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2002年11月

2002/11/28

My Favorite その2

さて、前回の配信よりチョット間が空いてしまいました。名古屋薫でございます。せめて、月に2〜3回、理想を言えば毎ウィークエンドの直前に配信したいと思っておりますが、他の締め切りと重なったりすると、ついクジけてしまう自分の弱さを反省しきりでございます。

さて、今回は「My favorite その2」と題しまして、ドキュメンタリー作品をを何点か紹介するのでございます。それぞれ「戦争」「戦争のような状況」がテーマのドキュメントでございます。ちょっと深刻そうなお話でございますが、ワタクシのいつもの口調で堅苦しくなく進めていくつもりでございます。しばし、おつき合いの程を。なお、ネタばらしは有りませんので、まだ作品を見ていない方も安心してお読み下さいませ。

 ●『ブラックホークダウン』
 ●『ブラックホークダウンの真実』(92分)
 ●『9.11 〜N.Y.同時多発テロ衝撃の真実』(130分)

『ブラックホークダウン』というのは、アメリカがアフリカのソマリア内乱に介入したときの“負け戦”を、ドキュメンタリー風に描いた映画でございます。100分以上にわたり戦闘シーンが続き、兵士の目から見たような生々しい臨場感が印象的な映画でございます(『プライベート・ライアン』をご覧になった方は、その臨場感がだいたい予想出来るかと思われます)。その独特な空気感のためか、封切りして半年にもなりますが、いまだに大勢の熱狂的なファンに指示されている映画でございます。

その『ブラックホークダウン』(以下BHDと略)は史実に忠実に作られておりましてそれなりに現実っぽいのでございますが、この映画の元になった負け戦を実際の映像や兵士へのインタビューなどを交えてドキュメンタリーとして構成したものが『ブラックホークダウンの真実』でございます。こちらは、映像的には地味でございますが、なにぶん「実画像の重さ」という冷たい重量感がございます。

さて、三つ目の作品はその題名から分かるように、昨年の同時多発テロの際、たまたま崩壊した世界貿易センタービルの中で撮影をしていたカメラマンの撮った映像をもとに作製したドキュメンタリーでございます。実際の映像と関係者へのインタビューという内容で『BHDの真実』と似たような構成になっております。

以上三作品、それぞれ「戦争つながり」でございます。戦争がテーマ、あるいは戦争のような状況がテーマでございます。『BHD』の臨場感は凄まじいものがございまして、どんどん映像の中へ気持ちが吸い込まれていくのでございます。戦争映画でございますから、ドキッ、ヒヤッ、ウワァ〜といった場面が有るのでございますが、そこは映画のお約束、セットであり、俳優さんの演技であり、特撮であるという“救い”がございます。

ところが、後の二作品にはその“救い”がないのでございます。いや、唯一“救い”があるとすれば、映像の中でインタビューに答えている人は、少なくとも惨状から生き残った人だということ。脚色された映画のようなハデな映像こそ有りませんが、そのジミな映像には真実の重みが隠されているのでございます。

『BHD』という映画、これはアメリカの愛国心が作った映画かもしれません。多くの著名な俳優が出演しているにもかかわらず、多くの戦闘シーンでは誰か誰だか分からない状態。その混沌さが臨場感を盛り上げてはいるのですが、こういったことは役者が「自分を主張すること」を放棄してくれなければ製作不可能なことでございます。(理由はともあれ)祖国の命令で命を落としていった兵士に捧げるという慈愛の心、それが役者の“我”を押さえ込ませているのではないでしょうか。

また同じ戦争映画である『パールハーバー』のような豪華絢爛なストーリーはこのBHDにないのでございます。ただ単に、史実に基づいて状況を説明するシーンが続くのみ。BHDとパールハーバーがジェリー・ブラッカイマーという同じ制作者によって作られているとは信じられないぐらいでございます。BHDというのは、ストーリーによって何かを演出するという映画ではないのでございます。

