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2005年10月

2005/10/09

美しさは強さなり

3月に開催された愛知万博も、あっという間に半年が過ぎ、閉幕してしまいました。とうとう、一回も万博に行けなかったのでございます。って言うか、ワタクシ、人ごみが大っきらいでございまして、ノンビリこいている間にドンドン混雑度が増してしまいまして、行きそびれちゃったというのが真相でございます。

さて、ついつい細木数子さんの番組を見てしまうのですが、その細木数子さんのある番組でのことでございます。大勢の男子高校生が出演していたのでございますが、その大勢の中に、髪の毛を染め、爪にマニキュアを塗っている高校生がおりました。

高校生がマニキュアを堂々と塗ってテレビ出演...まったく、うらやましい限りでございます(ワタクシの高校生のときなどには、“自分の本性”がばれないように必死で隠し通しておりました)。ただ、そのキレイキレイ派の高校生(以下軟派)、同じく出演していた硬派の男気の強い別の高校生に突っ込まれ、押し黙ってしまっておりました。ちょっとカワイソウだったのでございます。しかし、その硬派と軟派、両極端な高校生を、わざわざ近づけて座らせる放送局側の演出も、なかなかに手が込んでてイヤらしいのでございます。

ことの始まりは、放送局側からのある質問でございました。「親に手を出したことがあるか?」という質問に対して、軟派の学生が「つっとばしたことがある(方言? 何となく分るけど)」と答えたのでございました。

すると、二人分ほど横に座っておりました硬派の学生が、「おまえ、親をつっとばすとは、どういうことだよ」と食ってかかったのでございます。受ける軟派、突然の伏兵にたじろぎまして、なにげに顔に手をやると、その指にはきれいなマニキュア。その指と染めた髪の毛に触発され、硬派の学生「おまえ、なに頭染めてんだよ」とマジギレの追い打ち。軟派、気色(けしき)ばむも、返す言葉を喉から出す勇気がなく、泳ぐ目...と、ここまでが番組内での出来事でございます。

どちらの子も、自己主張全開でかわいいものでございます。硬派の学生が主張しているのは「男気」。男っぽさということでございます。一方、軟派の学生が主張しているのは、ちょっと違うけど「女気」ということになりましょうか。今回は、この男気と女気がテーマでございます。

放送内の硬派学生は、やや過剰反応気味に突っかかっていっておりました。よく、男っぽさを表現しようとすると、「蛮カラ」と言うのでしょうか、粗野な表現をしてしまう人がいらっしゃいます。ホストさんやオナベさんなど、男っぽさを売り物にしている人に、ときどき見受けられます。

男っぽさを表現しようとして粗野になるのは、それは「男の醜い部分」のみを抽出して取り入れているからでございます。って言うか、男の醜い部分を男っぽいと勘違いして解釈しているのでございましょう。実は、真の男っぽさとは、もっともっと静かなものでございます。そこで、ワタクシが考える男っぽさを申しあげてみましょう。

例えるならば、「よく切れる刃物ほど力を抜いて使う」といった感じでしょうか。よく切れる刃物も、それを上手に使いこなすためには、やや控え目で繊細な力加減が必要でございます。男っぽさも同じでございます。心の中の男っぽさが強いほど、その男っぽさは控え目かつ細心の力加減で表現されるべきでございます。つまり、カッとなっても、グッとこらえる精神力の強さ、そして、いつも最小限の力で相手に接する余裕、それが男っぽさに要求されるのでございます。

では、女気の表現では? 女っぽさといえば、美しさでございます。実は、世の中というもの、「美しいものほど風当たりが強い」のでございます。先ほどの軟派学生も、髪や爪を飾り立てていなければ、もう少し風当たりが弱かったかも知れません。ましてや男子高校生でございます。男が美しく飾り立てるというのは、それだけで話題のネタにされてしまうのでございます。

美しくなればなるほど世間の風当たりが強くなるというのならば、その風当たりに対抗するにはどうすればよいのでございましょう? その風当たりに対抗するのは「心」でございます。姿が美しくなればなるほど、その美しさを支える強い心が必要になるのでございます。そして、男気と同じように、強い心ほど力を抜いて使う必要があるのでございます。

美しいからといってそれを鼻にかけて振り回せば、美しさが周りの人を傷つけることになります。美しさとともに湧き上がってくる自己顕示欲をグッと押さえ込んでこそ、始めて本当の美しさが表れるのでございます。そして、そのように凝縮された強い心でこそ、始めて世間の風当たりに対抗できるのでございます。

さぁ、ここである発見がございます。実は、男気も女気も、その心の持ちようでは同じということでございます。どちらも、自己顕示欲を押さえ込んだ強い心があって始めて、本当の男っぽさ、本当の女っぽさが表現できるのでございます。

実は、ニューハーフ・ゲイボーイさんには、男気が強い方が多いのでございます。大変艶やかで美しいニューハーフさんも、精神的な部分では非常に男っぽかったりすること多いものです。男気が強いから、本当の女っぽさも表現できるのかも知れません。ましてや、男が化粧するという非常識な世界に住んでいるわけでございますから、世間の風当たりはなおさら強うございます。美しさを支えている心も、さぞ強かろうということで、けだし、男気、女気、実は表裏一体なのでございます。

で、ニューハーフに独特の美しさがあるのは、この世間の風当たりに対抗する強い心があるからじゃないかと思うわけでございます。しかしながら、最近はニューハーフも市民権を得てきまして、世間の風当たりもだいぶ弱くなってまいりました。ニューハーフが世間に認められるというのは光栄でございますが、その副作用として、本当の美しさを見失ってしまうのではないかという危惧もございます。ワタクシも、古き良き時代を懐かしむ世代に入ってきているのでございましょうか?...

といったところで、今回は終わりにしましょうか。では次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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