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2006年9月

2006/09/24

技術革新は生き馬の目を盗む

読者のみなさま方、お久でございます。名古屋薫でございます。

海の向こうドイツで、大変な事故が起きたようでございます。実験中のリニアモーターカーが整備用車両に衝突して、30人以上もの死傷者を出したそうでございます。犠牲者の方にはお悔やみ申しあげるのでございます。

そういえば、愛・地球博のときにもリニアモーターカーが導入されたのでございます。まぁ、話題づくりには貢献したのでございますが、なにしろコストが掛かりすぎるのと、時間あたりの運べる乗客数つまり稼働率が悪すぎて、圧倒的に普通の電車とか地下鉄に負けちゃっているのでございます。愛・地球博の際も、地下鉄からリニモ(リニアモーターカー)への接続駅で大変な行列が出来たのは、ご存じのとおりでございます。

また、東京の大江戸線にもリニアモーターカーが使われておりますが、こちらは浮上式ではなく車輪付。推進力にだけリニアモーターを使った、普通の地下鉄でございます。リニアモーターカーのふたつの実用例をあげましたが、これらはリニアモーターカーの低速での実用であり、今回のドイツの事故車のような高速車では、またチョット事情が違うのでございます。

さてさてさて、リニアモーターカーの実験なんて、ワタクシが子供の頃からやっているわけで、もう何十年実験しているの? って感じなのでございます。最新式の新幹線が時速360キロを記録する世の中になったしまった今、リニアモーターカーの時速500キロという数字は、どんどん色あせてきているのでございます。まさに、鳴り物入りで登場し、最後は邪魔者あつかいをされて消えていった超音速旅客機コンコルド、その経緯を彷彿(ほうふつ)させるのでございます。

そしてさらにインターネットの高速化が、リニアモーターカーのような高速移動機関の開発には逆風となっているのでございます。つまり、ネットが発達したことによって、人間は急いで移動する必要がなくなってきているのでございます。むしろ、遠距離を高速で移動する技術よりも、通勤や通学に使用する近距離移動手段の充実の方が、実際には望まれているのでございます。ラッシュアワーで毎日苦しんでいらっしゃる方々には、切実な問題なのでございます。

長い年月をかけて研究したことが、さぁ実用化というときには色あせた時代遅れの技術になっているなんてことが、ここ最近では多いものでございます。天下のNHKが誇るハイヴィジョン技術なども、十分な日の目を見る前に、世の中のデジタルの風に押されて、デジタルハイヴィジョンへと移行せざるを得なくなったのでございます。

あと、音楽用のMDディスクなんてのもございます。iPodなどの出現によって、すっかり過去の道具に成り下がっちゃったのでございます。また、最近話題のブルーレイディスクとHD DVDの規格競争の問題も、うかうかしていると、そのどちらも時代遅れにしてしまうようなアッと驚く新技術がいつ発表されてもおかしくないのでございます。秒進分歩の現代技術革新は、生き馬の目を盗むのでございます。

とかく“組織”というものは、「世界初」とか、「世界最高」なんて言葉が好きなのでございます。上層機関がその“発”や“最高”を急ぐあまりに、現場の事情を無視した見切り発車があったとしたら... そしてその結果事故が起き、犠牲者が出たとしたら... あぁ思い出しちゃった。スペースシャトルの事故とかもありましたよね。あと、福知山線の事故とか……

エジソンが発明を重ねていたころに比べると、発明品の寿命ははるかに短くなり、実用化されるころには時代遅れになっているかもしれない、という時代になってまいりました。発明とか技術革新とかは、世の中の移り変わりに合わせて柔軟に対応していくことが必要なのでございましょう。そしてときには、実用化前に撤退ということも必要かもしれません。せちがらい世の中でございます。

「そんなちっぽけな星の上で、何を急いでいるんだい?」
30年かけて太陽系外へ出た宇宙探査機「ボイジャー」が、地球の方を振り返って笑っているかもしれませんね。

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2006/09/13

5年目の朝−−9・11

朝7時、目が覚める。
8時間ほど、寝ただろうか。こんなに睡眠が取れるのは久しぶりだ。
TVをつける。
早朝のニュース番組が、追悼文で埋め尽くされた地味な新聞を紹介している。アメリカの新聞だった。

「ああ、9.11の翌朝か」

慌てて、TVパソコンの録画をチェックする。ときどき録画を失敗する3年目のTVパソコンのスイッチを入れながら、「もうそろそろ買い換えかな」などと思う。昨晩放送された9.11の特別番組の録画だった。再生画面で録画を確認する。

9.11から五年。そういえば、阪神大震災からはもう10年以上の月日が経つ。阪神地方はすでに十分復興し、9.11のセンター跡にも復興の計画が立ち始めている。人間とはまったく逞(たくま)しいものである。

「報復せよ」と拳を上げる人々がいた。かたや「死んだ者は戻らない。報復からは何も生まれない」と力説する人々がいる。どちらが正しいかは分からない。いまだすべての真実が語られているとは思えない。今後すべてが明らかになる確証もない。

世の中のすべての人が、「その瞬間」を境にして「目撃者」と「体験者」に分けられる。そしてさらに、体験者は「生還者」と「非生還者」とに分けられる。

すべての目撃者がその瞬間、必ず思ったはず。
 「ああ、自分でなくて良かった」
 「ああ、自分の身内でなくて良かった」
と……

明日自分に、その「瞬間」は降りかかるかもしれない。
明日自分が、体験者になり、そして非生還者になるかもしれない。

「今日のありふれた一日が、また明日もくり返される」
ただそれだけで十分に幸せなはずなのに、自分の人生が平凡であることのありがたさを人々は忘れやすい。そして、目撃者とならしめられたとき、そのありがたさを実感させられる。

平凡であることのありがたさ。
平凡であることの幸せ。

自分のまわりに、当たり前のように空気が存在し、当たり前のように毎朝太陽が昇る。心臓は休まず鼓動し続け、意識しなくても呼吸が止ることはない。日の光にまぶしさを覚え、ほほにあたる風を心地よいと感じる。そんなそんな、ごくごく当たり前のことが本当はとっても幸せなはずなのに、ついつい非凡な刺激を日々の生活に求め、人々は疲れていく。

何にでも感謝できる、ただそれだけで人生はとてつもなくハッピーになる。
運命を柔順に受け入れる、ただそれだけであらゆる恐怖から解放される。

「生きる」っていうのは、大変ですね。
でも「死んでない」から生きているんですものね……

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追伸

9月11日の朝、アメリカの新聞からは派手な写真広告が消え、その広告の代わりに地味な追悼文が一斉に載せられました。一方日本では、年に一度、バラエティで脚色された募金勧誘番組が、多くのスポンサー広告を交えながら夜通し放送されます。

メディアが「本当に伝えなければならないもの」を伝える重要さ、考えてみませんか?

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