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2004年4月

2004/04/30

ミギ・ヒダリ、両方使ってオカマ誕生

近くの大衆食堂で「朝定食」(生卵、コーヒー付き、600円)を食べながら、ふとこう考えた。七人掛けの電車の横長椅子。六人で座ると角が立つ。七人で座ると窮屈だ。中途半端な混み具合だったりすると、とかく座席には座りにくい。

正直に定員通り七人座ると、七人が窮屈な思いをして不幸になる。そこで、誰か一人が立ち上がればいい。そうすれば、情に棹さして立った一人の不幸者と、一人分余裕が出来てゆったり座れる六人の幸福者が出来上がる。七人の不幸と六人の幸福とを比較すれば、六人の幸福の方が優れているに決まっている。故に、七人掛けの椅子には六人が座るのが正解なのである。

また、化粧をしながらこんなことも考えた。眉は右利きなら逆の左から描いた方が綺麗に描けると人は言う。しかしである。描きにくい左の眉は当然上手には描けない。その下手な左の眉に合わせて右の眉を描いたら、右の眉も下手になってしまう。醜い眉が二つ出来上がるわけである。

より美しい眉を望む場合、利き手側から描くべきである。描きやすい右の眉を上手に完璧に仕上げるのである。而(しこう)して、描きにくい左の眉に取り掛かる。結果として、完璧な美しい眉が一つと醜い眉が一つ出来上がる。利き手の逆側から描けば醜い眉が二つ、利き手側から描けば少なくとも一つの美しい眉が残る。どちらが良いかは火を見るよりも明らかである。眉は一般論とは逆に「利き手側から」描くべきなのである。

全国の読者の皆様方、名古屋薫でございます。ふと気が付くとアッという間に二週間という時間が過ぎ去っているのでございます。必然的にというか然(しか)るべくして今週のメールマガジンは4/23・4/30合併号になってしまったのでございます。なんだか、巷にあふれる諸雑誌のようでカッコいいのでございます。

さて、冒頭で述べました二つの事例、ふと思いついたことを徒然(つれづれ)なるままにダラダラと書いてみました。まさに「逆も真なり」というとはよく言ったものでございます。皆様方、ぜひ実践していただきたいものでございます。ではそろそろ本題に入るのでございます。

先日、あるTVの教養番組が「ピアニストを科学」しておりました。ピアニストの頭に電極を付け、ピアノを弾くときの演奏者の脳波を調べておりました。人間の脳ミソというものは右と左で役割分担が違うそうで、右脳は感覚や感情、左脳は言語や論理的なことを考えるように出来ているそうでございます。

当然、音楽などを聴くときには、感覚を司る右脳がより敏感に反応するわけでございます。ところがピアニストが演奏しているときには、右脳だけではなく言語などを司る左脳も激しく反応しているのでございます。そして、TV画面に現れた学者先生も、その左脳の反応に関しては「説明が付かない」などと頼りないことを言っているのでございます。

そこで、ワタクシ、ピーンと閃いたのでございます。ワタクシも遠い昔には音楽家の(卵の)ハシクレ。音楽の心得はあるのでございます。そのワタクシに言わせて頂けば、楽器演奏者が演奏中に、感覚を司る右脳だけではなく、言語・論理を司る左脳をも使うというのは、ごくごく自明のことなのでございます。

それはなぜか? それは、音楽家は音を「音名」で聴いているからでございます。例えば、「チャララ〜ララ、チャラララララ〜〜」なんて音も、音楽家の耳には「ドレミ〜レド、ドレミレドレ〜〜」なんて聞こえているのでございます。また、さらにスゴイ人などは、伴奏のコード進行を頭の中で楽譜を起こしながら聴き取ったりなんてするのでございます。

一般の方は、音楽のメロディーラインを「単なる感情の起伏」として“感覚的に聴いている”のでございます。一方ミュージシャンは、伴奏の和音の流れなども同時に聴き取りながら、音を“論理的に読んでいる”のでございます。その論理的に分析するという作業をバックグラウンドでこなしながら、感覚的な部分で音楽を組み立てていっているのでございます。

このようにして音楽家は、右脳と左脳を同時に使いながら演奏しているわけでございますが、その右脳と左脳、感覚的な右脳は女性の特徴として、論理的な左脳は男性の特徴として語られることが多いものでございます。それでは、男と女では脳ミソの作りが違うのか? これはワタクシにも分かりません。

