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2006年10月

2006/10/27

夢と現実の三段論法

Fi107855165_0eアハハハハ、学校がカリキュラムの改ざんをしていたそうでございます。それも、公立・私立が全国規模で。

あのね、製薬会社の臨床データの改ざんとか、プロゴルファーのスコア改ざんとか最近あったけど、「そういったことはしちゃいけませんよ」って教えるのが学校じゃん。その学校が率先してカリキュラムを改ざんしていたって、まったく、世も末だね。本末転倒。

学校に対する何らかの圧力があるのかもしれないけど(例えばPTAとか)、それでもお粗末だね。だって、全国規模なんだもん。ほんと。反面教師とはよくいったものだね。特に公立の学校だったら、進学率が低かろうが卒業生が路頭に迷おうが、ほっときゃいいじゃん。そんなの本人の責任じゃん。もっと毅然としてほしいね、学校には。

「生徒に何を学んでほしいか」、「生徒にどんな人間になってもらいたいか」、そういったビジョンを先生や学校がまったく持ってないってことだね。むしろ、そんなことより受験対策の方が優先されるってことなんだろうね。さびしいね。これじゃぁ、子供が大人になるための勉強ってのは、誰がやるのよさ?(なぜ、急にピノコ風?)

ひとつ提案なんだけどさ、大学の「10月入学」をもっと導入したら? 4月から10月にシフトするって意味じゃなく、春と秋、一年に2回入試をやるの。一度入試に落ちても、半年のブランクならショック小さいでしょ。それに、どうせ4月に入学しても、ドロップアウトして夏休み頃には多少目減りしてるから、補充がてら、ちょうどいいじゃん。

あっ、クラス分けをどうするかとか、教師の数が足りないとか、そんなことへの対策は、ぜんぜ〜ん考えてないですからね。ただ単に思いつきで書いてますからあしからず。でもとにかくさ、一度受験失敗すると、次のチャンスまで丸一年あるってのは、プレッシャー大きいよね。毎月入試やれとは言わないけれど、年に二回ぐらいなら実現可能でしょ。

それでいて、入学試験は半年間かけてゆっくり行うの。つまり、3月に卒業しても、4月から9月までは受験勉強と入学試験に明け暮れるわけ。で、その入試に落ちると、こんどはすぐに来年の4月入学のための半年間の入学試験が始まるというわけ。どうせ浪人生なんてのはダラダラしちゃうんだから、試験漬けにしておいて、いつも緊張感を与えた方がいいんですよ。

入学試験も、筆記試験・面接(口述試験)・論文を必要ならばそれぞれ数回ずつ、半年間かけてジックリ行う。入試って、たった一度(か二度)ぐらいの結果ですべて決めようとするから、なにかと弊害が多いわけではございませんこと? まぁ、受け入れ側の学校の負担は、かなり大きくなりますけどね。

さらに! 高校側の入試偏重カリキュラムは、いっさい認めない、ということも必要。鮎の解禁よろしく、入学試験は卒業後の半年間のみ。そりゃぁ、生徒が在学中に内職(注:授業中に他の科目をこっそりさらうこと)したりとか、予備校に通ったりなんてことは止められませんが、学校が率先して入試偏重に移行するのは本末転倒でしょ。それで生徒がブーブー言ってきても知らん顔すればいいの。学校は24時間生徒の行動を拘束しているわけじゃないんだから、授業後にいくらでも好きな勉強をすればいいこと。

きっと、高校が予備校化してるんでしょうね。学校が生徒に対してそこまで面倒みる必要ないじゃん。あぁ、過保護、過保護。だから、マニュアルどうりにしか動けない人間が増えるんだよね。大学行きたきゃ自分で参考書買って、自分で勉強すればいいじゃん。自分の将来を切り開くためには何が必要で、そしてどうすればいいのか、そんなの自分で考えさせればいいんですよ。

まぁ、カリキュラムの改ざんが、全国規模で行われていたってことは、日本中の学校が病気にかかっているようなものですよ。慢性進学率依存症。いっそ、希望者は全員、大学に入れちゃえばいいじゃん。教室の定員以上に入学させちゃって、授業は椅子の取り合い。遅いやつは床に座る。遅刻したりしたらもう中には入れなくなるから、授業受けたいやつは急いで出席するでしょ。

そこまでして授業に出ようとする人がいたら、その人は本物でしょ。そういった人を残して、やる気のないのはドンドンふるいにかければいい。最初の半年間ぐらいは生き残り競争ですよ。だいたい、大学に入った瞬間に安心して勉強しなくなるヤカラって多いからね。そんなのは、入学金だけぼったくっといて、さっさと切り捨てればいい。入学金儲かって、大学も助かるでしょ。

学校や学校の先生が、進学率のようなものにオドオドしていちゃいけないな。授業の指導要領現実の受験要項に隔たりがある」という意見もあるけど、なにも学校の授業が現実に合わせる必要はまったくない。学校の授業というのは、教育の理想を追いかければいいんですよ。現実とのギャップは、生徒が自分で埋めればいい。夢や理想を与えるべき人達が現実に走ったら、生徒は何から夢や理想を見いだせばいいのですか?

