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2006年2月

2006/02/28

各種連絡事項、そして、毎日少しだけ頑張るのだぞ

もうね、2月は大変でございます。日数が少ない割には、各種支払いが多かったりするのでございます。それでもって、各種〆切もチョコット早めにズレ込んだりするのでございます。バタバタと走り回っている名古屋薫でございます。

さて今回は、各種連絡事項でございます。メールマガジンとして配信するほどでもないことを、まとめてご連絡しちゃうのでございます。

まず、2/19配信分、「緊急スクープ! お宝画像発掘!」でのこと。メールマガジンにワタクシのありし日の写真を載せたのでございますが、メールマガジンには大きな画像へのリンクが貼ってないようでございます。バックナンバーのページで大きな画像を見られますので、大きな画像を見てみたい方、そちらの方をポチッとしてやってくださいませ。(※この問題は、このサイトでは解決済みです)

次に、2/21配信分、「親愛なるUSA様」。ワタクシ、アメリカに対する憤りを書いておりますが、「アジア諸国も日本に対して、同じような憤りを持っている」とのご指摘をいただきました。そうですよね。日本も過去の過ちに関してお茶を濁している部分がございます。やはり、“当事者が生きているうち”には、その過去を語るというのは難しいのかもしれませんね。

さて、次は少し深刻な問題。2/18配信分の「自分を持て余す人達」では、何人かの方から反響をいただきました。みなさん、何らかの光明が見えたとのこと。人間関係でのトラブルに困っている方、現代社会には多いのでしょうね。

今回は、そういったご反響にお答えしたワタクシの返信のひとつを紹介するのでございます。同じようなトラブルでお困りの方、参考にしていただければ幸いでございます。

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○○さんのお役に立てていると知り、名古屋薫、大変光栄でございます。何やら大変そうですが、頑張って切り抜けて下さい。

自我を抑えるというのは、自分に“強さ”が必要でございます。では、心の弱い人には希望が無いかというと、そうではございません。人というものは、必ず強くなれるものなのでございます。ただ、急には強くなれません。しかし、“強くなりたい”といつも願い続けていれば、必ず強くなります。

心のトレーニングは筋力トレーニングに似ている部分があります。筋力トレーニングでは、急にウェイトを増やすと、筋肉は壊れてしまいます。毎日、ほんの少しずつウェイトを増やしていくと、気がつくと大きな変化を得られているのでございます。

心のトレーニングも同じでございまして、いきなり理想を追求し過ぎますと、心がくじけてしまうかも知れません。ですから、毎日、あるいは毎回、“ほんの少しだけ頑張る”のでございます。毎日の変化はわずかかもしれませんが、願い続けることによって、必ず大きな変化が得られます。大切なのは、“願い続けること”

気長に、そして地道に、頑張って下さい。

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ということで、今回はこのへんで。

そうそう、メールマガジンを送るまでもないような“たわいもないお話し”は、バックナンバーのページの「コメント」欄に書いたりしております。もしよろしければ、そちらもご覧くださいませです。では失礼いたします。名古屋薫でございました。(※このブログでは、当時いただいたコメントは保存されてません)

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2006/02/26

プロとアマチュアの間の深くて暗い河〜その息つぎの相違による推考

荒川静香さん、金メダルおめでとうなのでございます! というわけで、今回はフィギュアスケートを題材に、プロとアマチュアの間の深くて暗い河を語るのでございます。では早速、この名文をお読み下さい。

  「夢をかなえられるのがスポーツ、
   夢をかなえられないのもスポーツ、
   夢にむかって努力できるのもスポーツ」
女子フィギュアスケートの米国代表に選ばれておきながら、体調不良を理由に開会式の直後に出場を辞退した、「ミシェル・クワン」さんの言葉でございます。

このクワンさん、まぁ、なんて文学的な方なんでしょうと思って、実際の記者会見の記事をあたってみたのでございます。ところがドッコイ、原文はたいしたことはない普通の言葉。日本語に訳すときに、脚色されたようでございますね。
(参考までに原文を紹介しときますです。cnn.comの記事はこちらから)
(※元記事は削除されております)