役者やストーリーや効果音楽による主張をことごとく放棄して映画を作る。すると最後に残るのは「問題提議」でございます。監督のリドリー・スコット自身が“これは、観客に問いかける作品であって、答えを提供する作品ではない”と述べているように、問題を多く抱えたアメリカが、未だに解決しない問題に対して、役者やスタッフが一丸となって恥や外聞や主張を殺し、観客に対して問いかけた作品なのでございます。

またBHDの原作である小説の最後にこのようなことが書かれております。

  この戦闘を招いた政策決定を歴史がいかに批判しようが、
  その日にそこで戦ったレイジャー部隊と特殊部隊の
  プロフェッショナリズムと献身は少しも傷つけられはしない。

この言葉の向こう側に見えるのは、愛国心に溢れ祖国のために献身した若者達
の輝いた心でございます。

さて、一方『9.11 〜N.Y.同時多発テロ衝撃の真実』の中では、新人の消防士がインタビューに答えた次のような一節がございます。「消防隊は軍隊と似たところがある。僕は人の命を救うのが好きだが、ただあの惨状を見た今は、国が僕に命じれば…(長い間)…首謀者を殺しに行く」。この『9.11 〜』も事実を淡々と羅列しあまり主張のない作品なのですが、その中でもキラリと主張の輝くシーンでございます。

どの作品からも溢れているのは、「愛国心」でございます。そして、主張を抑え、どこまでも客観的に事実だけを伝え、批判や解釈はそれぞれの個人に任せる、それも共通していることでございます。飾られた言葉や映像で訴えるのではなく、只々事実だけを投げかけられる重み、その重みで押しつぶされそうになる圧迫感、そういったものを感じる三作品でございます。

BHDの舞台となったソマリア内乱での作戦失敗では、19人のアメリカ兵と1000人以上のソマリア族の命が、またアメリカの同時多発テロでは数千人のアメリカ人と十数人のテロリストの命が奪われたのでございます。この数字の逆転現象は興味深いところでございます。もちろん、二つの事件に直接の因果関係はないのでございますが、アメリカの他国への軍事介入がそもそもの引き金になっているのは、多くの人が認識していることと思われます。

この軍事介入の問題については、小説の作者のマーク・ボウデンも言及しております。「アメリカは自国の軍力や軍事介入の効果に関して‘幻想’を持っていた。今は現実を直視し、その軍事介入のもたらす結果について考えて欲しい」と。その意味では「19人のアメリカ兵と1000人以上のソマリア族の命が失われた」という恥部をハッキリさらけ出したこのBHDは、問題提議として意味のある映画でございます。ただ重要なのは問題提議だけをすること。何かしらの“主張”を盛り込んでしまうと“押しつけがましく”なってしまうものでございます。その押しつけがましくないのが、根強いファンを得ている原因かもしれません。

閑話休題。
もうひとつ「戦争のような状況」の映画を(DVDで)観たのでございます。『突入せよ!「あさま山荘」事件』でございます。こちらの方は、我を押さえるというよりも、役者を立て、脚本を立て、効果音楽を入れ、映像も俯瞰(ふかん)的...という全くの「娯楽映画」でございます。映画として楽しめるのではございますが、事実としての重みはあまり感じられないのがチョット残念ではございます。まあ、日本でBHDのような「有無を言わさぬ」映画を作ろうと思ったら、黒澤明ぐらいの強引な監督でなきゃダメかな、と思ったり...