【夢と現実の三段論法】
  夢を持ち続けなければ、心は乾いてしまう
  現実を語らなければ、夢は語れない
  夢と現実が見いだせるから、歩き続けていける
ではでは...

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2006/10/24

いわんや悪人をや報道して欲しい

前回は「子供の躾(しつけ)はペットを扱うように」なんて書いておりましたら、3才の子供が忘れられたペットのような扱いを受けて、ご飯ももらえずに餓死するなんていう事件がございました。いやワタクシ、「ペットのように」とは言いましたが、いやはや、ペット以下の扱いを受けた子供、かわいそうなのでございます。

で、常日頃、何かにつけて腹を立てているワタクシ名古屋薫、今日はその事件の母親にも腹が立ったのでございますが、もっと腹が立ったのは児童相談所の所長に詰め寄る報道陣でございます。まったく、最近は、薄っぺらい正義感を振り回して居丈高にものを言う記者が多くて、あ〜、最低でございます。

(脱線事故の会見で)「人が死んでんねんで」と叫んだ記者。(河原でゴルフの練習する人に向かって)「ここはゴルフ禁止ですよ」と詰め寄る記者。(違法駐車をしている人に向かって)「駐車禁止の標識がありますよね」とイヤミを言う記者。(サービスエリアのゴミ箱をあさって)「今捨てたのはお酒の瓶ですよね」と追いかけ回す記者。

あ〜、こういうの見てると、ほんとに腹が立つのでございます。自分のこと何様と思っているのでございましょう。裁判官か正義の味方にでもなった気なのでございましょうか。こういう人達って、他人を詰問している自分の姿に酔っているだけでございます。「何のために報道するのか」というマスメディア本来の目的が分かっておらず、「詰問することそのものが目的になっている」のでございます。

報道の大目的は「問題提示」でございます。提示だけしておいて、「みなさんはどう考えますか」と大衆に動機づけるのが本来の目的でございます。世の中には(俗に言う)善人と悪人がおりまして、善人には善人の心情や事情が、悪人には悪人の心情や事情があるのでございます。その心情や事情を、どこまで深く掘り下げられるか、それが報道マンの力量でございます。

居丈高に詰問してくる人に、相手が心を開きますか? (たとえ相手が悪事を働いていたとしても)相手の身になり、相手のふところに入り、相手の内面を深くえぐり出す。そこまでして始めて、その事件に関する「因果」が表出してくるのでございます。「何が起きたか」までではなく、「なぜ起きたか?」まで掘り下げる。それが重要なのでございます。

例えば、冒頭で述べました児童餓死事件。児童相談所の所長に、「躾と虐待をどこで見分けるのですか?」と質問した記者がおりました。あ〜、もう、見てらんない。所長さんは監督するのがお仕事でございます。そんな監督業の人に、教育の根本原理を問うような質問してどうすんの。そんなの、親が「躾だ」って言い張ったらそれに従うしかないでしょ。で、「問題なし」と処理されて報告書が上がってくれば、所長さんはその書類にハンコ押すでしょ。

事件のどこに問題点があるのか? それを追求するためには、関係者に赤裸々に話をしてもらう必要がございます。質問する記者がけんか腰では、当事者は保身に走るでしょ。ましてや、最近のマスメディアは叩くことばかり考えております。部数や視聴率をかせぐ目的なのでしょうが、やたらと否定的な表現ばかりしていては、世の中が事なかれ主義に走るのでございます。

医者は訴えられるのが怖くて、心臓外科や産婦人科になりたがらない。重箱の隅をつつかれるので、政治家は日和見ばかりしている。芸人はバカ遊びが出来ず、みんなドンドン器が小さくなる。学校の先生は子供やPTAの顔色をうかがい、恐る恐る子供達に接している。あ〜あ、世の中がドンドン事なかれ主義に走っていく。本末転倒、木を見て森を見ず、そして、マスメディアの針小棒大。やだ、やだ、やだ、やだ。

街中や会見での記者にもプン・プン・プンなのでございますが、一部の報道番組の解説者にもプン・プンでございます。特に、午前中に放送するバラエティっぽい報道番組! その手の番組って、解説者の心の中にすでに結論が固まっていて、視聴者にはただ同意を求めるだけ。非常に押しつけがましいのでございます。