"It's always been a dream to win the Olympics and it's always an honor to represent your country.(中略)I have no regrets. I tried my hardest. And if I don't win the gold, it's OK. I've had a great career. I've been very lucky. This is a sport, and it's beautiful."
お次は、みごと金メダルを取った荒川静香さんのお言葉。NHKのニュース番組で、インタビューに答えてのお言葉でございます。
  「心からスケートを楽しみたい。
   本当に楽しんでスケートをすることが
   どれほど難しいか、わかった。」
ミシェル・クワンさんと荒川静香さん、お二人とも“楽しんで”いらっしゃいますよね、スポーツを、そして、ご自分の人生を。こういった達観した言葉を発せられるのも、自分の限界ギリギリに挑戦し、すべてを出し切ったから言えるのでございましょう――といったところで今回の本題に入りましょう。今回のテーマは、『プロとアマチュアの間の深くて暗い河〜その息つぎの相違による推考』なのでございます。

以上、フィギュアスケートのお話しをしてきましたが、ここで、スポーツ・舞台・芸術など、すべておしなべて、プロとアマチュアとの違いをお話ししてみるのでございます。

すべてを出し切る”、“限界に挑戦する”、“自分との戦い”、これらはすべて、アマチュアの精神でございます。つまり、アマチュアとは自己完結の世界でございます。極端なことを言いますと、順位とかも関係ないのでございます。“自分が頑張ったかどうか?”、ここに集約されるのでございます。

ではプロの世界は? プロの世界では自分の限界に挑戦しません。当然、すべてを出し切るなんてこともしません。戦う相手は、自分というよりはむしろ“お客”なのでございます。(プロの)舞台上での出来事は、すべてが計算された出来事でなければなりません。イチかバチかのチャレンジとか、不意のアクシデントとかは許されないのでございます。いつでも安定した同じレベルの演技を提供できるということ、この“安定&計算”こそがプロのプロたるゆえんなのでございます。

ですからプロは、7〜8割の力しか出しません。それは、安定した確実なプレイを行なうための“プロの表現術”のひとつでございます。そして、演技中でも意識は常にお客に向けられ、どうしたら“サープライズ(感動)”させられるかを、頭の中で高速演算しているのでございます。さてここで、そのサープライズさせるための重要なファクターがございます。“呼吸”でございます。

実は、サープライズさせるための呼吸とは、“非日常”の呼吸なのでございます。「息を呑(の)む」なんて表現をしますが、お客に息を呑ませておいて、その息をパァ〜ッと吐き出させたときにお客はサープライズするのでございます。落語家の故桂枝雀師匠もその著書の中で、「緊緩(きんかん)の法則」として理論づけたりしております。お客に非日常的な息づかいをさせるには、演じる側にもその非日常的な呼吸が要求されるのは、当然なのでございます。

一方、体を動かす、セリフを喋る、歌を歌う……こういった動作のときに生理的に要求される呼吸というのは、いたって日常的な呼吸であり、しかも深い呼吸を要求されるのでございます。その深い呼吸を我慢しながら、詰まった浅い呼吸でお客をサープライズさせる。このまったく相反する二つの呼吸を処理する苦しさこそが、プロフェッショナルの息づかいなのでございます。

要約いたしますと、“ハァハァ言いながら自分の限界あるいは限界以上に挑戦する美しさ”、そればアマチュアの美学でございます。対しまして、“ほどほどに高度なことを、(内心のハァハァは押し殺しながら)すました顔でやってのける”、それが、プロフェッショナルの美学でございます。

では、お話しをフィギュアスケートにもどしましょう。オリンピックや世界選手権でのフィギュアスケートは、もちろんアマチュアスポーツとして分類されるわけでございます。しかしながら、その採点基準には、“表現”・“感動”といった芸術的要素も要求されております。したがって、演じる選手達には、“技を正確に演じる技術”とともに、感動させるための“プロ的な感覚”も同時に要求されるのでございます。

