った「風」は台風のことだったのでしょうか? 台風9号、強力でしたねぇ。みなさまの地域では大丈夫だったでしょうか?

さて、営業終了後に次の日の準備をしておりまして、日付印の数字をひとつ送り、新しい伝票に日付を打つ。その伝票を見てハタと気づく。

'07. 9.11
そう、世界中の人間を「目撃者」と「体験者」に分けてしまったあの日でございます。あの日からすでに6年。あの事件に端を発したアフガニスタン戦争、イラク戦争も収束の兆しを見せ、つい先日もイラクからイギリス軍が撤退を始めたところでございます。今回は、最近のアメリカ大統領の発言なども交えまして、ワタクシの思うところを淡々とお話するのでございます。

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先日ブッシュ大統領が、

「(第二次世界大戦以降の)日本の民主化は、アメリカの功績である」
なんてことを誇らしげに言っておりました。あ〜あ、いつもあの国は日本に対して“上から目線”ですよね。確かに今日の日本の経済的発展は、第二次大戦での敗戦をひとつの“きっかけ”にはしております。しかし、日本のこれほどまでの発展は、ある意味「特殊な事例」と言わざるを得ないのでございます。それを、あのブ大統領は気づいていらっしゃらないようでございますね。ほんに、おめでたいことでございます(笑)。

唐突ではございますが、「明治維新」はどうして「明治革命」ではないか分かりますか? そもそも「革命」というものは、民衆が支配者階級をやっつけて、支配者と被支配者の関係が逆転する現象のことでございます。ところが明治維新は武士と武士との戦い、支配者階級同士の戦い(ここがミソ)であり、その結果での政治構造の刷新なのでございます。つまり、革命ではなく「政治的革新」なのでございます。いや、明治維新だけでなく、日本の歴史に純粋な革命と呼べる出来事は、おそらく皆無ではないかと思うのでございます。

儒教の影響による武士道の現れでしょうか? あるいは農耕民族独特の全体主義の現れでしょうか? とにもかくにも、「自己を抑えてでも全体の利益を追求する」という思想が、日本人には強く根づいているのでございます。その国家全体を見るグローバルな視点が、革命ではなく(明治維新のような)革新という形で、日本の政治構造が変遷していくわけでございます。そう考えますと、日本人というのは、とっても自己治癒力の強い民族なのでございます。第二次大戦後、日本がこれほどまでに発展したのは、アメリカのおかげではございません。日本が本来持つ自己治癒力のおかげなのでございます(あ〜あ、言い切っちゃった)。

そしてもうひとつ、今日の日本の発展にはもうひとつのファクターがございます。それは、「広島」と「長崎」でございます。あの二つの原爆による圧倒的な敗北感が、それ以後の日本人に十分な自己反省の動機を与え、その自己反省が再建へと奮い立たせたのでございます。それをブ大統領は分かってない。6年前の世界貿易センターの二つの火柱を、アメリカはパールハーバーと重ね合わせて考えているようでございます。どうしてあの火柱と犠牲を、広島と長崎に重ね合わさないのでございましょう。アメリカは報復することばかり考え、「どうしてそうなったか」を考えようとしない。復讐という感情に押し流され、せっかくの「考えるチャンス」をドブに捨ててしまった。そこにアメリカの悲劇と独りよがりがあるのでございます。

さて、ちょっと前に民主党の小沢一郎代表が米国のシーファー駐日大使に対して、「アメリカのわがままで始めた戦争に、これ以上つきあえないよ」と大上段に構えた発言をしております。まぁ、今、給油支援を断るってのは、長年やってきた町内会の掃除を突然さぼる様なもので、あまり現実的ではないですよね。どうも、シーファー駐日大使との会談が公開会談ということで、小沢さんのパフォーマンスのような気がしますけどね。だって、もし、支援を断るのであれば、アメリカがアフガニスタンやイラクに侵攻したあの6年前にキッパリ断っておかなければ、筋が通らないでしょ。

そこで、みなさま方、想像してみていただきたいのでございます。あの6年前、(報復のため)アフガニスタンに侵攻するアメリカが、世界中に協力を求めてきたあの6年前に、もし、日本がいっさいの協力を断っていたら? 「平和憲法を持つ日本は他国の報復戦争には参加できません」と断っていたら、どうなっていたでしょう。

日本は世界中から孤立して、輸入に頼る資源はことごとく値上がりして、日本経済は大混乱していたでしょうか? 世界中からチキン呼ばわりされ、ほとんど江戸時代の鎖国状態に陥ったでしょうか?

さらに想像してみてください。「様々な困難を予想しつつも、日本は他国の戦争に巻き込まれないことを決定しました」と政治家が叫ぶ姿を。そして、「いまこそ、国民のみなさまの協力が必要です」と国民に頭をさげる政治家の姿を。

そして、そんな日本政府の姿勢を、いつの日か他国が理解し、協調してくれる日が来ることを。報復よりも「どうしてそうなったか」を考えることの方が重要であることを、世界中が気づき始めることを...

み〜んな、ワタクシの夢想でございます。そう、ジョン・レノンが「Imagine(イマジン)してみてよ」と語りかけたように、こんな非現実的な考えは夢想家の独り言なのかもしれません。でもね、夢を語らなければ現実を語れない。夢があるから枯れた現実の世界に潤いが与えられ、そして、どちらへ歩き出せばいいのか分かるのでございます。

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8月の某日、TVにて枯れ葉剤のドキュメントを見ました。ベトナム戦争でアメリカ軍が使った枯れ葉剤の影響が、終結後30年以上も経った現在でも、いまだに奇形児や結合児の出産という形で現れているそうでございます。そして、そのようなベトナムの事実を、アメリカの国民のほとんどは知らないようでございます。枯れ葉剤の犠牲者の写真展をアメリカで開こうとしたとき、その写真展を受け入れてくれる会場探しに、かなり困難したそうでございます。

あるいは、アメリカのスミソニアン博物館には、原爆搭載機の「エノラ・ゲイ」は展示されているものの、広島の原爆展は企画されたにもかかわらず展示直前に断られたといった事実も有名でございます。「自由の国」とか「世界の警察」とか気取っていながら、なんかアメリカって都合よくねぇかなぁ? 「どう考えるか」は未来を預ける子供たちにまかせておけばいいじゃん。大人に出来ることは、子供たちがより深い考えを持てるように、なにもかも包み隠さず子供たちに見せてあげることじゃん。なにもかもさらけ出すってのは、勇気がいるけどね。

広島、長崎の、原爆投下直後の様子を多くの写真に残した元アメリカ従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が、8月の9日に亡くなっております(享年85歳)。それらの写真は写真集「トランクの中の日本」(小学館)という形で紹介されております。事実は正確に伝えていかなければ、どんどん風化していきます。われわれ大人に出来ることは、事実を正確に子供たちに伝えていくことでございます。事実は伝えるが憎しみは伝えない。どうですか、ちょっと難しいですけどね。コツは、「夢見ること」でございます。

ではでは、今回はこの辺で。

前半部分で申し上げました日本人の全体主義的なところってのは、なかなか外国人には理解が難しいようでございます。その両者の不理解が、日本人と外国人との小さな誤解につながったりいたします。といったところで、次回は朝青龍の問題をくっちゃべっちゃおうかな。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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