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1998年12月

1998/12/30

命の値段が20円!?

 前回の「踊る名古屋薫」では、感動しましたという感想のメールを多く頂きました。自分ではたいしたことは書いていないつもりなんですが、多くの方々を力付けたみたいで、私名古屋薫といたしましても嬉しく思っております。さて、そこで、今回はちょっと深刻な話題になっちゃいました。暗い話題、深刻な話題は年内にすましてしまい、新年は新たな気持ちで晴れ晴れと、というつもりで慌てて年内にupいたした次第です。

 「私名古屋薫の朝は珈琲館で始まる」というわけで、朝食は近所の珈琲館(注1)で、炭火焼きコーヒーとスクランブルエッグトースト(注2)をいただきながら読売新聞(注3)を読むのが日課なのですが、今日はたまたま読売が無くて読んだ日刊スポーツの記事(注4)から。

 例の青酸カリ購入事件をご存じですよね。自殺志願の女性に札幌市の男性がインターネットを通じて青酸カリを通販で送りつけ、その結果女性は自殺、送った男性も自殺するという悲惨なあの事件です。この男性、5グラムの青酸カリをたった660円で購入しているらしいんです。青酸カリの致死量が0.12グラム程度らしいので単純計算をすると人間一人の命の値段は20円(注5)ということになります。

 送って貰った女性も不幸ならば送った男性もまったくもって不幸。不幸というよりも実に寂しいお話。この男性は他にも同様に青酸カリを送っているようなのですが、その青酸カリを欲しがった人たちの言葉も新聞には載せられていました。

 「青酸カリはお守り」

 「いつでも死ねる、もう少し頑張ろう」

そう思って青酸カリを購入したそうです。その人達は“お守り”として毎日持ち歩いているらしいのです。

 ウソツケ、バカ言ってんじゃないわよ。どうして毒薬がお守りなんかになるのよ。頭がクリアーな時にはお守りって考えられるかも知れない。でも、人間って“魔が差す”ってことがあるのよ。そこに毒や刃物が有ればつい使ってしまうかも知れないでしょ。学校の先生を刺し殺してしまった中学生だって人殺しをするためにナイフを購入した訳じゃないはず。あるいは、尾崎豊やhideが死んだ理由はいまだに謎。でも、ひょっとしたら「何となく死にたいな」って思っていたら、本当に死んじゃったのかもしれない。

 人間って死ぬときは石に躓(つまづ)いても死んじゃうもの。でも自殺だけは特別。残された者、特に身近にいた者ほど「どうして救って上げられなかったのか」「どうして気付いて上げられなかったのか」って一生後悔させることになる。「自分がいなくなっても誰も心配しない」って思う人がいたらそれは大きな間違い。自殺すれば必ず身近な人に一生重荷を背負わすことになるのです。

 自殺を考える以前に自分の悩みを誰にも相談できないっていうのがとっても不幸ですよね。悩みを打ち明けられる人、心の支えになってくれる人、自分のことを掛け値無しに信頼してくれている人、こんな人が自分の側にたった一人いれば力強く生きていけるはずなんです。たった一人でいいんですよ。欲張って多くの人から愛されようなんて思ってはいけません。本当に心を許せる人ならばたった一人で十分なはずなんです。

 でも、このたった一人が難しかったりするんです、特に都会では... 一番間違い無いのは身内。何てったって血がつながっているというほど強いものはございません。次に友人。でも、厚い友情で結ばれた一生の友人ってなかなか作れないもの。微妙なのが夫婦と恋人。本来の夫婦って最善のパートナーであるはず。しかし、最近の夫婦は冷め切っていらっしゃる方々も少なくない様子。そして、恋人。恋人でも夫婦のようになってしまった恋人ならば良いんでしょうけど、まだ駆け引きをし合っているような現在進行中の恋人ならばちょっと問題ありって感じ。

 みんな、本当に信頼できるパートナーをたった一人で良いから作りましょう。そして力強く生きていきましょう。私たちは美空ひばりやマザーテレサではないんです。万人に愛される必要はありません。たった一人から愛されていれば生きていけるんです。たった一人で良いから、そんなすばらしい人を見つけましょう。

 で、今回はちょっと深刻な話題になっちゃいました。このような話題を新年早々送るのも気が引けたので、慌てて年内に送信いたしました。今年はみなさんにとってどんなお年でしたでしょうか? どうか来年は良い年になりますように。それでは、この辺で。バッハハーイ。

-・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
(注1)珈琲館

コーヒーの専門店。チェーン店で東京には無数にある。毎月10日はお客様感謝デーでその日に行くとカップやお皿などがもらえる。我が家の食器類もかなりこの珈琲館のお世話になってます。でも、食器類のデザインに統一感が無くなるのがちょっと困りものなのです。

(注2)スクランブルエッグトースト

以前はこのメニュー、トースト+スクランブルエッグ+フランクソーセージだったのだが、ちょっと前からソーセージがハムに変わってしまった。肉汁溢れるみずみずしい美味しいソーセージだっただけに以前のメニューが忍ばれるのです。ちなみに私はスクランブルエッグをトーストの上に乗せて食べるのが大好きなのです。