荒川静香さんの演技は、実に優雅で華麗でございました。たぶん、演技の後半部分では、息はハァハァ、足はガタガタの状態だったはずでございます。しかし、その苦しさをすべて押し殺し、すました顔で演じきったがゆえの聴衆の感動であり、スタンディング・オヴェイションだったのでございます。アマチュアスポーツでありながらプロ的要素も要求されるとは、フィギュアスケートはなかなかに奥が深く、ハードなスポーツなのでございます。

以上、その息づかいの違いから、プロフェッショナルとアマチュアとをお話ししてまいりました。これからは、プロスポーツ選手や舞台などを観るときには、優雅に泳ぎながらも水面下で足をバタバタさせている水鳥を思い出していただければよろしいかと思うのでございます。

あるいはみなさま方、カラオケなどを歌うときには、“自分が苦しいほど観客は感動する”という心構えで歌っていただければよろしいかと。エッ、カラオケでは誰も他人の歌なんかに聴き入ってはいないって! そうですよね。ではカラオケも、ご自分の限界に挑戦するアマチュア精神で歌っていただければよろしいかと。アッ、くれぐれも、限界に挑戦しすぎて、喉やお体を壊しませんように。

というところで、ちょうどよい行数になってまいりました。今回はこのへんで失礼いたします。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2006/02/21

親愛なるUSA様


  君って、つまずいたことがないんだよね

  つまずいたときの恥ずかしさを知らないから、

    鼻先がいつも上に伸びてばかりいる


  君って、追いこされたことがないんだよね

  追いこされるのを恐れてばかりいるから、

    自分の足もとを見つめることが出来ないでいる


  つまずいたほうが、歩き方は上手になるんだぜ

  靴底に刺さった釘は、立ち止まらなきゃ抜けないんだぜ


  ほら、君のことだよ、君の、

  Dear U.S.A.

(原爆や被爆者を題材にした短編映画、『マッシュルームクラブ』(スティーブン・オカザキ監督)が、アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされました。本来、日米共同で制作されるはずだったこの映画は、米国内の反発により一時製作中止をよぎなくされました。これだけの年月を経ていながらも、アメリカでは“原爆”を真摯(しんし)に語れないというのは、悔しさと同時にわずかばかりの憤(いきどお)りさえも感じます。今回のノミネートを期に、この映画が少しでも多くの人の目に触れることを、願っております。)

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2006/02/19

緊急スクープ! お宝画像発掘!

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名古屋薫、12年前のお宝画像が発掘される!
今、明かされる、デビュー当時の面影!

かの名古屋薫のデビュー当時のマル秘写真が発掘されたもよう。信頼しうる情報筋によりますと、昨夜(平成18年2月18日)深夜、名古屋薫(自称32歳!?)は、以前務めていたショーパブ「サパーレスト つけもの」(名古屋市中区栄4 052-242-2096)に客として訪れたとのこと。

その際、店舗の古アルバムから見つかった名古屋薫の写真数点を、従業員の一人が名古屋薫本人に見せ、昔話に花を咲かせていたらしい。たまたま同店に来店していた当記者が、一枚をかすめ取ってこのたび緊急スクープとあいなった。

写真は名古屋薫が「サパーレスト つけもの」に入店して間がない頃、今から12年ほど前の画像である。写真に見える白い羽扇(はねおうぎ)は、後ろに立っている人の持ち物であり、名古屋薫(当時の名は芳美)自身は羽扇も頭飾りも持たされていない。そういったことから、新人としての店内でのポジションがうかがえる。

<サパーレスト つけもの 社長の談>
「いやあ、古いアルバムを整理していたら、たまたま見つけたんだよね。今度芳美ちゃん(名古屋薫)が来たときに見せてやろうと準備していたら、その日に来店したからビックリしちゃったよ。虫が知らせたのかな(笑)。ショータイムのときには、いつも笑顔を絶やさない子だったねぇ。」

<名古屋薫談>
「あーあ、慌てて全部隠したつもりだったけど、一枚だけ晒されちゃったよ。まったく、われながらすごい化粧だね。ゲジゲジ眉毛につけまつげ。お化粧下手は、ワタクシの伝統だね、コリャ(笑)。手の甲もなんだか男っぽいねぇ。髪の毛もまだ短いし。あー、おぼこい、おぼこい、やだ、やだ...」

