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2007年7月

2007/07/28

売名行為のススメ

さてさて今回は、前回の「中越沖地震へもの申す」の続編でございます。もう言いたいことがノドボトケまで上がってきておりまして、ウズウズしておりますので、さっさと本題に入るのでございます。

まず避難していらっしゃる方々の避難場所。あ〜あもぅ、どうしてあんな不便で不衛生な場所に千人以上もの人を固めておくんだろう? あぁ、あったま悪いんじゃないの!(プンプン) 千人分の食事や水やトイレの準備なんて大変なことでしょ。どうせ(と言っては失礼ですが)あのあたりの温泉街は、今回の地震の影響で軒並みキャンセルが相次いでいるのでございます。いっそ、それらの温泉街へドンドン放り込んじゃえばいいのでございます。

被災地には最低限の留守番の人を残し、あとの疎開組を数十人のグループに分け、近場で水道や電気・ガスの被害を受けていない地域の大規模ホテルに入れられるはずでございます。あるいは小中学校でもいいかもしれない。ホテルならチョットした団体客が来た程度、あるいは小中学校なら給食センターがひとクラス分余分に給食を作るぐらいのことで対応できるはずでございます。不便な場所で苦労して集中管理するよりも、広域で分散して収容した方がゼ〜タイに効率的なはずでございます。

エッ、ではその費用はどうするかって? 基本的に国などが負担することになるのでございましょうが、まぁホテルなどにはこの際、超格安の料金でなんとかしてもらうのがよろしいでございましょう。そのかわり、そのホテルの名前をバンバンニュースなどで宣伝するのでございます。TVのCMに高額な広告費を支払っているようなホテルであれば、ニュースの高視聴率が何億円という広告費に匹敵することぐらいは察しが付くはずでございます。「損して得取れ」でやってもらうのでございます。

日本人の美徳感に「売名行為は汚いもの」という感覚がございます。しかしこの場合は、“あえて売名行為をしてもらう”のでございます。もちろん、ホテル側が進んで売名行為をするのにはいささか抵抗があるでしょうから、ここは前回申し上げました「鶴の一声」が有効でございます。お上の方から「○○ホテルさん、ふだん儲けているのだから、こんなときぐらい一肌脱ぎなさい」と言われればホテル側も、「まぁ、お上の命令だからしょうがないですな」といった面目が立つってものでございます。

さて、同じようなことが仮設住居の建設や道路などの復旧工事にも言えるのでございます。あれだけ毎日のように現場の映像が流れているのでございますから、建設会社に宣伝させればいいのでございます。仮設住居も壁に○○建築とか、□□住宅とかデカデカと書かせればいいのでございます。ではその工事をどこにやらせるか? それは、財力や機動力に富んだ大手ゼネコンがよろしいでございましょう。

最近は入札時の談合がいろいろと問題視されております。談合となるといろいろ問題があるのでございましょうが、入札時に大手をチョット優遇するぐらいの処置はよろしいと思います。それで、今回の地震のような非常時には、「入札の時に良い思いをしてるだろ。非常時なんだから重機出しなさい。人足だしなさい。」とお上の鶴の一声でございます。これも、後付けの規則では何かと問題になりますから、災害などが起きる前に、非常時での対応の取り決めをするべきでございます。

大地震のような非常時にボランティア精神などをあてにしてはいけません。大きな資本を動かす、大勢の人力を働かせるといった場合には、かならずそこには金勘定が無ければ難しいのでございます。ですから、大きな資本・人力を「売名行為」をエサにして行動させつつ、しかもそれを売名行為と言われないように、お上が「鶴の一声」でお膳立てをしてやればいいのでございます。

今回の地震では、一般の方からの救援物資の送付や一般の方のボランティアの申し出を断っております。大規模な災害現場では、全体を総括的に判断する必要があるはずでございます。一般個人の「これを送れば便利だろう」という一面的な判断が、実際の現場では邪魔あるいは負担になることもあるはずでございます。また、ボランティアに関しても、このような非常時には“プロのボランティア”の的確な判断と技術が必要なはずでございます。気持ちだけで乗り込んでいったアマチュアボランティアが、実際には現場の足を引っ張るとも限りません。物資やボランティアに関するこれらの「お断り」は、幾度もの大震災を経てきた教訓が生かされているのでございましょう。

では“プロのボランティア”とは?

