「いただきます」って言ってますか?
アリャリャリャリャ、ほりえもんさん、タイーホされちゃいましたね。というわけであけましてお久しぶり、名古屋薫でございます。
耐震偽装疑惑のときは、ノラリクラリとノンビリ追求でしたが、今回のほりえもん騒動では、異例のスピード検挙でございます。当局は「株が関係しているから」なんて申しておりますが、一般ピープルのワタクシなどが考えますに、
“政治家が関わってない犯罪は、これぐらい早く検挙できる”ということでしょうね。
と、堅苦しい話はこれぐらいにしましょうか。「IT時代の寵児(ちょうじ)」と呼ばれた堀江氏、天才的な才能を感じておりましたが、天才がその能力を100%出し切れるのは研究室の中だけでございます。一般社会で天才肌が、アクセル全開で突っ走れば、そりゃゴツゴツ角が立つのは当たり前。実験室の試験管の中を覗き込むような感覚で、堀江氏は世の中を見ていたのでしょうか? 地獄をくぐった後、彼は本物になれるのでしょうか? 才能ある人の今後の動向を見守りたいと思います。
さて、話はまったくガラリと変って、こんな記事を見つけました。妙に不愉快な気分になりました。みなさんにも考えてもらいたくて、メールマガジン書きました。こんな記事です。
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「いただきます」って言ってますか?「給食や外食では不要」ラジオで大論争
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
(毎日新聞 サイトより)(※このページは削除されております)
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要約すると、「給食費を払っているのだから、給食で子供が『いただきます』を言うのはおかしい」。また外食時などでは、「お金を払っているのだから、店が客に感謝するのが当たり前。だから『いただきます』は間違い」。こんな考えをもっているお母さん方が意外に多いらしい、ということだそうでございます。さらに、「『いただきます』のときに手を合わせるのは、“宗教的行事”だからやめさせて欲しい」というお母さんもいらっしゃるとのこと。
ラジオ番組が大論争になったぐらいでございますから、こういった考え方をされる方が、世の中には結構な割合でいらっしゃるのでしょうね。ワタクシなどは、一人で食事をすることが多いので、さすがに声に出して「いただきます」は言いませんが、でも、根っからのご飯大好き人間でございますから、心の中のスゴイ大声で「イッタダッキ、マ〜ス」と叫んでいるものでございます。
でもさぁ、「いただきます」って、ただの“挨拶”じゃん。確かにさぁ、誰かにご馳走になったときには、その人に感謝の意として「いただきます」「ごちそうさま」は言うけど、そういったシチュエーションでの「いただきます」や「ごちそうさま」って、トッテモトッテモ“水商売的”あるいは“接待・被接待的”な感覚だよね。親が子供の教育として教える挨拶的な「いただきます」「ごちそうさま」とは、ちょっと意味合いが違うでしょ、と思うワタクシなのでございます。
きっと、幼少の頃に家族全員で食事をする機会がほとんど無く、若い頃から水商売にドップリ浸かっていたりすると、「いただきます」や「ごちそうさま」という言葉を、そういった水商売的・打算的な言葉としてしか考えられなくなるのでございましょうか。核家族化が進み、水商売に抵抗感が少ない現代社会では、そのような環境で育った人って、かなりいらっしゃるような気がします。そして、母親になり、子供にも同じような教育をする――とすると、こういった風潮は、これからも増えていくような気がするのでございます。
百歩譲って「いただきます」に“感謝”の意があるとしても、その感謝は、誰かにご馳走になったという意味合いだけではなく、“すべてのものへの感謝”の意味も含んでいるでしょ。たとえ自分が客として食べに来ているのであっても、そこには調理する人がいて、材料を作る人、運ぶ人がいて、そして人間の食物のために命を捧げたモーモーさんやブーブーさんなどがいるからこそ、お腹をいっぱいにできるのでございます。お金をどれだけいっぱい持っていても、そのお金は直接食べられないのでございます。
また、手を合わせるのが宗教的だから反対する、という意見もあるようでございます。もし宗教が「価値観や道徳観を教え伝える」ということであるならば、親が子供を教育することも、宗教以外のなにものでもございません。親は教祖であり、子供は信者でございます。「手を合わせることは、わが家の価値観や道徳観に反する」というご家族であればともかく、そこまで宗教というものを深く考えて、いただきますの手合わせに反対しているわけではないはずでございますよね。
どうか世の中のお母さん、「いただきます」「ごちそうさま」……こういった言葉を、打算的な意味合いではなく、世の中すべてのものへの感謝、そして、今自分が生きていることへの感謝、そういった意味合いでお子様方に伝えていただきたく思います。食べられる、今日も一日生きられる、雨露をしのげる、あたたかいお布団で眠れる……そういったことすべてを喜びとし、感謝することを「いただきます」「ごちそうさま」という言葉で教えていただきたいものでございます。
自分の心の中に「生きている」という実感がないと、他人に対しても「生きているんだ」という感覚で見られないものです。最近、ちいさな子供が殺されてしまう事件が頻発しておりますが、自分が生きているという実感がないため、ちいさな子供も人形のように殺せてしまうのでございます。大人になってからそのような「生」の実感が欠如していることに気づくというのは、大変不幸であり残酷でございます。なぜならば、成熟してから固まってしまった価値観や倫理観を変更するというのは、大変なエネルギーが必要だからでございます。
ちいさな子供をお持ちの親ごさん、どうか、子供さんがまだ白紙のうちに、「いただきます」や「ありがとう」という言葉のすばらしい意味を教えてあげて下さい。生きる上での大事なものを学ばずに成長してしまった悲しい悲しい大人にさせぬように、まだ小さなうちにあたたかい言葉をお母さんやお父さんの肌のぬくもりとともに教えてあげて下さい。お父さんやお母さんは教祖であり、子供さんはあなた方の熱烈な信者なのでございますから。
世の中には、ちいさな子供にまで銃を持たせるような国もございます。それを考えると、「いただきます」という語で大論争になるとは、日本は平和なんですよね。ではでは、今回は長くなってしまいました。次回をお楽しみに。バイバーイ。
P.S.そうそう、このメールマガジンのブログ化を申し込んでおります。次の配信は、HTMLメールの形で配信されることと思います。また、このメールマガジンの過去ログのページが、そのままブログとして利用可能になるはずです。詳細は次回に。
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