<当記者 編集後記>
「名古屋薫さん、やだやだなんて言っておきながら、けっこう喜んでいるようすでした。きっと、文句言いながらも、この写真のことを気に入っているんでしょうね。そういえば、当記者がこの写真を入手したのも、偶然ではなかったような気がするんですけどね……」

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2006/02/18

自分を持て余す人達

みなさま方、「カーリング」ってご存じですか? ほら、ただ今開催中、トリノオリンピックの1種目でございます。つけもの石みたいなのが滑っていくのを、モップを持った人が、必死で氷上をこすりながら追いかけるアレでございます。

「完全武装的」なウェアでのぞむことが多いウィンタースポーツの中で、カーリングは比較的軽装でイヤリングなんかもしちゃったりして、けっこうオシャレなのでございます。ああいった「優雅な」ウィンタースポーツも、なかなかにいいのでございます。

さて今回は、「自分を持て余している人達」のお話しでございます。「自分を持て余す」。不思議な表現でございますよね。自我が強すぎて、ついつい人間関係でトラブルを起こしてしまう人。自分の自我に振り回されて困ってしまう人が、今回のテーマでございます。

「自分がいつもいちばんでありたい」

「人をけ落としてでも、上へあがりたい」

こういった心というのは、大なり小なり、誰でも人間の本能として心の奥底に備えているものでございます。もちろん、こんな本能を100%丸出しで行動すれば、人間関係に角が立って、うまくいくものではございません。みんな、本能を理性で抑えながら行動しているのでございます。

ところが、この「理性で抑える力」の弱い人がときどきいらっしゃいます。不用意に本能丸出しの発言や行動をしてしまうのでございます。ご自分では、「アッ、しまった」とか「なんで、あんなこと言っちゃったのかな」なんて後から思うのでございますが、後悔先に立たず、ついつい理性よりも本能が先行してしまうのでございます。

この「負けん気の本能」、若い時期にはむしろプラスに働いたりいたします。「うぬぼれも芸のうち」、「うぬぼれも実力のうち」なんてことを申しまして、芸ごと・スポーツ・商売などでは、この負けん気丸出しの方が伸びたりいたします。そして、ときどきやりすぎて痛い思いをし、ひとつ賢くなっていくわけでございます。

また、若い頃の横着は、周りが許してしまうということもございます。「若いから仕方ないよね」と見逃された若き日の過ちも、年輪を重ねた成熟期に同じことをすれば、周りは許しません。いい歳をして本能優先の行動ばかりしていれば、本人が「おかしいな、おかしいな」と思いつつ、周りとの人間関係はどんどん歪みを増していくのでございます。

このように、自分を持て余すばかりに、人間関係の歪みの迷宮でさまよってしまう方々に対して、ワタクシはいつも、

「人畜無害・無味無臭になりなさい」

とアドバイスしております。人間関係を修復するために、進んで何かアクションを起こすのではなく、役にも立たず、害にもならず、自分の個性さえも押し殺してしまったような存在にご自分を持っていきなさい、ということでございます。

これすなわち、「自我を殺す」ということでございます。ときどき勝手に飛び出してくる自我のためにつらい思いをするのならば、その自我を押し殺してしまえばいいのでございます。原因は元から絶つ! もし原因を野放しにしたままでさらなるアクションを起こせば、それは悪循環の繰り返しでございます。

言うは易く行うは難し。実際、自我を殺すというのは大変でございます。ただ、自我を殺すというと、何もかも我慢した修行僧の禁欲生活のように感じられますが、そこまで我慢することはございません。「なすがままを受け入れる」。それだけでいいのでございます。

勝っても負けても、その結果を素直に受け入れる。損をしても得をしても、それもまた運命として受け入れる。他人と比較をしない。自分の過去と比較をしない。今のこの瞬間の出来事を、ひとつづつ柔順に受け入れていく。そういうことでございます。

