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2004年12月

2004/12/31

やられ放題の一年、最後ぐらいはやりたい放題でいこうよ

年末でございます。今年は暖冬かと思いきや、年の瀬を迎えての急激な厳寒の到来でございます。朝から、雨混じり霙(みぞれ)混じりの雪降る名古屋からお送りする、『名古屋薫のShe-Mail』でございます。

さあ、大晦日でございます。大晦日と言えば「紅白歌合戦」でございます。先日たまたま、その紅白歌合戦がらみの書籍を見つけまして、まぁ読んでおりました。『怪物番組 紅白歌合戦の真実』(合田道人著 幻冬舎)という本でございます。紅白に出演したスターの裏話・楽屋話を綴った本なのでございますが、内容はそのスターの話にとどまらず、(案の定)紅白歌合戦そのものが持つドロドロとした裏事情にも触れているのでございます。

紅白に出ると歌手のギャラが上がる、紅白に出るとレコードが売れる、紅白に出るとハクが付く、なんていう事実が有ったようでございます。あるいは、辞退することでスター自身のプライドが保たれるなんていう逆の一面も有ったようでございます。そのような事情をバックグラウンドといたしまして、紅白歌合戦という歌謡番組は、芸能界での政治的道具として使われていくようになってきたわけでございます。もっとも、このドロドロとした裏事情は、一般の視聴者にも感じられたことでございますけどね。

そうした裏事情や、ニューミュージック界の出演辞退症候群なども有りまして、やや輝きを失いつつある紅白歌合戦とは裏腹に、その歌合戦の弱みを逆手に取るような番組が登場してくるのでございます。「ザ・ベストテン」などはそうでございましたね。レコード会社や放送局の思惑が見え隠れせず、純粋に現在進行形の「売れている」人が出演するというオープン思想は、当時としては全く画期的でございました。

その、ザ・ベストテン時代に人気を博したアイドル達が、ここ数日の間、TVをにぎわしておりました。ピンクレディー、松田聖子、岩崎宏美、中森明菜……アイドルがアイドルたるゆえんでしょうか、四半世紀が経った今でも、その存在感には堂々たるものがございます。青春時代に聞いた曲というのは影響力が大きいのでしょうか、かのアイドル達の歌声を聞いておりますと、青春時代の思い出が、まるで加湿器から吹き出す水蒸気のように湧き上がってくるのでございます。

紅白歌合戦という番組は、「今年一年に流行った曲を聴きたい」という要望に答える部分が多いのでございますが、上記のアイドルのように「この歌手なら、ぜひともこの曲を歌ってもらいたい」という懐古的要望に答えている要素もあるのでございます。一般視聴者のそのような要望が十分反映されていればよろしいのでございますが、実際には「アレッ」っと思わされることが多かったりするのでございます。歌謡番組を製作する媒体としては、NHKというのは非常に好都合なはずなのに、残念でございます。

というのも、NHKならば、本来スポンサーやレコード会社の思惑に影響されずに番組作りが出来るはずなのにという点でございます。そしてもうひとつ、(なぜか)大変な予算を掛けられるという点でございます。あ〜、残念! しかし、この2点を有効に活用した好番組がございます。古くは『音楽・夢コレクション』、最近では『夢・音楽館』といったところでございましょうか。民放でいうと『タモリの今夜は最高』なんていうのが、同じように“やりたい放題”歌謡番組の類でございますね。

歌手が自分の持ち歌以外の曲を歌うというのは、歌手側にもスタッフ側にも大変負担が大きいものでございます。選曲・編曲・セットなどを、全くオリジナルで歌謡番組を作ろうとすると、それはもう『新春スター隠し芸大会』の域に達してしまいます。そう考えますと、現在の紅白歌合戦の選曲や構成は、まぁまぁ理にかなった理想的なものなのかも知れません。ただ、今の紅白に欠けているもの、それは、出演者が“出てみたい”と思う番組ではなくなっていることでございます。紅白歌合戦の歴史的背景がそうさせたのでございますから、自業自得でございます。重ね重ね、残念! でございます。

今年のNHKは不祥事など有りまして、今回の紅白はその出演者の確保などで大変だったようでございます。その結果、本来次点だった方が当選したような事例もあるようで、なかなか興味深い演目になっているのではないでしょうか? 災害の多かった年ということもありまして、多少お祭りムードに水を差してはおりますが、さて、今年の紅白はいかがなものでございましょうか? といったところで、今年最後の「名古屋薫のShe-Mail」を締めくくりたいと思います。

では、みなさんよいお年を。そして、来年もよろしくお願い申し上げます。名古屋薫でした。

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2004/12/24

あなたはサンタを信じますか?

