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2005年9月

2005/09/29

ューハーフ、ニューヨーク(入浴)

いやぁ、とうとうマジックが“1”になっちゃいましたねぇ、プロ野球セリーグ。みなさんがこのメールマガジンを読んでいらっしゃるころには、優勝が決まっちゃっているかも知れませんね。その阪神優勝での恒例行事(?)といえば、そう、あの道頓堀ダイブでございます。実は、その道頓堀ダイブで有名な戎橋(えびすばし)を、先日の大阪出張の折りに見てきたばかりでございます。

その戎橋周辺、大変きれいになっておりました。川沿いには板張りの遊歩道が整備され、街中のちょっとした癒しスポットになっておりました。ただ、戎橋の欄干部分に設置された大きなガラス板の壁が、妙に不自然でございましたが、あれは飛び込み防止の壁だったのでございますね。いまさらながらに納得でございます。

前回の優勝時には何千人もの方が道頓堀川に飛び込み、死人まで出ているとのこと(人が死んでんねんで)。大阪府警はなんとかして、この道頓堀ダイブを阻止しようと躍起になっておりますが、なかなかどうでしょうかねぇ。あの優勝時の興奮を抑えられますでしょうかねぇ。そこで、ここはひとつ視点を変えて考えるのでございます。

飛び込みたいのなら、どんどん飛び込ませればいいのでございます。そして、川沿いにはたこ焼きやお好み焼きの屋台に混ざって、シャワーの屋台(?)、衣類の出店、立ち並ぶ急設更衣室(有料)...。どうですか、あきんどのまち、大阪らしく有りませんか? エッ、大阪のことバカにしているだろって? いえいえ、そうではございません。あまりにもふがいないドラゴンズのことを思って、ちょっと捨鉢(すてばち)になっているだけでございます。

さて、今回は前回ごあんないした、ニューハーフのお風呂騒動記でございます。そもそもワタクシ、生まれつき女っぽい顔立ちだったので、小さいころから女の子とよく間違えられておりました。青年期に入りまして自己主張の強いお年頃になりますと、何を思ったか金八先生のように髪の毛を伸ばしていたのでございます。

そうなりますと、首から上だけ見るとまったくの女性。そのような“紛らわしい”見目姿で銭湯、温泉の類に入りますと、とっても興味的な現象が起るのでございます。これからお話しすることは、ワタクシがまだまだニューハーフになる前、オッパイもなく、単なる女っぽい青年だった頃の出来事でございます。

まず、男湯に入った瞬間、脱衣所にいた面々が一斉にワタクシに注目いたします。中には、「ここは男湯ですよ」とご丁寧に教えて下さる方もいらっしゃったりいたします。そういった方々の懐疑的状況を昇華すべく、ワタクシ、脱衣所ではことさら男っぽく振る舞ったりしていたのでございます。とりあえず、さっさと下半身をあらわにして、小さなオチンチンを見せてしまう。そうすると、脱衣所の面々、世界の七不思議のひとつが解明したかのような安堵の表情を浮かべるのでございます。

そのような状況で、あとから男湯に入ってくる方々の反応が、これまた面白い。入ってきた瞬間、ワタクシの姿を見て、女湯へ間違って入ったと思うのでございましょうね。慌てふためき、一度男湯の外へ出て、男湯の看板を確認してから、まるで未開の地へ足を踏み込む探検隊のような顔つきで、もう一度男湯に入っていらっしゃいます。慌てて、男湯の戸口で、ひっくり返る人もいらっしゃったりいたします。どっきりカメラの仕掛け人の楽しさが、ちょっと分ったりいたします。

同じような出来事が、ワタクシが浴場内にいるときにも起るのでございます。この場合は、脱衣所から浴場への入り口で、タオル一枚で股間を隠した男性が慌てふためくわけでございますから、なかなかに楽しゅうございます。全国の女性のみなさん、男性というものは、服装で武装しているから強がっていられますけれど、裸で股間を隠している男性というものは、はなはだ無防備で脆弱(ぜいじゃく)なものでございます。世の奥様方、ダンナさんとの夫婦げんかは、ぜひぜひ、お風呂の中でやるべきでございます。