(注3)読売新聞

本来、私は名古屋出身なので中日ファンなのだが、東京で中日ファンというのはなかなかに勇気がいる。それで世を忍ぶためにあえて読売を、というわけでもない。たまたまお店が用意している新聞だから読んでいるだけ、ナノサ、フン。

(注4)日刊スポーツの記事

日刊スポーツ 1998/12/29付から

(注5)20円

実際に計算してみると16円強になるようですが、新聞には20円って書いてありました。この件で文句言わないように。だって新聞にそう書いてあったんだもん、フン、フン。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
<ちょっと予告編>

 みなさん、オカマ、ニューハーフ、ホモ、ミスターレディー、ゲイ、ゲイボーイ、シスターボーイ... これらの言葉の違いって分かりますか? これ、一番よく聞かれる質問のひとつなんです。新年一回目のShe-Mailはこんな題材でいこうかと思っています。たまには軽い話題もなくっちゃね。それでは、次回を好ご期待。

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1998/12/28

踊る名古屋薫その2

再びショービジネスの世界へ

 私名古屋薫はこのたび先日お知らせしたニューハーフパブ「Show Girl」で専属で働くことになりました。今後は、「Show Girl」の方もよろしくお引き立ての程をお願いいたします。それで、前回、東京新宿歌舞伎町の「Show Girl」というお店の紹介をいたしましたが、どうも、肝心のお店の住所のところが文字化けしていたようで、改めてお知らせいたします。地方の方、そしてひょっとすると海外の方はゴメンネ。東京の方へいらっしゃった折りにはちょっとこのお店のこと思い出して下さい。

Showglog_2
【住所】
東京都新宿区歌舞伎町2-30-×××××
03-3204-××××

【料金】
¥13000(2時間、飲み放題)

【営業】
9:00PM~5:00AM
99’は1/8(金)から営業予定(!)

【ショータイム】
11:00PM頃 3:00AM頃
(でも、多分随時)

 実はこの12月25日に開店したんですが、照明装置の不調のため改めて新年に入ってから開店し直すことになりました。おそらく、1月の8日頃の開店になると思います。私名古屋薫は本当はこのShow Girl、開店の間だけ手伝う予定だったんですが、なんだかこっちの方が面白そうなんです。そこで、今まで働いていた「元祖ニューハーフクラブ」を上がらせていただいてShow Girlで働かせていただくことになりました。

 思えば、最初は水商売でニューハーフとしてデビューし、そのころは「ニューハーフは文化を売るもの、体を売るものじゃない」なんて強がっていた私が、諸々の事情により風俗の世界に入り、今回また水商売の世界、ショービジネスの世界に復帰でございます。みなさま、よろしくお願いいたします。

 「Show Girl」の開店は1月の8日頃になると思うんですが、年末年始とあって業者もお休みに入っちゃう時期、開店の日はまだ未定でございます。いらっしゃる方はあらかじめ電話で確認の上いらっしゃるようにして下さい。また、年内にわざわざいらっしゃったのにお店が急遽閉店になってて寂しい思いをされた方々、大変申し訳ございませんでした。

 あぅ、それからお店での名前が変わります。「名古屋薫」というのは風俗での名前、水商売では「大崎芳美(オオサキヨシミ)」という名を使っています。「Show Girl」へお問い合わせの際は「よしみちゃん」という名でお問い合わせ下さい。ホームページの名称は変わらす「名古屋薫のShe-Mail」でいきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 それでは、今後とも名古屋薫をそして大崎芳美をよろしくお願いいたします。

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今、聴いていた曲
 イマジン(ジョンレノン)

今、飲んでいたお酒
 桂花陳酒

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1998/12/23

踊る名古屋薫

 さてさて、この「名古屋薫のShe-Mail」、いくら不定期とはいえちょっとインターバルがあき過ぎちゃいました。配信を首を長くして待っていらっしゃる方も多いんではないでしょうか? 今回はちょっとそのお詫びと私の近況報告などを報告いたします。

 実は、ただ今名古屋薫は踊りのレッスンで連日忙しいのです。ひさしぶりのレッスンでもう体中がガタガタになっちゃってます。というのは、この12/25(金)に東京都新宿歌舞伎町に「ShowGirl」というニューハーフパブが開店するのですが、その開店をお手伝いすることになったのです。それで、そのお店のショータイムに私の出番がちょっと組み込まれまして、そのショーのレッスンで連日芸能人のようなハードスケジュールに追われているわけなんです。

 ここで、関東圏以外の人には申し訳ありませんが、ちょっとお店の宣伝を。
Showglog 

【住所】
東京都新宿区歌舞伎町2-30-×××××××
03-3204-××××

【料金】
¥13000(2時間、飲み放題)

【営業】
9:00PM~5:00AM
98’12/25開店 年内は12/29(火)まで営業
99’は1/5(火)から営業

【ショータイム】
11:00PM頃 1:00AM頃
 私名古屋薫もショータイムに出ています。¥13000という料金は「ちょっと高くて」と思われる方もいらっしゃるでしょうね。でも、この料金設定、ニューハーフパブとしては破格の低料金なんですよ。ショータイムは11:00と1:00頃の2回を予定していますが、混雑状況に応じて3:00AM頃も予定しています。