ただ、人というもの、小さなときから「男らしくしなさい」とか「女なんだから」とさんざん言われ、自分で脳ミソのどちらか半分を“殺しながら”大きくなってきているのかもしれないのでございます。まったくもったいない話でございます。灰色の脳細胞が詰まった頭脳を、半分しか使っていないわけでございますから。

さぁ、そこで「オカマ」の登場でございます。常日頃「変態」「異常者」と言われがちな世のオカマでございますが、実は、この男でありながら女っぽく振る舞うオカマこそ、脳ミソの右も左も100%使い切る、素晴らしき能力を持った人達なのでございます。

たとえばでございます。テーブルの上にやや小さめの灰皿があったといたします。その灰皿を見て、「やぁ、これは灰皿としては小さすぎるな。やはり灰皿として機能するためには大きさがナンタラ、角度がウンタラ…」と考えるのは理屈っぽい左脳でございます。また、一目見て「キャ〜、カッワイ〜イ」とか「信じらんなぃ」というふうに,条件反射的に反応しているのが感覚的な右脳でございます(かな〜りワタクシの独断的解釈です)。

そして、世にあふれる「デザイン」と呼ばれるもの。それはすべて、この「理論」vs「感性」のバランスであり、そのほどよいバランスからは「機能美」が生まれるのでございます。つまり「美しくかつ理にかなっているもの」を創造する仕事、何か新しい斬新なものを生み出す仕事には、脳ミソの右と左どちらもバランスよく使う必要があるのでございます。そう、理論と感性を必要とするクリエイティブなお仕事は、まさにオカマにはうってつけなのでございます。

脳ミソを自由に使う必要のあるお仕事だから自然にオカマチックになっていくのか、あるいはオカマさんにとって働きやすい職種だからそういった人達が集まるのか? どちらにせよ、クリエイティブな職種にはオカマチックな人が多いのは事実でございます。

さぁ、皆様方も、お仕事に煮詰まったり、人間関係に行き詰まったりしたら、オカマになりましょう。普段使っていない脳ミソの残り半分を存分に使い切り、クリエイティブに、そして自由に生きるのでございます。オカマのパワーは世界を征服するのでございます。

さて、今まで述べましたのは「男性」が脳ミソの残り半分を使う場合でございました。では、「女性」の場合は? 女性はオナベになるのかな?

想像してみて下さいませ。オカマチックな男性というものは一般社会で生きていくのはなかなか大変でございます。それに対し、ボーイッシュな女性というのは、ごく普通にいらっしゃいます。そうでございます。つまり、脳ミソの残り半分を活用しようとする場合、男性よりも女性の方がはるかに条件がいいのでございます。

そして、実は、女性の中には自分でも気が付かないうちに脳ミソの残り半分を活用している方などもいらっしゃいます。「やり手の」ホステスさんとか、「やり手の」女社長さんなどに見受けられます。あくまでも「やり手の」でございます。クラブのママさんなどで、超美人だけれど、ハートの中に大変男性っぽい要素を持った方とかが多くいらっしゃいます。脳ミソをフル活用していらっしゃるのでしょうね。

また、女形の役者さんなどが出す独特の色気は、女の色気を理屈で分析し尽くした上での「技」なのでございます。男性の論理的分析力が有ってこそ、あの女形の色気は生まれ出るのでございます。ニューハーフが演じる女っぽさも、それに近いものが有るのでございます。女性を「男の目」で見ているからこそ分かること、というものが有るのでございますね。

ニューハーフは「論理的に色気を演出」しております。水商売に従事していた頃など、女性のお客様が「女より色っ〜ぽ〜い」と言って褒めて下さいましたが、女性でもちょっと論理的に頭を使えば難しいことではないのでございます。しかし、そこは女というもの「情」が優先するように神様が作っていらっしゃるようでございます。

逆に、女性がその自らの色気を「計算ずくで」演出する論理的「技」を身につけたら、ニューハーフなんてかなわないとも思っておりました。だって、計算された色気プラス「女の武器」を持っているわけでございますから(使う使わないは別にしてね)。事実、前述の通り、クラブのママさんなどには、そういった技を自然に身につけられていらっしゃる方が多いものでございます。

さてさて、今回は合併号(?)ということもございまして、長くなってしまいました。ちょっとくたびれたので、次回は手を抜いて短めにしようかな? とか言いつつお別れでございます。では、次回をお楽しみに、バイバーイ。