また、解説者が妙に熱っぽく語るのも大っきらいでございます。むしろ淡々と話した方が、聞き手の心に響く話し方ができるのでございます。舞台などでも、役者の感情が空回りしていると、観客を感動させることは出来ないのでございます。「人に伝える」ことではなく「自分が話す」ことがいの一番になると、感情が先走り、空まわりする話し方になるのでございます。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がございます。犯してしまった「罪」を追求するばかりでは、なんの進歩も得られないのでございます。そんなことは裁判所にまかせておけばいいのでございます。

 「罪を犯した人」から何かを学び取ること。
そこから、ワタクシたちは進歩していけるのでございます。ですから、罪を犯す人というのは、ワタクシたちの進歩にはかけがえのない存在なのでございます。みんな、悪人には感謝しなければいけないのでございます。その悪人の方々は感謝される行いをしているのでございますから、悪人というよりはむしろ「善人」なのでございます。

では、後世になんの啓蒙も与えない善人の方々は、世の中の役になっていないのでございますからむしろ「悪人」と呼ぶべきでございます。あ〜あ、悪人とか善人とか分からなくなってきたのでございます。つまり、世の中には善人も悪人もないのでございます。その、「人は皆同じ」という立場に立って報道できること、それが本来の報道のあるべき姿ではないかな、なんて思う今日この頃、みなさまいかがお過ごしでございましょう。

ではではでは、眠たくなってきたので、そろそろこの辺で失礼いたしぁしょう。名古屋薫でございました。次回をお楽しみに。(あ〜あ、一杯引っ掛けながら文章書いちゃいけないな(笑))

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2006/10/22

不謹慎は愛情の裏返し

ここのところいじめ問題が、深刻に各メディアで取り上げられております。中学2年生の子供が、いじめを苦に自殺をしたという事件でございます。

中学2年生といえば13〜4才のまだまだガキンチョ。本来ならば、頭の中は遊ぶことでいっぱい、この若さが永遠に続くと信じて疑わない、そんな年代のはずでございます。そんな子供が自殺に追いやられるという現実。各メディアは、この一個人が自殺した理由というミクロな観点ばかりに注目しておりますが、幼い子供が自殺に追い込まれるという世の中全体が持つ問題点にまで言及するような、そんなマクロな観点でも論じていただきたいものでございます。

最近の子供は、大変にストレスが溜まっております。そりゃぁ、塾だ将来だ成績だ点数だと突っつきまわされたら、どんな性格の良い子でもストレス溜まるでしょ。かといって、まわりが頑張っているのに、自分だけのんびりしてたら、それはそれで置いていかれるという強迫観念で、またストレスでございます。強制的に走らされているカゴの中のリスのようなものでございます。その溜まったストレスが突っつきやすい者に向けられる、といった図式でいじめが発生するわけでございます。

さて、ここからが薫節の真骨頂でございます。今回はかなり「不謹慎」な発言をするのでございます。不謹慎ではございますが、これはいじめで苦しむ子を少しでも救いたい、そう思う愛情から発せられる不謹慎でございます。多少の荒々しい発言を、どうかお許し下さいませ。

で、まず最初の不謹慎。

 「いじめは人間の本能でございます」
人間には「自分を守る」という本能がございます。ほんの一部の趣味の方を除いて(笑)、人間はいじめられるのが本能的に嫌いなのでございます。

いじめの初期である「からかい」の段階では、まだ子供達にそれほどの罪悪感はございません。ですから、ストレスの臨界点に達している子供達は、それこそ本能のおもむくまま、連鎖反応を起こすがごとく「いじめる側に荷担する症候群」が発生するのでございます。そして、一人の子供を大勢の子供がいじめるという人間関係が出来上がってしまうのでございます。では、子供にいじめの罪悪感を教え込み、教育すればいいじゃないかと思われましょうが、そこで二つめの不謹慎でございます。

 「子供は本能の動物。理性なんてありえねぇ」
ほんの一部の子供には感情を理性で押さえ込めるオマセな子もおりますが、まず子供に理性というものを期待するのは不毛でございます。「矢場とん」でフランス料理を注文するくらい不毛でございます。ですから、子供には体罰が絶対に必要でございます。小動物にオシッコの躾(しつけ)を教え込むのと同じでございます。目には目を、歯には歯を、本能には本能を、でございます。