 この、ShowGirlに関してはまたレポートしますね。現在、このショータイムのレッスンのためメールマガジン配信、サイト更新、お手紙のご返事等々がとっても遅れています。特に、せっかくお手紙を頂いたのにご返事の送れている方々にはごめんなさい。余裕が出来次第、大急ぎで取りかかりますから。

 というわけで、表題にもあるように「踊る名古屋薫」なんです。今年は「踊るマハラジャ(注)」「踊る大捜査線」ときてなにかと踊っていた年ですが、「踊る名古屋薫」は大ヒットするのでしょうか? ダンサー名古屋薫にこうご期待。でも、フィリピン人のニューハーフの人たちってすごく踊りが上手なんですよね。リズム感もトッテモいいし。なんでも、フィリピンではニューハーフになるにはオーディションがあるらしく、そのため、彼女たちはみんな踊りがうまいらしいのです。

 フィリピンにはその様なオーディション制度があるらしいのですが、私名古屋薫は、ニューハーフの養成学校を作ってみたいと思ったことが有るんです。たとえばタカラヅカの逆バージョンで「カマラヅカ」なんてどうでしょうか? 歌舞伎の女形、タカラヅカの男役が、それぞれ立派な一文化として認められているように、ニューハーフの女役っていうのも、ひとつの文化として認められるようにしてみたいんです。

 でも、「文化」として認められるにはそれが「本物」でなくてはダメよね。タカラヅカでも歌舞伎でもそれが本物であるから歴史の流れに色あせることなく生き残っている訳なんですから。今のニューハーフの立場って単なる「珍しい生き物」って感じじゃないかしら。言ってみれば動物園のパンダかコアラみたいなもの。見飽きられちゃったら終わりになっちゃう。

 やはり、長い歴史を生き残って文化として認めて貰うためにはそれが本物でなければ。珍しいからと言われてチヤホヤされているのにアグラをかいていたらいつか忘れられてしまう。では何が「本物」か? 「本物」とは

本気でお客さんを感動させようとする気持ち

ではないでしょうか。これはきっとすべてのサービス業にも通ずることがもしれません。いわば、プロ意識っていうやつかな。

 技術的に高いか低いかっていうのはこの際必要十分条件じゃないと思うんです。歌が下手な歌手、踊りの下手なダンサーなんていっぱいいるでしょ。でも、そこで、プロフェッショナルとアマチュアの境目となるのはそこに、「お客に対する意識」が有るか無いか。気持ちが自分の中に向かっていて自己満足に陥っていたらそれはどれほど高度な技術を持っていてもお客を置き去りにした一人相撲。不十分な技術でもお客を感動させることが出来ればそれは立派なプロフェッショナル。

 その、本物のプロ意識を身につけるにはやはりプロの人に直接接するしかないんですよね。この感覚的なものっていうのは理屈ではなかなか体得できないもの。やはりプロの人のやることを目の当たりにして感覚的に身体や意識に染み込ませていくしかないんです。そのためにもレッスンというのは必要だと思うんです。もっとも、このプロ意識っていうのを生まれつき持っている人もたまにいます。そういう人をタレント性があるとか華があるとか言うんでしょうね。

 いつの日かニューハーフの養成学校「カマラヅカ」を作ってみたいですね。この私の思いに賛同して“数億円単位で”寄付金を資金援助しようと思った方はどうぞ私の方までご一報をお願いいたしまーす(冗談よ、でもほんとにそんな人が現れたら嬉しいけどネ) 。

 では、今回はこの辺で。バッハハーイ。

 (注)「踊るマハラジャ」 この映画の題名、知らない方もいらっしゃるかもね。東京で大ヒットしたインド 映画なんです。東京でもたった一館しか掛からなかった映画ですから、おそらく 地方でほとんど掛からなかったんじゃないでしょうか。

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1998/12/17

三つの顔を持つ男(?) ピーターこと池端慎之介

 さて今回は、七つの顔ならぬ「三つの顔を持つ男(?)」がテーマです。

  ある時は華麗なる貴婦人、ある時は紅顔(こうがん)の美少年、そしてある時は日舞の名取、その実体は? というわけで、ピーターこと池端慎之介さんの舞台、
Ctuepaf
(1998/10/18 東京都 博品館劇場にて)
をレポートしまーす。

◆このステージを簡単に説明すると

Ptr_hyoshi この舞台は第一部と第二部で構成されています。第一部はジャン・コクトーの一幕物(いちまくもの)の一人芝居を「役者」池端慎之介が演じ、第二部はエディットピアフのシャンソンを「歌手」ピーターが歌いきるといった趣向なんです。おっと、「新宿コマ劇場で小林幸子が、一部をお芝居、二部を歌謡ショーの構成で、 毎年座長公演をやってるじゃないか」とか「私は、小林幸子のより梅沢トミオのほうが好きだっちゃ」なんて声が聞こえてきそうですが、今回のはそんな大衆芸能ではなく、むしろ純芸能(注1)を追求したものなのです。あっ、別に小林幸子さんや梅沢トミオさんのが低レベルなんて言ってるわけじゃないですよ、念のため。