日本人の感覚として「ボランティアはプロであってはいけない」という感覚がございます。つまり、報酬をあてにせず慈悲の心で接せよと。これは大きな間違いでございます。質の良いボランティアを育成するには、必ず報酬が必要でございます。「ボランティアありがとう」で片付けるのではなく、こういったときにきちんとした報酬を与えることが、より上質のボランティアを育てるという結果につながるのでございます。これは介護などでも言えるのでございますが、「奉仕する人々」を単なる慈善精神と片付けず、きちんとひとつの技術・技術職としてみとめる風潮が必要だと思うのでございます。「プロのボランティアを育てる」といった考え方、日本にはまだまだ芽生えていないと思うのでございます。

売名行為だとか、プロのボランティアだとか、よほど日本人の感覚では偽善と呼ばれそうな行いでございます。しかし、災害救助やボランティアといったことは、善とか偽善といったレベルで論じてはいけないのでございます。経験や教訓に裏打ちされた「方法論の集大成」でなければいけないのでございます。阪神大震災以後、そういった経験や教訓が少しずつ生かされているようでございます。「善悪感情ではなくむしろ功利主義的に」、これが名古屋薫が考える災害復興やボランティアの考え方でございます。

日本という国土は、地震や台風のような大災害を避けられないという事情がございます。明日は我が身。持ちつ持たれつなのでございますよ……

というわけで、二話に渡って一気に書き上げて参りました。賛否両論、諸説ございましょうが、まぁオカマの言いたい放題だと思って鼻で笑っていただければ結構でございます。ではでは、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2007/07/26

中越沖地震の報道のあり方にもの申す

Fi1189923447795t_0eお久しぶりでございます。名古屋薫でございます。

んな、んなぁんと、五ヶ月ぶりのメールマガジンでございます。今回は、なかなかにブランクっちゃったのでございます。書きたいことは山ほど有るのでございますが、忙しさにかまけて書きそびれているうちに、タイムリーではない話題になっちゃって書くのを見送ったりとか、あるいは「書く」というルーチンを忘れた生活サイクルに陥っちゃっていると、その自分の生活サイクルを変えるのにはチョットしたエネルギーが必要だったりとか、まぁ、ひとえにゴメンナチャイなのでございます。

中越沖地震も発生から10日ほど経ち、発生当初の混乱はほぼ収まっているとはいえ、まだまだ不自由な生活を強いられている方々が大勢いらっしゃるようでございます。今回は、この地震に関する一連の報道に関して、ちょっとイライラしていることがございますので、書いちゃうのでございます。報道関係のお仕事の方がいらっしゃいましたら、“あしからず”、なのでございます。

さて、今回の地震報道では、大変な人数の報道関係者が現地に出向いているようでございます。各局が「○○○人ものスタッフを送り込んで、万全の報道体制をしいて……」なんて言っているのを聞くと、もうね、バカか、アホかと思っちゃうのでございます。

現地は水道も止まっている。ガスも電気もままならぬ。そんな場所でございます。そのようなところに何百人も押しかけれたら迷惑でしょ、ほんとに。その何百人がゴミも出せば、オシッコやウンチもするでしょ。あぁ、ほんとに迷惑この上ない。

そして、各局がバラバラに取材しているものだから,同じ人たちに何度も同じインタビューをしてしまったりとかが、きっと有るはず。避難所で鬱積(うっせき)をためている人たちからしたら、入れ代わり立ち代わり取材陣がやってきて、紋切り型の質問を浴びせられ、同じような返答を何度もさせられる。あぁ、迷惑、迷惑、迷惑この上ない。