今回はこの辺で。特に「締めくくる」ような言葉はございません。ただワタクシのお気に入りを羅列しただけ。(今回は)問いかけるメールマガジンであって、答えを提供するメールマガジンではないのでございます。

では、次回をお楽しみに。バイバーイ。

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2002/11/08

性転換−蝶もバッタも生きるのは大変

さてさて、全国的に立冬でございます。暦の上では冬なのでございます。皆様方いかがお過ごしでしょうか? 名古屋薫でございます。

今回は半年前(笑)に予告いたしましたテーマ、「性転換」についてでございます。ワタクシ名古屋薫は、まだキ○タマを抜いただけでサオが残っておりまして、そのような状態を「タマ抜き」と呼ぶのでございます。また、まだアソコに何も施工を行っていない状態を「アリアリ」ともうしまして、この「アリアリ」→「タマ抜き」→「性転換」への変化を「オカマ-メタモルフォシス」(メタモルフォシス=変態)と(ワタクシが個人的に)呼んでいるのでございます。この変態という言葉、これは「形が変わる、他と違っている」という意味の言葉でございまして、パンティーを頭にかぶったりしたときに他人様が呼んでくださるあの「ヘンタイ!」という言葉と同じでございます。

その変態も「不完全変態」「完全変態」の二つに細分出来るわけでございまして、不完全変態というのは、様々な施工・処置を施してもあまり原形と変わり映えせず、良く言えば「ナチュラル派」、悪く言えば「アソコのオペよりも先に直すところ有るんじゃないの」と言われちゃうタイプでございます。昆虫で言えばセミやバッタの類でございます。もう一つ完全変態というのは施工・処置に伴いドンドン変わっていくタイプ。「えーーーーっ、昔オトコだったなんて、信じらんない!!」と言われるタイプでございます。同じく昆虫で言えばチョウチョが代表例でございます。

さて、ここからが本題。以上の二つの変態形態とは別に、性転換手術へのアプローチの仕方によって二つに分類されちゃったりします。まず一つは、「アソコにオチ○チンが付いていることが生理的に不快でトラウマになっている人」のタイプ。性同一性障害の方が主に当てはまりますよね。もう一つは、「どうせ使わないんだからジャマじゃん。取っちゃおうかな、その方がカッコいいし」というタイプ。プロのニューハーフによくありがちなタイプでございます。

アプローチの違いこそあれ、性転換手術というのは人生を左右するような大事業でございます。しかしながら、そのような大事業にも関わらずその手術に対して認識不足な場合が多少なりともございます。まず、手術を考えていらっしゃる方に第一に認識して頂きたいことは、

 「性転換手術は敢えて自分の体を障害者にするための手術」

ということでございます。ちょっと荒々しい言い方ですが、決して性転換とは生まれ変わることではなく、自分の体に傷口を一つ増やすだけの手術なのでございます。単なる傷口でございますから、術後のメンテナンスもソコソコ手間が掛かりますし、本物のオ○ンコとは若干使い勝手・味わいなどが違うものでございます。また、顔の美容整形のように一目瞭然の変化と違い、いつも隠している部分の変化でございますから、見た目は術前と変わらないというある意味自己満足的な手術なのでございます。

しかし、女になることを夢見る方々にとっては、ついつい性転換手術が「魔法の手術」のように思えてしまうのも無理ないこと。手術をすればすべてが解決すると思ってしまう方も多いようでございます。しかし、前述のように手術で変わるのはアソコの形だけでございます。高い身長も、濃い髭も、骨太の骨格もそのままでございます。もっと言えば、声や物言い、仕草や歩き方、頭の中の構造・考え方などもほとんど変わりません。まあほとんどと申し上げましたのは、大事業をやったためのメンタル的な変化があるかもしれませんが、手術の影響による直接の変化は無いのでございます。

また、性転換手術とよく引き合いに出されるホルモン療法も、体が出来上がってしまった人に対してはあまり効果がありません。女性ホルモンを女になれる魔法の薬と信じ、過剰摂取して体をこわす人が後を絶たないのも、手術やホルモンに対する認識不足の現れなのでございます。日本では性転換手術を「正規」で行おうとすると、1〜2年のカウンセリング期間を必要とします。これなども、このような認識不足で「後々苦しむことになるであろう」人を淘汰するためのカウンセリングなのでございましょう。