その後、ワタクシ、ニューハーフになってからは、オッパイもあり、男湯に入るにはいささか抵抗がございます。けれど、お店の慰安旅行などでは、旅の恥はかき捨てとばかりに、ニューハーフの団体で男湯へ突入したりもいたしました。オカマも数がそろうと堂々としているもの。むしろ他の男性が恐縮して、大きくなりかけた股間をしきりに隠したりするのも、なかなか楽しいものでございます。しかし、子供連れのお父さんが、「見ちゃダメ」と叱りながら子供の目をふさいでいたのには、こちらが恐縮してしまったのでございます。家族連れの方、ゴメンナサイなのでございます。

男風呂へ団体で突入したこともございましたが、ひとり旅の旅先などでは、余分なトラブルを避けるため、必要に迫られて女湯に入ったりいたします。裸の男性が、無防備で弱々しいと申し上げましたけど、一方、女風呂での裸の女性の方々は、大変堂々としていらっしゃいます。

多くの男性が浴場内で股間を隠すのに対して、ほとんどの女性は股間を隠しません。男性のオチンチンが隠さないと丸見えなのに対して、女性のアソコはうまい具合に隠れているということもあるでしょう。では、女性は丸見えのオッパイを隠すかといいますと、(中には隠す人もおりますが)ほとんどの人は丸出しでございます。お風呂での男女の立ち振る舞いの違いを考えますに、精神的に気丈夫なのは女性の方でございますね。女性の平均年齢が男性より長いのも、うなずける話でございます。

さて、都合良く男湯へ入ったり、女湯へ入ったりしていたワタクシでございましたが、天罰は下るもの。ある日、女湯でニューハーフであることがばれたのでございます。某レディースサウナへ行ったのでございますが、風呂上がりにくつろいでおりますと、女性の従業員の方に職務質問を受けることに。そして(アンパイアに暴言を吐いたプロ野球の監督のように)退場処分になったのでございます。

仮に、性転換したニューハーフが女性の戸籍を獲得し、姿、形、法律的にもまったく女性そのものになったとしても、女風呂に「元男性」が入ってくるということに抵抗感を感じる女性は、やはり存在すると思います。これは前回お話ししたスポーツクラブの更衣室なども同じことが言えます。体は女に変身していても、「男の心」「男の目」が残っていると思われるのでございましょうか。性転換して女の戸籍になったら何もかもリスタート...といかないところが、ニューハーフ・性転換のかなしい性(さが)なのでございます。

さあ、今日から阪神が6連敗して中日が8連勝したら、みごと中日ドラゴンズ優勝でございます(ありぇねぇ)。みなさまがこのメールマガジンを読んでいらっしゃる頃には、決着がついているのでございましょうか? フランク・シナトラが「And find I'm king of the hill - top of the heap」と歌ったように...ではでは、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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2005/09/21

身分証明書にも女装デビューがあるのよ

昨日(9/20)は、ちょっとした所用がございまして大阪へ出張しておりました。まぁとにかく、人が多いですね。梅田、難波、道頓堀、心斎橋と回ったのでございますが、連休明けの平日にもかかわらず、人、人、人の波でございました。そういえば、東京の渋谷、新宿といった場所も、平日・休日にかかわらず人が多かった覚えがございます。平日と休日とで人出に差がある名古屋は、まだまだ都会パワーが足りないのかななんて思った日帰り旅行でございました。

話は一気に飛んで、佐世保のヘリコプター墜落でございます。パイロット、観客にケガ人が出なかったのは不幸中の幸い、よかった、よかったなのでございます。でも、ね、「墜落原因が解明するまでは、同じ型のヘリコプターを飛行中止する」ってのはどうよ。それって、ブランコで子供がケガしたから、全国のブランコを撤去するなんていうお話しと同じじゃございません?

