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2006年1月

2006/01/28

やさしさ

やさしさが相手を殺してしまったりします

逃げ込み場所を探している人は、簡単にやさしさのあなぐらに入り込んできます

そして、そのあなぐらから出られなくなります

いつしかやさしさ落とし穴になっていることに気がつきます

やさしさが相手を殺してしまったりします

やさしさという落とし穴には、ときどきフタをしてあげるのが思いやりです
 
 
 
(「神田川」という歌には、「ただ、貴方のやさしさが、怖かった」という歌詞があります。この歌詞の意味が分かったのは、本当につい最近です。)

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2006/01/26

ふたつの食文化

【「いただきます」への反響】

前々回の「いただきます」の配信を読まれた方から、何通か反響をいただいております。

中国やシンガポール(人種の80%が中国系だそうです)では、「いただきます」を言う習慣はないようでございます。また、ワタクシ、昨年の10月に韓国へ出かけておりますが、やはり韓国でも「いただきます」の習慣はなかったように記憶しております。

ある方からは、「いただきます」「ごちそうさま」は、

 自分自身に問いかける言葉なのではないでしょうか?
というお便りをいただきました。なるほど、実に的を射た表現でございます。ワタクシがメールマガジンで100行あまりにわたってダラダラと書きつづったことを、たった1行で表現されてしまいました。名古屋薫、脱帽でございます。

【ふたつの食文化】

さて、昨年に韓国へ行ってきたともうしましたが、ワタクシ、その際、決定的な食文化の違いを感じております。端的にもうしますと、

 日本=もったいない文化
 韓国・中国=残す文化
なのでございます。

よく知られた話でございますが、中国料理では少し残すのがマナーとされております。「もうお腹いっぱいで、これ以上食べられません」という意思表示なのでございます。陸続きの韓国でも同様に、少し残すマナーは健在でございまして、そして「いただきます」は言わないようでございます。

そもそも韓国には食材があふれかえっております。食材が山盛りに積まれているリヤカーの露店、ワタクシ、「それどうやって運んできたの」なんて感じて見ておりました。また、ジャンクフードを作り売りする屋台もそこかしこにございます。これまた、「そんなに作って売れ残らないの?」なんて余分な心配をさせるほどの勢いで、調理をしておりました。

「食」が大量生産・大量消費される。それが大陸文化なのでございましょう。たとえ残飯が残っても、それは家畜の餌となり、穀物の肥料となり、「食」は大自然の摂理の中でおおらかに循環するものという、大局的な文化を感じるのでございます。

それに対し、日本では「米粒残すと目がつぶれる」なんてことを言われたりいたします。日本の農業は、

 大自然の胸先三寸のお目こぼし
なのでございます。

宮沢賢治が「寒さの夏」と表現した冷害、そして大型台風や水不足――大陸の「食」が広大な農地に支えられているのに対して、国土の狭い日本の「食」は、ちょっとした自然の気まぐれで大ダメージを受けてしまうという脆弱性を古くから持っております。

みなさま方、ご飯を食べる器を「お茶碗」ともうしますよね。あれは、ご飯を食べ終わった後に、そこにお茶を注いで飲むから「お茶碗」なのでございますよ。お茶でゆすいで「米の最後の一粒まで残さないぞ」といった思いと、「茶碗の洗いを省略して、余分な水を使わない」という節水の気持ちが込められております。

「いただきます」という言葉に特別な思い入れがある日本の食文化は、そのような農業の脆弱性からきているのかもしれませんね。というわけで、今回は普段の半分の文章量。サクサクっとショートエッセイでございました。ではでは。

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2006/01/25

ブログ版第1号は手探り状態

Fi1138199475093t_0e「名古屋薫のShe-mail」ブログ版の第1号でございます。世の中はブログ三昧。猫も杓子もブログ、ブログ。そこでワタクシ名古屋薫も、

“みなのするブログといふものを、オカマもしてみんとて、するなり”