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2004/04/16

よい子はここで遊ばない

「よい子はここで遊ばない」…全国津々浦々、危険と思(おぼ)しき場所には、もれなく書き記してある名文句でございます。じゃあ悪い子なら遊んでもいいのか?ワタクシなどは幼少の頃トッテモ悪い子でございましたから、工事現場の資材置き場に秘密基地を作って生き埋めになりかけたり、あるいは川岸のぬかるみを走り抜けようとして腰まで浸かり、ムツゴロウを疑似体験しながら岸まではい上がったりしたものでございます。やっぱり悪い子も遊ばない方がいいのでございます。

えてして、先ほどの名文句が書かれてあるような場所で、小さな子供の死亡につながるような事故が起きたりするのでございます。危険な場所には、子供の好奇心を引きつける魔力があるのでございます。「危険だから遊んでみたい」、そういった子供心にとって「よいこはここで遊ばない」の名文句は、格好の誘引剤になってしまうのかも知れません。

さて本題は、ここ一週間ほど新聞・TVを賑わせた、イラクでの拉致事件に関してでございます。まずは、拉致された方々が解放されたとのこと。とりあえず、めでたいのでございます。でも、良かった良かったと手放しで喜んではいられないのでございます。こんな事件の最中、危険地帯へ無理な取材に行って、さらに騒ぎを大きくさせたアフォなジャーナリストがいたりするからでございます。

実は、最初の拉致された三人も、日本政府が「よい子はイラクで遊ばない」と言っているにもかかわらず、イラクへ入国した方々でございました。ですから、あのお三人は「悪い子」なのでございます。じゃあ、悪い子なら見殺しにしてもいいか? そんな訳にはいきませんよね。そんな事情もございまして、この一週間、日本中が揺れ動いたのでございます。

「小さな親切大きなお世話」なんていう名文句もございます。自分の物差しで考えた人助けも、他人の物差しではその思いが伝わらなかったりするものでございます。ましてや今回の場合、微妙な国際感情が絡んでおります。この事件が悲惨な結末を迎えなかったのは、きわめて幸運なのかもしれないのでございます。

願わくば、あの三人のボランティア精神が、「あえて危険なところで遊びたがる子供心」のような自己満足的な動機でのイラク入国ではなかったことを、祈るのでございます。だって、そんな動機で危険地帯に入っていき、大勢の方に迷惑を掛けたのだとしたら、そんなの単なる「トラブルメーカー」なのでございます。

(以下はワタクシの理想主義から来る“白昼夢”でございます。まぁ、ワタクシの夢にお付き合いのほどを)

で、いろいろ物議を醸し出している自衛隊の派兵でございますが、武器を持って行くからもめる原因になるのでございます。自衛隊も、風災害時の駆り出しのようにスコップをもっていけばいいのでございます。実際に、今イラクで必要なのは、銃や戦闘服ではなくスコップやブルドーザーのはずなのでございます。

また、必要なものは出来る限り「現地調達」。つまり持って行くのはお金だけ。衣類も食料品も、現地で買い、現地の人と同じものを着たり食べたりするべきでございます。コックなども現地の人を雇うのがいいかも知れません。住むところも現地の大工さん(?)に作ってもらうのがよろしいかも。そうすれば、自衛隊が引き上げるときには、現地の人達がそのまま住めるでしょ。

金持ちの日本が、今、あの国に出来る援助は「現金を落とすこと」そして「仕事を与えること」ではないでしょうか? でも、乞食にものを恵むように現金を渡すということは、プライドの高いあの国の方々を傷つけてしまいます。買い物をしたり、仕事を頼んだりすれば、少なくとも自衛隊が派遣された地域ぐらいは、経済的に少し潤うのではないでしょうか?

そして、現地の人達と同じ生活をするということは、その人たちを理解することなのでございます。自分たちの派兵の意味を現地の人に理解して貰いたいのならば、まず自分たちが現地の人達のことを理解しようと努力するべきでございます。もし逆に、日本が好きだという外国人が自分の家に来て、土足で畳の上に上がろうとしたら、「おまえホントニ日本好きなんかい?」と問いただしたくなるでしょ。戦闘服で他国に入るということは、その現地の人にとっては土足で上がられたのと同じでございます。

あぁ、またグダグダと実現しそうもない“夢”を書き並べてしまったのでございます。実際には複雑な事情が絡み合っておりまして、こんな簡単ではないのでございます。しかし、もともと反日感情の少ない国でございますから、こういった形での援助も夢ではないかも、なんて思ってはいるのでございますけどね。