ヘリコプターといえども、一応「兵器」ですから、あれ。 戦闘兵器が落ちて、そのたびにいちいち飛行停止していたら、戦う道具なくなっちゃうじゃん。っていうか、いやぁ、ワタクシには、パイロットのこんなセリフが聞こえたような気がしたんですけどねぇ。

「このヘリ、ボロボロだよな。ケガしない程度に落っことしちゃおうか? そうすれば、新しいの買ってもらえるし」...
さて、本題。「そうだ、選挙へ行こう!」というわけで行ってきました、投票へ。結果はみなさんがご存じの通りなのでございますが、今回は政治の小難しいお話しをするつもりはございませんのでご安心を。こういった社会的行事の際にニューハーフが必ず遭遇するトラブルがございます。そう、本人確認のトラブルでございます。今回はニューハーフが身分を証明する際のアータラコータラがテーマなのでございます。ではではでは、ごゆっくり、どうぞ〜。

さてその投票でございますが、案の定、本人確認でドタバタでございます。そりゃ、ロングヘアーでCカップのオッパイがついているのに、名簿に「男」って書いてありゃ、受付のオバチャン、パニくるのも当然。生年月日を聞かれて、出来るだけ低い声で答えるワタクシ。それで、なんとか理解してもらった雰囲気。でも、ワタクシの後、1時間後ぐらいに同じ場所へ投票しに行ったデカパイニューハーフの親友も、同じようにドタバタしたもよう。オバチャンたち、学習能力無さ過ぎです。

まぁ、今回の投票所のオバチャンたちは、けっこう年配の方でいらっしゃったし、たぶんボランティアの方々でしょうから、ワタクシのような「やや不測の事態」には驚かれたことでございましょう。では、一日に何百人も本人確認をしている窓口ではどうでございましょう? 一日に何百人? 何を想像されますか? そう、運転免許の更新でございます。

免許証の写真というと、大変厳格そうな印象がございますが、ワタクシ、毎回女装したままで、スムーズな手続き、(ゴールド免許の)簡易講習で、アッサリ更新しております。どうやら、「前回更新時の写真に比べて大きな変化がなければOK」のようでございます。「前回更新時と比べる」ということは...そうです、男から女に変ったあとの最初の更新、免許証女装デビューのときが大変だったのでございます。

ワタクシの“免許証女装デビュー”のときは、書類提出後30分ぐらいたっても、いっこうに名前が呼ばれないのでございます。窓口の奥の方では下っ端と上司が何やら相談している様子。あるいは、変った人が来たと、ワタクシの写真をみんなで回し見していたのかも。今からカナ〜リ前の話でございます。ニューハーフが一般化したこんにちでは、もっともっとスムーズなのでございましょうね。

あと、それから、病院で診察券を作る時も、「男」に印を付けているのに、出来てきた診察券を見ると「F」(=Female)になっている... もっとも、ワタクシの本名が男とも女ともつかない名前なので、看護婦さんも気がつかないのでしょうが、もし男性が飲んじゃいけない薬を処方とかされちゃって、命にかかわるかもしれないので(アハハ)、ちゃんと直してもらいます。エッ、女として扱われてうれしくはないのかって? いえいえ、命にかかわることですから、病院では女ぶりません(キッパリ)。

そうそう、大事なものを忘れておりました。パスポート。このパスポートの写真はなかなか奥が深い。なにしろ、日本でこそニューハーフと言えば小学生でも知っていますが、世界の中には「女装=危険人物」なんて考え方の国があるかもしれない。女装のまま入国しようとしたら、その場で銃殺刑なんてシャレになりませんからねえ(ありぇねぇ)。

まぁとにかく、余分なトラブルを引き起こさないためにも、パスポートの写真はスッピン風で撮っております。アッ、スッピン“風”っていうのは、スッピンで眉毛だけかいた状態ね。眉毛ないと、今度は別の意味で危険人物“風”になっちゃうからね。

以上これらは、身分証明書などを作るときのトラブル。このほかに、「身分が明らかになって起るトラブル」なんてのがございます。例えば、スポーツクラブの申し込み。氏名欄をみて男だと分かると、とたんに申し込みを断られたりする。やはり、脱衣所を男と女、どちらに割り振っても問題が起きるからでございましょう。

さらに、銭湯・温泉の類。温泉などは、ニューハーフ仲間数人で、ガチャガチャ言いながら男湯に入ったりしたこともございました。旅のハプニング、それもまた、いとおかし...なのでございます。ところが、銭湯、サウナにいたっては、そのような遊び心は通用いたしません。男湯に入れば見せ物。女湯に入れば通報される。ワタクシなどは、女ぶって女湯に入り、番台に通報され、出入り禁止になった銭湯が名古屋にひとつ、東京にひとつございます。若さゆえのあやまちなのでございます。