逆に、小さいときに本能としてすり込まれたものは、一生の宝でございます。「痛み」、「辛抱」、「思いやり」。子供がまだ小さいうちに刷り込ませるべきこれらの基本原則を、親も学校も教え損なっているのでございます。そのツケが、現代のいじめの氾濫でございます。大人になってから、すでに固まってしまった本能を修正するってのは大変ですよね、ね、それで苦しんでいる大人の人達って、最近多いですものね、ね。

で、話を「いじめ」に戻しましょう。では、体罰を全面的に認めてしまえばいいか? と言うと、それほど単純でもございません。体罰には愛情の裏打ちが必要でございます。とくに、子供が物心ついてからの学校の体罰に関しましては、子供はしたたかに大人の底意地を読み取ってきますから、なおさら要注意でございます。裏打ちのない体罰はすぐに読み透かされるのでございます。ではでは、学校の代わりに、親が子供に対してどれほど本物の教育が出来るか? と言うと、過保護をさせやすい最近の風潮を考えますと、それも難しいような気がするのでございます。

そこで、3つ目の不謹慎

 「親猫がネズミを捕れないと、子猫もネズミを捕れない」
エッ、どこが不謹慎なのってか? っじゃぁ説明いたしやしょう。「最近の学校の先生は、自分が子供の頃に『痛み・辛抱・思いやり』といった基本原則を十分に刷り込んでもらう教育を受けていない」ということでございます。当然、自分の生徒にそういった基本原則を教えるというのは不可能なのでございます。「先生がいじめに荷担していた」なんていう報道を見ますと、こういったことがうかがえるのでございます。

同じようなことが、親にも言えるのでございます。子供のときに親からそういった教育を受けていないので、自分の子供を自ら教育するということが出来ないのでございます。で、子供を教育するのは学校の責任だと責任転嫁してみても、学校の先生もかくのごとしなのでございます。つまりつまり、教育問題の悪循環は、今や二世代目に突入しているのでございます。

さて、4つめの不謹慎

 「いじめられる側にも問題がある」
はっきり言って、いじめられる人って「いじめてくださいオーラ」を出しちゃってるんですよ。自分でいじめを誘発しておきながら、いじめられてるといった被害者意識ばかりが先行して自分の原因を探ろうとせず、だれも分かってくれないと他力本願に走り、挙げ句の果てに当てつけがましく自殺する(不謹慎は十分わかっております)。あぁ、めんどくさい。近藤○彦の部屋で自殺未遂した中森○菜ぐらいめんどうくさいのでございます(古いネタでしたね(笑))。

そしてさらに、小さい頃に自殺する子供なんてのは、弱い子供なのでございます。そんな弱い子供は、そのまま大人になっても、もっともっと苦しむだけでございます。そして、やはり大人になってから自殺する可能性大でございます。ですから、小さい頃に間引かれてちょうど良かったのでございます(不謹慎なのは、重々存じております)。

では現実的に、いじめられている子はどうすればいいのか? 「叫ぶ」のでございます。「やめろー」とか「いじめるなー」とか大きな声で叫ぶのでございます。いじめている側は集団でございますから、罪悪感はあまりない場合が多いものでございます。言わなければ気がつかないのでございます。そして、もし何らかの非が自分にあるのなら、それを認めて直す努力をするべきでございます。ここで叫ぶ勇気を持たなかったら、一生涯まわりからストレスという痰を吐かれまくる痰壺(たんつぼ)の人生でございます。そう思って、勇気を出すのでございます。

ではでは、最後の不謹慎

 「いじめは必要悪である」
以前、「戦争は必要悪だ」と申しあげました(2004/11/26のバックナンバー参照)。いじめも同じでございます。冒頭でいじめは本能だと申しあげましたように、人間が生きていく上で必ず生じるものでございます。無理に封じ込めようとすれば、違う形で違う場所から吹き出すだけでございます。いじめは必ず起きるものとして受け入れ、人の心に巣くういじめの本能と「いかに上手につき合っていくか」を考えるべきでございます。

「いじめる」「いじめられる」。これら両者を、幼少の頃に両方体験する。これがベストでございます。いじめは悪いことだと否定してみても、本能として自然に発生してしまうものは止められません。むしろ、「いじめという行為を早期に自覚でき、軌道修正できる能力を身につける」、このことの方が重要でございます。この軌道修正する能力には、「思いやりの精神」が必要でございます。つまり、「いじめる」「いじめられる」という行為は、「思いやり」を学ぶ良い教材なのでございます。

大人の世界では、当たり前のようにいじめが発生するのでございます。ですから、こういったいじめ問題に対する耐性を、幼少の時期に付けさせておくべきなのでございますが、現在の教育現場や家庭環境には、なかなかこのようなことをじっくり教える余裕が無いようでございます。悪循環が二世代目に入っているように、いまから対策を施しても、やはり効果が出るまでには何世代か掛かるのでございます。問題解決への道は、長く険しいのでございます。