人間関係でトラブっている人ほど、自分の外ばかり見ようといたします。人間関係で困っている人は、外側ではなく、ご自分の内面への問いかけをしてみると、なにか解決の糸口が見つかるかもしれませんよ。特に自分を持て余している人、人畜無害・無味無臭をテーマに行動してみてはいかがでしょうか。

というわけで、今回は偉そうなことを書いておりますね。人間というものは、自分が悩み苦しみ、そして克服してきたことというのは、ついつい偉そうに語ってしまうものでございます。あーあ、ワタクシも口うるさいオヤジ(?)の仲間入りでしょうかね。ではでは、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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2006/02/14

風の中のスバ○〜 腎臓に石が出来たよの巻

朝、背中が痛んだ。腰痛かと思った。一日目が経った。二日目が経った。痛みは少しずつ強さを増した。背中だと思っていた痛みが、実は脇腹だった。病院で、あらゆる検査を受けた。「腎臓結石」、担当医は言った。愕然とした……これは、ある職人と腎臓結石との、壮絶な戦いのドラマである。

 ♪ジャン、ジャジャンジャジャンジャンジャジャンジャン〜
  風の中のスバ○ 砂の上の○河
  みんな○こへ行った 見送ら○ることもなく〜
  (著作権の関係上、一部伏せ字でお送りしております)

ある下町の町工場に、勤勉な職人がいた。職人の名は「名古屋薫」、ニューハーフであった。その日の朝も、普段通りにシャワーを浴び、髪の毛を乾かそうとしていた。

「ズーンッ!」

背中に鈍い痛みが走った。職人は持病の腰痛だと思った。コルセットを巻き、痛みが治まるのを待った。一日、二日と様子を見た。痛みは少しずつその強さを増した。「違う!」、職人は思った。いつもの腰痛とは痛みの場所が違った。左の腰の裏側、ちょうど腎臓のあたりだった。職人は若い頃、尿管結石を経験していた。痛さに思い当たるものがあった。次の日の早朝、職人は病院に駆け込んだ。

ニューハーフ職人には、病院の内科診察さえ壮絶なドラマであった。まず、受付で本当に自分の保険証かと疑われた。担当医には、「オシッコに血が混じってますが、最後の生理は?」と聞かれた。エコーの担当医は、「子宮が見あたらない」といってパニック状態に陥った。唯一CTスキャンの検査室では、何も起らなかった。だが、現像されたフィルムの封筒には、「♀」に大きな丸印が付けてあった。

その度に、職人は痛む横っ腹を押さえながら、「いえ、男ですから」と、か細い声で言った。しかし、生理を聞いてきた老医師は、「男ですから」と答えたにもかかわらず、「生理痛はひどい方ですか」と質問してきた。ニューハーフだということが、理解されていなかった。高齢の医師ではよくあることだった。

検査は、検尿・検便・エコー・CTスキャン・胃カメラと五種にもわたった。人間ドック並みの検査量であった。職人の病根を探り当てるため、体の隅々まで精査がおこなわれた。現代医学の最先端技術が結集され、手の空いている医師はみな「俺も力になる」と言って、助力を申し出た。病院が総力をあげた。検査は丸半日を費やし、すべての検査が終了したとき、担当医は職人に言った。

「腎臓結石ですね」

職人は愕然とした。予測していたこととはいえ、かつて経験した尿管結石の激痛が、脳裏に思い出された。さらに担当医は続けた。

「石が小さいですから、お水をたくさん飲んで自然排泄を待ちましょう」

「なんて消極的だ」。職人は思った。「これでは、いつ排泄されるか分からないぞ。長期戦になる!」。職人は覚悟し、病院を後にした。

職人が部屋に戻ると、友人のYが立っていた。「店はまかせろ。何とかする。しっかり休め」と言った。ありがたかった。Yは、手に提げていたコンビニエンスストアの袋を、黙って差し出した。袋の中にはお茶のペットボトル大瓶が二本、おにぎりが二つ、そしてヨーグルトが入っていた。友の気づかいだった。うれしかった。職人は男泣きした(?!)。