そのお風呂がらみのお話しでは、なかなかいろいろなハプニング話があるのでございますが、それはまた次回にでもお話しいたしましょうか。

ほとんど女にしか見えないニューハーフ、あるいは性転換したニューハーフなら、女湯に入ってもいいじゃないか。こういった考え方もあるでしょう。しかし、たとえ性転換していても、“元”男な人が女風呂に入ってくるのを大変嫌う女性がいらっしゃるのも事実です。戸籍の性別を変えられるようになり、男と女の壁が、徐々に低くなろうとしている昨今ですが、男湯と女湯の壁は依然高いままのようでございますね。

では今回はこのへんで。次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2005/09/10

世界幸福も、急がば回れ

全国的に、投票前日でございます。でも、街中はそれほど選挙という雰囲気ではないのでございます。そういえば、最近はクリスマスやお正月なども、濃い飾り付けや大音量のBGMなども少なく、季節色が薄くなったのでございます。

まぁ、ワタクシが子供心を失って、季節感に関して鈍くなっているのかも知れませんね。そういえば、子供のときっていうのは、始業式、終業式、春・夏・冬休みなどというものがございまして、季節感満載でございます。

でも、それにつけても最近のガキ(失礼)、いやお子様方は、お休み多すぎでございます。週休二日制なんて言語道断。小さなころから休み癖をつけさせるから、ニートなんてしょうもないものが増えるのでございます。育ち盛りのお子様には、お休みは盆と正月だけで十分でございます。いえ、別に、ワタクシが年中無休でお休みを取りにくいから、ひがんでいるわけではございませんよ。ええ、別にひがんでませんとも。

さて、みなさんご存じでしょうか? 本日9/10は「ホワイトベルトデー」という運動の日だそうでございます。ホワイトベルトというのは、飢餓で死んでいく子供たちを救おうという運動のシンボルなのだそうでございます。でも、どうして9/10なのかは、ワタクシもよく知らないのでございます。ユニセフのような本格的な募金活動ではないようなので、あまり興味がないのでございますが、3秒にひとり、子供が餓えで死んでいっているというのは驚きでございます。

餓えで多くの子供が死んでいる国もあれば、売れ残りのコンビニ弁当を大量に処分している国もございます。では、売れ残らないように弁当の生産を少なくするとどうでしょうか? こんどは下請けのお弁当工場のパートのおばちゃんがリストラされてしまうのでございます。大量生産、大量消費、大量廃棄。このように、大量の物資を常に流通させ続けなければ、そのバランスを崩してしまうという今の経済の構造って、なんだか、泳ぎ続けていないと窒息死してしまう鮫(さめ)のようでございます。これも現代社会の必要悪なのかもしれません。

そんな思いを馳せながら、コンビニやスーパーの陳列棚を眺めますと、「捨てられるために生まれてきたんじゃない!」って叫んでいる家畜たちの声が聞こえてきそうで、哀れなものでございます。そのため、コンビニ弁当や外食とか、ついつい「ちょっと量、多いな」って思っても、完食しちゃうんですよね。あぁ、いけない、いけない。これが太る原因のひとつなんですよね。ダイエットの心得は「のこす勇気・すてる勇気」。でも、なかなか出来ないんですよねぇ、これが。アッ、のこせないのは、生まれ持った“貧乏性”のせいかも(笑)。

また、大量流通地獄は“食”だけではございません。“衣”や“住”に関しても同じでございます。“クールビズ”なんてのを、政治家が先頭切って始めたりいたしますと、売上の落ちたネクタイ業者から猛烈な抗議が来たりするのでございます。あの半袖シャツの(ショボイ)いでたちは、外回りの営業さんなど実際問題として無理でしょ。そして、冷房の温度を28度に設定って、客商売でそんなことしていたら、お客さん誰も来なくなっちゃいますです。