 ジャン・コクトーそしてエディット・ピアフと言えば、共に波乱の20世紀前半のフランスを生き抜き世界的に大活躍した、フランスが産みフランスが誇る偉大なる“劇作家”及び“シャンソン歌手”なんですよね、これが。そんな偉大なるお二人にいっぺんに挑戦しちゃおうっていう一粒で二度おいしいグリコアーモンドキャラメルのような(注2)舞台を観てきたのです。

<一部> ジャン・コクトーの世界

 「声」(東京創元社「ジャン・コクトー全集」より)

 舞台装置は大変シンプルでした。白を基調に淡いブルーの照明で味付け。登場人物は年増の女(池端慎之介)一人だけ。その女が電話の向こう側のほとんど絆の切れかかった恋人を必死につなぎ止めようとする様子が、淡々と続くのです。台詞(せりふ)は電話の受話器を握りしめる慎之介の声だけ、途中何人かの第三者が電話に割り込んでくるのですが、それも一人芝居で表現しちゃうのです。役者としてはやりがいがあるけれどトッテモつらい脚本のはず。それでなくても一人芝居っていうのは台詞の量が膨大になっちゃって役者にとっては負担が大きいんですよね。物語は結局、その年増女が悲しみに打ちひしがれて電話のコードで首を絞めて自殺してしまうのですが、その結末までの小一時間を“役者”池端慎之介さんがたった一人で演じきっていました。

<二部>エディット・ピアフの世界

 「ピアフ外伝」

 そして、短い休憩をはさんで舞台上はエディット・ピアフの世界へ。第二部の舞台はシンプルではあるけれどやや強いブルーの下地に赤のアクセントをあしらったコントラストのある照明で、第一部よりもちょっとハデになってます。やはり、舞台上は“歌手”ピーター(注3)が一人だけ。エディット・ピアフの妹の手記「ピアフ外伝」の朗読とシャンソンとを織り交ぜながらの進行なのでした。第一部のお芝居では台詞がきちんと決まってしまっていましたが、この第二部はむしろコンサートのノリ。アドリブっぽいMCなども時々挟み込んでの気楽な感じで、十数曲のシャンソンを歌いきりました。

◆ピーターがデビューした頃を知ってますか

 さーて、舞台の内容が長くなっちゃいました。大体の雰囲気が伝わったでしょうか? ところで、私名古屋薫がこの舞台にこれほどまでにもこだわる訳、実はあるんですねー。ピーターといえば今から○○年前、「夜と朝の間に」でデビューし、その独特の色気と当時では珍しいビジュアル系の出で立ちでかなりの人気を博した“歌手”だったそうです(注4)。今では、そのころのピーターさんを知っている人はそこそこの年齢なんでしょうね。しかし、ゆく川の流れは絶えずして、芸能人の人気なんてよどみに浮かぶうたかたの様なもの。一世を風靡したピーターさんも芸能界の激しい川面に浮かぶ一粒のうたかた、いつの間にか過去の人になっちゃったんですね。

 歌手として世の中からすっかり忘れられ、“あの人は今”なんたらというまるで沈殿物をかき回し直すような番組の題材になったかどうかは定かではありませんが、かのピーターさん本人は新たなる再デビューに向けてレッスンに励んでいたそうなんです。記念すべき再デビューの舞台が何であったかはよく知らないのですが、再デビュー後は池端慎之介として、“役者”にチャレンジし始めたんですね。

◆長いブランクの末の再デビュー

 一人三役をこなした『夏の夜の夢』(注5)、ミュージカル『お国』、TVドラマ『寝た振りしてる男たち』、まだまだいろいろあるのでしょうが、再デビュー後の池端慎之介さんは男役女役にこだわらず、果敢にチャレンジしていったんです。歌手時代は「ピーター」という一種の出来上がったイメージを作られ、ひょっとすると本人自身がその作られたイメージを必死に追っていたのかもしれません。ピーターというマスコミや大衆によって創られた固まったイメージをぬぐい去ることが、ピーターから池端慎之介に生まれ変わるための必須条件だったんでしょうね。

◆三つの名前を使い分ける

 その様なわけで、もうすっかり人気の定着したピーターこと池端慎之介さんですが、最近は本来のお家芸日本舞踊吉村流の名取として「吉村」という名前を、歌手としては「ピーター」を役者としては「池端慎之介」を使っているのです。簡単に考えると世間から忘れられた元歌手が役者としてカムバックって簡単に考えられちゃうんでしょうが、実際にはブランクに落ち込んだ芸人が、必死にスポットライト当たるところへはい上がってきたという涙ぐましい努力が隠されているんです。私名古屋薫はそんな思いでピーターさんを応援してるんですけど、みなさんはどうですか。ピーターさんに対する見方、これでちょっと変わりましたか?