というわけで、大きな事件がありましたので、二週続けて戦争がらみの話題となってしまいました。次回は、ガラッとくだけた話題でお茶を濁す、いえいえ、楽しんで頂く予定でござます。

毎回長文になってしまいますが、最後まで読んで頂いてありがとうございます。では次回をお楽しみに。生き埋めやムツゴロウ状態から生還した、悪運の強い名古屋薫でございました。

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2004/04/10

話せば分かる...はずだよね

名古屋薫のShe-Mailは毎週金曜日配信、今回は一日遅れの配信でございます。このメールマガジンの紆余曲折な履歴を考えれば「一日遅れなんて可愛いもの」、長年の読者の方はそう思っていらっしゃるのではないでしょうか?

ワタクシなどは時として配信を滞らせてしまったりしておりますが、こまめに配信し、多くの読者数を誇っているメールマガジンもございます。今回はまず最初に、ワタクシがいつも楽しませて頂いているステキなメールマガジンを紹介させて頂きます。

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(※残念ながら、このメールマガジンは無くなっているようです)
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「クレースのスタッフ日記♪」という題名で送られてくるこのメールマガジン、メルマガ発行人の女性経営者とその従業員の方々数名で交代で書いていらっしゃいます。まるで漫画の登場人物のような方々ばかりで、和気藹々(あいあい)とした和やかなメールマガジンでございます。もしよろしかったらご購読下さいませ。

さて、ここからが本題。遠く中東の地では日本人が拉致されております。世間はもうその拉致問題でテンヤワンヤ...のはずなのでございますが、なぜか、いたってノンビリとした雰囲気。テレビ放送にいたしましても、通常番組を変更して報道番組に切り換えなんてこともあまり無いようでございますし。まぁ、そういった騒ぎ方をしちゃいけない問題なのかもしれませんしね。

ふと、「北風と太陽」の童話を思い出したのでございます。アメリカの立場はいたって“北風”でございます。とにかく力で押せ押せの強硬態度でございます。それに比べますと、日本の態度はまさしく“太陽”そのもの。なんとか心情的に相手を説得しようという感じでございます。

世の中には「話せば分かる」人と、「話の通じない」人がございます。ワタクシの想像でございますが、中東の“国々”は「話せば分かる」国のような気がするのでございます。もともと親日派の方が多い地域でございますし、歴史的にも直接的なトラブルはほとんどありませんしね。ただ、話せば分かる国であっても、交渉相手が話せば分かる人達かどうかは、また別でございますしね。

また、今回拉致された方々は、本来、イラクの復興活動のために中東の地へ赴いたわけでございまして、人助けに行って逆に人質として拉致され、そして命の危険に脅かされるというのは、さぞかし無念では無かろうかと思われます。そこのところを糸口に、なんとか交渉できないものかとは思うのでございますが、いかんせん、三日間という短い期間では...

こんなニュースに囲まれているここ数日間の間、ちょっとした“夢”を見たりしておりました。こんな夢でございます。「日本の政治家が誰でもいいから、この三人の身代わりになってこいよ!」なんてね。

もし運良く身代わりになった後、交渉成立して無事に帰ってくれば、それこそ日本の英雄でございます。次の選挙では当選確実でございます。確実どころか、絶対的な国民の支持を得て、総理大臣さえ夢ではないかも?

また、もし交渉決裂して中東の地で命を落としても、また同じく英雄として日本の歴史に名を残すことになるのでございます。後々までも英雄として語り継がれる。政治家として実に誉れ高いことではございませんか?

まぁ、夢でございますからね。こんなドラマみたいなこと、現実では起らないですよね。とにかく、人質の三人が無事に帰ってこられることを、ワタクシも祈っているのでございます。今回は内容が内容でございますから、いつもよりも、シットリと書かせて頂きました。では、今回はこのくらいで。名古屋薫でした。

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2004/04/03

スマイル=0円 思いやりは?円

一週間ぶりのご無沙汰でございます。名古屋薫でございます。街を歩いておりますと、春一番に煽られて桜の花びらが舞い散っております。桜吹雪とはよく言ったものでございます。歩道も車道も横断歩道も、みんなみ〜んな桜の絨毯でございます。それはそれは、大変な量の花びらでございますが、春が去った後、あれだけの花びらはいったいどこへ消えるのでございましょう。なんてことを考えている今日この頃のワタクシ名古屋薫でございます。