食料危機やエネルギーの枯渇は、近い将来必ずやってまいります。その近未来の危機を見越した地道な運動も、今日・明日の生活に追われている人達にとっては、現実を無視した理想論なのでございます。5年・10年後への備えよりも、今月の支払いの方が先決、といったところでございましょうか。実は、現実問題を解決しつつ理想の形に近づけるというのは、理想や目標を大きく掲げると難しくなるのでございます。

やや険しい山への登山を想像していただきたいのでございます。直接頂上を見せて「あそこへ上りましょう」なんてやったら、厳しい傾斜を直線コースで上っていくことになります。屈強の登山大好き人間でもない限りウンザリでしょ。確実に頂上へ誘導するには、ジグザグの登山道を上らせるのが有効でございます。全行程をすべて示してしまうと、その長い道のりにウンザリしてしまうでしょうから、そこは言葉巧みに、誉(ほ)めたり、宥(なだ)めたり、煽(あお)ったりといったことも必要でございます。そして、気が付いたら頂上へ着いていた、なんてことになればいいのでございます。

毎度のごとく、ちょっと脱線でございます。小泉総理の郵政改革も、山の頂上をいきなり目指しているようにも感じられますが、大きな改革には勇断(独断?)が必要なこともございます。極端な例ではございますが、民主政治よりも良質な独裁政治の方がうまく機能することもございます。さて、今回の選挙は、どんな結果になるのでございましょうかね?...

本題に戻りましょう。理想を追求するときには、必ず現実の細かい問題が足かせ手かせになってまいります。強引に理想を追求すれば必ず無理が生じます。そこで、自分の理想点をはっきり持ち、現状点もきちんと把握する。2点が決まれば後は簡単。「少しでも理想点に近づく方向ならどこへでもいいから、現状点から今出せる一歩を踏み出す」。これでいいのでございます。ジグザグな行程になるかもしれません。長い道のりになるかもしれません。でも、ひとつずつの歩みは必ず理想点に近づいていくのでございます。

ニューハーフの世界でも、いきなり理想点に近づこうとして無理する人が、ときどきいらっしゃいます。美容整形やホルモン療法とか、もうムチャクチャやっちゃって、心も体もボロボロになったりしております。また、急に美しくなった人は、美貌の変化に心がついて行けず、容姿と心がアンバランスになったりする人もございます。美しさの世界でも「急がば回れ」なのでございますよ。

さて、冒頭のホワイトベルトの件ですが、3秒にひとり子供が死んでいくのは驚きですが、では、その子供たちがひとりも死なずに成長したらどうでしょう? 急激に食料不足・エネルギー不足が到来し、人類滅亡の危機に発展するかもしれません。また、自然界の摂理として、生き残りが困難な種ほど一度に多くの卵を産卵するという事実もございます。多産多死の地域というものは、それはそれで自然の摂理に即しているという考え方は、(ある意味残酷ですが)できないでしょうか? 現実問題に矛盾せず、さらに死んでいく子供も救おうとするには、まだまだ多くの紆余曲折があるのかもしれませんね。

ではでは、次回をお楽しみに。名古屋薫でした

P.S.
そうそう、ホワイトバンドデーに際して、東京タワーでは、本日(9/10)の19:00から23:00まで、特別イルミネーションを行なうそうでございます。お近くにいらっしゃる方は見られるかもしれませんね。

(ちなみに)
ほっとけない世界のまずしさ
http://www.hottokenai.jp/

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2005/09/04

夏の終わりに

いやぁ、こちら名古屋はすっかり秋らしくなってまいりました。みなさまの地方では、いかがでございましょう? この秋っていうのは(まぁ、春もそうなんですけどね)、まったくもって突然やって来るものでございますね。ある朝気がつくと、風は澄みわたり、空ははるか上空に高く、そして何か、もの悲しい心持ちにさせられるのでございます。秋に“触れた”瞬間でございますね。

さて、先日、お友達のお母さんが亡くなられて、その葬儀参列のため、神奈川方面まで行ってまいりました。今年に入ってから3度目の葬式でございます。お葬式の当たり年とでも申しましょうか、まあ、何ですな、お葬式ばかりで、なんだか、お葬式がちょっとしたマイブームでございます(不謹慎、失礼)。