世の中のお母さん、子供をしつけるのなら、小学校に入るまでが勝負ですよ。それまでに身につけた価値観や生活習慣は、子供にとって一生の宝になります。自分の子供を、将来自殺に追い込まれるような弱い子供にさせたくなかったら、幼少の頃にドンドンしつけましょう。悪いことをしたらバンバンおしりを叩きましょう。そして、良いことをしたら、ウ〜ンと誉めてあげましょう。コツは、ペットの躾と同じでございます(これが最後の不謹慎でした)。

キンタマもなく、子供を育てたこともないオカマが、またまた分かったような生意気なことを言ってしまいましたね。ではではでは、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2006/10/20

給食費ぐらい払おうよ

先ほどTVを見ておりましたら、なんだか最近は、「子供の給食費を払わない親が増えてきている」とのことでございます。「義務教育なんだからお金を払う必要はない」という理屈(屁理屈?)だそうでございます。そういえばワタクシ、いつぞや、「給食費を払っているのだから、給食で『いただきます』を言うのはおかしい」と言う人達をテーマにしてメールマガジンを書いたことがございました。お金を払っているからどうとか、お金を払いたくないから屁理屈をこねるとか、まったく世知辛(せちがら)い人が増えたものでございます。

もし、「子供の給食費を払う必要なんか無い」って思う人がいたら、想像してみて下さい。給食費を払わないことで、その子供が学校でどんな惨めな思いをするか。1ヶ月数千円の給食費にこだわって、自分の子供に辛い思いをさせるって、それ、親として間違っていません? 払うべきお金かどうかという理屈以前に、子供の気持ちを全然考えてないでしょ。まず自分の子供に惨めな思いをさせない、ひもじい思いをさせない、そう思うのが親心ではありませんか?

ワタクシの家庭は母子家庭でしたので、生活保護を受ける十分な資格を持っておりました。しかし、ワタクシが小学校の高学年になるまで、ワタクシの母親は生活保護を申請しませんでした。役所の人や担任の先生が何度もワタクシの母親に、「生活保護が受けられますよ」と勧めましたが、頑(がん)として断り続けたのでございます。なぜだと思いますか? 当時はまだ、「生活保護を受けるというのは恥ずかしいこと」という風潮があったからでございます。

特に給食費を払うときには、生活保護を受けているとその金額が明らかに他の子と違います。給食費の違いから小学生がすぐ生活保護を連想するとは思えませんが、何かの拍子にワタクシが恥ずかしい思いをするのを恐れたのでございましょう。ワタクシの母親は、かたくなに生活保護を申請しなかったのでございます。結局、ワタクシが小学校の高学年のときに生活保護を受けることになるのでございますが、それもワタクシ自身が母親を説得してのことでございます。まったく頑固一徹な母親でございました。

以前、「息子と一緒になってはしゃいでいる亀田興毅の父親は、親失格だ」と書かせていただきました。子供に対する歪んだ愛情のため、間違った愛情表現をしてしまう親が増えているようでございます。ワタクシのようなキンタマ抜いちゃった人間が言うのも生意気ですが、子供の傘になり、子供の盾になる、それが親の務めではございませんか? わずかばかりの給食費をケチって、「してやった」と思っているのでございましょうか? むしろ給食費を余分に払って、「もっと栄養のあるメニューに変えなさい!」と言えるぐらいの親であって欲しいと思うのでございます。

ワタクシは舞台を目指す人には、次のようにアドバイスしております。

「技術や理屈がお客に伝わるんじゃない。
 舞台に立ち向かうときのあなたの息づかいがお客に伝わるんだよ」
と。

読者の方々の中にも、子供さんをお持ちの親御さんが大勢いらっしゃると思います。子供であるからこそその感性には鋭いものがございまして、口でどんな屁理屈をこねようとも、子供は親の底意地を厳しく読み取ってくるものでございます(自分がそうでございましたからね)。いわば、親は舞台に立った芸人で、子供は観客でございます。子供は親の息づかいを手厳しく読み透かしてまいります(観客が舞台を批判するようにね)。

もし、(この給食費の未払いの件のように)わずかばかりの損得勘定で屁理屈をこねたりとか、あるいは、些細なことで学校にねじ込んだりするとか、そんなことをする親御さんが読者の中にいらっしゃったとしたら、どうか、そんな姿をあなたの子供さんがどんな気持ちで見つめているか、それを考えてみてください。子供の成長を願って、あえて子供に辛い思いをさせることも有るでしょう。しかし、親の自己中心的な考え方のために、子供が辛い思いをするとしたら、それは、親失格でございます。