大きなドラマが終わりました。テレビドラマのお話でございます。「白い巨塔」と「砂の器」でございます。「白い巨塔」は毎週録画して、目を皿のようにして観ておりました。久しぶりに熱中したテレビドラマでございます。それに対し、「砂の器」は最終回しか観ていないのに、なぜか全編通して観てしまったような感じ。なんだか得をしたような損をしたような気分でございます。

で、その「白い巨塔」でございますが、どうしても田宮版と比較されてしまうというのは仕方のないところ。巷はその比較の話題で持ちきりでございます(エッホントニ?*注1)。そもそも、芸達者な本業俳優陣で固めた田宮版に比べ、唐沢版はテレビタレントで固めた“オールスター新春隠し芸大会”といったところ。役者のレベルが違いすぎるのでございます。

田宮版では、役者一人一人が実にきめの細かい「キャラクターが立つ」演技をしておりまして、登場人物それぞれが、善と悪・信念と実情の間で苦しむ「生きた人間」を演じております。「どの登場人物を主役にしてもドラマを作り直せる」と言えるほど各役者が光っております。特に、太地喜和子、色っぽかったですねぇ。あ〜、水難事故で死んじゃうなんて、もったいない、もったいない。

さてそこで、かわいそうなのが比較されるもう一方の唐沢版。田宮版が小劇場の新劇芝居を最前列で観ているような、何とも言えぬ生々しい小恥ずかしさがあるとすれば、唐沢版は、フィルム撮りされた時代劇を映画館で観ているような、そんな「ほんわか」したものを感じるのでございます。役者陣が若すぎるというのも有るでしょうね。

まぁ、つかみ所が無いって言ゃぁ、無いのでございます。それを、強烈な脚本と演出で固めているのでございましょう。一口で言うと、まぁ、今どきのドラマとして、無難に仕上がっているということでございましょうか。放送局の開局何周年ナンタラカンタラという余分な肩書きが付いていなければ、もう少し毛色の違うドラマになっていたかなぁ、なんて思ったりもするのでございますけどね。

え〜と、実は今回のメールマガジンのテーマは、このドラマではなかったのでございます。ついつい、芝居やドラマの話になると熱が入ってしまっております。いけない、いけない、というわけで、本日の本題でございます(エ〜〜〜、これから本題なの〜〜 と思わず、まぁ最後までお付き合い下さいませ)。 

白い巨塔では、実直派の里見が、まるでボランティアのように自分の時間を割いてまで患者と向き合い、ときには患者の薬代を立て替えたり(*注2)もしております。実は実は、この「ボランティア」というのが、今回のテーマでございます。

ワタクシの自宅にも「ヘルパー」の方が毎日来て、母親の世話をして下さっております。買い出しや食事の用意に加え、ポータブルトイレ(オマル)の中身を捨てたり、身体を拭いたり、ウンチで汚れた下着を洗濯したりと、結構ハードでございます。また、人間歳を取ると思考スピードがのんびりになる割にはわがまま度は一人前以上(当社比ならぬウチの母親比)で、そんな年寄りの相手をするのは、業務内容のハードさに加え、大変だろうと察するのでございます。

そんなヘルパーさんのお仕事が毎日続けられるのは、ヘルパーさん自身のボランティアの気持ちもあるでしょうが、そのヘルプのお仕事でお給料がもらえるからでございます。当たり前でございますが、ヘルパーさんはお給料をもらっているのでございます。ここで皆様方、よく考えて頂きたいのでございます。“ボランティア精神”と“ボランティアでの報酬”はまったく切り離して考えるべきなのでございます。

“純粋なる未報酬のボランティアなんて有りえねぇ” ワタクシ名古屋薫は言いきるのでございます。どんなにボランティア精神の強い方でも“生きていかなければならない”のでございます。つまり、逆説的ではございますが、純粋なボランティア精神を支えるためには、それに見合った報酬を支払うこと(支払うシステム)が必要なのでございます。

介護保険が成立して、ヘルパーさんを呼ぶのも楽になりましたが、以前は介護人を雇うというのは、大変な出費だったそうでございます。また、ボランティア団体が、その財政的なやりくりで苦労するというのもよく聞く話でございます。せっかくボランティアをしたいという志があっても、それを支える財政的なシステムがなかなか無かったりするのでございます。

