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2007年8月

2007/08/31

愛情のない芸能記者にもの申す

さくらパパ、喋りすぎだよねぇ。週刊誌のゴシップなんてのは、匿名掲示板への書き込みと同じなんだから無視してりゃぁいいものをねぇ。でも、腹にすえかねたんだろうけど、ああやって反論していたらますます週刊誌にネタ振るだけじゃん。話が大げさになるほど週刊誌は売り上げにつながるから、もし仮に名誉棄損で損害賠償なんてことになっても、それまでの売り上げで十分ペイできる。出版社の策略に、まんまと乗せられちゃってるじゃん。まぁ、尊厳のない(にわか)国会議員にも問題があるけどさぁ、特に糾弾すべきでもない人の過去のアラをほじくり出して記事にするジャーナリストもどうかと思うけどなぁ。

こういった記事ってのは、たいてい「売られた」ことが多いんだよね。つまり、さくらパパが誰かに恨みを買っちゃって、その腹いせにネタを週刊誌に売られたっていうこと。売ったとか売られたとか、こんなのまるで恐怖政治じゃん。芸能界を恐怖政治状態にしている現在の芸能記者(もはやジャーナリストじゃないよね)ってのは、ほんとにどうにかなんないかなぁ。芸能記者にしてみれば芸能人ってのは記事のネタもとなんだから、持ちつ持たれつ、お互い共存状態でしょ。なんかエセ正義感振り回して裁判官気取りの記者連中が、まったく芸能界をつまらなくしたよね。

つまらないって言えば、朝青龍への取材。あそこまで追っかけて取材するか?! 朝青龍にもそりゃぁ非があるけど、犯罪を犯したって訳じゃないんだからさぁ。サッカーの一件は、外国人と日本人の感覚の違い、そして「相撲道」と「Sumou Sport」の違いから発生した「ちょっとしたすれ違い」なんだよね。話が大きくなるか小さくなるかなんて、芸能記者の書き方ひとつじゃん。

昔は横着な芸能人って多かったじゃん。その横着が武勇伝になるか糾弾になるかは記者の胸先三寸。相撲界にしたって、歴代の横綱がすべて模範生だったわけでもないでしょ。相撲界の火が消えちゃったら芸能記者や出版業界だってネタがなくなって困るわけでしょ。今の芸能記者の人たちには、「芸能に対する愛情」が無くなったね。ズバリこれが原因。「自分たちが芸能文化の一端を支えているという自負」が今の芸能記者にはない。「(雑誌が)売れればいい」と思ってる。ああ、やだね。

朝青龍の件に関しては、もっともっと書きたいことがあるので、それは別の回でお話しするということで。ニューハーフというのは外国人と一緒に仕事をする機会が多いので、朝青龍の件がどうしてあんなにこじれたのか、なんとなく分かるような気がするのでございますよね。

ではでは、次回をお楽しみに。今回は怒りにまかせた走り書きメールマガジンでございました。

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2007/08/29

オカマにだって戦わなければならないときがある

舛添さん、大臣になっちゃいましたねぇ〜〜。いやぁ、テレビなどであれだけ毒舌吐いていた人が実際に閣僚に入っちゃうと、どうなんでしょうかねぇ? しかも、年金問題で風当たりの強い厚生労働大臣でしょ? 大変でしょうねぇ。

この舛添さん、ちょっと前の細木数子の番組に出演していて、細木女史から閣僚入りを反対されているんですよね。まぁ、この時期の閣僚入りってのは泥船に乗り込むようなものですし、舛添さん自身の運気もあまり良くないらしいので、“占い師”細木女史としては当然のアドバイスだとは思いますよ。

でもまぁ、細木女史言うところの「閣僚入りオファーを断れ」っていうのは、なんとも“女々しい”発想でございますよねぇ。「自分だけ良ければいいのか」ってことになっちゃいますものねぇ。舛添さん、今ここでオファーを断ったりしたら、間違いなく“男を下げちゃいます”よ。そんなことしたら、今は良くても、後々の活路を失っちゃうでしょ。舛添さんの今の気持ちを代弁すると、こんな感じではないでしょうかねぇ。

男には、負けると分かっていても戦わなければならないときがある
さあ、誰の言葉でしょう。キャプテンハーロック? いえいえ、この言葉、福沢諭吉の言葉だそうでございます。舛添さん、茨(いばら)の道をあるくことになりそうですが、舛添さんのような言葉に実(じつ)がある人には、是非とも活躍していただきたいものでございます。

