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2005年5月

2005/05/13

一世一代のネガティブフィードバック

愛知万博が順調そうでございます。アンデス共同館も、本日、50日遅れで開館したそうでございます。しかし残念なことに、ほんの一部の外国人スタッフの中で、バックレる(トンズラ)人がチラホラ出てきているそうでございます。いろいろ事情があるのでしょうが、外国からいらっしゃったスタッフの方も大変でございます。開幕当初、非常に厳しい手荷物チェックを入場者にしておきながら、スタッフの逃亡を許してしまうというアンバランスさ、万博運営の難しさの一面でございます。

さて、前回のメールマガジンでは、「急ぐときほどゆっくり」と申し上げました。急ぐときほどゆっくり――何とも漠然としたワケワカラン言い方でございます。実は、この“あえてゆっくり動く”という行動パターンには、緻密なメカニズムがあるのでございます。今回は「ゆっくり急ぐ」の名古屋薫流講釈でございます。

人間というもの、緊張するとアップテンポになるのでございます。アップアップするという言葉もございますように、テンションがあがりますと、自分でも気がつかないうちに、物言いや立ち振る舞いが早回しになるのでございます。そうしますと、普段のテンポなら余裕で出来ていたことが、早回しのために思考速度や運動神経が追いつかなくなり、間違いをしでかす。つまりここに、「忙しい→無意識に早回し→限界超える→やってもうた(小さなミス)→ますます忙しくなる→ふりだしに戻る→大きなミス」という悪循環の図式が成り立つのでございます。

さあ、この悪循環アップアップサイクルを断ち切るには、前述の図式の2番目「無意識に早回し」の時点に注目でございます。忙しくなって早回しになり始めたら、「ゆっくり、ゆっくり、確実に行こうぜ」と自分に念を押すのでございます。結果的に、「早回しベクトル」と「ゆっくりベクトル」が打ち消すかたちとなり、気持ちは焦りつつも行動スピードはいつも通りのマイペースということになるのでございます。よく言われるところの「ネガティブフィードバック」というやつでございます。世の中の、ほとんどの制御回路に使われているこの仕組みを、人間様が使わないのはもったいないのでございます。

しかしながら、いくらマイペースが確実とは言え、忙しいときに急がねばならぬときもございます。そのようなときには「ポジティブフィードバック」でございます。忙しくなったら自分を早回しにするのでございます...って、最初の悪循環アップアップサイクルとはどう違うのかって? それは、自分の限界点を意識しつつコントロールされているという点でございます。当然、通常動作時に十分な余裕をもって行動している人でなければ難しいです。また、限界を超えないために、ネガティブフィードバックとの併用が必須でございます。いやむしろ、心の中にポジティブフィードバックしか持ち得ない人というのは、単なる“暴走”でございます。

以上のフィードバックというもの、これは、何か変化が表れたらそれに対応するという“後手”の手法でございます。しかし、世の中は先手必勝、先手を打つ「フィードフォワード」という技術もあるのでございます。つまり、忙しくなるのをあらかじめ予測して、それに合わせて前準備をしたり、テンポアップをしておいたりといった行動でございます。未来を予測するわけでございますから、制御回路などでも、このフィードフォワードというのは、なかなかに高度でございます。人間様でも同じこと。このフィードフォワードを実行するためには、多くの経験の蓄積が必要なのでございます。球技や格闘技に分類されるスポーツなどは、このフィードフォワードの固まりのようなものでございます。

さてさて、以上が「ゆっくり急ぐ」のメカニズムでございます。ひとえに、ゆっくり急ぐとは「己を知る」ということでございます。自分の得手・不得手、限界点などを十分知り尽くしていれば、忙しくなっても慌てなくてすむということでございます。心が慌ててなければ、マイペースを維持するのも、限界ギリギリまで行動するのも自分の想定の範囲内でございます。そして、すべての基本はネガティブフィードバック。もし想定の範囲外の出来事に遭遇したのなら、とりあえずネガティブフィードバック、つまり、「まず、落ち着け」でございます。