さて、国内で正規の性転換をすると何年という歳月を必要とするのですが、お仕事でニューハーフをやっている人がこの何年という歳月を待てるわけがございません。そこで海外のお医者さん、あるいは国内の「融通の利くお医者さん」にお願いするということになるのでございます(融通の利くお医者さんに関しては質問しないでね。答えられないから)。費用の方も性転換がまだマイナーな頃は外車一台分ぐらいかかったように聞いておりますが、最近は国産の新車一台分ぐらいと聞いております。それぐらいの費用でございますから、“ちょっと大きな美容整形”をするぐらいの感覚で多くのニューハーフが性転換手術を行うということになっているのでございます。

その手術そのものも、医学の進歩は凄まじいもの、格段に進歩しているようでございます。性転換泰明期の頃は、「単なるぶつ切り手術」「外観+浅い穴」といった例も有ったようでございますが、最近の手術は「クリソツ・HもOK!」という完璧さのようでございまして、費用の低減と技術の向上により性転換をするニューハーフはどんどん増えております。このようにニューハーフ業界では気軽に行われるようになってきた性転換手術も、業界の外にいらっしゃる一般の方々にはたいへん敷居の高いものでございます。

そこで提言。ニューハーフ業界の外にいらっしゃる方々は、よほどのことがない限り、性転換手術を考えるべきではございません。最初に申し上げましたように、ただ傷口が一つ増えるだけで決して女になれる訳ではございません。むしろ、女を作り上げていくのは、ご自分の心の持ちようと、日々弛(たゆ)みない訓練・刷り込みの賜物なのでございます。

骨格が太ければ、それをホッソリと見せるためのファッション的工夫とかダイエット、女っぽい喋り方の工夫、身のこなし・歩き方...ご自分の欠点を客観的に観察し、それを一つ一つ潰していく作業、それが「いい女」を作り上げるのでございます。そのような努力が少しずつ身についてきますと、アソコにオチ○チンがついているかどうかなんてあまり関係がなくなってくるものでございます。そして、ふだん女として普通に生活できるまでになったとき、改めて性転換手術をするべきがどうか考えればいいのでございます。逆に、手術やホルモンにこだわり過ぎていらっしゃる方は、そのような地道な努力をなかなかなさろうとはいたしません。残念なことでございます。

ワタクシ名古屋薫も二十歳前後の頃は真剣に性転換手術を考えておりました。しかし、今現在ごく普通に女として生活出来ておりますと、今さらリスクを犯してまで手術をしたいとは思っておりません。むしろ、手術をすることそのものは、今日では簡単なことでございます。ちょっとした大金を持って海外のある病因へ行けば実行可能でございます。しがし、本当に大変なのは「女として生きていくこと」なのでございます。性転換しても戸籍が変わる訳ではございません。アソコが女になっても、昼間女装して歩けば、世間では単なる「オカマ」なのでございます。就職に関しても、普通の会社は性転換者のような特殊な人間は嫌がるものでございます。そのような劣悪な環境の中で生き抜くだけの信念がお有りの方でなければ、一般の方の性転換は勧められないでございます。

さて、今回は性転換がテーマでございました。多くの方々から性転換に関しての相談をいただきます。今回はそのような方々にまとめて解答したような形になりました。多少ズケズケと物を言わせていただいた部分もありますので、不快感を持たれた方もいらっしゃるかも知れません。人生に関わることでございますから、敢えてズケズケと言わせていただきました。ご自分のお体、ご自分の心、ご自分の人生を大切にそして丁寧に扱ってあげて下さい。あなたの人生はあなたのもの。すべて自分に跳ね返ってくるわけですから。

ではでは、今回はこの辺で。興味のない方にとっては、つまんない内容になっちゃったかも知れませんね。次回をお楽しみに。皆様方、良い週末をお過ごし下さいませ。名古屋薫でした。

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