名古屋薫のお掃除基本原論
観客のいないサッカーの試合、なかなかに臨場感があってよろしかったのでございます。先日行なわれたワールドカップ予選「日本対北朝鮮」は、観客のいないスタジアムで行なわれたのでございます。選手同士の声のかけあいや、監督の怒鳴り声などもはっきり聞こえてまいりまして、普段とは違った趣(おもむき)があって、なかなかよかったのでございます。でも、Jリーグが設立される前のサッカー中継って、いつもあんな感じでしたよね。アッ、これは禁句かな? というわけで、一週間のごぶさたでございました。名古屋薫でございます。
さて、今日の話題は「お掃除」でございます。唐突な話題でございますが、たまたまワタクシが今朝、小一時間かけてバスルームをピカピカに磨き上げているときに思いついただけでございます。まあ、おつきあいのほどを、では、はじまり、はじまり〜、でございます。
かなり以前のことでございますが、ある漫画(たぶん『はぐれ雲』の中の一節)を読んでおりまして、こんな文を見つけたのでございます。
「清潔とは物が新しい事でも、汚れが目立たない事でもなく、けだし、名言でございます。新しいとか古いではなく、気配りが行き届いているかどうかということでございますよね。新しいものでも、持ち主から忘れ去られたものには埃がたまってまいります。埃がたまりますと、光るべきものでも雲ってまいります。逆に、古くて傷だらけのものでも、その持ち主が常に心にかけているものには、埃はかぶらないでしょうし、輝きも失わないはずでございます。
傷ついていても、埃(ほこり)の無い事、光るべきものが磨かれ輝いている事」
ワタクシ、自分のお部屋にかんしては、お掃除は「鹿威し型」でございます。鹿威し(ししおどし)ってのは、あの、日本庭園の池なんかによくあって、水を注ぎ込まれた竹筒が、ときおり「カーン」と、かんだかい音を発するアレでございます。つまり、ある程度汚くなってきて我慢の限界を超えると、せきを切ったように徹底的な大掃除を始めちゃうタイプでございます。掃除としてはあまりいい見本ではございません。むしろ、悪い見本でございます。
プライベートなお掃除に関してはなかなかにルーズなワタクシですが、自分のお店のお掃除に関しては、逆に大変な几帳面でございます。几帳面すぎて従業員がノイローゼになりかけたりもございました。それで最近は、ちょっと遠目で従業員のお掃除をチェックしたりしております。そのワタクシが、いままでの歴代の従業員に指導したお掃除のしかた、名古屋薫の「お掃除基本原論」を今回は紹介しちゃうのでございます。
まず、男性というのは、おおむね、お掃除の苦手が多うございます。「四角い部屋を丸く掃く」といった、その語のままのお掃除をおやりになったりします。そして、男性のお掃除は力まかせでございます。これは、「掃除をした」といった行為そのものに神経が集中し、その目的にまで考えが及んでいないからでございます。行為の目的(掃除の目的)とはつまり、「埃・ゴミの確保」でございます。確保対象物の忍んでいる場所を特定すれば、お掃除の仕方も自ずから変ってくるのでございます。
フローリングの場合は、埃は部屋の隅に集中しております。真ん中はどうでもいいのでございます。隅を丁寧になぞっていくことがお掃除のコツでございます。また、畳やじゅうたんでは、埃は表面の奥深くに忍んでおります。全面を丁寧にくまなくなぞっていくことが肝要でございます。掃除機を使う際、水夫がデッキブラシで甲板を磨くような大きな動きはダメでございます。ハケでペンキを塗るような、丁寧で繊細な動きでなければいけないのでございます。そこで原論1でございます。
原論1:行為よりも目的を重視すべし。
埃というもの、とかく物の裏側や下に潜り込むものでございます。動かせるものは退(ど)かして、軽く掃除機の先を差し込んでおくべきでございます。ベッドの下なども、毎日軽く埃を吸い込んでおくべきでございます。掃除のやりにくい場所は、この「軽く、毎日」というのがコツでございます。それだけで、意外に埃はたまらないものでございます。この、見逃しやすい部分に軽い気配りが出来るかどうか、大変重要でございます。そこで原論2。
原論2:視野は広く。そして、すべてに軽い気配りをすべし。
お掃除の次は「お片づけ」でございます。飲食店などでは「テーブルを新品にする」なんていう言い回しをいたします。次に使用するお客様のために綺麗にするという意味でございます。このとき、綺麗にするだけではなく、「前のお客が使った形跡(気配)までなくす」ことが重要でございます。ものを置くのならば整然と、ある意味機械的な配置がちょうどいいぐらいでございます。ホテルなどのお部屋のセッティングを思い浮かべていただければ、イメージがわくことでございましょう。この前の利用者の気配をなくというところが、「新品にする」という言い回しの由来でございましょう。お客様にお出しするようなものには、このような気配りが必要でございます。そこで原論3でございます。
原論3:ときには気配(けはい)まで掃除すべし。そこにお掃除の真髄あり。
以上、お掃除三大原論を考えまするに、お掃除とは「物に対する気配り」、そして「使う人に対する気配り」であるのでございます。新しいとか古いとかなんてあまり関係ないし、ぱっと見が綺麗でも裏側が汚かったりすると、そこで底意地が悟られてしまったりするものでございます。また、見かけの美醜だけでなく、その場の気配までお掃除できるかに、お掃除の深さがあるのでございます。
常に人の心にかけられている物は、埃をかぶることなく輝きを保ったままでいられます。アイドルやニューハーフなども、同じようなことが言えます。人の注目を浴び、聴衆(お客さん)の視線という緊張感にさらされていると、ドンドン綺麗に、そして輝きを帯びてまいります。逆に、人々から忘れ去られると、ドンドン埃が積もっていく...あぁ、考えたくない、考えたくない。
といったところで、失礼いたしましょうか。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。
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