この「己を知る」ということ、ほかにも応用例がございます。たとえば、ミスをして、いつも「自分は物覚えが悪いんですよ」と言い訳をする人がいたりします。せっかく「物覚えが悪い」と自分のことを知っているのだから、メモを取ればいいのでございます。世の中のいわゆる「物覚えのいい人」というのは、ただ単にメモの取り方が上手なだけかもしれませんよ。

また、同じ間違いを何度もする人がいたりします。こういった人は、間違いを犯しそうなポイントで、振り返るなり読み直すなり、「確認する」という動作をすればよろしいのでございます。世の中のいわゆる「ミスの少ない人」というのは、この確認するという動作を無意識のうちにやっているだけなのかもしれませんよ。

そしてさらに、前述のネガティブフィードバックとポジティブフィードバックは、動作の制御だけでなく、「心の制御」に使われたりもするのでございます。上司が部下の問題部分を指摘して、それを改善するような気持ちにさせるネガティブフィードバック。また、部下がよい結果を出したときには、それをステップにしてさらに上の目標への意欲を起こさせるポジティブフィードバック。これらすべては、自分はもとより、他人の長所・短所、得手・不得手が分かっていないと難しいものでございます。まさに、己を知り、他を知る、でございます。

生意気なことをさんざん申し上げてまいりましたが、不測の事態に際して平常を維持するというのは、なかなかに難しいものでございます。まだワタクシがニューハーフになる以前のこと、「あしたからニューハーフのお店で働くからね」と突然母親にカミングアウトした際、ワタクシの母親は、「アッ、そう、分かりました」と返事をしただけでございました。そのときの母親が、一世一代のネガティブフィードバックで平静を装ったのか、あるいは、母親の持つ天性のフォードフォワード能力で、息子の異変をあらかじめ予測していたのか、それは、今となってはもう分からないことでございます。

ゆっくり急ぐということ、勝手な解釈でドンドン書きつづってまいりましたけど、少しでもみなさま方の生活のお役に立てれば幸いでございます。それでは、今回はこのへんで。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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2005/05/01

急がばゆっくり〜福知山線脱線事故によせて

「夜汽車の窓から流れゆく景色を眺めていると、暗闇の中、遠くの方でポツリポツリと小さな灯りが見える。そのゆっくりと動く小さな灯りのひとつひとつに、家庭があり、団らんがあり、喜びがあり、小さな幸せがある」。フーテンの寅さんに、こんなセリフがあったような気がします。

ワタクシも夜汽車は好きでございます。学生のころ、ワタクシは音楽家を目指しておりました。週に2回ほどでございますが、授業後に慌てて電車に飛び乗り、先生の自宅でレッスンを受け、そしてほとんど終電間際の電車で帰宅するという日々がございました。通学と練習とレッスンとに明け暮れ、何の確証もない未来に夢をはせながら、帰途、乗客の少ない客車の中で、窓の外を流れていく灯りをぼんやり見つめておりました。夢にあふれ、恐れも知らず、青々しい青年期(?!)の思い出は、終電間際の夜汽車(夜電車)の思い出でございます。

同じように将来に夢をはせた少年がおりました。小さなころから「新幹線の運転士になるんだ」という夢を持ち続けた彼は、卒業後JRに入社し、やっと念願かなって運転士になれたのでございました。しかし、夢が叶ったのもつかの間、先日100名以上の死亡者をだす大事故を起こし、自らも運転席に座ったまま逝ってしまいました。乗客の笑顔や、運転席の誇らしげな自分の姿に憧れて夢を実現した彼も、現実世界の過酷な規則と叱責する上司とに囲まれて、いったい何を思ったことでしょう。それも今はもう、はかり知ることは出来なくなりました。

ワタクシは正月早々に母親を亡くしております。が、つい最近にも、かけがえのない友人を一人、失っております。連絡がつかない友人を心配してその部屋を訪ねると、持病の潰瘍からの大量出血が原因で息絶えている友人をワタクシが発見したのでございます。出血のため急激に意識が遠のき、連絡する間も無かったのでございましょう。眠るように死んでいったのが何よりの救いでございます。結局、ワタクシはこの数ヶ月の間に、二人のかけがえのない人の死顔(しにがお)を見るはめになってしまいました。