さて、ここからが本題。今回は舛添さんではなく、総理大臣「安倍晋三」がテーマでございます。しかも、世の中を斜めに見るニューハーフ、名古屋薫のメールマガジンでございますから、ありきたりの安倍論評ではございません。今回は、安倍総理の「声」に注目なのでございます。

まずはっきり言い切りましょう。安倍総理の声には、「実(じつ)」が無いのでございます。総理が話している内容ではなく、声の質そのものに実が無いのでございます。では「実の無い声」というのはどんなものでございましょう? まず、そこからご説明するのでございます。

お寿司屋さんに入ると、「へい、いらっしゃい!」という威勢のいい声が返ってきますよね。あるいは、バラエティ番組などでは、出演者が気取らず気さくにおしゃべりをしていますよね。これは、「実のある声」でございます。飾らず、気取らず、そしてあまり美声でない方が、声に「実」が伴いやすいものでございます。

一方、デパートなどへ行きますと、エスカレーターの脇やエレベーターの中で、「いらっしゃいませ」と声をかけられますよね。あるいは、テレビのニュースアナウンサーは、非常に淡々とニュースを伝えますよね。これらは「実のない声」でございます。ちょっと気取っていたり、冷静な語り口調だったりすると、言葉に「実」が伴わなくなります。声が美声だったりすると、その実の無さに拍車がかかったりいたします。

実のない声というのは、心に鎧を着せた声でございます。自分の感情も出さないが、他者からの感情も押し返すよという、ちょっと気持ちの引いた声の出し方でございます。この実のない声というものも、ちゃんと必然性がございます。前述のエスカレーターやエレベーターでかけられる「いらっしゃいませ」の声は、もし実のある声で接していたら、デパートガールはクタクタになってしまいます。何百回繰り返してもあまり疲れず、お客様にもあまり負担をかけない声、それがあえて実を伴わせない声なのでございます。

また、ニュースアナウンサー(ニュースキャスターはちょっと違うかも)は、極力自分の感情を抑えて話す必要がございますので、実のない声が本来の目的にかなっているわけでございます。おもしろいのは、スポーツ報道のアナウンサーでございます。古いスポーツ関連のアナウンサーは、非常に淡々とした口調で、あえて実のない話し方をする人が多いのでございますが、最近のスポーツ中継では、むしろ感情にまかせた実ありありの口調の方が、ウケがよろしいようでございます。

で、お話を安倍総理に戻しますと、安倍総理の声というのが、これまたアナウンサーのような美声で、これまたまた生まれつきか性格のなせる技か、非常に実のない話し方をするのでございますよね。この美声と一時期のカメラ目線も相まって、この実の無さにドンドン拍車をかけておりました。前任の小泉さんが、こりゃまた実有りすぎで困るといった話し方をする人ですので、ますます安倍総理の影を薄くしておりました。

政治家には実の無い声、実のある声、この両方を使い分ける演技力が必要になるのでございましょうが、こと安倍総理に関しては、この使い分ける演技力は備わっていないようでございます。この声の実の無さが、安倍総理のリーダーシップの弱さにつながっているのではないでしょうかねぇ? 二年前の小泉さんの郵政がらみ選挙の大勝。宮崎の東国原知事の当選。小泉さんや東国原さんといった方の実のあるしゃべり口調を考えますと、これらの選挙での結果は十分うなずけるのでございます。

むしろ、安倍総理のようなしゃべれない人は、いっそしゃべらなければいいのでございます。自分は語らず、他の弁が立つ人にドンドンしゃべらせればいいのでございます(そういう人が周りにいないというのが、安倍総理の不幸でございますけどね)。そういった自分の欠点を知るということも重要でございまして、自分の欠点を受け入れた上で上手に立ち振る舞う術を心得れば、もはや欠点は欠点ではなく、キャラクターの一部になるのでございます。

自分の欠点を気にしてコンプレックスを持っていらっしゃる方、欠点を受け入れたとき、新たな活路が生まれますよ。欠点をなくす努力も必要ですが、どうしても無くならないものならば、その欠点とうまく付き合う方法を見つけることで、新たな活路が生まれるものでございます。男とも女とも生きられず、その境遇を受け入れてオカマちゃんとして堂々と生きているワタクシ名古屋薫の弁でございますから、説得力が有るとは思いませんか?

では、今回はこのぐらいで、次回をお楽しみにね。名古屋薫でございました。

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