いままでこの歳まで、お葬式というものにあまり縁がなかったのでございますが、いざ参列するとなると、まったく予備知識なしでは心もとございません。いろいろ下調べをしたりしておりまして、お葬式や人が亡くなるということに対し、再認識をさせられることがございました。

まず、お葬式は“けっして不吉なことではない”と、よく言われます。清めの塩を不必要とする宗派もあったりいたします。みなさまがた、どうやら死ぬということは人間として“めでたい”ことのようでございます。この世に生まれることのめでたさと同じように、死ぬこともめでたいのでございます。オット、こう書くと、名古屋薫は集団自殺を勧めていると誤解を招きそうでございますね。いやいやそうではございません。“死ぬ”ことと“自分を殺す”ことは、まったく別でございますからね、念のため。

最近、人を見送っておりますと、死ねる人がうらやましく思えてまいります。逆に言うと、生きるということは、とてつもなく大変で苦しいことでございます。自分の“生”に、真剣にとり組めばとり組むほど、どんどん苦しくなってまいります。自分が生きるだけではなく、他人も“生かそう”なんて思ったら、それこそ他人を生かすために自分が死ぬ思いをすることになったりいたします。まるで、オスカーワイルドの「幸福の王子」のようでございます。

あっ、そうそう。この「幸福の王子」っていう童話、原作には王子とツバメとの愛情表現やキスシーンなんかがあったりいたします。愛するがうえの自己犠牲であり慈悲の行いなんですよね。艶っぽい部分をカットした子供向けの「幸福の王子」しか知らない方は、ぜひ原作も読んでみてくださいませ。深い深い大人の愛を読み取れるはずでございますよ。と、閑話休題。ちょっと脱線しましたので、本題に戻りましょう。

自分の生きてきた何十年という歳月を思い返すと、なんともアッという間の出来事に思えます。自分の前にはダラダラと未来が続いているというのにね。1月に亡くなったワタクシの母親も、やはり自分の人生を思い返して、アッという間だったんじゃないかと、思うのでございます。そして、もしワタクシが死ぬときにも、やはり自分の人生ってあっという間に感じるのでございましょうね。

“生まれる”という瞬間があって、全力疾走で“生き”、そして“死ぬ”という儀式がある。こう考えると、人間の一生ってのは、長いようで実はほんの一瞬の出来事なのかもしれません。その短い一瞬の中で、笑ったり泣いたり、出会ったり別れたりしているのでございます。運命というレールの上を黙々と走らされ、あらかじめ決められたスケジュールを淡々とこなしていく。そして、すべてのスケジュールをやり終えたとき、振り返るとその全行程はアッという間だった。そんなものなのでございましょうか、人生って。

人生をそう考えると、自分は“生きている”というよりも、“生かされている”と思えてくるのでございます。なんだか他力本願な消極的なイメージと思われるかも知れませんが、そうではございません。生かされているというのは、“自分はやがて必ず死ぬ運命なのだということを受け入れる”ということでございます。“死にたくない”と思うと、人生ってドンドン苦しくなるでしょ。“死に向かって全力疾走する”って考えれば、生きること死ぬことすべてが、ワクワクとしたものに思えてきませんか?

身近にいるかけがえのない人を失うと、あぁ自分もいつかは死ぬ運命にあるのだと思いしらされます。そして、今までの人生が、なんとも一瞬の出来事だったことだと感じさせられます。こんな感傷的な思いにさせられるのも、秋の到来のせいでしょうか? “死”という重たいテーマで恐縮でしたが、お盆も過ぎ、夏の終わりのテーマとして、書いてみました。

実は、今回のテーマにピッタリのフラッシュムービーがございます。あまりにも有名なムービーなので、ご存じの方も多いかも知れませんね。今回は、そのムービーを紹介して締めくくりましょうか。では、ご鑑賞下さいませ。

Walking Tour(作者不詳)
http://www.02.246.ne.jp/~catapila/flash/walkingtour.swf

さあ、秋の到来ともうしましても、名古屋の夏は残暑が厳しくてございます。9月下旬までは気が抜けないのでございます。みなさま方も季節の変わり目、お体などご自愛くださいませ。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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