列車事故のニュースで、犠牲者の顔写真が映し出されますと、その犠牲者の顔と、ワタクシが見送った二人の顔が重なり、あふれるように涙が出てまいります。死んでいった方々は、さぞ無念でしょうね。そして、残していく遺族のことが心配だったでしょうね。残された遺族の方々も、そのやりきれない怒りや悲しみは、大変なものだと思われます。たった一人の運転士の判断ミスで、100名余の命が失われてしまうという現代社会の事実、何か事故が起るたびに思い知らされます。

でも、どうか、運転士や車掌を責めるのはやめましょうよ。もし、彼らを責める声を聞いても、聞き流しましょうよ。詳細な事故原因はまだ報告されておりませんが、事故を起こしたいと思って乗務している運転士は一人もいないはずです。この事故は“鉄道”という大きなシステムが引き起こした事故であり、運転士もその犠牲者の一人なのかも知れません。多くの乗客の命が失われた無念さと同時に、この運転士が不憫(ふびん)でしかたがありません。

今回の事故は、運転士が自らのミスによる遅れを取り戻そうとしての高速運転が原因などと報道されております。ワタクシなども、基本的にオッチョコチョイな性格でございますので、忙しいときに慌てたりいたしますと、ミスを犯す確立がグーンと跳ね上がったりいたします。それゆえに、

「忙しいときほどゆっくり動く」
これが私の行動パターンでございます。忙しいときに慌てまくっても、短縮できる時間などほんの数秒〜十数秒でございます。慌てまくったあげくに何かミスを犯したりしたら、ますますロスタイムが増えていくばかりでございます。忙しいときほどゆっくり確実に行動する、これが結果的には一番近道なのでございます。

また、お店のスタッフが慌てまくるというのは、お客様に不安を与えるだけでございます。バタバタと慌てまくって急いでも、お客様には「落ち着かないし、店員も手際が悪いな」なんて思われたりするものでございます。

逆に、たとえ頭の中はパニクっていても、ハッタリかまして堂々と接客したりしますと、意外とお客様は“待たされた”という気がしなかったりいたします。急いでほんの数秒を稼ぐことよりも、たとえ数十秒〜数分待たせても、お客様に“待たされた”という印象を与えなければいいのでございます。

病院の看護師や旅客機のスチュワーデス(ド)は、あまり勤務中に“走って”欲しくない職業でございます。そういった方々の走る姿は、患者さんや乗客に不安感を与えます。何が起きても、何を見ても、にっこりと微笑んでいていただきたいものでございます。

同じように、列車の乗務員の方々がオーバーランのようなミスをたとえ犯しても、「よくあることさ。Take it easy! こんなときこそ確実にいこうぜ」と思える土壌があれば、一人の運転士をここまで追いつめることもなかったのではないでしょうか。自らのミスで慌てふためき、そのミスの埋め合わせをするためにさらなるミスを犯す。こんなことはほかの職種でも十分考えられることでございます。この事故を、多くの別の職業でも教訓にしていただきたいものでございます。

今回の事故は、国鉄の民営化をきっかけに、JRが安全を軽視した経営姿勢を行なってきたことが要因のひとつと言われております。この事故と時期を同じくして、郵政民営化の法案が決定したりしております。民営化がらみの話題で、なかなか複雑な心境でございます。

また、事故を起こした客車にはスピードを制御する機能がほとんどなかったということでございます。一方愛知万博会場では、最新の乗り物が数センチのレベルで自動制御され、無人で乗客を運んでいたりしております。まったく皮肉なものでございます。

安全が一番。みんな、たとえ電車が数分遅れたりしても、駅員に怒ったりしないようにしようよ。そして駅員さんも「乗客のみなさんのご協力により、安全に運行できました」って言いながら、堂々と遅着できるようになるといいね。では、今回はこのへんで。

最後に、JR福知山線での事故で亡くなられた100余名の方々の冥福を、心よりお祈りいたします。名古屋薫でした。

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