キンタマのない人間が、いろいろ生意気なことを申しあげました。ニュースの中の「給食費」という言葉で、ワタクシの心の中の何かのスイッチが入ってしまったようでございますね。ではでは、次回をお楽しみに、なのでございます。

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2006/10/16

オカマでOLな人の紹介でございます

Fi1161008322985t_0e_3本日はお店の出張面接で、日帰りで東京まで往復したのでございます。ニューハーフ業界は慢性的な新人不足でございます。前回も申しあげましたが、女装者・性転換者が、自身の生業(なりわい)に困らない時代が到来しつつありますので、わざわざニューハーフというカマカマしいお仕事に身を投じる若者は少ないのでございます。そこで、各地へ定期的にこちらから出向いて面接をするわけでございます。

東京へ行くと、必ず上野公園の不忍池へ寄ることにしております。不忍池は、訪れる季節ごとに、その気色がガラッと変るので、毎回楽しみでございます。また、上野公園のノビノビとした猫ちゃんも、またよろしいのでございます。

そんな日帰り出張の帰り道、東京駅の書店でこんな本を見つけましたのでご紹介するのでございます。

Okama_ol『オカマだけどOLやってます』(能町みね子著 竹書房 ¥1,000)

130ページほどの本でございまして、帰途の「のぞみ」の車中での1時間40分で、すっかり1冊読み切ってしまったのでございます。著者自身の「オカマだけとOLやってます」というブログ内での書込みを書物化したものだそうですが、なかなかに文体が面白い。そこへ持ってきて、これまた挿絵のイラストが面白すぎる。そしてさらに、著者自身のアッケラカンとした生き方が、また面白い。

性同一性障害(あぁこの単語めんどくさいな、長くて)とか、オカマとか関係なしに、純粋にドタバタ劇として楽しめる内容でございます。いやむしろ、この内容から連続ドラマ、あるいはコメディー映画の一本ぐらいは作れそうです。そして、この著者と同じように、性同一(以下略)の人で普通の社会生活を目指している人には、よいヒントが盛りだくさんでございます。まぁ、ワタクシにとっては、今まで自分が体験してきたエピソードも多く、「あぁ、よくあるよね、こういうこと」なんて感じで読んでたんですけどね。

というわけで、今回は本の紹介だけでございます。ではでは。


ブログ「オカマだけとOLやってます」
http://ameblo.jp/knowmatch/

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2006/10/15

出生の秘密は命がけ

 「娘のためなら身を捨ててもいいという気持ちだった」
 (子宮を失った娘の代理出産をした50歳代の実母の言葉)
ワタクシは4才のころ、「腎盂炎(じんうえん)」という病をわずらい、10ヶ月も入院生活を送っておりました。そのときワタクシの母は、「もしものときは私の腎臓をあげるからね」と、何度も何度もワタクシに言ったものでございました。自らの命をかけてでもわが子を救おうとする、それが母親の心というものでございます。

子宮を失った娘の代わりに、命をかけてまで代理出産をしようとする母親の気持ち。母親の愛は偉大でございます。世の中には、今回のルール違反(代理出産)を非難する声もございます。あるいは、生まれてきた子の奇異な境遇を勝手に心配するお節介な人もいます。

出生率が低下しております。「子供はいらない」という夫婦が増えているのでございます。あるいは、ワタクシのようにタマタマを抜いちゃって、自ら子供を産ませられないからだにしてしまう人達がいます。人口が減りつつある最近のご時世に、「命をかけてまで出産する」という行為は貴重でございます。

「自分は誰にも必要とされてない」。そういった孤立感で苦しむ現代社会人が大勢います。自分の存在意義を見出しにくい世の中にあって、命がけで自分を必要としてくれた人がいるという喜び。生まれてきた赤ん坊が、将来、自らの出生の秘密を知ったとき、どうか、その母親の、そして祖母の、命がけの愛情を受け止めて欲しいものでございます。

母親にとって、出産はいつでも「命がけ」なのでございます。もし、「自分は誰にも必要とされてないのかもしれない」なんて思っている人がいたら、どうか、あなたの母親が命がけであなたを出産したことを思い出してください。必要とされずに生まれてきた命なんて、ひとつもないのでございます。