【脚注】

(注1)純芸能
大衆文学に対して純文学という語があるように、大衆芸能に対になる語の意味で、今、私が思いつきで作った造語です。

(注2)グリコアーモンドキャラメルのような
ちなみに、アーモンドの量を2倍あるいは3倍に増量し、(2度x2倍増量)で4倍、(2度x3倍増量)で6倍もおいしい特別バージョンのグリコアーモンドキャラメルを知ってますか? 私は食べたことが有りまーす。

(注3)“歌手”ピーター(本文へ戻る)
あえて、“池端慎之介”と“ピーター”を使い分けています。

(注4)“歌手”だったそうです(本文へ戻る)
名古屋薫は24歳なのでその当時のことは全然分かりません(ということにしといてネ)。

(注5)『夏の夜の夢』
1991年6月シアターコクーンにて(加藤直演出)

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1998/12/16

強烈なるパフォーマンス『夏木マリ・印象派』

夏木マリ・印象派

Inshof今回は夏木マリさんの舞台をレポートいたしまーす。この舞台Vol.5ということで今回で5年目5回目の公演と言うことですね。私名古屋薫はこの印象派の舞台をVol.1から全部観ているわけで、最初のVol.1は私の故郷、名古屋のマツザカヤホールで観たわけです。そのマツザカヤホール、やや小さめのホールであるにもかかわらず観客は5割程度といった感じ、しかも公演の途中で席を立って帰る人も何人かって感じだったんです。それに比べると今回のVol.5では、アートスフィアがほぼ満席状態。最近では発売日にチケットを購入しても中程の席しか確保できないほどの超人気舞台に化けちゃったというわけ。夏木マリのファンの一人といたしましては、なんともうれしい限りなんです。

Natuki1当日は(1998年)10月11日、会場のある天王洲アイルには浜松町から羽田空港行きのモノレールに乗るのですが、この日二連休の二日目の夕方ということもあって関東圏から戻っていく人そして関東圏へ戻ってきた人たちでモノレールは大混雑だったわけです。そんな状態の中、普段ならあまり下車しない天王洲アイルでただならぬ下車する人の数。この人達が皆アートスフィアの夏木マリさんを見に行くのかなっなんて思っちゃったりして。そして会場に訪れた観客の顔ぶれを見ると、以外にも若い女性が多いんですよね。5年前のVol.1の頃はアイドル夏木マリで青春時代を過ごしたような年輩の方がほとんどでしたが...

Panfuさて、肝心の舞台の内容ですが、この舞台、冒頭の演出からコリまくってます。ある年はそれこそSMショーよろしく舞台の上から鎖に逆さ吊りになったままゆっくり降りてきたり。それも逆さで降ろされながらちゃんと歌を歌っているのですよ。またある年は舞台をわずか暗転している間に忍者のように舞台に現れていたりと、とにかく最初からドッキリビックリの舞台なのでございます。そこで、今年の最初のドッキリビックリはと申しますと、何と客席に入ったときにはもう舞台に板付きで固まっているのです、それも両手をインド舞踊のように差し上げて。舞台も会場内も薄暗く、夏木マリさんの姿はシルエットとして後ろのスクリーンに映し出されているだけなのですが、そのシルエットは紛れもなく夏木マリさん本人。会場内がまだざわついているにもかかわらず舞台上だけは非常に静かで強烈な存在感を匂わしているのでありました

Tshort突然の大音響と共に始まる今回の「印象派」、なんと舞台の上には中央のわずかのスペースを残して一面にリンゴが敷き詰められているのです。あと舞台の上にあるのはやや大きめのテーブル。これだけのシンプルな舞台(*1)なんです。最初、薄暗い間はこのリンゴ、何だかわからず何があるのだろうといぷかしく思っておりましたが、舞台の進行とともにそのリンゴが様々に様相を変えるのです。あるときは色様々なジェリービーンズの様であったり、そして次の瞬間には金属的な鈍い光を帯びて冷たく光ったりと、照明の変化に応じて次々にイメージ(印象)を変えていく。おそらく、この敷き詰められた物体がリンゴである必要性は全くないのでしょうね。夏木マリ演じるところのイメージによって一面のリンゴが何に見えるかは観客の想像力に任せる、そんな自由な見方で良いのではないでしょうか。とにかくコリまくりの夏木マリさん。去年の「印象派」では舞台に砂が敷き詰められてました。毎年、舞台装置はいたってシンプルなのですが、そこは観客の自由な発想を求める現れではないでしょうか。こんなところに「印象派」と能楽との共通点を見付けたような気がするんですが。

Natuki2舞台上のリンゴが様々にそのキャラクターを変化させていくように。演じるところの夏木マリさんも次々と化けていくんですね、これが。 無邪気な子供がはしゃぎ回っているかと思えば文字通り「理解に苦しむ」ような狂人の独り言のようでもあり、またある時は弁舌激しい革命家のようであったりと。 はっきりと意味を持った言葉を発するときもあれば全く意味不明の奇声をあげていたり。ストーリーが有るようで無いようで有るのか無いのか? いや、テーマはあるけど(*2)ストーリーは無いんでしょうね。シナリオや演技や声が観客を感動させるのではなく、夏木マリさんの発する印象(波動)が直接観客の心を打つ、そんな感じじゃないでしょうか。「印象派」の舞台に対して適当な形容があるとすれば「パフォーマンス」ではないでしょうか。「歌」は歌うけれどコンサートではない。まぎれもなく「演技」なのですが、一貫したシナリオは無い。しかし、舞台上からは強烈な波動が発せられている。そんな感じ、この文章だけでどれほど理解してもらえますでしょうか? 