きっと上空には何機ものヘリコプターが飛び回っているのでございましょう。普段の閑静さに慣れている地元の方々にとっては、さぞかし大きく聞こえる雑音でございましょう。あぁ、迷惑、迷惑。

さあ、さあ、さあ、ここで名古屋薫、ある提案をするのでございます。こういった災害や大事故の際の報道には、すべての報道機関が「報道協定」なるものを結ぶべきでございます。災害現場・事故現場に、共同の報道基地を設けて、各局・各紙がそれぞれ持ち寄った映像などを共有使用するのでございます。F1レースやオリンピックを中継するときの共同映像の要領でございます。

当然、ある局のアナウンサーが他局のニュースで登場なんてことも、起こりえるわけでございます。また当然、「スクープ」はあり得ないのでございます。あのような大災害を考えますに、現地に入った報道機関がさらなる“害”になるなんてのは愚の骨頂。世の中の“害”をさらけ出すのがジャーナリズム。自ら“害”になってはいけないのでございます。そのようなジャーナリズムの本質をわきまえて、普段のスクープ合戦での“ヌケガケ根性”はそっと本社の引き出しの奥にしまっておいて欲しいものでございます。

報道基地での、どの局が何を取材するかといった役割分担は、たぶん揉めるところでございましょう。やはり普段から、そういった特別な事態では誰がリーダーシップを取るかということは、ある程度決めておく必要がございましょう。事件や災害が起きてからではなく、起きる前にこのような災害・大事故のときの「報道協定」というものは、つくれないものでございましょうか(たぶん「鶴の一声」が必要。鶴の一声に関しては後述するのでございます)。

かつて、「行く年来る年」という番組は、民放すべてで同じものを放送しておりました。あるいは、「CMの日」と題して、一年に一度、CMを題材とした1時間ほどの特別番組が作られていた時期がございました。この番組も確か、民放すべてで同じ番組を同じ時間枠に流しておりました。普段スクープ合戦で私利を追求せざるを得ない各放送局が、大災害や大事故のときぐらい、私利を捨て協力し、ジャーナリズムの本質に帰ることが有ってもいいと思うのでございます。

で、ちょっと話は飛びますが、年に一度、募金活動を題材にした24時間ぶっ続けの番組がございます。あれなんかも、それほど良いことならば、なにもひとつの局でダラダラ24時間も放送するなんてことをせず、他局に働きかけ、全局共同でミッチリと作り込んだ1時間ほどの特別番組を作って欲しいものでございます。本当に世の中を変えたいという意気込みがあるのなら、まず私利を捨て、他局を説得するほどのエネルギーを見せてもらいたいものでございます。

またまた話は飛びますが、ちょっと前の長久手の籠城事件でのこと。撃たれて横たわっている警官の姿を、上空からヘリコプターで中継をしておりました。まったく、バッカじゃない! 犯人だってテレビを見ているだろうし、あんな中継されたら、犯人に手の内を教えているようなものじゃない。ああいったときの報道規制の取り決めとかも、絶対に必要だと思うのでございます。

で、閑話休題。1979〜80年のテヘランでのアメリカ大使館占拠事件では、1年2ヶ月ぶりに解放され帰国した人質に対して、当時のアメリカ大統領は「24時間の取材禁止」命令を出しました。報道各機関の私利を払拭するには、ちょっと高い位置にいる人の「鶴の一声」が必要な場合がございます。日本の「ちょっと高い位置にいる人たち」は、どうでしょうかねぇ?

というわけで、中越沖地震のような大災害での報道のあり方に関して、ちょっと生意気なことを書かせていただきました。あと、道路などの復興や仮設住居のあり方、避難場所のあり方、ボランティアの統率などにも、チョット言いたいことがあるのでございますが、行数も多くなって参りました、それは次回のお話といたしましょう。

久しぶりのメールマガジン、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございますなのでございます。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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