とばかりに、始めてみるのでございます。目指すはニューハーフ界の眞鍋かをり、なのでございます。

このメールマガジン、一番最初の配信が2000年1月ということですから、もう6年にもなるわけでございます。そもそも、自分のホームページの更新をお知らせするつもりで始めたメールマガジンでございますが、今となってはその本来の目的であったホームページは、工事中のページを残したまま放置プレイ状態。まるで、主人の帰宅を待ち続ける忠犬ハチ公のようでございます。

さて前置きはこのぐらいで、本題に。

【配信されるマガジン形式変更のお知らせ】

まず、みなさまにお送りしているメールマガジンが、今までの「テキストメール形式」から「HTMLメール形式」に変更になります。ほとんどの方々は問題ないでしょうが、一部、読めなくなってしまう方がいらっしゃることと思われます。もしそういったHTMLメールでは不都合な方が多いようでしたら、テキスト形式での平行配信のようなことも、考えていかなければと思っておりますので、ご要望など、お送りくださいませ。

まだまだ、ワタクシ自身が手探りの状態でございますので、みなさま方のご意見、ご要望、励まし、罵倒、罵詈雑言などなどなど、気軽に書き込んでいただければ幸いでございます。

ワタクシのブログは、今までのメールマガジンの過去ログページがそのままブログに変っております。以下にアドレスを記載しておきます。

ではでは、今回は手探り状態のためこのへんで失礼します。
取り急ぎ、報告まで、かしこ。

-----------------
「名古屋薫のShe-mail」ブログ
http://blog.mag2.com/m/log/0000009387

「名古屋薫のShe-mail」 2006/1/24以前のログは
http://blog.mag2.com/m/qlog/0000009387

(※以上の二つのアドレスは、使われてません)

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2006/01/24

「いただきます」って言ってますか?

アリャリャリャリャ、ほりえもんさん、タイーホされちゃいましたね。というわけであけましてお久しぶり、名古屋薫でございます。

耐震偽装疑惑のときは、ノラリクラリとノンビリ追求でしたが、今回のほりえもん騒動では、異例のスピード検挙でございます。当局は「株が関係しているから」なんて申しておりますが、一般ピープルのワタクシなどが考えますに、

  “政治家が関わってない犯罪は、これぐらい早く検挙できる”
ということでしょうね。

と、堅苦しい話はこれぐらいにしましょうか。「IT時代の寵児(ちょうじ)」と呼ばれた堀江氏、天才的な才能を感じておりましたが、天才がその能力を100%出し切れるのは研究室の中だけでございます。一般社会で天才肌が、アクセル全開で突っ走れば、そりゃゴツゴツ角が立つのは当たり前。実験室の試験管の中を覗き込むような感覚で、堀江氏は世の中を見ていたのでしょうか? 地獄をくぐった後、彼は本物になれるのでしょうか? 才能ある人の今後の動向を見守りたいと思います。

さて、話はまったくガラリと変って、こんな記事を見つけました。妙に不愉快な気分になりました。みなさんにも考えてもらいたくて、メールマガジン書きました。こんな記事です。

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「いただきます」って言ってますか?「給食や外食では不要」ラジオで大論争
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
  (毎日新聞 サイトより)(※このページは削除されております)
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要約すると、「給食費を払っているのだから、給食で子供が『いただきます』を言うのはおかしい」。また外食時などでは、「お金を払っているのだから、店が客に感謝するのが当たり前。だから『いただきます』は間違い」。こんな考えをもっているお母さん方が意外に多いらしい、ということだそうでございます。さらに、「『いただきます』のときに手を合わせるのは、“宗教的行事”だからやめさせて欲しい」というお母さんもいらっしゃるとのこと。

ラジオ番組が大論争になったぐらいでございますから、こういった考え方をされる方が、世の中には結構な割合でいらっしゃるのでしょうね。ワタクシなどは、一人で食事をすることが多いので、さすがに声に出して「いただきます」は言いませんが、でも、根っからのご飯大好き人間でございますから、心の中のスゴイ大声で「イッタダッキ、マ〜ス」と叫んでいるものでございます。