Tshotbところで、私たちが舞台(コンサートでもミュージカルでも何でも良いんですが)を観たときに、いったい何に感動しているんでしょう。きらびやかな衣装? きれいな歌声? あるいは緻密な脚本? これらは決して間違いではないでしょう。舞台を構成する上でそれぞれ大事なものです。ただ、舞台の上から小物や小細工をどんどん取り去って舞台の上にいる演者を裸にしていったら...どうぞ想像してみてください。舞台の上に残るのはいったいなんでしょう? その回答がこの「印象派」にあるような気がします。さて、あなたは何だと思いますか? 私なりの回答それは、最後に舞台上に残るのは演者の「息づかい」ではないでしょうか。何もかも取り去るとそこには一生懸命演じている演者の息のみが残っている。そして、その息づかいこそが観客に伝わる。これは演劇だけではなく、ダンスや歌などにも通じることではないでしょうか。衣装がきれい、歌声がきれい、と人は感じることもある。でもそんなことは一時的なこと。時と場所が変わってしまえば変わってしまうかもしれません。でも、息づかいだけは真実。母親や父親のあなたに対する息づかい、あるいは恋人があなたに告白するときの(逆の時もあるよね)息づかい。これらは真実であったはず、ネッ、そうでしょ(*3)。

Posterどうです、この「印象派」の舞台、興味がわいてきましたか? 私などは公演中何度か、わけもわからず目頭が熱くなる瞬間がありました。何かがダイレクトに私の心に波動を送っているのを実感しました。ただ、前述しましたように能楽に通じるような難解な要素も持っているので、「ナーニこれ、ぜーんぜんわかんなーい」って感じる人もいるはず。でも、「わかる」ことは重要ではないはず。むしろ重要なのは「感じる」こと。これが能楽に通じると私が思える理由ではないでしょうか。「夏木マリ・印象派」、これは「パフォーマンス」です。綺麗な歌を聞きに行った人、あるいはドラマチックなストーリーに期待した人はそれなりに失望するかもしれません。しかし、強烈な波動(印象)を感じられることは間違いないはず。残念なことに今回は東京以外の地方公演は無いとのこと。しかし、来年(1999年)の1/15,1/16にパリ公演を控えているそうです。この時期にフランスにいらっしゃる方はぜひ、ごらんになってください。


最後に、「夏木マリ・印象派」のヒストリーをパンフレットから書き写しておきます。詳しくは夏木マリさんの所属事務所「K-LINKS」のサイトへどうぞ。

印象派Vol.1
 1993年11月26日、27日、28日●
  東京 シアターX
 12月1日●
  愛知 マツザカヤホール

印象派Vol.2
 1994年10月29日●
  東京 アートスフィア

印象派Vol.3
 1995年9月21日、22日●
  東京 アートスフィア

印象派Vol.4
 1997年3月7日、8日、9日●
  東京 アートスフィア
 3月16日●
  愛知 名古屋芸術創造センター
 3月17日●
  大阪 シアター・ドラマシティ
 3月20日~29日●
  ロンドン ICA(Institute of Cntemporary Arts)
 11月28日、29日●
  パリ Theatre du conservatoire
 1998年7月27日~8月2日●
  フランス アビニョン演劇祭 Theatre du Chien qui Fume
 8月6日~15日●
  イギリス エジンバラ演劇祭 Continental Shifts at St Bride`s

印象派Vol.5
 1998年10月9日、10日、11日●
  東京 アートスフィア
 1999年1月15日、16日●
  パリ Le Theatre de Corbeil-Essonnes

1999年秋・公演予定地
 LONDON, GALSGOW(UK)  GALWAY(IRELAND)
 PARIS, CORBEIL, LYON, MARSEILLES. NANTES(FRANCE)
 MILANO(ITALY)  PLZEN(CZECH)  SRATOV(RUSSIA)
 TORUN, KRAKOW(POLAND)

 (以上、「夏木マリ・印象派」プログラムより)

●閑話休題●

ちょうど、今回の舞台を観た翌日に、ある雑誌で興味深い話題を見付けました(*4)。みなさん、中島みゆきの「夜会」というのをご存じでしょうか。その夜会での隠しマイクの是非について中島みゆきさんがインタビューに答えていたんです。

「夜会」という舞台でミュージカルみたいに全身で表現して歌いたい。そのためにミュージカルで使うような小さなマイクで歌声を拾おうとしたのだけれど、結局本番ではハンドマイクに戻しちゃった。そのわけをインタビュアーが聞くと、そういった小さなマイクは息を拾わないからダメとのこと。息の成分の無い歌が許せないと中島みゆきさんは言ってるんです。実音じゃない息の部分とか空気の音とか、要するに「気配」として表現されるものを表現したい、とも言っています。この話と、「印象派」での息づかいの話とが何かしら共通しているみたいで、興味深かったんですね。この「夜会」、見に行った人に内容を聞くと、やはり、「印象派」と同じような要素を持っている様子、コンサートというよりもパフォーマンスに近いらしいんです。この記事を読んで、無性に中島みゆきの「夜会」を観てみたくなっちゃいました。でもこのチケット、プラチナペーパーと呼ばれているらしくなかなか入手困難らしいんです。もし、この「夜会」に行けたら、またレポートしましょうね!