結石が小さく、痛みはそれほどではなかった。職人は痛み止めを飲みながら、じっと結石が降りていくのを待った。心がジリジリした。動きは大変ゆっくりであった。一日に数センチ。わずかずつではあったが、結石は確実に尿管を移動していた。職人は、ジワリジワリと動いていくその痛みを、左手でさすりながら、ただひたすら、待ち続けた。持久戦だった。二日間が過ぎ、痛みは下腹部の膀胱(ぼうこう)直前まで移動した。

「よし、もう少しだ、切り抜けるぞ」

職人は思った。

しかし、このとき、波乱が起きた。思いも寄らぬ、激しい腹痛であった。職人は戸惑った。慌てて痛み止めを服用した。「腹痛時に服用。一回一錠」。病院の処方で持ち帰った痛み止めだった。「まだ二錠残っている!」。職人は一錠飲んだ。数時間、様子をうかがった。薬は効かなかった。薬の使用間隔は最低四時間以上。職人は限度ギリギリで二錠目を飲んだ。「薬よ、効いてくれ!」。職人は祈るように待った。二錠目も効き目はほとんどなかった。むしろ、ますます痛みの強さが増していた。

「よし、アレを使おう!」職人は決意した。「ポルタレン」。坐薬(ざやく)だった。「本当に痛いときだけ使って下さい」。調剤士は薬を渡しながらそう言った。それほど強力な痛み止めだった。もし、このポルタレンが効かなかったら、もう使える薬はない。まさに、最後の手段だった。

職人はポルタレンを取り出した。激しい腹痛に耐えながら、職人はその坐薬をおしりの穴にあてがった。「よし!」。職人は指を押し込んだ。しかし、指は第一関節まで入って止った。力不足だった。腹痛のため、力が入らなかった。「だめだ。この位置では不十分だ。押し込まなくては!」。作業は困難を極めた。職人は焦った。

押し込もうとするが力が入らない。職人は、お尻の穴に人差し指の第一関節を入れた状態で、身動きが取れなくなってしまった。激しい腹痛に耐えながら、職人は考えた。「なにか方法があるはずだ。落ち着け!」。直腸内のポルタレンが、体温で溶けて柔らかくなり始めていた。時間の猶予は少なかった。職人は、かなり不自然な体勢のまま、冷静に状況を分析した。

職人は、腹痛に波があることに気がついた。「1,2,3,4...」。職人は痛みの波を数え始めた。波には規則性があった。「よし、13だ! 13の波ごとに、痛みが少し和らぐ!」。職人が、かろうじて見つけた痛みの規則性であった。職人は痛みの波を数えながら、14番目の間隙(かんげき)に狙いを定めた。「...12、13、よし、今だ!」。わずかな痛みの間隙をぬって、人差し指を押し込んだ。成功だった。ポルタレンは、おしりの穴、奥深くに挿入された。

最終兵器「ポルタレン」の効果は絶大であった。挿入して間もなく、腹痛はゆっくりとその度合いを下げていった。職人は胸をなで下ろした。だが、ポルタレンには強い副作用があった。強い眠気であった。痛みの和らぎとともに、強い睡魔が職人を襲った。職人は落ちるように眠ってしまった。

朝が来た。終焉(しゅうえん)はあっけなく訪れた。職人が目を覚ますと、激痛はすっかり消え去っていた。下腹部にわずかな筋肉痛が残っていた。激しい腹痛に耐えた腹筋の傷跡だった。すがすがしい痛みだった。職人は戦いを勝ち抜いた。七日間の戦いだった。ニューハーフ職人と腎臓結石との戦いは、幕を閉じた。

 ♪ヘッド○イト・○ールライト 旅はまだ終わ○ない...
 (著作権の関係上...以下略)

(この物語は、事実を元に再編集したフィクションでございます)


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というわけで、この一週間、腎臓結石で苦しんでおりました。読者のみなさま方も、お体などお気をつけくださいませでございます。ではでは、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2006/02/05

一番大事なものはいつも直前に...