でもさぁ、「いただきます」って、ただの“挨拶”じゃん。確かにさぁ、誰かにご馳走になったときには、その人に感謝の意として「いただきます」「ごちそうさま」は言うけど、そういったシチュエーションでの「いただきます」や「ごちそうさま」って、トッテモトッテモ“水商売的”あるいは“接待・被接待的”な感覚だよね。親が子供の教育として教える挨拶的な「いただきます」「ごちそうさま」とは、ちょっと意味合いが違うでしょ、と思うワタクシなのでございます。

きっと、幼少の頃に家族全員で食事をする機会がほとんど無く、若い頃から水商売にドップリ浸かっていたりすると、「いただきます」や「ごちそうさま」という言葉を、そういった水商売的・打算的な言葉としてしか考えられなくなるのでございましょうか。核家族化が進み、水商売に抵抗感が少ない現代社会では、そのような環境で育った人って、かなりいらっしゃるような気がします。そして、母親になり、子供にも同じような教育をする――とすると、こういった風潮は、これからも増えていくような気がするのでございます。

百歩譲って「いただきます」に“感謝”の意があるとしても、その感謝は、誰かにご馳走になったという意味合いだけではなく、“すべてのものへの感謝”の意味も含んでいるでしょ。たとえ自分が客として食べに来ているのであっても、そこには調理する人がいて、材料を作る人、運ぶ人がいて、そして人間の食物のために命を捧げたモーモーさんやブーブーさんなどがいるからこそ、お腹をいっぱいにできるのでございます。お金をどれだけいっぱい持っていても、そのお金は直接食べられないのでございます。

また、手を合わせるのが宗教的だから反対する、という意見もあるようでございます。もし宗教が「価値観や道徳観を教え伝える」ということであるならば、親が子供を教育することも、宗教以外のなにものでもございません。親は教祖であり、子供は信者でございます。「手を合わせることは、わが家の価値観や道徳観に反する」というご家族であればともかく、そこまで宗教というものを深く考えて、いただきますの手合わせに反対しているわけではないはずでございますよね。

どうか世の中のお母さん、「いただきます」「ごちそうさま」……こういった言葉を、打算的な意味合いではなく、世の中すべてのものへの感謝、そして、今自分が生きていることへの感謝、そういった意味合いでお子様方に伝えていただきたく思います。食べられる、今日も一日生きられる、雨露をしのげる、あたたかいお布団で眠れる……そういったことすべてを喜びとし、感謝することを「いただきます」「ごちそうさま」という言葉で教えていただきたいものでございます。

自分の心の中に「生きている」という実感がないと、他人に対しても「生きているんだ」という感覚で見られないものです。最近、ちいさな子供が殺されてしまう事件が頻発しておりますが、自分が生きているという実感がないため、ちいさな子供も人形のように殺せてしまうのでございます。大人になってからそのような「生」の実感が欠如していることに気づくというのは、大変不幸であり残酷でございます。なぜならば、成熟してから固まってしまった価値観や倫理観を変更するというのは、大変なエネルギーが必要だからでございます。

ちいさな子供をお持ちの親ごさん、どうか、子供さんがまだ白紙のうちに、「いただきます」や「ありがとう」という言葉のすばらしい意味を教えてあげて下さい。生きる上での大事なものを学ばずに成長してしまった悲しい悲しい大人にさせぬように、まだ小さなうちにあたたかい言葉をお母さんやお父さんの肌のぬくもりとともに教えてあげて下さい。お父さんやお母さんは教祖であり、子供さんはあなた方の熱烈な信者なのでございますから。

世の中には、ちいさな子供にまで銃を持たせるような国もございます。それを考えると、「いただきます」という語で大論争になるとは、日本は平和なんですよね。ではでは、今回は長くなってしまいました。次回をお楽しみに。バイバーイ。

P.S.そうそう、このメールマガジンのブログ化を申し込んでおります。次の配信は、HTMLメールの形で配信されることと思います。また、このメールマガジンの過去ログのページが、そのままブログとして利用可能になるはずです。詳細は次回に。

「名古屋薫のShe-mail」バックナンバーのページ
http://blog.mag2.com/m/log/0000009387(※このアドレスは、現在使われてません)

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