湯飲み八分目ほどの熱燗を作りまして、“ふぐのひれ”を二・三枚、パラリと放り込みます。湯飲みにフタをして数分間蒸らしますと、何とも言えぬ香ばしい“ふぐのひれ酒”の出来上がりでございます。寒い夜などには、また格別でございます。名古屋薫でございます。

さて、今日はクリスマスイブでございます。サンタさんがクリスマスプレゼントを宅配する日でございます。みなさま方がどのように認識していらっしゃるかは存じませんが、サンタクロースは存在するのでございます。ミッキーマウス(R)やドナルドダック(R)の“中の人”などいないのと同じぐらい、サンタさんは存在するのでございます。

と、妙にサンタさんの存在にこだわるワタクシでございます。実際にサンタが存在するかどうか、それは大人の分別に任すといたしましょう。しかし、小さな子供がサンタクロースを信じられるかどうか、それは“大人の努力”にかかっているのでございます。

ワタクシの幼少の頃のクリスマスイブと言いますと、母親が小さなクリスマスケーキと、サイダーのようなウソシャンパンと、鶏の足の丸焼き(こんな表現しかできなくて申し訳ない)を買ってきたものでございます。さんざん食い散らかして、疲れに任せて寝てしまい、目が覚めるとクリスマス(25日)の朝でございます。枕元にはブーツに入ったお菓子の詰め合わせが置いてあったものでございました。

そして、枕元のささやかなプレゼントに気付くワタクシに、母親は毎年おきまりの演技をするわけでございます。そう、ワタクシといっしょに驚いてみせるわけでございます。ワタクシ、子供心にサンタクロースの存在を心から信じ込むわけでございます。

しかし、母親の演技に騙されていたワタクシが、今度は母親に対して「騙されたふりをする」演技をするような年頃に成長するわけでございます。それをお互いが感じたとき、自然にそのクリスマスの朝の儀式は終了したのでございます。サンタクロースのおじさんが、「夢」から「伝説」に変った瞬間でございます。

子供に夢を見させるというのは、大人から子供への「愛情」でございます。愛情であると同時に、「義務」であるかも知れません。無限の可能性を秘めた幼少期に見る非現実的な夢と、大人が見る現実のしがらみに縛られた夢は、まったく異質なものでございます。適切な時期に適切な夢を与えられなかった子供たちが、大人になってからその未体験部分を補おうとしても、不可能なのでございます。

「大人になったら何になりたい?」 小さい頃そう聞かれて、よく「電車の運転手」と答えたものでございました。電車や地下鉄に乗ると、必ず運転席のすぐ後ろに陣取って、運転手気取りで進行方向を見据えていたものでございました(今もよくやりますけどね)。電車の運転手になるためには何が必要か、そんなものは小さな子供には関係ございません。ただ単純に、運転手になりたかったのでございます。

理屈抜きというところが、子供の夢のいいところでございます。将来何になりたい? と聞かれて、「ゴジラ」とか「セーラームーン」とか答える子供がいてもいいのでございます。小さいときに「理屈ぬき」を十分体験しておくと、大人になってから「理屈の抜けない」世界と上手にお付き合いが出来るようになるのでございます。

最近の子供は、学校の成績であるとか将来の進路であるとか、現実を直視させられることが多いようでございます。将来の目標が「○○大学」とか「△△商社」なんて言う小学生もいるようでございます。逆に「人間は死ぬとどうなるか」というアンケートに対して、5人に1人の子供が「生き返る」と答えたという調査結果のように、本来見据えなければいけない「死」という現実を、夢の世界と混同しているという反面もあったりするのでございます。

月にウサギはいないし、足の長い火星人も存在いたしません。科学の発達とともにどんどん夢の少ない世の中になっているのかも知れません。だからこそ、残った夢は大事にしましょうよ。そして、子供に夢を見させるのは、大人の義務であり愛情表現でもあるのです。今宵は、サンタクロースおじさんの白いヒゲに、乾杯!

といったところで、今回はこのへんで。
なんか、去年も今頃に「イマジン=夢」なんて題名で配信してましたよね。まぁ、成長の無いワタクシ名古屋薫をお許し下さい。このメールマガジンは、毎週金曜日に配信“予定”になっております。なかなか予定通り配信出来ず、読者のみなさんをお待たせすることが多いことを、深くお詫び申し上げます。では、良いクリスマスをお過ごし下さい。名古屋薫でした。

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