 

リンク

K-LINKS's(夏木マリさんが所属する事務所)
 ※現在は「夏木マリ|事務所」
  http://marinatsuki.com/

脚注:

(*1)シンプルな舞台
昨年は舞台上に砂が敷き詰められていました。
 
(*2)テーマはあるけど
この印象派に限らず夏木マリさんの一貫したテーマは「反戦」ではないでしょうか。
今回のパンフレットにも「NHK海外たすけあい」のページがありました。
 
(*3)ネッ、そうでしょ
えっ、真実じゃなかったって、それはまた不幸な人生でしたね。
でも、めげずに頑張ってね。
 
(*4)ある雑誌で興味深い話題を見付けました
Weeklyぴあ(関東版) 1998年10月19日号 27ページ
「変わりつづける。」中島みゆきが語る「夜会」の10年

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1998/12/15

US−Godzillaのサイトに異変が

はーい、名古屋薫です。今日は急遽、号外をお届けすることになりました。

 日本版ゴジラ新シリーズの制作が始まったようなので、取りあえず私にも関係あるかなって思ってお知らせします。

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Godzillaのサイト
http://www.godzilla.co.jp/
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 以前、US版ゴジラのレポートをお届けしましたが(愛すべき怪獣だったゴジラと愛されざる怪獣GODZIRA),そのUS版ゴジラのホームページ上でなんと日本版ゴジラ新シリーズのアナウンスをしているんです。US版のサイトで日本版のアナウンスって変ですが、ちょっと前まではこのサイト、US版の画像やメイキング等を掲載していたんですね。それで、先日、自分のサイトをリニューアルする際、久しぶりにこのUSーGodzillaのサイトを訪れた時には、「12月14日にもう一度来てくれ」っていうアナウンスの表紙があるだけだったんです。

 そして、昨日除いてみると、アラマ、日本版の新シリーズが始まるなんて書いてあるじゃないですか。もう、これは、いち早く読者の方々にお知らせしなくちゃって思ったのです。私は自分のホームページのGodzillaレポートにも書きましたが、「特撮部分だけをアメリカに外注した日本版のゴジラが見たい」などと勝手なことを言ってました。まさか、その夢が実現するのかも。ちょっと、ワクワクです。このGodzillaのサイトではそのスタッフなどはまだ明らかにされていないようなので詳しいことは分かりませんが、名古屋薫といたしましては、

   「本場(?)アメリカのSFX技術を使った、『愛すべき』ゴジラ」

の登場を切に願う次第でございます。

もっとも、私の期待とはまったく正反対の結果

   「チャッチイ特撮で憎むべきゴジラ」

ということも考えられるので、あまり期待しすぎるのもいけないかなって思うのですが。

 ところで、余談ですが、今頃になって「GODZIRA」ではなく「GODZILLA」なのだと気付いてしまいました。私のホームページ上のゴジラレポートにもGODZIRAとなっているはずです。まったくお恥ずかしい。追々訂正しておきますのでよろしくね。

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それでは、今日の号外はここまで。
次回、メールマガジン版「名古屋薫のShe-Mail」お楽しみに。

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ゴジラのサイト
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名古屋薫のゴジラレポート「ゴジラとGODZIRA」

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1998/12/14

愛すべき怪獣だったゴジラと愛されざる怪獣GODZIRA

 このコーナーでは私こと名古屋薫が見た映画をアレヤコレヤとケチをつけようと言うコーナーなのでございます。まあ、全くわたくしの勝手な独断と偏見の固まりのようなコーナーでございますので、ふに落ちない点もござりましょうが、そこのところはお許しのほどを...

 それで、今回はあの悪評高きGODZIRAを見に行ったわけです。なぜ、今更世間が忘れかけてるような映画をとお思いでしょうが、まあ、あまりにも評判が悪いので、それも一見と思ったわけでございます。(以下、日本版のものをゴジラ、今回のアメリカ版のものをGODZIRAとしますね)

さて、そのGODZIRAの一般評ですが、

  「怪獣映画としてはそこそこ良いんじゃない」

とか

  「ゴジラとは全く別のものとして観ればまあまあ楽しめる」

なんてことがけっこう言われていたりする訳なんですが、そもそもゴジラとGODZIRAを比較することがぜーーんぜんナンセンス。この両者の違いは表題のごとく、

  「ゴジラは愛すべき怪獣」

だったのに対し

  「GODZIRAは憎むべき怪獣」

なんですよ。

 みなさん、ゴジラの映画を映画館へもしくはビデオで観たことがありますか? あれだけ大暴れして街中を破壊しておきながらも決してゴジラを殺してしまえなんて思いましたか? ビルを破壊されても東京タワーをひん曲げられても、やっぱり我々は彼(彼女)を愛していたでしょ。そう、ゴジラって私たちにとってはヒーローなんです。愛すべき怪獣、心の友だったりするわけなんです。