 多くの言葉を重ねるよりも、言葉を発する前の“息つぎ”が大事
 だって、息を吸った瞬間に、話す言葉を決めてしまっているのだから

 多くの愛情を与えるよりも、愛に目覚めたときの“ときめき”が大事
 だって、ときめいた瞬間が、いちばん純粋でいられたのだから

 あなたの顔が好き、あなたの心が好き、と人は言う
 けれど、時の移ろいに、ときとして言葉や心も色あせてしまうもの

 あなたと私が出会えたこと、ただ出会えたことだけを純粋に感謝したい
 だって、一番大事なものは、いつも“直前”にあるのだから


(歌手「平原綾香」さんのライブ番組を見ました。練習風景の場面で、息つぎに大変こだわる彼女の姿が映されておりました。本来ノイズとして忌み嫌われる息つぎの音、その息つぎにこだわる感性を見て、言葉を大事に歌う彼女の魅力のひとつをかいま見た気がします)

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2006/02/01

♪男が恋に落ちるとき

今年もあっという間に1ヶ月が経ち、今日からは2月でございます。みなさま方の大人のオモチャ、名古屋薫でございます。自分のHP(←なぜか更新されない)の表紙が、なぜか去年のままになっているのでございます。このままでは恥ずかしいので、早急に絵柄の更新を考えております。

何てことを考えておりましたら、姫路城、じゃなかった、名古屋嬢、じゃなかった、案の定、HTML形式のメールマガジンの苦情をチラホラいただいたのでございます。読めなくなっちゃった方、あるいは、生理的にHTMLメールのお嫌いな方、今しばらく我慢していただけますでしょうか? 対応策を思案中でございます。

ブログ業界の最大手、ライブドアが例の不祥事で風向きが怪しくなったのを「これ幸い」と、IT産業に殴り込みをかけん! 打倒ライブドア!と、息せき切って始めたワタクシのブログでございますが、初(しょ)っぱなからみなさま方に不自由を掛けているのでございます。まぁ、メールマガジンのバックナンバーとしての意味合いが強いブログでございますので、世間一般のブログに比べると、なかなか使い勝手が悪かったりするのでございます。

さてさて、新聞のTV蘭に、「細木数子が風俗にナンタラ…」と書いてあったので、ついついチラッと見てしまったのでございます。細木女史いわく、男性の風俗はスポーツだそうでございます。一汗かいた後に、ちゃんと奥さんの所へ帰って行くのだから、もし気づいてしまっても、脅かす程度にしておいて、あまり追求するなということだそうでございます。

まぁ、それはそれで男性心理をよく突いた、的確な意見だとは思うのでございます。さてそこで、現役(もうすぐ賞味期限切れ)風俗嬢のワタクシ名古屋薫が、現場の目で見た、より突っ込んだ分析をするのでございます。風俗大好きな男性諸君も、彼氏(or夫)の風俗通いに戦々恐々とする女性軍も、まぁ、聞いてくださいなのでございます。

(細木数子風に)ズバリ言うわよ! 男というものは、

 一生母親の影を追い続ける、さびしくそして甘えん坊な動物
なのでございます。

男ってね、いつも異性に対して「母親」を求めているのでございます。そりゃ、恋人に対しては、母親を求めたりしませんよ。そんなことしたらマザコンだと思われて、あっさりと振られちゃうのでございます。

 恋人 = まだモノにしていない = 所有権がない(女性の方、失礼)
でございますので、モノにするまでは実直に「男」を演じるものでございます。しかし、男を演じつつも、心の中では恋人と自分の母親を重ねて見ているものでございます。「一目あったその日から、恋の花咲くこともある」なんて言葉もございます。男性の心の中の母親思慕周波数と、女性のもつ思慕誘導インダクタンスがみごと一致すると、そのとき、男は、恋に落ちるのでございます。
♪When I Falling Love with You.〜