また、日本は“売名行為”ということに関して大変敏感でございます。「『思いやり』や『まごころ』の代償をお金で貰うのはヨクナイ!」といった風潮が根強いのでございます。これは小さな人間付き合いにおいては「ささやかな美徳」と成り得るでございましょう。しかし、地域レベル・国家レベルの大規模で広範囲の福祉活動では、この「無報酬の思いやり理論」は破綻の憂き目を免れないでございましょう。

例えば、先ほどの白い巨塔のドラマの中、実直派の里見医師が患者の高額な薬代を立て替えるというエピソードがございました。いっときの医師の思い入れで、患者に対してこういった行為は、ひょっとしたらドラマの中だけでなく現実でも可能かもしれません。では、ほかのすべての医師がこの里見と同じような行動に出られるか? あるいはもし里見のような医師がいたとして、その医師はこの献身的な医療を家庭を壊さずに一生続けられるか? どうです、無報酬の思いやりなんて、どこかで頭打ちでしょ。

しかし、この里見医師のとった思いやりの行動が、休暇を返上して行なうような自己犠牲の行為ではなく、就業時間と報酬が決まっているひとつの“業務”だとしたら?………ボランティアはそのように、志とその報酬をワンパックにして扱わなければいけないと思うのでございます(*注3)

長くなってしまいましたが、最後にひとつの提案でございます。例えば、阪神大震災の際、日本中から援助の手が差し伸べられたわけでございますが、その援助の仕組みがシステム化されていないため、どうも要領の悪い復旧に見えてもどかしい思いをしたものでございます。

まず、ああいった大災害の援助差し入れの場合、一般からの援助は受付けず、物品・お金に関係なく援助はすべて企業・法人といった団体からのみにするべきでございます。小さな援助をたくさん集めても、その管理にコストがかかりパフォーマンスがあまりよくありません。援助は大口のみ。当然、その窓口は政府なり地方自治体が管理する。そして大事なのは『政府の責任で、その援助金(物資)を企業名・商品名・金額などを合わせて、大々的にマスコミで宣伝する』ということでございます。

あるいは、建設会社から重機や簡易住居の提供があったりしたら、その建設会社名を重機や簡易住居の壁にデカデカと入れさせる。当然、ニュース映像で毎日の様に映されるので、会社名や商品名の宣伝になる。この際会社名(商品名)を“入れさせる”ことが重要でございます。どうしても先ほどの売名行為の風潮を意識して、会社名や商品名を差し控えるでしょうから、そうしますと宣伝効果も無くなり、無理してでも援助をしようという志にもブレーキがかかってしまいます。

要するに、国家規模で企業の売名行為を手伝ってやるのでございます。企業は普段使っている広告費などの、ほんの数パーセントを裂いて援助にまわせばいい。その援助の売名行為を政府が責任を持って実行する(*注4)。すると、企業はその売名行為の誹(そし)りを直接受けずに、莫大な宣伝効果を生むことが出来る。そして、一般市民は、その援助した企業を利用したり製品を購入することで、企業の出費に還元してやる。

ワタクシ流の都合のいい理論でございますが、以前阪神大震災の時、連日流れるニュース映像を見て、「あれだけ毎日『ただ』でTV局が撮影に来てくれるのだから、企業にとってこんないい宣伝チャンスはない!」なんて不謹慎なことを考えながら、この売名行為理論を夢想していたものでございます。

そういえば、今、ふと思い出したのでございますが、“東海大地震”が来る来る来ると言われてから久しくなります。ひょっとしたら、ひょっとしたら、今年あたり来ちゃうかも。名古屋在住の名古屋薫といたしましては、そんなことを考えるとブルブルガクガクなのでございます。もし来ちゃったら……皆様方援助をよろしくお願いするのでございます。

では、今回は大変長くなってしまいました。最後まで読んで頂いてありがとうございます。ではでは、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。

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*注1
 実はこんなサイトを見つけちゃいました。
 僕たちの好きな『白い巨塔』
 http://kodansha.jp/webgendai/shiroikyoto/index.html
 (※このページ、今は無いかも)

*注2
これは、保健医療問題を取り上げた田宮版でのエピソードでございます。時代背景の変化に伴い、唐沢版の里見医師はガン治療の末期ケアのため患者のために遁走しております。

*注3
小説『白い巨塔』は、旧保険制度時に書かれており、その後保険制度の改変などで、現実は少しずついい方向に向かっていると思われます

*注4
ちょっと変な表現ですけどね、まぁ、いいか!
海外では、公共施設を企業などが作って、その企業名を施設に付けたりしているみたいですが、日本では、こういったことってすぐ売名行為って言われちゃうんですよね。

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