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2006/09/13

5年目の朝−−9・11

朝7時、目が覚める。
8時間ほど、寝ただろうか。こんなに睡眠が取れるのは久しぶりだ。
TVをつける。
早朝のニュース番組が、追悼文で埋め尽くされた地味な新聞を紹介している。アメリカの新聞だった。

「ああ、9.11の翌朝か」

慌てて、TVパソコンの録画をチェックする。ときどき録画を失敗する3年目のTVパソコンのスイッチを入れながら、「もうそろそろ買い換えかな」などと思う。昨晩放送された9.11の特別番組の録画だった。再生画面で録画を確認する。

9.11から五年。そういえば、阪神大震災からはもう10年以上の月日が経つ。阪神地方はすでに十分復興し、9.11のセンター跡にも復興の計画が立ち始めている。人間とはまったく逞(たくま)しいものである。

「報復せよ」と拳を上げる人々がいた。かたや「死んだ者は戻らない。報復からは何も生まれない」と力説する人々がいる。どちらが正しいかは分からない。いまだすべての真実が語られているとは思えない。今後すべてが明らかになる確証もない。

世の中のすべての人が、「その瞬間」を境にして「目撃者」と「体験者」に分けられる。そしてさらに、体験者は「生還者」と「非生還者」とに分けられる。

すべての目撃者がその瞬間、必ず思ったはず。
 「ああ、自分でなくて良かった」
 「ああ、自分の身内でなくて良かった」
と……

明日自分に、その「瞬間」は降りかかるかもしれない。
明日自分が、体験者になり、そして非生還者になるかもしれない。

「今日のありふれた一日が、また明日もくり返される」
ただそれだけで十分に幸せなはずなのに、自分の人生が平凡であることのありがたさを人々は忘れやすい。そして、目撃者とならしめられたとき、そのありがたさを実感させられる。

平凡であることのありがたさ。
平凡であることの幸せ。

自分のまわりに、当たり前のように空気が存在し、当たり前のように毎朝太陽が昇る。心臓は休まず鼓動し続け、意識しなくても呼吸が止ることはない。日の光にまぶしさを覚え、ほほにあたる風を心地よいと感じる。そんなそんな、ごくごく当たり前のことが本当はとっても幸せなはずなのに、ついつい非凡な刺激を日々の生活に求め、人々は疲れていく。

何にでも感謝できる、ただそれだけで人生はとてつもなくハッピーになる。
運命を柔順に受け入れる、ただそれだけであらゆる恐怖から解放される。

「生きる」っていうのは、大変ですね。
でも「死んでない」から生きているんですものね……

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追伸

9月11日の朝、アメリカの新聞からは派手な写真広告が消え、その広告の代わりに地味な追悼文が一斉に載せられました。一方日本では、年に一度、バラエティで脚色された募金勧誘番組が、多くのスポンサー広告を交えながら夜通し放送されます。

メディアが「本当に伝えなければならないもの」を伝える重要さ、考えてみませんか?

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