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2005/05/01

急がばゆっくり〜福知山線脱線事故によせて

「夜汽車の窓から流れゆく景色を眺めていると、暗闇の中、遠くの方でポツリポツリと小さな灯りが見える。そのゆっくりと動く小さな灯りのひとつひとつに、家庭があり、団らんがあり、喜びがあり、小さな幸せがある」。フーテンの寅さんに、こんなセリフがあったような気がします。

ワタクシも夜汽車は好きでございます。学生のころ、ワタクシは音楽家を目指しておりました。週に2回ほどでございますが、授業後に慌てて電車に飛び乗り、先生の自宅でレッスンを受け、そしてほとんど終電間際の電車で帰宅するという日々がございました。通学と練習とレッスンとに明け暮れ、何の確証もない未来に夢をはせながら、帰途、乗客の少ない客車の中で、窓の外を流れていく灯りをぼんやり見つめておりました。夢にあふれ、恐れも知らず、青々しい青年期(?!)の思い出は、終電間際の夜汽車(夜電車)の思い出でございます。

同じように将来に夢をはせた少年がおりました。小さなころから「新幹線の運転士になるんだ」という夢を持ち続けた彼は、卒業後JRに入社し、やっと念願かなって運転士になれたのでございました。しかし、夢が叶ったのもつかの間、先日100名以上の死亡者をだす大事故を起こし、自らも運転席に座ったまま逝ってしまいました。乗客の笑顔や、運転席の誇らしげな自分の姿に憧れて夢を実現した彼も、現実世界の過酷な規則と叱責する上司とに囲まれて、いったい何を思ったことでしょう。それも今はもう、はかり知ることは出来なくなりました。

ワタクシは正月早々に母親を亡くしております。が、つい最近にも、かけがえのない友人を一人、失っております。連絡がつかない友人を心配してその部屋を訪ねると、持病の潰瘍からの大量出血が原因で息絶えている友人をワタクシが発見したのでございます。出血のため急激に意識が遠のき、連絡する間も無かったのでございましょう。眠るように死んでいったのが何よりの救いでございます。結局、ワタクシはこの数ヶ月の間に、二人のかけがえのない人の死顔(しにがお)を見るはめになってしまいました。

列車事故のニュースで、犠牲者の顔写真が映し出されますと、その犠牲者の顔と、ワタクシが見送った二人の顔が重なり、あふれるように涙が出てまいります。死んでいった方々は、さぞ無念でしょうね。そして、残していく遺族のことが心配だったでしょうね。残された遺族の方々も、そのやりきれない怒りや悲しみは、大変なものだと思われます。たった一人の運転士の判断ミスで、100名余の命が失われてしまうという現代社会の事実、何か事故が起るたびに思い知らされます。

でも、どうか、運転士や車掌を責めるのはやめましょうよ。もし、彼らを責める声を聞いても、聞き流しましょうよ。詳細な事故原因はまだ報告されておりませんが、事故を起こしたいと思って乗務している運転士は一人もいないはずです。この事故は“鉄道”という大きなシステムが引き起こした事故であり、運転士もその犠牲者の一人なのかも知れません。多くの乗客の命が失われた無念さと同時に、この運転士が不憫(ふびん)でしかたがありません。

今回の事故は、運転士が自らのミスによる遅れを取り戻そうとしての高速運転が原因などと報道されております。ワタクシなども、基本的にオッチョコチョイな性格でございますので、忙しいときに慌てたりいたしますと、ミスを犯す確立がグーンと跳ね上がったりいたします。それゆえに、

「忙しいときほどゆっくり動く」
これが私の行動パターンでございます。忙しいときに慌てまくっても、短縮できる時間などほんの数秒〜十数秒でございます。慌てまくったあげくに何かミスを犯したりしたら、ますますロスタイムが増えていくばかりでございます。忙しいときほどゆっくり確実に行動する、これが結果的には一番近道なのでございます。

また、お店のスタッフが慌てまくるというのは、お客様に不安を与えるだけでございます。バタバタと慌てまくって急いでも、お客様には「落ち着かないし、店員も手際が悪いな」なんて思われたりするものでございます。

逆に、たとえ頭の中はパニクっていても、ハッタリかまして堂々と接客したりしますと、意外とお客様は“待たされた”という気がしなかったりいたします。急いでほんの数秒を稼ぐことよりも、たとえ数十秒〜数分待たせても、お客様に“待たされた”という印象を与えなければいいのでございます。

病院の看護師や旅客機のスチュワーデス(ド)は、あまり勤務中に“走って”欲しくない職業でございます。そういった方々の走る姿は、患者さんや乗客に不安感を与えます。何が起きても、何を見ても、にっこりと微笑んでいていただきたいものでございます。

同じように、列車の乗務員の方々がオーバーランのようなミスをたとえ犯しても、「よくあることさ。Take it easy! こんなときこそ確実にいこうぜ」と思える土壌があれば、一人の運転士をここまで追いつめることもなかったのではないでしょうか。自らのミスで慌てふためき、そのミスの埋め合わせをするためにさらなるミスを犯す。こんなことはほかの職種でも十分考えられることでございます。この事故を、多くの別の職業でも教訓にしていただきたいものでございます。

今回の事故は、国鉄の民営化をきっかけに、JRが安全を軽視した経営姿勢を行なってきたことが要因のひとつと言われております。この事故と時期を同じくして、郵政民営化の法案が決定したりしております。民営化がらみの話題で、なかなか複雑な心境でございます。

また、事故を起こした客車にはスピードを制御する機能がほとんどなかったということでございます。一方愛知万博会場では、最新の乗り物が数センチのレベルで自動制御され、無人で乗客を運んでいたりしております。まったく皮肉なものでございます。

安全が一番。みんな、たとえ電車が数分遅れたりしても、駅員に怒ったりしないようにしようよ。そして駅員さんも「乗客のみなさんのご協力により、安全に運行できました」って言いながら、堂々と遅着できるようになるといいね。では、今回はこのへんで。

最後に、JR福知山線での事故で亡くなられた100余名の方々の冥福を、心よりお祈りいたします。名古屋薫でした。

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