今回の代理出産で生まれてきた子供さん、どうか健やかに育って欲しいですね。

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2006/10/14

メン・イン・ブラックのように

【フール・プルーフ】fool proof
 誤った使用法への対処機能。使用者に安全性を求めずに、誤りの検出・訂正や使用法の制限などの機能を機械などに持たせること。(広辞苑)
  例の臓器移植用の腎臓を棄てちゃった話、まったくおかしな話でございます。4重のビニールで包まれ、クーラーボックス内で専用の容器に入れられ、「右」とか「左」とかの紙も貼ってあったんでしょ。どんな間抜けでも、そんなの「何かおかしい」って思うはずでしょ、えっ、違います? もうね、「汚染しちゃって使えません、ごめんなさい」とかなんとか言っておいて、その腎臓、どこかに横流しでもしたんじゃないでしょうかね、まったく、あーあ、フンッだ。(以上、名古屋薫の勝手な憶測です。発言に責任は持てません。あしからず)

といったところで、本題でございます。

「ニューハーフのメールマガジンなのに、ニューハーフに関係するお話がまったく無いじゃないか! プン! プン!」といったようなご意見を、ときどき頂いたりしております。ワタクシの場合こむずかしいお話が多かったりするので、題名だけで購読を始めちゃった人は面食らうかも知れませんよね。まぁ、ここのところは‘元男性’の話題が続いておりますので、ここ数回分のメールマガジンに限っては、「ちょっとはニューハーフっぽくなっているかな」、なんて思っております。

前々回、そして前回と、中村中(なかむらあたる)さんを紹介いたしました。今回紹介するのも同じミュージシャン、ロックバンドのボーカルの一人でございます。


50/50(←バンド名、「フィフティ・フィフティ」と読みます)

【5050 Official Web Site】
 http://www.50fifty.jp/
 

このバンドの「森 ちひろ」というボーカルが、まぁワタクシが最近言うところの‘元男性’でございます。先日、名古屋のライブハウスに来ましたので、急ぎ、そのステージを見てきたのでございます。まぁ、デビューしたばかりということもありまして、まだまだ舞台上の表現には‘および腰’的な部分がございましたが、立派にステージを務めておりました。まぁそんなおよび腰も、これから場数を踏むことによって、より腹の座ったいい表現ができるようになるのではないでしょうか。なんとか伸びていって欲しいものでございます。

このバンド、「ミラクルシェイプ」というドラマ(日テレ系、永井大出演)のエンディングテーマであるとか、坂口憲二の「レディーボーデン」のCM(ロッテ)に曲が採用されておりますので、曲を聴いたら「あぁ、この曲ね」って思われる方もいらっしゃるかも知れませんね。

‘元男性’のミュージシャンを二人ほどご紹介いたしました。「中村中」さんも「森ちひろ」さんも、どちらも芸能人でございますから、‘元男性’という事実を公表し、ある程度‘営業的に’利用しております。

しかし、こういった人達とは別に、自分の素性を公表せず、普段の社会生活にとけ込んでいる‘元男性’も大勢いらっしゃいます。ワタクシが知っているだけで、看護師、デパートの店員、ネイルサロン、コンビニ店員、歯科助手、オフィスレディ……と、大勢いらっしゃいます。もちろんこの他の職種にも、‘元男性’はイッパイ世の中に紛れ込んで、普通に社会生活を送っていらっしゃいます。あなたの側にいる素敵な女性も、ひょっとすると‘元男性’かもしれませんよ。

そうそう、宇宙人が密かに地球人に混じって社会生活を送っているというSFとか映画とかあったでしょ。最近は、缶コーヒーのCMにも、そんなのがあるし……‘元男性’は密かに、ワタクシたちの社会生活に大勢紛れ込んでいるのかも知れませんよ。そう、「メン・イン・ブラック」の宇宙人のようにね。

ではでは、次回をお楽しみにね。ウフッ。

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2006/10/13

大スターの兆し

前回のメールマガジンで、「中村中(なかむらあたる)」という‘元男性’のシンガーソングライターを紹介いたしました。さて、「もう一人の‘元男性’を明日にでも紹介する」と前回しめくくっておきながら、もうすでに数日が経ってしまいました。実は、その中村中という人に、ワタクシ名古屋薫、惚れ込んでしまいました。ここ数日間は、中村中のCDやら、プロモーションビデオやらを貪るように聞き入り、見入っておりました。

まぁみなさま方、中村中さんのホームページからプロモーションビデオやライブの様子などが視聴できますから、どうぞ見てくださいませ。21才ということですが、とても21才とは思えないほどの艶っぽい歌い方をする人でございます。また、スローバラード、ポップス、ジャズと、アップテンポからスローまで、何でもこなす幅広い表現力を持っております。曲想にあわせて声質を変えたりとか、歌詞の持つ深い意味合いを十分心の中で昇華させた上でシンプルに表現したりとか、その歌唱力はベテランの域でございます。