ワタクシの母親は、生前、よくワタクシに言ったものでございます。

 「おまえは、私の分身なんだよ」
自分の肉や血を分け与えた分身、それが母親からみた「わが子」でございます。

自分の体の一部から生まれ出たという実感、それは、母親のみが感じ得る、母とわが子との深い絆でございます。この「自分の分身」という感覚は、残念なことに父親には、逆立ちしても感じることが出来ないのでございます。母親は、(父親が誰であろうとも)わが子を絶対に自分の子供だという実感が持てるのに対して、父親はともすると、「本当に自分の子供か?」なんてことが頭をよぎる瞬間があったりいたします。父親の悲しい性(さが)でございます。

万有引力というもの、引っ張る力が強ければ、「引っ張られるもの」にも逆向きの同じ力が働きます。「反作用」という力でございます。つまり、母親がわが子に対する思い入れが強ければ強いほど、同じように子供も母親への思い入れが強くなるものでございます。特に、母親と息子の関係では、ときとして「マザーコンプレックス」とか「エディプスコンプレックス」といったものにまで発展してしまったりいたします。これは、反作用ではなく「副作用」でございます。

ちょっと脱線いたしました。本題に戻りましょう。男の子は、思春期に母親が、いろいろな意味で「女」と見えてくる瞬間がございます。そのときに、男の子の中のチューニングメータが、ピピピッとその母親の周波数に同調するようにチューニングされてしまうのでございます。このチューニング現象、母親と娘の関係では、あまり起らないような感じでございます。やはり、母親の強い愛情と、息子の思春期における「男性としての性の目覚め」との、相乗効果によって起きることのようでございます。

卵からかえった鳥のヒナは、始めて見た動くものを、母鳥として認識する習性があるそうでございます。男という動物も、思春期にピピピッとチューニングされ、一生その周波数に同調する女性を追い求めるさまは、まるで母鳥を追いかけるヒナ鳥のようでございます。成長し、巣立ちし、母親から卒業しても、そのポッカリと空いた心の穴を、ピッタリ埋めてくれる「母親代理」を求め続けているのでございます。

さてさて、非常に長い前置きでございましたが、お話しを風俗に戻しましょう。風俗嬢が男性に与えられるものは、いっときの仮想恋人でございます。(一部の特殊な風俗を除いて)風俗嬢は男性に対し、母親を与えることは出来ないのでございます。ですから、細木数子女史いわく、「風俗に行った男性は、終わった後、『あぁ、奥さんのミソ汁が飲みたい』といって帰って行く」ことになるのでございます。

ですから、男性の母親代わりになれる奥さん(恋人)には、風俗嬢は決してかないません。世の女性陣、男性をふところに入れておきたければ、男性の母親役になってしまえばいいのでございます。そんな幸せ者の男性は、もし風俗などに行ったとしても、きっと、居心地の良いあなたのもとへ帰ってくるはずです。だって、風俗では絶対得られないものが、あなたのふところにあるのでございますから。

ただ、時々、「風俗嬢を落としてやる(自分のものにする=結婚)」という意識で風俗にのめり込んでしまう男性もいらっしゃいます。そうなると、風俗通いとしては重傷でございます。そんなときに男性を追いつめると、これは逆効果でございます。男性が焦心したころあいを見計らって、優しく声をかけて上げましょう。

「私ね、あなたのことをずっと見てて、風俗行っているのも知ってたのよ。経済的にも精神的にも、あなたが疲れていくのが、私は心配でたまらないの。私がおいしいご馳走を作るから、一緒に食事しない?」

何てことを言ってあげましょう。怒りに満ちた般若の面は仏の顔の下に隠しておかなければいけませんよ。男性はたとえ風俗に心を落としても、「帰るべき場所」というのは初めから分かっているのでございます。タイミングよく間口を開けてやれば、ストンとふところに落ちてくるものでございます、きっと、ね(効果には個人差があります)。

では、世の女性軍のみなさま、男性心理を見抜いて、彼氏や旦那様を上手に手のひらでころがしていただきたいものでございます。男性は孫悟空、そして女性はお釈迦様でございます。お釈迦様のような大きな心で男性に接してあげて下さいませ。だって、男性ってのは、一般的に、意外と小心なのでございますからね。

ではでは、今回は長くなりました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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