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2004/02/06

座右の書=電子辞書

04/02/06【座右の書=電子辞書】

読者のみなさま方、お久しぶりでございます。一ヶ月のお休みを頂いてしまいましたが、名古屋薫のShe-Mailの配信でございます。光陰矢のごとし、ちょっとしたゴタゴタに気を取られておりましたら、アッという間に月日が流れてしまっております。皆様方、お待ちどうさまなのでございます。

さて、何かと衝動買いの多い名古屋薫でございますが、この度、又「ヤッテモータ」しちゃいました。草木も眠る丑三つ時、ボーッと深夜枠のTVを眺めておりますと、なにやら電子辞書の説明をしております。こちとら、パソコンを20年近く触ってきている人間でございます。「いまさら電子辞書なんていうオモチャなどに触手を動かされてたまるもんかぃ」などと思っておりますと、なにやらいつも使っている見慣れた辞書が画像に……

ワタクシ、文章を書くときには、角川の類語新辞典(別名シソーラス)というのを傍らに置いております。類語辞典というぐらいでございますから、似たような意味合いの別の言葉を調べる辞典でございます。たとえば美人を形容する場合、ワタクシの少ない語彙をもってしますと、「どえりゃぁ、ベッピンさんだがね」という形容しか思いつかなかったりするのでございますが、この辞典で「ベッピン」を紐解きますと、淑女、麗人、妖婦・・・とまあいっぱい別の言葉が探せたりするのでございます。また、「優女(やさおんな)」とか「手弱女(たおやめ)」「尤物(ゆうぶつ)」なんていう語を見つけたりして、ワクワクしちゃったりもするのでございます。

ワタクシのように言葉をあまり知らない人間にとっては、非常に頼りになる片腕の、この類語新辞典。頼りになるのはいいのでございますが、とにかく重い。そして、索引の文字が小さい。この索引の文字が小さいというのは、ワタクシにとって大変ハードでございます。普段新聞などは眼鏡なしで読んでいるワタクシでございますが(あぁ言ってることがババクサ)、そのワタクシでもルーペーを使わないと単語を探せないほど小さいのでございます。そうやって、グズグズ辞書を紐解いているうちに、脳裏に沸いて出る文章の流れが途切れたり、なんてこともございます。

いっそ索引の部分だけをデータベース化して入力しておこうかなどと考えましたが、それも本末転倒。そんなことを考えている折りに、ふと目に入ったのがそのTVショッピングでございます。「いつものあの重たい辞書があんなコンパクトに」「索引をデータベースどころか、辞書全体がデータベースじゃん!」とか思った瞬間、ワタクシの右手は脊髄反射で電話注文をしておりました。

そうやって、最近では電子辞書を傍らに文章を書くことが多くなったのでございますが、やはり電子辞書は電子辞書。ひと目で入ってくる情報量が圧倒的に少ないのでございます。ワタクシ、辞書とか地図とかをボーッと眺めるのが好きでございます。眺めておりますと、思いがけない情報にふと遭遇したりするものでございます。紙媒体の辞書や地図が持つ一頁の情報量の多さ所以(ゆえん)でございます。

ところが、電子辞書はそうはまいりません。一画面に表示される情報量が圧倒的に少ないので、眺めるというよりはむしろ「読む」といった感じでございます。偶発的に思いがけない語に巡り会うという機会も、やはりあまり多くはございません。特に電子辞書に使われるような液晶画面ですと、どうしても文字のレイアウトが単調にならざるを得ないので、ますます「読まされる」という感じは強くなるものでございます。

皆さん実は、新聞も雑誌も「読んでいる」のではございません。「眺めている」のでございます。眺めながら注意を引くような単語にぶつかりますと、その部分を「読んで」いるのでございますね。で、読み終わるとまた眺めモードに入るわけでございます。また小説などを速読できる方は、一頁を右上から左下へズルッと斜めに読む「眺め」モードと、重要なところでじっくり「読む」モードを使い分けているはずでございます。

紙媒体は解像度をかなり高く取れる(専門的にいうと350dpi位)ので、小さな文字から大きな文字まで使える、つまり文字サイズのダイナミックレンジが広いのでございます。ゆえに「眺める」というマクロ的要素と「読む」というミクロ的要素を、混在させたレイアウトが可能になるのでございますね。そのように紙媒体は、液晶やモニター画面と比較して、レイアウトの自由度が高いのでございます。

そして、その自由度の高さゆえに、読みやすい字間・行間というものが長年のノウハウから生み出され、そして洗練されてきたと言えるのでございます。ある意味、印刷媒体は作家(ライター)と組版職人と製本職人の共同作業による「工芸品」なのでございます(この件に関しては、まだまだお話ししたいことが山ほどあるのでございますが、それはまたの機会に)――さあ、なんだか難しそうな言葉が出てきて、とてもニューハーフが書いている文章とは思えないような雰囲気でございますが、もう少しお付き合いのほどを。

一方パソコンの表現力はと申しますと、初期の頃で40〜60dpiぐらい。最近のGUI(グラフィック・ユーザー・インターフェイス)を多用した最新のOSを使用するコンピュータでさえ、画面の解像度は100dpi前後といったところでしょうか? 最近では、印刷物と同じ程度の解像度を持つ表示装置もチラホラ出てきているようでございますが、まだまだ実用化には時間がかかるようでございます。

さて、何かと制約の多いパソコンの画面でございますが、さらにメールマガジンともなりますと、さらに制約が多くなります。特に当メルマガのように、テキスト形式のものとなりますと尚更でございます。そういった制約の中で、改行の位置とか漢字とカナの使い分けなどをして、なんとか「斜めに読める」文章を目指しているのでございますが、いかがなものでございましょう?

またワタクシ、自分のお店の広告をDTP(デスク・トップ・パブリッシング)で作っております。そして、お店のホームページも自分でパソコン上で作っております。それぞれに制約や表現力が違うために「眺めるー読む」の切り替えポイントが微妙に違って参ります。さらに、雑誌の原稿なども依頼されたりするのでございますが、これも縦書き・横書き・一行の文字数などで趣(おもむき)が変わってまいります。そういったときにも、眺めさせる要素と読ませる要素の使い分けは重要でございます。アァ、日本語ってほんとに難しい。

さぁ皆様方も、新聞・雑誌・広告・ポスターなどをご覧になるとき、「眺める」という要素と「読む」という要素をちょっと意識してみると、今までなにげにスルーしていたものも、モットモット面白く見えてきたりするかも、でございます。そしてワタクシの傍らの電子辞書は、今日もワタクシの酷使に耐え、けなげに小さい画面いっぱいに、細かな文字を表示しているのでございます。頑張れ、電子辞書!

では、今回はこの辺で、次回をお楽しみに。お待たせした読者の皆様方、ゴメンチャイでございます。

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