ワタクシ、「‘元男性’のシンガーソングライターがドラマに出演」なんて前回申しあげましたが、実に実に、軽率でございました。この中村中さん、「本物」でございます。本物のシンガーソングライターでございます。その本物の歌手が、たまたまドラマに出演した、という表現の方が大正解でございます。そしてそして、彼女、大変な素質と可能性を持っております。今後、何らかの形でブレイクし、日本の芸能界の輝く星(ちょっと古いかな?)として光り輝くのは間違いない、ワタクシ、そのように確信、いや断言するのでございます。

そしてさらに、彼女、‘元男性’というのをまったく意識させないというのも、素晴らしいことでございます。ニューハーフという‘お仕事’は、「男であることを‘売り物’にする」傾向がございます。しかしながら、この中村中さんのように、世間一般の大きな土俵の上で正々堂々と‘女’として活躍している人を目の当たりにいたしますと、もはやワタクシのようなニューハーフのお仕事とは違う次元の世界の出来事のように思えてまいります。

ニューハーフの世界でも、最近の新人さんはナチュラル度が高く、ひとむかし前のニューハーフ(オカマさん)のような‘カマカマしさ’はございません。ニューハーフ業界も、世代交代、芸風革新の時代が訪れようとしております。さらに、この中村中さんのような一般社会にとけ込んで活躍しているかたは、もはやニューハーフとは絶対に呼べません。むしろ、こういった中村中さんのような方を指し示す言葉が見つからない……まだ発明されていない……と言った方が、的を射ているような気がします。

ワタクシもかつて音楽家に憧れ、舞台に憧れ、それらの道を目指したことがございます。中村中さんの活躍は、私にとってはジェラシーさえも感じます。自分の才能不足を言い訳するような感じになりますが、ワタクシが目指していたころは、まだニューハーフなどには逆風が強い時代ではありました。「ニューハーフ」という職種を全面に出していけば必ず「色物」扱いされましたし、実力本位の一般のオーディションなどでも、「扱いに困る」という理由で落とされるということもありました。(実際に、実技はパスしたけれど、更衣室の問題で落とされたオーディションが有りました)

今のこの時代にこの中村中さんが出現したこと、これは彼女にとってはこの上もない幸運でございましょう。大スター(これも死語?)の兆しを見せる彼女、どうかこれから大輪の花を咲かせていただきたいものでございます。名古屋薫、大いに彼女に期待しているのでございます。

さてさて、冒頭で申しあげた「もう一人紹介したい‘元男性’」というのは、次回にでもお話しいたしましょうか。といったところで、では次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。


中村中(なかむらあたる) Official Website 『恋愛中毒』
http://www.nakamura-ataru.jp/

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2006/10/10

性転換女優「中村中」さんの紹介で〜す

ネット通販に、『アマゾン』というものがございます。主にCD,DVD,書籍などを購入するのでございますが、購入を重ねておりますと、その購入履歴から推測した“おすすめ商品”なるものを薦めてまいります。まぁ、トンチンカンな‘おすすめ’や、既に購入済の‘おすすめ’とかも有るのでございますが、その中で、最近ちょっとした発見があったので、今回ご紹介するのでございます。

  CD『友達の詩』
   唄:中村 中(なかむら あたる)
  (アマゾンでの紹介ページはこちら)
  http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J0ZP8I

  中村中 オフィシャルウェブサイト『恋愛中毒』
  http://www.nakamura-ataru.jp/

さてさて、この中村中(なかむら あたる)という人、実は性転換して女性になった“元男性”なのでございます。元男性ということなので、‘いかにも’それっぽい人かと思いきや、大変自然で女性っぽい人。オフィシャルウェブサイトで‘彼女’の歌声を視聴していただくと分かりますが、透明感のある美声の持ち主でもあります。

もちろん、アマゾンからのおすすめダイレクトEメールに促されるまま、ポチッとワンクリック決済で購入したのは言うまでもございません。‘彼女’の詳細は、また後々お送りするといたしましょう。

で、その中村中さん、ドラマに出演するようでございます。それが、本日「10/10(火)」の午後10時からとのこと。間に合うか間に合わないか、まぁ、ご興味を持たれた方、見てみてくださいなのでございます。

  10/10(火)PM10:00〜
  日本TV系 ドラマコンプレックス
  特別企画「私が私であるために」
  http://www.ntv.co.jp/d-complex/

ということで、放送日が迫っていましたので、取り急ぎご報告なのでございます。

実は、もう一人紹介したい“元男性”がいるのでございます。ロックバンドのボーカルをやっているのでございますが、その‘彼女’に関しましては、明日ぐらいにでも、ご報告いたしましょう。ではでは...

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