 もっとも、私もゴジラの映画を観たのなんてずーとずーと前、細かい内容はよく覚えていませんが、でもゴジラが街並みを破壊しようが火を噴いて焼き払おうがチットモ怖くなかったでしょ。自衛隊のジェット機がゴジラにミサイルを撃ったって心の中では、「そんなのへっちゃらさ、だって、ゴジラだもん」ってあなたも思っていたんじゃない。そう、私たちはゴジラを観るときにはゴジラびいきになってましたよね。大人たちがよってたかってゴジラを倒そうとするときに一生懸命ゴジラを応援してませんでしたか? きっと、小さな子供はゴジラみたいに強くなりたいっておもったかもしれませんよね。そして、いい大人はゴジラを見て普段のウップンを晴らしていたのかもしれません。(もっとも、「オレはひたすら自衛隊を応援していた」っていう人もいるでしょうが、どこの世界にもアマノジャクはいるもの)

 そして、なによりもゴジラには感情があったということなんです。明らかにゴジラは思考していた。キングキドラと戦うときもモスラに悪戦苦闘しているときも何かを考えていましたよね。映画のラストシーンで東京湾を沖へ去っていくゴジラの後ろ姿には何かもの悲しいものさえ漂っていた様にも思えるんです。だからこそゴジラって愛されているんでしょうね。けっして、ゴキブリやトカゲのように本能だけで行動する下等動物じゃないんです。思考する高等な生き物なんです。

 さーて、ここまで読んできたアナタ、もう話の趣旨がわかってきましたか? そう、GODZIRA(こちらのGODZIRAはアメリカ版の方ですよ、念のため)には思考能力がないんです。ただただ本能だけで生きているんです。行く手にビルがあるから壊す、おなかがすいたから捕食する、子孫繁栄の本能に従って卵を産み付ける。こんな、ゴキブリのような怪獣をアナタは愛せますか? ゴジラは世界中でたった一匹のゴジラだった。ところが、GODZIRAは卵をガンガン産み付けウジャウジャ繁殖する。GODZIRAが何百頭もうごめくスクエアーガーデンの地下のシーンは思わず大豊漁のゴキブリホイホイの中を想像しちゃいましたよ。

 かつてアメリカはキングコングという一大ヒーローを生み出したじゃありませんか。あのキングコングも日本のゴジラ同様愛すべき怪獣でしたよね。ものを考え感情を持つすばらしき友であり、長く世界中に愛されてきています。でも、今のアメリカではああいった形のヒーローは出現できないんでしょうね。いやきっと、アメリカ自身がヒーローになりたがっているんでしょうね。ロシア(ソ連)がもはやアメリカの敵ではなくなり、何か仮想敵がないと自分たちの存在意義が見いだせない。自由の国とうたい文句は立派だけど、実際の内情はまだまだ社会的な歪みを多く残している国。そんなアメリカが仮想敵をやっつけてウップンを晴らすといった「アメリカ万歳」的な映画のひとつに落ち着いちゃったってのがこのGODZIRAじゃないでしょうか。(こんな理屈っぽいことを書いているときの私って、本当はとっても照れくさいんですよ)

 だから、GODZIRAっていうのはアメリカがやっつけなきゃいけない敵であり、憎むべき存在であり、醜くなければいけない。それゆえに、GODZIRAはあの様なGODZIRAであり、決してキングコングでもなければゴジラでもないんだと思うんです。むしろ、GODZIRAという映画は「エイリアン」や「プレデター」あるいは「インデペンスデイ」といった映画に近いんじゃないかなって思うんですけど。そう考えるとちょっと納得してきたんじゃないですか? 

 しかし、特撮技術に関しては、日本のゴジラはまったく脱帽ですよね。GODZIRAはとにかく迫力があってリアリスティック。日本の特撮もそれなりにスゴイんだけど、どこか安っぽく見えちゃう。このGODZIRAの製作が決まった頃はほとんどの人がアメリカの最新の特撮技術でゴジラが見れるんだっておもっていましたよね。おそらくアメリカ人のゴジラファンも皆そう解釈していたんでしょうね。私だってそう思ってスッゴイ期待していたんだから。どうか東宝さん、これを教訓に本当にみんなが見たがっているすばらしいゴジラを作ってくれないかな。ゴジラはやっぱり日本人の手でつくってほしいな。特撮部分だけはアメリカに外注して...

【閑話休題】

 映画GODZIRAで最初に日本の貨物船が襲われますが、その船の名前が「コバヤシマル」っていうんですね。それで、最近「スタートレック カーンの逆襲」って映画をたまたま見ていたら、なんと同じように「コバヤシマル」という宇宙船が救助信号を出すというシーンがあるんです。たまたま偶然だとは思うんですが、ちょっとおもしろいですよね。それとも、コバヤシマルという響きに何か思い入れがあるんでしょうか? または、実存の船に差し障りがないように救助信号を出す船の名前は「コバヤシマルとする」なんていう取り決めがアメリカの映画界にはあるんでしょうか。だって、アメリカ映画(TVドラマも含め)では、電話番号を言うときには必ず555-XXXXって言いますよ。電話番号に関してはそんな取り決めがあるらしいんですけど、コバヤシマルに関してはどうなんでしょうか?

◆US版GODZIRAのホームページ
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